不思議の国より不思議な国のアリス
より平らかな世界 読者からのお便り(2)


  このコーナは読者からの著者宛のお便りのなかで、アリス・ファンが共有したい内容のものをご本人のご了解を得て抄録するものです。「アリスの系譜」の兄妹版です。 (同じ方からのお便りは新しいのが上にあります)  お便りをお待ちします。 メール

No.4 野口慊三さんからのお便り (すぐ下)   new
No.5  高木登さんからのお便り 
No.6 大西小生さんからのお便
No7 nobodyさんよりのお便り
No8 木下信一さんからのお便り  new
No10 陣万里さんからのお便り 「柳の木」  


05/8/21 野口さんから著者へ

突然変な話題で恐縮です。

ある雑誌で、「銀河ヒッチハイク・ガイド」という映画を知りました。
原題は The Hitchhiker's Guide to the Galaxy.
イギリスでラジオドラマとして大人気を博し、作者のダグラス・アダムズ自身が映画の脚本を書いたそうです。

ストーリーは、宇宙のハイウエイを建設するために、通り道にある地球が爆破されてしまい、最後の地球人になった主人公が、当時ベストセラーだった「銀河ヒッチハイク・ガイド」を手に宇宙を旅して回り、地球が破壊されることになった裏話を発見してゆく、ということのようです。

物語の中で、超次元にすむ異星人があらゆる世界のあらゆる時代の中で二番目にすごいという超大型コンピュータに次のような質問をします。
  Answer to Life, The Univers and Everything..
それに対して、コンピュータが750万年の計算の末に出した答えが 42 だそうです。

  異星人: 42だと! 750万年の計算の結果がたったそれだけか?
  コンピューター: 何度も検算しました。絶対に間違いありません。問題は、隠さずに申し上げれば、あなたが質問の意味を分かっていないことにあるのだと思います。

なんとも、人を馬鹿にした問答ですが、イギリス流のブラックユーモアに溢れた映画のようです。

オマケに、Googleに上記の質問を書いて検索すると「42」という答えが返って来ると書いてあったので、試してみました。本当に
    The Answer to Life, The Univers and Everything. = 42
という答えが返ってきます。その上、この映画や原作に関するいろいろなサイトを探してくれます。

42の意味についても、いろいろ穿鑿する人がいて、いろいろのことが書かれています。

作者自身は、「42に意味などない。適当に思いついた数を書いただけだ」と言っているそうですが、それがどうして42なのでしょうか。キャロル以来、42はイギリス人の集合無意識の中に染み付いているのでしょうか。

このシリーズでいくつかの作品が出ているようですが、その紹介記事を読むと、この作者(数年前になくなったようです)はただものでない、という感じですね。そのうちに、もう少し詳しく調べてみようと思います。
とりあえず、ご一報まで。

  05/8/21 著者から野口さんへ

有難うございました。Googleで検索すると42が出てくるのに驚きました。キャロルファンにこの情報流させていただきます。
平成14年に出た「ことばからみる英国文化論」安井泉(筑波大教授、日本リュイ・キャロル協会会長)筑波大学東西言語文化の類型論特別ポロジェクト研究成果報告書別冊 を見ておりましたら、この本のことが触れられていました。さらに、ジェフリー・アーチャーのThe Prodigal Daughter「放蕩娘」にも42が「幸運の前触れ」として使われているとありました。

  05/9/3 野口さんから著者へ

きょう、アマゾンに注文していた本が届きました。

 銀河ヒッチハイクのほうは、あまり辞書を引かなくても読めそうなのがとりえです。以下に少しコピーしておきますが、最初から、かなり人を食ったような出だしです。

 Far out in the uncharted backwaters of the unfashionable end of the Western Spiral arm of Galaxy lies a small unregarded yellow sun. Orbiting this at a distance of roughly ninety-eight million miles is an utterly insignificant little blue-green planet whose ape-descended life forms are so amazingly primitive that they still think digitalwtches are a pretty neat idea.
  This planet has--or rather had--a problem, which was this: most of the people living on it were unhappy for pretty much of the time. Many solutions were suggested for this problem, but most of these were largely concerned with movements of small green pieces of paper, which is odd because on the whole it wasn't the small green pieces of paper that were unhappy.

  注  邦訳についての情報木下信一さんからお便り参照ください。
      木場田由利子さんの「キャロルと42の世界」もご覧ください。

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05/3/13 野口さんから著者へ

宮垣さんは、「マトリックス」という映画をご覧になりましたか。
私は、あらすじは知っていましたが、見てはいません。

昨日、近くの本屋で何気なく語学書の棚を眺めて、中国語と韓国語がずいぶん増えたなあ、などと感心していたら、映画のシナリオの対訳シリーズというのを見つけました。そして「マトリックス」を手にとって開いたとたんに、目に入ったのが標題の言葉です。「え、これ、アリスじゃないか」というわけで、買って帰りました。解説に、聖書とギリシャ神話と「不思議の国のアリス」から、たくさんの名前やフレーズが引用されている、と書いてありました。聖書や神話と肩を並べるとは、キャロルもすごいですね。

"Follow the white rabbit."
これは、主人公のハッカーにコンピューターが呼びかける謎の指令。主人公は肩に白ウサギの刺青を持つ女性についていくところから、極秘のプロジェクトに引き込まれていきます。

"I imagine...that right now you'refeeling a bit like Alice, tumbling down
the rabbit hole? Hmm?"
"You can say that."
これは、主人公がプロジェクトのボスと最初に顔を合わせたときの会話。

このあと、ボスは赤いピル(錠剤)と青いピルを主人公に見せて、どちらかを選べ、と言います。青いピルは、このまま帰ってよいが真実は永久にわからない。赤いピルは、真実の追究に参加できるが、二度と後戻りはできない。これもアリスですね。

この映画は、人間が生きている現実がコンピュータの中の仮想現実である、ということをテーマにした物語。そちらの面から眺めても、いろいろと興味ある表現がでてきます。そのうちにビデオを借りてきて見てみようかな、と思っています。
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03/6/18 著者から野口さんへ
「スナーク狩り」は私はちくま文庫・高橋康也・沢崎順之助訳「ルイス・キャロル詩集」で読みました。「スナーク狩り」の部分は沢崎順之助が担当しています。この本は良い本で、原文と訳文が対照しながら読めるようになっており、注も面白いです。他にもたくさん邦訳があり、インターネット上でも読めます。「はてしない物語」は英訳本を持っています。モモはドイツ語版を持っていますがいずれもまだ読んでいません。子供向けのいい本多いので、大人の本が要らないくらいです。
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03/4/16   野口さんから著者へ
私はキャロルの「スナーク狩り」というのはまったく知りません。日本語に訳されているのでしょうか。モモを思い出したついでに、エンデの本をもう一冊図書館から借りてきて読みました。映画にもなりましたが、 Die Unendliche Geschichte 、日本語では「はてしない物語」と訳されています。映画は見ていませんので、なんともいえませんが、これを映画にするのは相当難しいだろうなと思いました。モモの本の後ろにのっていた「物語の呼びかけにこたえて、本の中に入りこんだバスチアン少年は、滅亡寸前の国を救う」という宣伝文句に引かれて読み始めたのですが、ファンタージエンというおとぎの国の中に虚無が増殖して国が滅亡しかけている、その理由が人間がファンタジーを信じなくなったせいだ、という設定が、なるほどという感じでした。 キャロルの「アリス」と、ヨースタイン・ゴルデルの「ソフィーの世界」とのちょうど中間に位置するようなファンタジーの系譜を感じました。これと同じようなとこ ろに位置するのが、C.S.ルイスの「ナルニア国物語}でしょうか。そして、いま、私が本を書いたり、ホームページを作ったりして伝えようとしているのは、私たちの生きている現実そのものが、実はファンタジーの世界、ファンター ジエンそのものなのだということです。バスチアン少年が人間の世界に戻ってきたように、私たちは霊の世界に戻らなければならない、というのが私の究極のテーマなのです。

03/6/18 著者から野口さんへ
エンデの「モモ」は15年くらい前に読んであらかた忘れてしまいました、野口さんのご指摘でまた読んでみる気になりました。エンデはキャロルの「スナーク狩り」の基にした戯曲を書いておりますので、キャロルをかなり意識していたのではないかと思います。この本は未読なので近く読んでみたいと思います。なお「不思議の国より不思議な国のアリス」はこの「スナーク狩り」が最後の1行が出来てから出来た故事にちなんで、最後から書き始めたのです。
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03/4/16   野口さんから著者へ
それから、ミヒャエル・エンデの「モモ」のことですが、あの物語の中で、主人公のモモがマイスター・ホラという時間博士のところを訪ねるときに、ゆっくり歩くほど速く進める道や、後ろ向きに歩かないと前に進めない「さかさま小路」などという場所が出てきます。鏡の国を読みながらそのことを思い出していました。エンデがキャロルを意識して書いたのかも知れませんね。

03/4/16   野口さんから著者へ
仰るとおり、鏡の国も不思議の国も、翻訳で読むのは無理のようですね、それにしても、どちらもずいぶんたくさんの言語に翻訳されているようですが。原文も買ってありますが、こちらも言葉遊びを味わうまでにはなかなか行きません。ボツボツ読んでいきます。

先日Flatterlandのなかに三月ウナギというのが出てくるという話をしました。こんなものをどうやって翻訳するのかと思って、Flatterlandの原書を買って比較してみました。すでにご存知かと思いますが、ご参考までに書いておきます。
           
Wonderland:            March Hare                   Mad Hatter
Flatterland:             Harsh Mare                   Mud Hutter
不思議の国:    三月うさぎ        気違い帽子屋
より平らな世界:  三月ウナギ       履き違い靴屋
翻訳者もずいぶん思い切ったことをするものですね。その点は、鏡の国の訳者(高山宏氏)も、ずいぶん凝った訳をしているようです。

03/4/20著者から野口さんへ
エンデとキャロルの差を考える上で、参考になることを「ただ笑え!ただ唄え!―アリス学超入門」に書いておきましたので、ご覧ください。

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03/6/15 著者から野口さんへ
鏡の国のアリス」を読まれた由、嬉しい限りです。「不思議の国のアリス」もそうですが、もし、翻訳で読まれて面白いと思われる方がおられると私は不思議に思います。その理由はいずれ、アリス学序説に書く積りです。一口に言いますと、翻訳では面白さは50%減り、原文で読んでもnonsenseが分らなければ楽しめないと思います。子供の頃の歌が頭に入っていないと、英語が出来ても本当は笑えない、といった性質のものです。ただ、女性は異界に入る楽しみと感じるようで考えさせられます。
やさしい英語なので是非原文で読んで欲しいと思っています。たかが子供の読み物です。エンデのモモとはちょっと質が違います。同じ時間を扱っていますが・・・

03/4/15  野口慊三さんから著者へ
「鏡の国のアリス」を図書館から借りてきて読みました。日本の田園風景のような碁盤目に区切られた挿絵が印象的でしたが、さらっと読んだだけでは、チェスの盤面を世界に見立てたということ以外には何も残らない不思議な物語でした。じっくりと、
裏に隠された意味を探りながら読まないといけないのでしょうね。
はじめの方で、アリスが言葉をしゃべる花の庭に入って行くときに、後ろ向きに進まないと行きたいところに行けない場面が出てきますね。ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出しました。



     
高木登さんからのお便り  03・4・27


先日お借りした「からだを揺さぶる英語入門」の朗読文の中に、'think to oneself'の文章を1つ発見しました。
 p.26の「17.ホテル・カリフォルニア」の第2連3行目にAnd I was thinking to myselfとあり、訳文としては「心の中でつぶやいた」とあります。
指摘の通り、つぶやいた内容が "     "  でくくられています。宮垣さんの説が段々実証されていくようですね。
参考までにこの連を抜書きします。
 
There she stood in the doorway;
I heard the mission bell
And I was thinking to myself,
‘This could be Heaven or this could be Hell’
Then she lit up a candle and she showed me the way
There were voices down the corridor,
I thought I heard them say...
 
「ホテル・カルフォルニア」は、「からだを揺さぶる英語入門」によれば、イーグルスの大ヒット曲だそうですが...なんでもない文章ですが、宮垣さんの好奇心から生まれた疑問に関心を持つことで、その好奇心の共有感が広がっていく楽しみが増えます。まず知らせまで。
 
(著者より ― 有難うございました。気付きませんでした。)


 大西小生さんからのお便り  

03/5/25 著者より大西小生さんへ
「冒険」についてのお話有難うございました。私も<Adventureには「珍事、妙な体験」というくらいの軽さもある。>と言う大西さんのご意見に同感です。また、ventureも同様だと思います。
私が「冒険」を強調しているのは、「アリスの物語」のファンタジー性だけがクローズアップされている風潮に、ちょっと物言いをつけているわけです。

01/5/25 大西小生さんから著者へ
・・・ついでに、もうひとつ、これは情報というより私見なのですが、訳題『不思議の国のアリス』からAdventureが抜け落ちたという問題について。
海外での題名短縮の事情はよく解りませんが、日本語版から「冒険」が落ちたのは、「険ヲ冒ス」という漢語と、アリスの物語のイメージの乖離がそもそもの原因と思います。
Adventureを「冒険」と訳すこと自体は、明治20年代の冒険小説翻訳の流行でほぼ定着していて、明治期の翻訳者たちも「アリスの冒険」と訳そうと思えばできたのに、そうはせず、せいぜい「探検」としか訳さなかった。もっとも森鴎外なんかは「冒険」をアヴァンチュール(Aventure)の訳語と思っていた、などという話もあって、本当に「定着」していたかは疑問ですが、どちらにしろ「冒険」は「外来」のイメージが濃い、強い調子の言葉だった。非常に「危険」なイメージですね。
今は原語のAdventure同様に、日本語の「ぼうけん」も少し広いニュアンスの、応用の利く言葉になっているのかも知れません。「危険」そのもののventureと違い、Adventureには「珍事、妙な体験」というくらいの軽さもある。しかし未だに私など『ロビンソン・クルーソー』(原題はデカルトの本に負けずおとらず長い)でも『の冒険』とするにはためらいがあるし、『トム・ソーヤー』でさえ「冒険」は終わりのほうの部分だけなんじゃないか、やっぱり「珍事」のニュアンスが強いんじゃないかとか思ってしまいますが、宮垣様の言われる「アドペンチャー」は、かなり複合的な意味を持っていると感じるので、必ずしも私の見解と相違するものでもないと思います。
私も、すでに訳の定まった感のある各章題の改訳にいどんだくらいで、本そのもののタイトルについても多少は頭をひねりましたが、考えてみても名訳『不思議の国のアリス』のゴロの良さには勝てなかった。それに私のもうひとつの翻訳方針は、すぐれた翻訳伝統は継承する、というものなので、あえてそれ以上逆らうこともないかと思ったわけです。どうも余計な弁解が長くなりました。失礼の部分はご容赦ください。

03/5/24 著者から大西小生さんへ
・・・実は私は余り翻訳のものを読んでおりませんので、さくまゆみこさんの本は未読です。よく知らず物を書くととんだ恥をさらすことになりますね。ご教示有難うございました。

03/5/24  大西小生さんから著者へ
・・・「More More More Annotated Alice」のページも拝読させていただきましたが、私も及ばずながら、少し自分のサイトの註でも増やしてみようかという気になりました。
本格的な各種翻訳のデータベース化は、ぜひキャロル協会の方々にやっていただきたいですが、灰聞するところでは楠本先生もイギリス遊学中ということで、功労者の先生を抜きにして話は進まないでしょうし… 子ども向けのリライトまで含めて考えると原文からの遊離が、はなはだしい。
しかもアリスの場合、そういうリライトが翻訳史的に重要とも思われますが、この分野に関しては拙文なども、いくらか研究者の方に資するところがないとも限りません。
とりあえず、私のサイトの日記(5月11日)にも書いた、さくまゆみこ訳の絵本(永田萠画、小学館〈世界の名作A〉、1997.)についての註を付そうと思うのですが、ここで少し問題があります。
宮垣様はサイトで「翻訳家の先生はPool of tearsを涙の池、水溜りなどと訳されますが、…」と書いておられますが、翻訳家のさくま氏は、すでに章題を「なみだの海」と訳しています(ただし「2」章でなく「3」章。「2」章の題は「金色のかぎ」。こういう章立ては『ナーサリー・アリス』なども研究した結果と思われます)。
拙訳で「涙の海」を採用しなかったのは、全訳の場合「(海と思っていたら)涙の池だと気づいた」というような部分を「涙の海と気づいた」とは訳しづらいことなどがありますが、ともあれ、さくま訳の創意は面白いと思われるので、やはり註に
書いておくべきだった。しかし、今さら註に付けたすと、そちらと張り合うために書いているように受け取られかねないので、事前にお知らせしておこうと考えた次第です。
また「水浴機」については、そちらのサイトの該当ページへリンクを貼らせていただきたいと思ってますが、今まで私の註に画像を入れていなかった理由に、例えばGoogleの検索で容易にイメージを得られるということがあります。ただ「イメージ検索」自体、知らない方も、あるいは多いかも知れないので、そのあたりも含め註に書く予定。この点も前もってご承諾いただければと思います。

木下氏の掲示板に紹介されたコンコーダンスも見に行きました。便利なものですね。これも自註に活用してみたいと考えています。



  nobodyさんよりのお便り

 03/5/26  nobodyさんより著者へ
ご参考までに、冒険について、『日本国語大辞典』の語義を抜き出しましたのでお送りします。あわせて、OEDのAdventureの語義も添付ファイルでお送りします。
基本的にはAdventureの訳語であった「冒険」という言葉そのものの日本語での意味合いが、英語との間で乖離して行くのがはっきり解ります。ちなみに、キャロルの日記のSep.1864-Dec.1878年の中で、この本の略称として使われているのはAlice's Adventuresあるいは、単Aliceでした。26/6/1870の日記のみWonderlandという略称が使われています。
いくらかでもお役に立てれば良いのですが。

ぼうけん【冒険】〔名〕(形動)危険をおかして行うこと。成否の確実でない事をあえて行なうこと。また、そのさま。*修辞及華文(1879)〈菊池大麓訳〉通知「ユーリッシースが冒険の状」*半日(1909)〈森鴎外〉「そんな冒険な考を出してはいけない」*遣唐船(1936)〈高木卓〉一「暴風で有名な支那海へ乗り出すことがいかに決死の大冒険であったかは」*斜陽(1947)〈太宰治〉四「小説ではずゐぶん恋の冒険みたいな事をお書きになり」*北史−陳元康伝「元康冒険求得之」[語誌](1)森鴎外の「藤鞆絵」(一九一一)に「冒険といふ詞はaventure(アワンチュウル)を故人森田思軒が訳して、始て使ったのだと、本人直話であった」と記されているが、必ずしも事実ではない。(2)元来、漢籍では、「(危)険を冒す」の意で、「附音挿図英和字彙」(一八七三)には「Venture 冒険(ムヤミ)」「Adventure 険ヲ冒ス」「Adventurer 冒険者(ムヤミナヒト)」などと見える。(3)明治二〇年代の翻訳探偵小説で、頻繁に使われるようになり、さらに明治末期・大正初期の冒険小説のブームが、この語を一般に定着させた。[発音]ボーケン [標ア」(0) [京ア」(0)

〔著者より― OEDの内容を含めて大変有難うございました。私はキャロルの意図に沿って、adventureの意味を復原したいと願っています。それは、肩肘張った大げさのものではありませんが、大変深いものがあると思っています。これからも色々ご教示ください。アリス学序説に少し書き始めていますが、これから膨らましていきます。〕



    木下信一さんからのお便り

05/9/3  木下さんから著者へ

以前に新潮文庫から出ていて長らく絶版だったダグラス・アダムズ『銀河ヒッチハイクガイド』が、この度、河出文庫から新訳で出ました。

『銀河ヒッチハイクガイド』ダグラス・アダムズ/安原和見訳、河出文庫
『宇宙の果てのレストラン』ダグラス・アダムズ/安原和見訳、河出文庫

ひょっとしたらご存じかも、とは思いましたが、今日、本屋で見つけたのでご報告します。

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03/6/30      木下さんから著者へ

・・・ところで、稲木・沖田著の『アリスの英語』なのですが、こと「尾はなし」の解説に関しては、やや問題ありと思います。
といいますのは、版の変遷のページを見て頂ければお解りになりますが、尻尾の形が完成したのは1891年版ではなく、1897年版からです。(1891年版に二つのissuesがあるなら、話が違ってくるのでしょうが)
稲木・沖田両氏はLewis Carroll Handbookで、91年版の尻尾の形が「completely reset」とあったのを「全く新しくなった尻尾の形がここで出来上がり、完成版になった」と解釈されたようなのです。実際には1886年版で大きく変わった尻尾の形を、もう一度最初の形に戻した、というのが実情のようです。また、Gardnerの註釈本の尻尾の形についてはMacmillanのアリス本のどれかを使ったというわけではないのですが、そこを推測で埋めたれたのではないかと思われます。ですから、『アリスの英語』の解説を紹介されること自体は問題ないと思うのですが、何らかの註釈は付けた上での紹介のほうが良いかと思います。

目次へ 野口慊三さんのHP      野口さんと著者の対話
高木登さんのHP        大西小生さんのHP
木下信一さんのHP