不思議の国より不思議な国のアリスス |
アリスの系譜 |
読者からのお便り(1) |
このコーナは読者からの著者宛のお便りのなかで、
アリス・ファンが共有したい内容のものをご本人のご了解を得て抄録するものです。
読者のお便りは
次ページにもあります。 お便りをお待ちします。
メール
No.1
Yukoさんからのお便り ―
最近のもの 04・11・18
No.2
Nawoさんからのお便り ―
最近のもの
No.3.
鈴木真理さんからのお便り 最近のもの 04・11・16
No.9.
木場田由利子さんからのお便りー時計の鎖
No10
arsさんからのお便り ーアリスの系譜・異界・共生など 05・2・23
NEW
No.1. Yukoさんからのお便り ― 千と千尋 アリスの系譜 03・03・18
♪春は名のみの〜・・・まだ寒い日が続いていますが、お元気でいらっしゃいますか。
HP拝見しました。以前にも書いたかもしれませんが、私もアリスは大好きです。「千と千尋」とアリスのつながりについて書かれていたので、ちょっとうれしくなりました。夫と「千と千尋」を見後の感想が、「これ、アリスじゃん。」と言うものだったのですが、余りそのことについては世間では取り上げられていなかったようなので。
私が勝手に「アリスの系譜」と呼んでいる物語が児童文学にはいくつもあります。その中でも一番気に入っているのが「霧の向こうの不思議な町」(柏葉幸子著)です。最近、「千と千尋の元ネタ!」などという帯がついて書店に並んでいます。(我が家の見解では、元ネタはアリスなんですが・・・。)霧の向こう・・」が出た頃には「アリスと同じ」と言って酷評されたこともあるようです。共通点はもちろんありますが、違う点も色々あり、面白いです。
もし、まだお読みになっていらっしゃらなければ一度目を通してみてください。子供向けのものですが、充分楽しめると思います。

著者から 03・03・19
・・・Yukoさんが「アリスの系譜」と呼んでおられる物語をもう少し教えてくださいませんか。・・・

Yukoさんから 03・03・20
子供の頃から、もう一つの世界に行く話にはワクワクしたものです。 「アリスの系譜」といかめしい名前を付けていますが、きちんと勉強したものではなく、子供の頃から読んでいるものを心の中で勝手に区分けしているに過ぎず、ちょっと恥ずかしいですが、今、思いつくものをあげて見ます。
<日本のもの>
「おしいれのぼうけん」・・・作者:古田足日
「不思議なかぎばあさん」・・・作者は忘れました。
*柏葉幸子の不思議シリーズ
「地下室からのふしぎな旅」
「天井裏のふしぎなともだち」
<海外のもの>
「オズの魔法使い」
「くるみ割り人形」
洋の東西を問わず、「もう一つの世界をのぞく物語」があるのは面白い事だと思います。

著者からYukoさんへ 03・03・30
ご推奨の柏葉幸子「霧のむこうのふしぎな町」を読みました。やはりアリスの系譜ですね。また、湯婆婆そっくりなおばあさんも出て来て、「千と千尋」のルーツでもあることがよく分りました。東北弁の導入部は見事ですね。お蔭で、今日の日曜はのんびりした一日となりました。
読んでいて、同じ作者の
「ドードー鳥の小間使い」という本を、半年前に読んでいたのを思い出しました。「不思議の国のアリス」に出てくるドードーが日本に来ているという楽しいお話で、ドードーがドモリであることを初め、キャロルの影響を随分受けた人だな!と思いました。ご報告まで。
Yukoさんから著者へ 03・03・31
こんにちは。「霧の向こう・・」、楽しんでいただけた様でよかったです。
この間、ふと疑問に思ったことがあります。「アリス」をはじめ、「霧の向こう・・」や
「おしいれのぼうけん」など「あちらの世界をのぞく」物語の共通項として、主人公が「あちら」を冒険している間「こちら」の時間は余り進んでいない(あちらで過ごした時間ほど進んでいない)ことがあげられると思います。ですが、「浦島太郎」も「あちら」の世界ですごして帰ってくると、「あちら」での時間のほうが長かった。この時間の感覚の違いはなぞです。
もし、何かご存知でしたら、お暇なときに教えてください。
(どなたかYukoさんの疑問に答えていただけませんか? −著者)

著者からYukoさんへ 03・04・08
あちらの世界とこちらの世界の時間のスピードの差については、少し考えて見ましたが、大変難問ですね。あちらが、遅く時間が経っているものは、浦島太郎、Rip
Van Winkle,桃源郷・・・逆に早いものは、アリスの物語、邯鄲の夢、南柯の夢・・・同時進行というのもあって、せい女離魂・・・この問題はしばらくお預けとして、大西小生さんという方からのメールの中に下記のようなのお言葉があったのでお知らせします。
> メールの方の言われる「アリスの系譜」も、目のつけどころに感心させられます。
『ふしぎなかぎばあさん』は手島悠介の作で(シリーズが20作ぐらいは出ていま す)、無論アリス原典に比べればチープな読み捨てタイプの本なのですが、第1作では大正期のナンセンス・ソングをマザー・グース代わりに使うなど、アリス・テイストを自家薬籠中のものにしています。
> 世間一般でいう「アリスの系譜」とは、「美少女」の系譜に他なりませんが、千尋
は明らかに、そうではない。これも面白いところです。宮崎駿が「美少女」を排し、ふつうの女の子を主人公としたときに(これは明らかに意図的でしょう)、その物語が最も『アリス』に近づいたのだとしたら(少なくとも観る側がそう感じたの
だとしたら)、これは非常に健全な感覚だし、掘り下げて考えてみる値打ちのある問題と思います。
文中に「チープな読み捨てタイプの本」とありますのは、この方の愛して止まぬ分野でもあるのです。
大西小生さんのHP
Yukoさんから 03・4・8
愚問にお付き合いいただいて、ありがとうございます。
Rip Van Winkleと言う話は知らないのですが、浦島太郎と桃源郷の共通点はあちらが楽しすぎると言うことでしょうか。(受動的?)アリスや霧の向こうのリナ、また千尋はあちらではいろいろな体験をしますしそれらは必ずしも楽しいことばかりではありません。
でも、彼女たちはその中から何かを得る、と言う共通点があると考えています。(能動的?)
また、「アリスの系譜」にも反応してくださった方がいらっしゃったようで恐縮です。冷や汗が出そうです。
> > 世間一般でいう「アリスの系譜」とは、「美少女」の系譜に他なりませんが、千尋は明らかに、そうではない。これも面白いところです。宮崎駿が「美少女」を排し、ふつうの女の子を主人公としたときに(これは明らかに意図的でしょう)、その
物語が最も『アリス』に近づいたのだとしたら(少なくとも観る側がそう感じたの
だとしたら)、これは非常に健全な感覚だし、掘り下げて考えてみる値打ちのある
問題と思います。
千尋もリナも美少女じゃないですね。
普通の女の子を主人公にしたのは、普通の10歳くらいの女の子へのメッセージだと宮崎監督ご本人が、インタヴューに答えていらっしゃったのを覚えています。(だから、あえて美少女にしなかったんだと思います。)
話は飛びますが、今日またHPを読ませていただいて、「おっ!」と思ったところは「Thought Alice to herself」(
chapter3.)についてです。私は一人っ子なので、本当に小さな子供の頃から、もう一人の自分に語りかけるクセと言うか変な習慣があります。一人っ子はそういう人が多いようですよ。独り言を言うわけではありませんが・・・。アリスは一人っ子ではないのに、ごっこ遊びが好きなのは、どういうわけでしょう。続きが楽しみです。(あ、もちろん、この疑問は無視してくださって構いませんよ。)
ちょっとした文学論、学生時代に戻ったようで、楽しいです。では、また。

著者から 03・4・10
Thought Alice to herselに感じてくださって嬉しく思います。これからも続けますので、どうかよろしく。
ところで、受動的、能動的という観点ですが、花咲爺さんもも舌きり雀のお爺さんも無欲で、受動的の方が幸せです。物事を素直に受容する方が幸せという話は昔話にはたくさんありますね。もう1つのキーワードは弱いものへの憐憫がセットになっていることが多いです。不思議ですね!
アリスや千尋のことは追々一緒に考えていきましょう。
鈴木真理さんから 03・4・11
「アリスの系譜」楽しく読ませていただきました。
昔読んだ、佐藤さとる(間違っているかもしれません)の「誰も知らない小さな国」(これも記憶違いかもしれませんが)というのも、アリスの系譜かなと、思い出しました。違った国に入り込むというのは、お話の中でもワクワクします。
いつも新鮮なロンドンの息吹を伝えてくださっているロンドン通信の鈴木真理HP
Yukoさんから著者へ 03・4・16
宮垣さん、こんばんは。
HP拝見しました。鈴木真理さんという方からもアリスの系譜にご意見をいただいたようで、本当に恐縮しております。
が、反論するわけではないのですが、鈴木さんがおっしゃっている「誰も知らない小さな国」(佐藤さとる著)は、わたしのアリスの系譜には入っていないんです。
もう一つの世界をのぞくと言う点では一緒なんですが、「誰も・・」のもう一つの世界は、こちらの世界と共存しているという大きな特徴があります。そこが「アリス」や「千と千尋」とは違う点だなと思っています。
アリスや千尋は、穴に落ちたりトンネルを抜けたりしてもう一つの世界に行きますが、「誰も・・」にはそういう彼我をつなぐパイプのようなものはなく、あくまでも共存なので、ちょっと違うかなと、私は思っています。
でも、「誰も・・」も大好きなお話の一つで、シリーズは全部読んでいます。
私の勝手なアリスの系譜を読んでくださって、昔読んだ本を思い出してくださりワクワクした気持ちを思い出してくださったことが、とてもうれしかったです。では、また。
【
著者からー私は「誰も知らない小さな国」を読んでいません。何時の日か読んでみたいと思います。あちらの世界と共存する、しないのお話、お暇な時にお聞かせください。】
Yukoさんから著者へ 03・6・7
・・・さて、以前に話題にのぼった
「誰も知らない小さな国」のお話です。
小さな国の住人は
「ころぽっくる」で、主人公のぼく<かれは人間>が、あるころぽっくると交流を持つことから始まるお話です。
ただ、アリスや千尋と違う点は、ころぽっくるはあくまでも
私たちと同じ空間にいると言うことです。時間の隙間(?)をとおってもう一つの世界に行くのではなく、私たちがいる「ここ」にころぽっくるもいるのです。たまたまぼくはそれに気づき、またころぽっくるの中にも人間と交流を持ってもいいと思っている、好奇心旺盛な少年がいたことから交流が始まったのです。
(ふつうの人間はころぽっくるの存在に気が付かないだけで、ここにもそこにもころぽっくるはいるのです。)と、お話を全部書くわけにはいきませんので、お時間のあるときにお読みになって見てください。大人にも充分楽しめる本ですよ。(と、思っています)
さて、最近更新されたものに
「発見の喜び」というのがございましたね。あれは、ころぽっくるを見つけるのと似ています。普通の人なら気にとめないであろう、小さな音(気配)に気を止めることから物語は始まるのですから。
自然の移り変わりに心を留めることは、茶道の精神の一つでもあります。長年培われてきた、その精神を私も伝えていきたいと思っているのですが。それを言葉で表すのは難しいですね。かえって、お茶のお点前を説明なしで見ていただく、そして感じていただくほうがよほど饒舌だなと思うことがあります。
言葉を生業とするものとしては、ちょっとさびしいのですが。
【
著者から――
ころぽっくるは本当にいるらしいですね。もともとアイヌの人が、いると信じている小人だそうですが、見える人には見えるようです。西洋では、色んな呼び名があって、dwarf,
goblin, gnome,elf. kobold,・・・と、地方により呼び方が違うようです。先日
Gnomes*と言う本を手に入れました。それには、全世界のどのあたりに住んでいるか、地図が載っており、その歴史、習慣、能力など精しく書いてあって楽しい本です。勿論、これを信じることの出来る子供向けのものですが・・・。
発見するには、子供の心が必要なようです。最近、C.S.ルイスの
「ナルニア国物語」を読み続けているのですが、主人公四人兄弟姉妹のうち、大切なことを最初に発見するのは、一番幼いルーシーという少女です。
ルーシーに見えることが、はじめは他の兄弟は見えません。
また、この物語はYukoさんが提起されている
あちらの世界とこちらの世界の時間のスピードの差についても上手く描かれています。
感じる世界は、言葉とは別の世界ですね。Yukoさんのお点前で一服。これには発見の喜びがあることでしょう。戴く者の心が澄んでいれば・・・】
*文:Huygen/絵Poortvliet
1977オランダで出版されたものの英訳本 1977HarryN,Abrams N.Y
それで、主人との食卓での私達の会話なのですが、主人が申しますに
、*アスタリスクはコンピューターの中では、一気に階層が縮まったりジャンプする意味を持った記号だそうですね。
*をコンピューター言語で書いた中に入れれば、階層がピョンと飛んで別のところに行くわけです。大きな変化が起こります。
だとすると、それはその意味そのもので、意味が無いはずがありません。
よくわかりませんが、きっと数学関係の方でしたらこの記号のきちんとした意味がわかると思います。
宮垣さんもこれを変化の過程と考えられたのは、そういうところからなのですか?
ですから、翻訳家の方がこれをただの記号か、星印、あるいは飾りのように扱ったのはとんでもないことになりますよね。
また、ルイス・キャロルはよほどよく数学的な意味を知っていて、その数も並びも意図的に使ったと思うのですが・・・
しかも、どんな言葉で表現するよりも、さらにミステリアスに効果的な表現だったと思います。
なるほど絶対そうだと思って、私も訳本を見てみましたら、驚きました。
たった*一つ、まるで飾りのように置いてありました。
これはきっと、ちょっと一区切り程度の感じだと思います。
あるものはラインになっていたり、☆でした。
私事ですが、もし10枚のファイルで徐々に微妙な変化のあるムービーを表現したかった場合、知らない人に表現したかったプロセスをたった一枚で簡単なことにされたら、どんなに嫌だろうと想像します。
ふと、食事中の会話から出たくだらない話をしましたが、そんなふうに感じています。
お勧めの「不思議な国のアリス」、さっそく原文で読もうと取り寄せています。洋書専門店に行かなかったので、すぐには手に入りませんでした。
これならネットの方が早かったかもしれません。
興味深いご研究をまたお知らせください。
それと、もうひとつ、話はシェークスピアなのですが・・・
シェークスピアと直接の関連性はありませんが、少し前に面白い本を読みました。
シェークスピア劇を学ぶ劇団員の少年が過去にワープして、その時代の実際のシェークスピアに巡り会い、劇団に加わって演じるという内容です。
一種のファンタジーで、私にもとても面白かったのですが、きっとシェークスピアをよく知っていらっしゃる方とか、お好きな方だったら違う角度でご覧になるかもしれませんが、それもまた面白いのではないかと思います。
「影の王」スーザン・クーパー 作
井辻朱美 訳(偕成社) です。
NawoさんのHP
Nawoさんからのお便り。 ノンセンス 03・4・22
「ただ笑へ!ただ唄へ!―アリス学超入門」を読ませていただきました。
「ノンセンス」・・・これは「nonsense」、通常カタカナで書くと「ナンセンス」のことでしょうか?ばかげたこと、つまらないこと、meaningless意味の無いこと「ナンセンス」を「ノ」となさったのは、何か特別の意図がありますか?それとも、発音上の表現の違いでしょうか?少し、考えてしまいましたが・・・
つまり「不思議の国のアリス」は、ナンセンスなギャグ満載!ただ笑い、唄えばいい。意味を深くなんて追求しなくてよろしい。何て心強い励ましでしょう。これで、続きを原語で読む勇気が湧いてきました。
モラルや既成概念から解き放たれた自由な考え方きっと、その時代にはさぞかし必要なものだったのでしょう。homonymやpunとか、rhymeを駆使して、言葉の投げ合いをして遊んでいる面白さでしょうか?
もちろんこういうことは、原書で読む場合、よほど言葉をよく知っていないと楽しめませんが、だから、各国の言葉に訳した翻訳家の方々は、とても責任が重いですし、本当にご苦労なさっただろうと思います。
このような言葉遊びのような文化の歴史が、イギリスには本当に深いのでしょうね。日本にも同じようなものはあると思いますが、きっと現代では、関東より関西の方がこういったダジャレが浸透しているのではないでしょうか?そして、また自分の話になってしまいますが、最近アニメーションを作っていても、
自分の頭の固さに閉口してしまうのです。PCの中では、架空の世界なのですから「何でも有り」のはずです。
それなのに、どうも在り来たりの発想しか浮かばず、既成概念の中から抜け出すことができません。
ああ、私も「ラビットホール」に落ちてしまえば、素敵な空想の世界が広がるかもしれないのに・・・と今日宮垣さんの文章を読んでいて感じました。
そう考えると「不思議の国のアリス」の世界が一番必要なのは、現代社会の大人達なのかもしれませんね。

著者から 03・4・24
「ノンセンス」はイギリス流、「ナンセンス」はアメリカ流くらいにしておきましょう。コーヒーを関西ではコーヒ。
しかし、
「ノンセンス」は一種の業界用語となっていますから、詳しくお知りになりたければ、高橋康也著
「ノンセンス大全」をご覧ください。「なぜノンセンスか」の序章は、「ノンセンスかナンセンス」に始まり、372頁のあとがきにもそれにこだわっておられます。この本は再版されて、今は5800円しますから、そんな詮索より、良いワインを一本買った方がいいかもしれません。
「ノンセンス」といえばマザーグースですが、
この本読まれましたか、一読をお勧めします。
>そう考えると「不思議の国のアリス」の世界が一番必要なのは、現代社会の大人達なのかもしれませんね。
同感です。

鈴木真理さんから 03・5・5
そして思い出したのですが、今から10年程前、家族で英国内を車で旅行したときのことです。ウエールズ北部の海に面したところにLlandudnoのという町があります。そこでルイス・キャロルが夏を過ごしたというホテルを訪れました。確かアリスのモデルになった女の子の家族も一緒に滞在していたと聞いたように思います。小さなホテルですが、その道沿いには同じようなホテルがずっと並んでおり、目の前には砂浜が広がっていました。ビクトリア時代は海水浴場だったのでしょう。訪れた日は夏でしたが、風が強く、海で泳いでいる人はいませんでした。ウエールズは英国の中では珍しく中央部が高原になっていて、スノードニア国立公園とよばれています。広い公園内を登山鉄道のようなものが走っています。またチェスターから、Llandudnoのある海沿いをずっと鉄道が走っています。アリスの「塩辛い―海―駅―汽車で帰れる」にぴったり当てはまりますね。アリスはここで水泳の練習をしたのではないでしょうか。
【 著者から −お便り有難うございました。調べてみますと、80才のアリスが新聞記者に向かって、お父さんに連れられてこのLlandudnoに何度か来ており、キャロルもそこへ来たという発言をしています。
それが何時のことなのかを含めて精しくは「アリスは泳げたか」の続きに書きましたのでご覧ください。】

木場田由利子さんから 03・7・7
(7月5日(土)日本ルイス・キャロル協会ティー・パーティの後で、)
・・・とても楽しいパーティでしたね。水辺での集まりは初めてでした。
ページ拝見いたしました。宮垣さんの思いつきが新鮮で楽しいですね。お尋ねの件ですが、ヴィクトリア朝のさまざまなことを書いてある本で偶然みつけたのですが、その本がなんというのか記録もしていなくて今はお伝えできません。それによりますとそのころくさりつきのポケットにしまう時計がはやって、albertという名前だとうことを記憶しています。アルバート公がなくなられたのは60年か61年ごろで公の名前にちなんだということが書かれていたことを覚えています。ただそれくらいの知識です。
時計ウサギが読者の注目を」引いたという裏には、アルバート公の思い出があるからだというのは、私のまったくの推測です。
図書館においてある本なので、すぐに見つけられると思います。
ネットで albert pocket watchと検索なさいますと、でてきますが、みんな売り物です。
歴史をしりたいのですが、なかなか言及がありません。ひとつだけ birthが1847年と書いてあるものがありました。
あの本を書いた人がどこから情報をえたのか気になりますね百科事典にはくわしくかいてあるかも知れませんね(私もはっきりしたことがしりたいです。)
ざっとこんなところですのです。
お力になるとよろしいのですが。。、ホームページのさらなるご発展を期待していま
す。
木場田由利子から 03・7・14
白兎は、チョッキに鎖をとりつけた懐中時計を持っていますね。その鎖のことをアルバートというそうです。首から下げたものではないところにポイントがあります。添付したものをお読みください。
おかげさまで、私も新たなことに気づきました。お互いに更新するととてもおもしろ
いものになると思います。
著者から木場田さんへ 03・7・14
色々と有難うございました。やはりアルバート公の思い出があるのではないでしょうか。内容の要約を本文で、紹介すると共に、木場田さんのHPにリンクさせていただきます。
木場田由利子さんから 03・7・16
白うさぎの正体を、拝見いたしました。その2を今読ませていただきましたが、いろいろと研究なさっていて興味深いですね。
時計を持ったウサギの挿絵は手書き本にはなく、はたしてキャロルがアリスにお話をしたとき、時計の鎖がアルバートであったわかりません。しかし、テニエルに依頼したときは鎖はアルバートにして欲しいとたのんだものだと私は推測しています。
白うさぎのおくれるおくれるという言葉「I shall be too late」はとても意味深です。と、いうのも、60年12月に女王一行がクライストチャーチに見えたとき、アルバート公はずいぶん遅れて(女王は12時ごろで公は9時前)に着いたと日記に書かれているからです。
他にさらに、アルバート公がなくなったのは42歳であったことがわかり、糸がつながった感じです。これも、宮垣さんのおかげです。
手書き本ではthe Rabbit と なっていてウサギはスマートでコートを着ています。
そういうところも私の注意を引くところですが、、、根拠に乏しいので、ひんしゅくものです。
と、いうわけで、少し直してupいたします。今しばらくお待ちください。宮垣さんのお陰で、少しやる気がでてきました。よろしくお願いいたします。
著者か木場田さんへ 03・7・17
木場田さんのおかげで、思わぬ世界へと案内されました。アルバート公との出会いの箇所、日記を読んでみました。キャロルにとって大切な思い出だと思います。HPへのアップロードを楽しみにしております。
私の方も、余り迷いが生じないうちに、結論のその3をupしましょう。

鈴木真理さんから 04・3・31
「チェシャ猫の笑い」を、楽しく読ませていただきました。Madという言葉はこちらの日常会話でよく出てくるのですが、シェイクスピアやアリスの系譜なのかと納得しました。
たとえば、私が相手をちょっと驚かせるような話題を提供したとき、日本語で言えば『本当?』というぐらいの軽い気持ちでもAre you mad? (Are you
serious?という意味ですが)という返事が返ってきます。
He is mad about
her. 「彼は彼女にべたぼれなのよ。」という言い方もよく耳にします。mad といわれてびっくりしていては、英国では生きていけないようです。
鈴木真理さんから 04・11・16
「ハムレット応援演説」楽しく読ませていただきました。応援演説という形をとって、ハムレットやキャロルを新しい面から知ることが出来るのが、とても面白いと思います。
ハムレットが「非復讐劇」という指摘、とても興味深いと思いました。旅回りの一座の役者がハムレットの求めに応じて語るのが、トロイの王妃Hecubaの悲嘆ですが、このHecubaを主人公にエウリピデスが書いたギリシャ悲劇を、先日ロンドンで見ました。これはすさまじい復讐劇です。ハムレットはそれをふまえて、復讐のむなしさを感じていたのかなと、考えさせられるご指摘でした。
キャロルがシェイクスピア劇をたくさん見ていたというのも、楽しい発見でした。彼は観劇記録のようなものを残していますか。
Yukoさんからのお便り arsさんの記事を読んで 04・11・18
・・・・
arsさんのご意見も楽しく拝見しました。
読んだ上での感想なんですが、私は「共生」と「異空間への移動」は違うものととらえていて、その辺の視点が私とarsさんとの考え方の違いになっているのだなと思いました。(そもそもの切り口が違うような気がします)
例えば、仏教では「結界」と言う考え方がありますね。「ハレとケ」や「あの世とこの世」を結ぶための道や辻なんていうものが昔から存在していたので、なんとなく異次元へいくにはなにか結界のようなものを越えていくというのは、日本人には受け入れやすい感覚だと思います。それが、海の向こうの「アリス」の世界で書かれているという点がおもしろいと思ったものでした。
一方、「だれもしらない」の方の「共生」の考え方は、仏教以前の日本古来の宗教だったり、今でもパプアニューギニアの精霊信仰やブードゥー教に見られるような、人間と目に見えない者達との共生が下敷きになっていると思って読んでいました。
arsさんの取り上げていらっしゃったアイヌの信仰も、同じような観点を持っていますね。
水木しげるさんの「ゲゲゲの鬼太郎」の「鬼太郎」は、人間と妖怪とが共生できる世の中を作りたいんだと言っています。むしろ、そちらの仲間なのではないかなと言うのが私の考えです。
私は、「本を開く」または「茶室の扉を開く」と言う行為も異次元への手がかりがと考えています。また私は、そういった手がかりなしには異次元へいけない人間だと思っています。言ってみればアリスや千尋、リナと同類です。本当はせいたかさんになりたいとずっと願っているのですが、どうやら無理のようです。・・・・

著者からYukoさんへ 04・11・26
「共生」と「異空間への移動」の対比は面白いですね。
話題となっている佐藤さとるの「だれも知らない小さな国」「豆つぶほどの小さないぬ」を読んでみました。仰るように、せいたかさんとコロポックルは同じ世界を共有しており、そのせいたかさんが電気屋として日常の生活を送っているのですから、「共生」のイメージがぴったりだと思いました。
大変、穏やかな筆づかいで、丁寧に描写されており、庄野潤三の小説のように、現実の時間と同じように時間が流れています。異界の中の出来事として感じさせないように、因果関係に工夫がなされているようにも思いました。劇的な緊張感も表面には見えないけれど、適度の期待を持ちながら読み進めることが出来、楽しい物語でした。
ただ、Yukoさんの問題にしておられる異界ということに関しては、せいたかさんが小学校3年のとき、三角平地に足を踏み入れた瞬間に、既に結界に入ったという見方が出来ます。
「ふいに、そこにでたときの感じは、いまでも、わすれない。まるでほらあなの中に落ちこんだような気持ちだった。思わず空を見上げると、杉のこずえの向こうに、いせいのいい入道雲があった。」(「だれも知らない小さな国」第1章2節)とあります。
このことは、コロポックル物語全部読んでしまってから又考えることにいたします。
私はアリスとは何だろうと考えて、その追求のために「不思議の国より不思議な国のアリス」作っているですが、例えば、「ハムレット対アリス」もアリス像を明らかにする試みなのですが、「アリスの系譜」は、各人の中でどんなアリス像が形成されているかによって、様々だろうと思います。
宮崎駿の近作「ハウルの動く城」はご覧になりましたか?「千と千尋の神隠し」同様、私には「アリスの系譜」に属するものと映りました。ご覧になったら、Yukoさんがどんな感じをもたれたか教えてください。
私の感想はここに書いておきました。