不思議の国より不思議な国のアリス
タイトルの運命 The Fate of Tittles

私は、アリスの物語の要素の一つは「冒険」だと思っておりますから、Alice’s Adventures in Wonderland は「不思議の国のアリスの冒険」とそのまま訳して欲しいところですが、日本では「不思議の国のアリス」と「冒険」は省略されています。楠本君恵先生の『翻訳の国の「アリス」』の参考文献の中で「不思議の国のアリス」に該当する45の本のうち、タイトルに冒険の面影を留めているのは「アリスの不思議国探険」玉村美子訳(雑誌「少女の友」1926年)が唯一つという驚くべき状態です。

Adventures冒険はどうなったのでしょうか?
他の冒険物語のタイトルの運命を探ってみましょう。

ロビン・フッド The Merry Adventures of Robin Hood
ニルス The Wonderful Adventures of Nils
トムソーヤ The Adventures of Tom Sawyer
ハックルベリー The Adventures of Huckleberry Finn
ロビンソン・クルーソー The Life and Strange Surprising Adventures of Robinson Crusoe
シャーロック・ホームズ The Adventures of Sherlock Holmes

これらを見るとアリスだけではないようです。日本人は冒険が嫌いなのでしょうか?

Hamletは、正式には、The Tragedy of Hamlet, Prince of Denmarkですが、Hamletとなりました。これの日本での翻訳も初めの内は「ハムレットの悲劇」でしたが、今や「ハムレット」です。
RichardVはThe Tragedy of Kind Richard of Duke of Clarence(本当はもっと長い)ですが「リチャード三世」です。
The Tragedy of Romeo and Julietは今や「ロミ・ジュリ」言う人がいます。
名前は流通するに従って短縮化されるのは洋の東西を問わない法則のようです。

このように短縮化の傾向をたどると、ハムレット同様「不思議の国のアリス」は「アリス」「不思議の国より不思議な国のアリス」は「不思議の国のアリス」となっていることはほぼ間違いありません。このことは先にちょっと触れましたが・・・

東洋では、本の名前は、最初から簡潔で、四書五経ですと、論語、孟子、大学、中庸。詩、書、礼。楽、春秋・・・と、せいぜい4、5字止まりです。日本もこの伝統を引き継いでいるのでしょう。謡曲については何も知らないのですが、「敦盛」「村雨。「野々宮」と2字か3字ですっきりした名前が付いていて感心します。現在でも概して短いタイトルが好まれるようです。

ひと頃、日本の文化の特徴として「縮み文化論」ということが言われました。韓国の学者の説だったと思うのですが、茶室、坪庭、盆栽、俳句、幕の内弁当とすべてがコンパクトに纏められて、それがトランジェスターラジオのどに及ぶという説だったかと思います。確かにその延長上に、ウォークマンや携帯電話あるのかもしれません。

一方、外来語を受け入れる際の便法として、馴染みのない名前を短縮化するのも日常茶飯です。最近では、テレビを筆頭にリモコン、ワープロ、パソコン、ラジカセ・・・と英米人が目を白黒するような短縮語が流通します。

更に本のタイトルは売れることを念頭において付けますので、その時代背景にかなり影響されるものと思われます。そこまで考えるとタイトルは大変複雑な要素を含んでいると言わざるを得ません。

わが国では、Alice’s Adventures in Wonderland は「不思議の国のアリス」、 Through the Looking-Glass and What Alice Found Thereは「鏡の国のアリス」が比較的早い時期から定着して、現在に至っているようですが、(注1)他の国はどうでしょうか?

ドイツALICE’S ABENTEUER im Wunderland (1869)
フランスAVENTURES D’ALICEAU PAY DES MERVELLES(1869)
イタリヤAVVENTURE D’ALICE NEL PAESE DELLE MERAVIGILIE (1872)

と初版はADVENTUREを押えているようですが、その後の運命はどうなったか知りたいものです。

私の持っている唯一の資料は

The Lewis Carroll Handbook
by S. H. Williams and F. Madan (Revised by R. L. Green)  1970 Dawsons of Pall Mall

ですが、1898年―1960年の翻訳書の題名は表示されていないので、私としては追っかけることは出来なきません。現在ドイツでは流通している本をインターネットで見ると、日本と同じようです。即ち

Alice im Wunderland (不思議の国のアリス)
Alice im Spieglland(鏡の国のアリス)
Alice hiter den Spiegln(鏡の後ろのアリス)

です。どのような変遷を経ているかを追えば日独のアリス受容の比較が出来るはずです。

英米では長らく元のタイトルもままでしたが、短縮化の動きはキャロル生前から始まっています。1886年のオペレッタは「Alice in Wonderland」となっています。
それがどうなったか追々調べることにして、私としては、キャロル本人がどう考えたか、原点を押えておきたいと思います。とりあえず、不思議の国の方だけに焦点を当てます。

A B C
1864年キャロルの試みた
4つのデザイン

イギリス版初版1865年
アメリカ版初版1866年

イギリス版第2版1866年

   ALICE’S
  ADVENTURES
 IN
 WONDERLAND

ALICE’S

ADVENTURES IN WONDERLAND

  ALICE’S  ADVENTURES

   IN  WONDERLAND

この3つのステップの中で私は、詩人キャロルの韻律的な反芻と思索があったのだと思います。Aは字の大きさを変えながら全体をひし形に纏めようとしています。Bは頭韻を踏む形で、しかも視覚的にも面白いのですが、(また、後に、アリス学序説で述べることと一番合致するのですが)、Cのほうがリズムがいいと感じたのではないかと思います。詩学者のご意見を知りたいです。
キャロル生前の各種版本を比較するのも面白いかもしれません。このあたりの書誌的な裏づけを持った論考があれば是非知りたいところです。ただ、本の題名からAdventureが消えることをキャロルは考えなかったのではないのでしょうか?何しろ、Alice’s Adventures under Groundに始まっおり、Alice’s Adventures が骨格のはずですから。

学問の初めに文献解題と言うものがありますが、仏典にしろ、漢籍にしろ、そのタイトル丁寧な論及から始まるのが普通です。名は体を表すの言葉通り、タイトルにはそれだけの重みがあり、あるお経はそのタイトル(お題目)を唱えるだけでも救われると考える人も多くいるほどです。

私も「アリスの物語」もタイトルに要約されると思っていますので、日本や他の国で失われてしまった「冒険」が気になって仕方がありません。いずれ「アリス」に収斂してしまう運命だとしても、私としては、キャロルの付けたタイトルを尊重して、この物語を読んでいきたいと思っています。

●日本ルイス・キャロル協会編Mischmasch 第7号(2004年)の拙文『失われたアドヴェンチャー(The Lost 'Adventures')』にこれより詳しく述べております。

注1:日本で「不思議の国のアリス」や「鏡の国のアリス」というタイトルが何時,始まったかの論証は、門馬義幸先生の論考(日本ルイス・キャロル協会刊「MISCHMASCH」No.4、No6.)、木下信一さんのHPにあります。
注2:大西小生さんのご意見

附:アリス学序説で触れたデカルトの「方法序説」は正式には「かれの理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を求める方法の序説、なおこの方法の試みなる屈折光学、気象学および幾何学」で原文では31語だそうで、名前が中身を表しているのだが、いかにも不便で、あちらでも「方法の話」と4語に縮められたとのことです。(岩波文庫:落合太郎訳。解題)

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