「不思議の国より不思議な国のアリス」 | |
ハートの女王(2) | The Queen of Hearts(2) |
中山克郎訳「ハートの女王」についての情報は早速、鈴木直子さんと高屋一成さんから寄せられました。
鈴木さんからは、訳者の情報、オピーの事典を読む際の留意事項などお教えいただいた上、マザーグースのメーリング・リストの皆様で中山訳を手元に持っていない方のために、その内容を紹介してくださいました。このページの読者のためにも、それを転載さていただきます。*0
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中山克郎訳『もうひとつのマザー・グース』
東京布井出版、1981、pp.64-70より
「ハートのクイーンが」
ハートのクィーンが パイを手づくり
ある夏の日の ものがたり
ハートのジャックが パイをもちにげ
あとにかけらも 残さずに
クィーンがパイを つくったわけは
高貴な客を まねくため
できたごちそう 戸だなに入れて
”これなら役に 立ちそうね”
ハートのクィーンが まねいた客は
キングにクィーン おなじみの
赤と黒との 三組のカップル
あのトランプの 貴族たち
高貴なカップル 到着すれば
すぐにはじまる 大宴会
キング ハッスル 座をとりもてば
クィーンいそいそ パンを切る
スープに魚に ごちそういろいろ
笑いさざめき 舌つづみ
終わりに出てきた プラムのプリン
まるでこれでは クリスマス
知らぬがほとけの ハートのクィーン
けらい呼びつけ ご命令
”これはまちがい 今すぐさげて
料理頭に もどしなさい”
一同くびを かしげたものの
次なる指図に どっと湧く
”わたしがさいぜん つくったパイを
もってくるのよ これ ジャック”
ジャック一旦 退出したが
ほどなくもどって ご報告
”盗みぐせある 不ていのらから
パイをもちにげ したようで”
なみいる面々 みな心得て
陽気なムードで 座をもたす
”どの道 たいした ことではないさ
気にしなさんな” といいたげに
ジャックの証言 ゆゆしくひびく
”思いまするに クイーンさま
御前のおす猫 その猫こそが
パイとろぼうに 相違なし
奴のやましき あの顔つきと
雲をかすみと にげるさま
これぞ何より 動かぬ証拠
奴の仕業を 示すもの”
ハートのキング 席から立って
怒りおもてに 叫ぶこと
”ジャックよジャックすもものパイを
猫が食べるか 恥知らず!
汝の仕業に ちがいはないが
いずれはっきり させてやる
今はとにかく がけらいども
これに集めよ ことごとく”
老若男女 全部のけらい
ひしめきあって 勢ぞろい
ひとりひとりが くらいの順に
規則正しく 列を組む
それをひきいる ハートのジャック
大将格と 見なされて
”見よ 皆のもの 指輪にかけて
はがしてくれよう ばけの皮”
なみいるけらいは 皆息をのみ
キングの面を ふしあおぐ
ひびくその声 威厳にみちて
”すもものパイを 食べたもの
そのくちびるにゃ 紫色の
汁が残って いるという
罪のしるしを つい消し忘れ
あごに残した おろかもの”
一同顔を 見合わす中に
ひとりジャックは われ知らず
あごのあたりを ひそかにぬぐう
よごれも見えぬ そのあごを
おりしもキング すっくと立って
”見たかジャックの しれものめ
今こそここに そのひざ曲げて
汝の罪を 吐くがよい”
クィーン怒りに 身をふるわせて
”ジャック風情の もてなしに
こころくだいて パイづくりとは
死刑にしても あきたりぬ”
キングきびしく 二人を見やり
”パイは食べられ もどらぬが
慈悲のこころは わがまつりごと
むちで叩いて 許そうよ”」
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高屋さんからは私の知りたかったラムの詩など次のような情報が寄せられました。
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http://rpo.library.utoronto.ca/poem/1172.html
こちらではチャールズ・ラム作(と言われる)The
King and Queen of Hearts(1805年)の本文が読めます。原書のデジタル画像も表示されます。
http://www.cts.dmu.ac.uk/AnaServer?hockliffe+111551+hoccview.anv
こちらはNew
Story of the Queen of
Heartsの版の一つでしょうか。原書のデジタル画像が見られます。注記に1840年ころの刊とありますが、実際にはもっとキャロルの執筆時期に近いかもしれません。最後の部分は次のようになっています。
The
King looked grave at Queen and Knave,
Quoth he, "The tarts are
eaten;
But mercy still shall be my will,
So let the thief be
beaten.
しかしながら、最初の連がキャロルの『不思議の国』に引用されたものとは少し違います。
The Queen of Hearts once
made some tarts
All on a summer's day(この本)
The Queen of Hearts
She
made some tarts
All on a summer day(『不思議の国』)
『不思議の国』ではonce madeでなくShe made、またsummer's dayでなくsummer
dayになっています。
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早速、読んでみますと、最初のものは、「ハートの女王」の12行を一行毎、各節のトップにおいて、新たな詩を作っています。したがって、私の予想に反して中山訳原詩とは内容が異なりますが、用いられた詩は、『不思議の国』とsummers
dayとなっている以外は一致します。
後者は、中山訳原詩と細かな異同は別にして、内容的はほとんど同じで、『不思議の国』の引用部分は高屋さんのご指摘のところ以外は一致します。標準形のclean
awayではなく、quite awayなっています。
この本の末尾に本の広告がで出ていて、これが、Dean &Co.'s SPLENDID TOY
BOOKSの出版のGRANDMAMMA EASY'S シリーズで,Tom ThumbやJack Hornerなどナーサリーライムの物語絵本の一つであることが分ります。また、この広告には全部新作とうたってありますから、この手の絵本は盛んにリライトされながら出版されたことが窺われます。
1988年から1989年日本で行われた「マザーグースの世界展」の図録には、「ハートの女王」の絵本が、カラー写真入りで7冊出ています。ほとんどキャロルの時代のものです。
高屋さんも鈴木さんも注目されているThe New Story of the Queen of Hearts, illus. George Cruikshank, c.1860,は、オピーによると伝統的な話(昔話?)を基にしているとあって、私も見たいのですが、まだ見つかりません。ただ、M・ハンチャーの『アリスとテニエル』*1では、クリックシャンクのもの(1865年ごろ)が1ページ出ているほか、ウイリアム・マルレディー(1806年)、『子供部屋の歌』(1851年)の一部がモノクロ写真で見ることができます。
少しアリスたちの時代とずれますが、手元の本*2でコルデコットの挿絵を見ることができました。「ハートの女王」がタルト作りの本を見ているものなど4枚を見ることが出来ました。この注で、彼が手紙で「ハートの女王に関してはこの前のように、1シリングの絵本にしたくない・・・」が引用されていました。当時、絵本が1シリングで売られていたことが分ります。*3
ですから、テキストには多くのバリエーションがあって当たり前と言えるのかもしれません。ただ、ストーリには桃太郎や一寸法師のように変わらぬ流れがあり、「ハートの女王」はそんな物語性を帯びて流布していたものと思われます。したがって、アリスたちの子供部屋にもきっと絵本があったであろうと思われます。そして、キャロルのハートの女王を含む後半の話は、物語絵本に馴染んでいた子供達には大変興味を引き、面白かったのではないかと思います。
いずれにしろ、ベアリングールドがキャロルがオリジナルを少し変えて使っているというのは不適切だと言わねばなりません。*4
高屋さんが取り上げられているsummer's dayとsummer dayの問題ですが、上に挙げた本はsummer's
day またはsummers dayでした。
彼はシェイクスピアのソネット
Shall I cmpare thee to a summer's day,?
Thou art more lovely and more temperate:
を知っていたはすですから、'sを外すにはそれなりの理由があったのでしょう。
ソネットの版本にはa summers dayとしている本がもありますが、いづれにしろ、5月は、英国ではもう夏なのですね。
ここまで書いたところで、藤野紀男先生から次の情報が寄せられました。
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'The Queen of Hearts'の唄として知られているものは長い唄(ダイアモンド、スペード、クローバーも含む)の最初の方です。
ハリウェルに関する限り、初版(1842)と第二版(1843)には載っていず、第三版(1844)に
The
Queen of Hearts
She made some tarts,
All
on a summer's day:
The Knave of Hearts
He
stole the tarts,
And took them clean away.
The King of Hearts
Call'd for the
tarts,
And beat the Knave full sore:
The
Knave of Hearts
Brought back the tarts,
And vow'd he'd steal no
more.
と初めて出てきます。第四版(1846)−−これは第三版と同じようですーー にも同じ詞句で載っていますが、第五版には見つかりません。
'Old Nurse's Book of Rhymes, Jingles and Ditties'(Charles H. Bennett, 1858)にも全く同じ詞句で載っています。
'Favourite Rhymes for the
Nursery'(1882)には
The Queen of Hearts, she made some
tarts,
All on a summer's day;
The Knave of
Hearts, he stole the tarts,
And took them clean
away.
The King of Hearts called for the
tarts,
And beat the Knave full sure;
The
Knave of Hearts brought back the tarts,
And vowed he'd steal
no more.
という表記・詞句で出ています。
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大変なお手数をおかけしてしまったようです。それに、こんなお答えをお書きになるためには、長年の時間とお金を掛けた蓄積が必要なことで、時空を遥かに越えて、こんな本が、先生の書架に並んでいるのに驚嘆します。
これでわかるのは、オピーの事典(前章参照)で、第三版には出て、それ以降の版からは削除されている言っている記述は不正確ということになりますし、藤野先生の掲げられた1858年や1882年の用例にも付言すべきだったのかもしれません。
これによって、オピーやベアリングールドの採用したもの(標準形)は、藤野先生ご提示の2つの系統を継ぐものであることがわかります。6行目がAnd
took them clean away.となっているからです。私にとってもっと大切なことは、キャロルの持っていたハリウェル の版がたとえ第三版(1844)または第四版(1846年)であったとしても、彼はそれを採用せず
And took them quite awayと物語絵本系のものを採用している点にあります。
ナーサリーライムとそれを利用した物語絵本は同類といえば同類なのですが、マーチン・ガードナーのように単なる詩句に付言するのでは済まされない、豊かな世界が背後にあるということです。
1シリングのToy Bookの世界にもっと眼を向けなければ、キャロルや、そして、アリスたち子供達のことが良くわからないのだと思いました。 つづく
06・05・07(改05・09, 改05・28)