ロンドン通信 125

2500年前の痛烈な戦争批判劇
エウリピデスの HECUBA(ヘキュバ)



エウリピデスがトロイ戦争を題材に悲劇HECUBAを書いたころ、彼が市民として所属する都市国家アテネは、ペロポネソス戦争の泥沼にはまりつつありました。これより先のペルシャ戦争では、ギリシャをペルシャの脅威から守るという大義のために戦ったものの、それ以降のアテネは、その大義を盾に小国を侵略するようになります。エウリピデスは当時の為政者への批判をこめて、数々の悲劇を執筆するのですが、これが彼らに気に入られるはずはありません。当時は国が主催する演劇コンクールが開催されていたのですが、エウリピデスが優勝したのは数えるほどしかありませんでした。

しかし2500年を経た今も演じ続けられているのは、コンクールの入賞回数が多かった他の劇作家の作品ではなく、当時不評であったエウリピデスの作品です。私は彼のHECUBAを、DONMAR WAREHOUSEという劇場に見に行きました。

DONMAR WAREHOUSEはその名の通り、倉庫を劇場に改装したものです。座席数250ほどの小さい劇場ですが、質の高いプロダクションで有名です。舞台の背以外の三方を、客席が取り囲むようになっています。舞台には、開演前から緊張がみなぎっていました。舞台の前方4分の1は海になっていて、水がたたえられています。それに続く白い砂浜は、左手が高く、右手が低くなるように傾斜しています。舞台の背は暗く、岸壁のように見えます。そこに宙吊りにされた檻のようなものがあり、中に黒っぽい服を着た女性がいて、何かを一生懸命、岸壁に刻んでいるようです。心臓の鼓動のように、波の音が聞こえます。

開演と同時に壁にライトが当たると、そこには一面に名前が刻まれていました。昨年訪れたチェコのプラハで、ホロコーストで亡くなった人々を追悼するため、ユダヤ教の教会の壁一面に、びっしりと人々の名前が刻まれていたのを思い出しました。

次に驚いたのは、舞台の海の中から人が登場したことです。ヘキュバの息子のひとりPolydorusです。彼はトロイに万一のことがあった場合に備え、王プリアムと王妃ヘキュバの友人でもある隣国の王Polymestorに、財宝と共に委ねられていたのですが、欲に駆られたPolymestorの裏切りによって殺され、死体となって海を漂流しているのです。彼は自分の身の上を語ったあと、また海中に没していきました。

そしてヘキュバの登場です。かつてはトロイの王妃であったのに、今や夫と二人の息子(ヘクター、パリス)を失い、王宮からも追われて失意の底にある彼女に、更なる悲劇が襲います。戦勝者側の死者の霊を弔うため、娘Polyxenaを生贄に差し出せというのです。戦勝者の手先(以前はトロイ側についていた)と、元王妃の立場の逆転を、傾斜した砂浜が象徴的に示しています。戦勝者はヘキュバを見下ろす位置に立ち、「私はあなたの敵ではないのだ・・・娘を差し出せば、それがあなたのためになるのだから。」と、自分の立場を正当化しようとします。

娘を失ったヘキュバの立つ砂浜に、Polydorusの死体が打ち上げられます。ヘキュバはすべてを失ったこと、そして信頼していた友人にも裏切られたことを悟り、絶望し、怒り、それが復讐の炎となって燃え上がります。激情をとどめる尊厳や人間性さえも失ってしまった彼女は、裏切り者のPolymestorに復讐するため、彼の幼い二人の息子を惨殺し、Polymestorの目を潰すのです。この場に至ってもPolymestorは、自分のやったことを正当化しようとします。「Polydorusが生きていれば、隣国と平和を保つ脅威となるから、やむなく殺したのだ」と。この惨劇に、白い砂浜も海も血に染まるところで劇は終わります。

劇を見終わって、2500年前と人間はちっとも変わっていないのだと、暗澹とした気持ちにさせられました。戦いは正当化され、流血が繰り返され、復讐によって罪のない子供たちがたくさん命を落としています。イラクも、ロシアのべスランも・・・。

この劇は、見るのに相当の覚悟がいります。気持ちが沈んでいるときには、お勧めできません。しかし連日全席完売で、各紙の劇評もこぞって絶賛していました。私が見に行った日は、最前列の席がいくつか空いていたので不思議に思っていたら、その席では最後の場面でまさに『返り血』を浴びてしまうため、わざと空けてあったようです。しかし本当の戦場や人質事件の現場とは比べようもありません。アリストテレスは『詩学』の中で、「悲劇の意義は、それを通じて人間の苦しみや悲しみという感情を擬似体験し、人間というものに対する理解が深まることだ」というような意味のことを言っていますが、人間に絶望するだけでなく、そこから明るい光を見出したいものです。

04・11・18    目次へ