不思議の国より不思議な国のアリス

ただ笑へ!ただ唄へ!−アリス学超入門

Laugh! Sing! Love Alice!

面白いキャラクター、色々な不思議な事件。世界の子供も大人も魅了して止まない「アリスの物語」ですが、実は、この物語が文学史上大きな位置を占めるのは「ノンセンス」なのです。ノンセンスだから意味がありません。意味を探ろうなんてけちな了見ではいけません。ただ、笑い、唄えばいいのです。このことを説明するには、大変力量が要りますので、私の力の及ぶ所ではないのですが、これから「アリスの物語」を読む方に、是非知ってもらいたいことなので、少し書いておきます。

How doth the little busy bee    なんとけなげに蜂の子が

   Improve each shining hour   

      照ってる時間を無駄にせず 

And gather honey all the day   

   一日蜜を集めます

  Every opening flower!     

      開いた花を廻ります

リムズムもいい、素敵な詩ですね。アイザック・ワッツと言う人の詩で、アリスの頃は大変ポピラーで、学校でも歌われていたことでしょう。と言うのは、この詩は次のように終わります。

In-books, or work. or healthful play,    勉強、宿題,体操と
    Let my first year be passed        最初の1年過しましょう
That I may give for every day,        日々の努力の甲斐あって
    Some good account at last.        良い成績が取れるよう

これをキャロルはこんなふうします。

“ How doth the little crocodile      なんと小さなワニの子が
    Improve his shining tail            ピカピカ尻尾を磨きます
And pour the water of the Nile      ナイルの水をザンブリと
    On every golden scale!            金の鱗に浴びせます。

“How cheerfully he seems to grin,    なんと嬉しいニタリ顔
   How neatly spreads his claws,       広げた爪は格好いい
And welcomes little fishes in       小魚おいでと誘います
   With smiling jaws! “             にっこり笑って顎あけて 

最初の唄を知っているアリスたちが、ひっくり返るほど笑って、すぐ、この替え歌をうたったことでしょう。
(精しくは高橋康也「ノンセンス大全」1997 晶文社 p87)

二宮金次郎のような男が、小さな理性の紐で、小ざかしい知識や知恵の薪を束ねて、背中に背負って歩いています。「ノンセンス」という小石に躓いて、小さな理性の紐が切れて、薪がパッと飛び散ります。見ればあたりは薪ばかり、もう薪を取る必要もない、まして、背負う必要もない。ワッハッハと笑います。これがノンセンス。
センスはノンセンスを許さない。金玉の小さなところ。ノンセンスの金玉は百畳敷き。ワッハッハァ〜。

Moralモラル(道徳的規範)からの開放。道徳、教訓からの自由。倫理性の排除は、信仰や修身を押し付けられていたヴィクトリア朝の子供たちに必要だっただけではなく、一番必要だったのはキャロルその人だったと思います。そのことは、生い立ちやオックスフォード大学の先生という彼の生活環境、数学者、論理学者のとしての仕事の補償という点からも分ります。(あなたにも必要かもしれませんね) 
モラルについては、彼の初期の詩にも出ていますが、「不思議の国」の中の公爵夫人がこのモラルを連発させています。しかし、その公爵夫人の唄う子守唄の反モラルさを覚えていると一層おかしいです。

「不思議の国」より3年前に出た、キングスリィーの「水の子」は大変素晴らしく、冒険の素晴らしさ、ファンタジーの美しさは決してアリスに劣らないと思いますが、やはり、お説教moralが随所に顔を出します。キャロルの凄い所はこれを断ち切ったことなのです。児童文学の金字塔と言われる所以です。

ノンセンスのもう1つの側面は、更に深く、言葉の性質の解体ということです。
言葉の音、響きと意味を分離、入れ替えてしまうことなのです。

ノンセンスとは?
ナンセンス?なんですの?なんやねん?なんのす?なんだべ?何とやら。何なりと、南蛮船。難破船。難問題。ノンシャラン。ノントロッポ。飲兵衛。何扇子。難点です。何点です。何銭子。南天酢。センテンス。デカダンス。ヒヤシンス。エッセンス。船箪笥。くださんす。

似た音の言葉の意味を変える面白さ、こんな形の言葉の遊びです。しゃれ、駄洒落、冗談、日本で近いのを探すとギャグ漫画(といっても殆ど見ていませんが)の世界でしょうか?

この世界の説明は大変難しくなります。同綴同音異義、異綴同音異義 異綴異音同意反復・・・ちょっと難しそうでしょう。落語の落ち、下げの説明を聞いたからと言っても決して面白くないのと同じように、ノンセンスの説明をいくらしても面白くはありません。ただ笑えばいいのです。

これまで述べてきたノンセンスの性質を持っているものに、英国では、マザーグース(ナーサリーライム)があります。これを通過せずに「アリスの物語」を読む方は、一分間、これを見てください。これが、ノンセンスの入口なのです。英米の子供たちはこれらを、字や意味が分らないうちに覚えます。キャロルの面白さの最大は、このマザーグース(ナーサリーライム)をキャラクターにも物語にもまた、詩にも、ふんだんに、踏まえているからです。
面白いものを踏まえて面白くしたのですから、英米の子にはたまらなく面白いのです。

マザーグース(ナーサリーライム)に関連して、この際、是非触れておきたいのは、英詩の素晴らしさです。韻律の世界です。「アリスの物語」もそうですが、「水の子」でも、それから後の子供の本でも、詩が盛んに出てきます。これは現代に及んでいるようですが、日本ではちょっと考えられないことです。それだけ英国では詩が占める役割が大きいのかも知れません。キャロルはこの英国の伝統をよく引き継いだ詩人であることを忘れないで欲しいと思います。詩もある意味では理屈を越えた世界です。

センスは1冊で説明できるが、ノンセンスは100冊でも書けないと思います。どこか狂気に近いかものがありますが、これまで、縛っていたものから解放し、広々とした世界に立たせてくれます。そして、もう一度、センスの世界に立ち返るときは、なんだか一回り大きくなった気がします。勿論小さくなっても構いません。

教訓(moral):「アリスの物語」を読むときは意味(sense)を探すな。ただ、笑へ!ただ、唄え!

もし、あなたが、翻訳で「アリスの物語」を読まれるなら、上に述べたこととを十分味わえなくても心配しないでください。「アリスの物語」はそれ以外にも面白いことが一杯ありますから、ご安心ください。
ただ、訳者の最も苦心している所は「ノンセンス」や詩の部分ですので、そこを見てあげてください。いくつかの流派あります。英国の伝統をそのままにして、注などで補う人。日本語の土壌に置き換えようとする人。全く翻案してしまう人。百以上の日本語の翻訳があるそうですが、それを比べるのも面白いでしょう。

いずれにしろ、ただ笑え!ただ唄え!

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