不思議の国より不思議な国のアリス
待望 More More More Annotated Alice More More More Annotated Alice

私は「アリスの物語」を楽しむのに4つの道があると思います。

  @子供の本として、子供が、子供のように楽しむ。
A子供の本として、大人が、子供のように楽しむ。
B子供用と言わず、大人用と言わず、パロディー化して楽しむ。また、パロディー化されたものを楽しむ。
C大人の本として、大人が、大人らしく楽しむ。

今これを読んでいる大半の方は、おそらく、幸せな@の時代は過ぎ、ABCを選ぶしかないでしょう。勿論、子供時代に退行して、@のように楽しむことも不可能ではありませんし、私のような大人はひょっとしたら、まもなく退行して、そうするかもしれません。

@とAの場合はそっとしておくのが、一番ということになります。チャールストンが警告を発し、ガードナーが気にした、子供の本としての「アリスの物語」を温存するには、何もしないのが一番ですし、この本は、それだけで十分自立できるのです。

Happy summer daysを大切に、7歳の子供の心を保つことが、どれだけ大切で、素晴らしいことか言うまでもありません。
ですから、その延長線で、アリス・グーツを集めることなどは、アリス・ファンの本流と言えるかもしれません。
鉄道模型の好きな大人がいても、決しておかしくないのと同じです。

Bのパロディー化ですが、「アリスの物語」が数々のパロディーから成り立っていますので、その「アリスの物語」をパロディー化するのに憚ることはないと考えます。ただ、なかなか、原作を凌駕するもが出来ないだけです。広義には、翻訳も映像化もパロディーと言えなくもありません。

それはそれとして、Cの立場も大いにありうるわけで、そのことを少し書いて見ます.

多くの大人のファン、特に学者はC属する方が多いと思いますが、変に@Aを配慮することによって、中途半端なものになっては詰まりません。大いに大人として楽しめばいいと思います。話を原点に戻してみましょう。

まず、大人の本が子供の本となったケースは多く、ガリバー、ロビンソン・クルーソー、ドンキホーテ、 西遊記、水滸伝、三国志・・・など例が多く、シェイクスピアもラムの「シェイクスピア物語」をはじめ、Family Shakespeare があります。これはTomas Bowdler(1754−1825)がシェイクスピアを子供向けに、下品の言葉や猥褻な箇所を削り、作ったもので、大変良く売れたそうです。シェイクスピア学者やファンから顰蹙を買ったようで、このように道徳的な改ざんをすること意味するbowdlerizeという言葉さえ生まれました。しかし、キャロルはそのBowdlerFamily Shakespeareをさらに少女向けにbowdlerizeしようと計画しています。(1882313日リチャード夫人宛手紙。1885年3月29日の日記ではGirls' Own Shakespeareをテンペストから始めているとあります)これは実現しませんでしたが、ちょっと惜しかった気がします。

ですから、その逆もあっていいと思うのです。Bのパロディー版で大人が楽しめるものが既にあるのかもしれません。科学者は案外素直に、「アリスの物語」の内容やスタイルを自分の田に引き入れて発展させているように思います。あまり気兼ねせず、「アリスの物語」を大人の本として、大人が、大人として楽しめば良いと思っていますし、この「不思議の国より不思議な国のアリス」もその姿勢です。

アリスはハムレットに比べるとまだまだ、大人が十分遊んでいないのではないでしょうか?ハムレット文献とアリス文献と比べると100対1以上の開きがあるのではないかと思われます。ハムレットが大人用の芝居から始まり、アリスより250年前に生れたと言えばそれまでですが、私は、アリスはハムレットに比べて遜色のないキャラクター、いやそれ以上のキャラクターと思っており、そのことは、これは別のところで書きますが、大いに、大人の楽しめるものにしたいものです。

先ず、手始めに、先ず、ガードナーの自制を解き放って、「何でもあり」の註釈本を作ることからはじめてはどうかと思います。ガードナーが最大の努力を払って避けたという比喩的解釈や精神分析解釈大いに結構、テキストのある個所を読むのに面白いことなら何でもありで、アリス学序説の序で紹介したあらゆる分野の情報を集めます。

Annotated版の良いところは、文献を隈なく読まなくても情報の在り処が分るということです。膨大な文献リストがあっても、先ず手元になければ読めませんし、それを集めて保管しておく場所が必要です。また、主要なものを一渡り読むのにも多くの時間が必要です。おそらく少数の学者しか出来ないことではないかと思います。学者養成のためには、そのような地道な階梯が必要かもしれませんが、一般の人には、「アリスの物語」を読みながら、その意味を探って楽しんでいくのですから、例えば、青虫が出てきたら、それについてどんなことが言われているのか、少し手がかりがあると,随分楽しみが深まるのではないかと思います。挿絵もどんな挿絵があるのか知りたいです。

駄説、愚説はかりでは困りますので、ある水準は確保したいですが、少々的外れな珍説があってもかまわないと思います。そのようなことに興味のある読者なら、取捨選択しながら読みますし、歴史の淘汰を受け、残るべきものは残り、無意味なものは消え去っていくというのが、歴史の示すところです。

このような、「何でもあり」のガードナーの100倍くらいの註釈アリスをどなたか作って欲しいものです。ひょっとすると既に取り掛かっておられる方がいるかもしれませんが・・・

これは、一人でするより、多くの人でする方が面白いかもしれません。キャロルやアリスの研究者やファンが、皆で、知っていること、考えていること、挿絵、パロディ、グッズ・・・などの情報の所在だけを掲げるだけでも随分違うと思うのです。毎月1章づつ、情報を出し合って行きます。キャロルはそれをやりやすいようにそれぞれ12章としてくれています。一つアリスに1年、4年くらいかけて2ラウンドする。疲れたところでやめる。コーサス・レース方式がいいのではないかと思います。ガードナーの100倍以上の註釈アリス・データベースが出来きると思います。

情報はすべてWEBで収集、蓄積され、検索出来るようにします。費用は余りかからず、それを利用した展開も容易です。たとえば、その中から、専門家の方々によるアカデミック版を作ったり、本にすれば良いのではないかと思います。学際的分野も発展するし、刺激を受けて、従来の専門分野も更に深まって行くのではないでしょうか?

日本でもアリス受容は100年も経っており、かなりの情報が溜まっているのではと思います。過去の情報を出来るだけ、整理したうえで、その上に積んでいく、これは殆どの学問がとる道で、註釈の上に註釈が重ねられていくのは学問であろうと思います。中身は自然に淘汰されますし、学問の香りはこれを繰り返すことによって生まれるように思います。

どなたかドードー鳥のような先生がおられる大学が中心となり、このMore More More Annotated Aliceを作るためのコーサス・レースを取り進めいただけないかなあ!それとも日本ルイス・キャロル協会あたりがドードーの役をするのがいいのかな?と私のような晩学の素人は夢見るのです。

どうなるか不安ですって? ”Why” said the Dodo, “the best way to explain it is to do it” (やってみるのが一番) とドードー鳥は言っています。

もう一つ楽しむのに必要な道具は「アリス物語」のコンコーダンスですが、この方は近くWEB上に既にああります。
http://www.edict.com.hk/concordance/
http://ysomeya.hp.infoseek.co.jp/index.html
(他に良いものを発見されたら、お教えください。)

更に、もう一つ。各種翻訳を比較して楽しんでおられる方が多いようですが、最近シェイクスピアでは、180の翻訳と原文を集録したCDROM版『シェイクスピア大全』(新潮社)が出ました。これは明治後期以降の翻訳を殆ど集録されているとのことです。「アリスの物語」の場合はどうでしょうか?翻訳比較はコレクションの楽しみと対になっているようにも見られるのですが、あれば、やはり便利でしょうね。

(私は、同じ作品に多くの翻訳が発生する日本の風土に関心があります。何か根深いものがありそうです。)

目次 ハムレット 対 アリス