不思議の国より不思議な国のアリス     
白ウサギの正体その2 Dr.Acland ?


白ウサギのモデルと考えられているものに

1.リデル家のかかりつけの医者、アクランド博士

2.ジョージ・マクドナルドの「ファンタスティス」の中の兎

3.エドウイン・ランシアの描いた「ティタニア」の中の兎

4.イングランド北東部の町、ウイットヴィーのセントメアリー教会の柱に彫られた兎

があります。このことは、先ほど触れた坂井妙子著「おとぎの国のモード」には主としてThe Alice Companionに準拠しながら精しく書いてあります。この中で、私が興味を持つのはアクランド博士で、同著とかなりダブりますが、私もThe Alice Companionやキャロルの日記、伝記などを手がかりに、アクランド博士を少しクローズアップしてみたいと思います。

アクランド博士が何故、白ウサギのモデルとされるかといえば、髭はやしていて、よく遅れて、駆けていたし、身なりが大変良かったということです。博士の研究室はウサギ穴の光景に似ていたということもあるようです。アクランド博士とアリスのお父さんとは大変親しかったようで、家族ぐるみお付き合いだったようです。かかりつけの医者としての親しさが加わります。アリスたちも小さいときからアクランド博士をよく知っていましたので、この博士の口癖が“Oh dear! Oh dear! I shall be too late”「大変だ!大変だ! 遅刻しそう」であったとしたら、アリスたちは喜んだことでしょう。今となっては確認できません。

まず、アクランド博士の略歴を記しておきます。

Acland, Dr( 後に Sir) Henry Wentworth (1815-1900)

1854-58 オックスッフォード、クライスト・チャーチ 解剖学助教授(Lee’s reader)
1858-94  オックスフォード大学、医学部勅任教授
1858-87  全国医学会議のオックスフォード大学代表
1874-87  全国医学会議の会長
1860      皇太子とレオポルド王子の名誉医師に任命
1884   ナイト爵位を受ける。
1890   男爵位を受ける。

上記のほか、同校の科学教育のセンターとして、Natural History Museumの設立にラスキンと共に尽力したことは、この博物館のホームページhttp://www.oum.ox.ac.uk/museum.htmで知ることができます。(エヴァレット・ミレーの描いたアクランドの肖像やラスキンと一緒の写真も見ることが出来ます。なお。このホームページにはドード(鳥)のページもあります。) リデルと共に大学の革新に努めます。(この点、キャロルは何かにつけ保守的であったことが伝記から分かります。)
1854年オックスフォードにコレラが発生した時には、夫妻で患者の世話に献身しとのことです。
何よりも、アクランド家もリデル家も皇族とお付き合いできる上流階級ですし、人物から言っても、力のある人で、上記の略歴から分かるように、アクランド博士は社会的には申し分ない人物と言って良いと思います。この点、一段下の階級のキャロルとっては、できれば、そうありたいとと思うような、そんな人物がアクランド博士ではないでしょうか?

キャロルはリデル家とのお付き合いから、アクランド博士と親しくなります。

キャロルとの関係を日記から見てみますと;

1856年11月3日(月)学寮長邸で、家庭教師ミス・プリッケトがイナ(アリスのお姉さん。Lorina)を連れて歩いているのに出会う。水曜日、晴れていれば(写真を撮りに)行くという話をつける。あわせて彼女に、アクランド家の何人かの写真を撮りに越させるように働きかけてくれないかと頼む。5人か6人いる。サウサニィによれば、姿かたちの美しい一家だという。私はまだ、長男のウイリーしか見ていない。

1856年11月5日(水)・・・今日、アクランド博士に会う。私の都合のいい日に、子供拉達を学寮長邸に寄越すことを喜んで同意してくれた。

1856年12月22日(月)学寮長とその夫人、アクランド博士を伴いMadeiraへ向けて立つ。

1857年5月26日(火) アクランド博士が訪ねてきて、解剖教室へマグロの骨標本を見せに連れて行った。私にそれを撮影して欲しいという。

1857年10月27日(火)the Clinical Professor, Christ Church ,Balliol,etc.(臨床講義をする教授?)の激しい選挙があった。私はアクランドを支持した。彼は470票で222票のジャクソン博士に勝った。(なお、この日、初めて、キャロルはラスキンに会って、少し言葉を交わしている。)

1857年10月12日(木)スタンフォードと一緒にアクランド博士のイブニング・パーティに行く。彼は私にニューカッスルで撮影された変わった写真を見せてくれた。写っている対象はLiddell and Scottとドア―に書かれた店である。・・・マンロ氏(Alexander Munro(1825―71)有名な彫刻家)の「子供たちの遊び」という彫刻から撮った2枚の美しい写真を見せてくれた。1枚呉れると約束した。

1858年2月15日(月)アクランド家のイブニング・パーティーに行く。アクランド夫人はマンロ氏から私に「子供たちの遊び」のコピーが届いたと言った。

1858年2月22日(月)アクランド夫人の頼みで、たまたまそこに来ていたマンロ氏に自分の写真を見せに行った。私は今度町へ出たとき彼のスタディオを覗かして欲しいと頼んだ。彼はアクランド博士が持っている彼のダンテの胸像を是非撮影するようにと言った。

1863年6月30日(火)学寮長一家はLlandudnoへ行く。アクランド夫人を訪ねた。マーボロー公爵夫人の子供たちの写真を撮るのに口添え願えないかこくためであるが、夫人は出来ないといった。

私の持っているR.L.Green編纂の2巻本のキャロルの日記から得られる情報は以上のとおりです。

ある意味でかなり親しい関係になったらしく、例のキチガイお茶会の話はアクランドの子供たちになされたものと言われています。また、日記にも出てくるManeiraから持ち帰ったマグロの骨標本にアクランド博士とリデルがラテン語の碑文をつけたのに対して、1860年、それをからかった替え文を作たといわれています。私はまだ読んでいません。1864年のExamination statuteというおどけたABCの詩にもアクランド博士を登場させています。キャロルの若気の至りなのかもしれませんし、からかうことのできる程度に親しかったのかもしれません。

ところが、1858年以降アクランド博士は日記には登場しません。1865年頃からはリデル家とも疎遠になりますから、それにも関連して、この人たちの付き合いの輪から離れたのかもしれませんが、オックスフォードの要人たちの交流について、私はまだ知識がありませんの判断がつきませんが、階級・思想・信条色々厄介なことが絡みそうです。

モデルを追っていて、肝心の物語の「白ウサギ」がどんな人物?であるかに触れずに来ましたので、どんなところに登場し、どんなことをするか見ておきましょう。

第1章 時間を気にしてアリスの傍を走っていく。
      アリスに驚いて、手袋と扇子を落とし逃げる
第4章    扇子と手袋を探しに戻る。アリスを女中と間違え、手袋と扇子を取りにやらせる。
      白ウサギの家で大きくなったアリスを使用人のトカゲにビル、パットに攻撃させる。
第8章 クロッケーの試合に王に随行、神経質にアリスに何かと注意を与える。
      (テニエルは2枚の挿絵に白ウサギを描きこんでいます。下図の画面をクリックして確認してみてください。特に左の絵の中の白ウサギがわかりますか?)
第11、12章  裁判の開始をトランペットで告げ、訴訟進行係を勤める。判事役のキングに助言を与え、証拠の朗読もする重要な役割を演ずる。


特に、 第8章では、クロケーをすることになる庭で、王達一行の中にアリスが再び白ウサギを見た時の様子を次のように。キャロルは次のように描写しています。
「白ウサギは、せかせかした、早口で話していて、何を言われても、ニコニコ笑っていていました。アリスには気付かずに通り過ぎました。」

これらから受ける白ウサギのイメージは、小心者で、ある程度の社会的地位があるが、絶えず、上長にことを気にする一方、目下には横柄なタイプ。企業で言えば、社長,副社長の覚えを絶えず気にしている腰巾着のような部長と言ったところでしょうか?いつも体制側に付いて、良い役割を演じようとする、いわば俗人なら、誰でもがやりそうな、そんな役柄を演じています。「不思議の国」では世俗を代表しているキャラクターです。

アクランド博士なら、身なりも立派で、公爵夫人とお付き合いが出来る立場にありましたから、公爵夫人のことを気にするのもごく自然なわけです。また、絶えず、体制側に立って、功成り、名を遂げた人物ですので、モデルとしては申し分ないのですが、一つイメージが一致しないのは、白ウサギの、オドオドとした、神経質な態度です。医学会議の会長という役をこなす人物像とは重ならないのです。

白ウサギのモデルは果たしてアクランド博士なのでしょうか?

(つづく)

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