「不思議の国より不思議な国のアリス」      
ハートの女王(1) The Queen of Hearts(1)

本を整理していたら、いつ買ったのか覚えていないが、トランプ占いの本が出てきて、それをパラパラめくっていると、カードの性格を解説している所で、こんなのにぶつかりました。

ハートのキング ー 底抜けの善意と誠意の持ち主。素直で頼りがいがあり、温和な性格。外見は単純に見えるが、しばしばつっけんどんな態度で自分の感情を隠すことがある。よく口ごもり、言葉より行為で善意を示す。このために、人の複雑な性格を理解できないように見られることがある。

おやおや、これは『不思議の国』のハートのキングとそっくりではないか、と思いながら、クイーンのところへ眼を移すと

ハートのクイーン ー 楽しみ、喜び、限りない愛を無条件に与える。情が深く、理屈より直感で行動する。・・・・創造性に欠けるが、芸術に惹かれ、さまざまな美に対して強く反応する。・・・・心根は卑しくも偏狭でもないが、頑固で強情な時もある。

これは、全く、『不思議の国』の女王とは反対ではないか?絶えず「首を切れ!」と絶叫している、あのヒステリックな女王とは正反対です。しかし、待てよ。当時、多くの人には、ハートの女王のイメージはこの本にある通りだったので、キャロルは彼女に逆の行動を取らせ、アリスたちを喜こばせたのではないか、など考えて、ジャックのところを見ますと、

ハートのジャック ーロマンスの札。愚かで快楽のために自暴自棄になる。・・・・・誘惑に負けて飲み食いに度を過ごしやすい・・・

これは「不思議の国」のジャックに近い。ちなみに、『不思議の国』で首切り斧を携えているクラブのエースを見ますと

クラブのエースー 才能の札。望みは高く、野心的。熱情、想像力、交渉力を有するが、所詮、期待は果たされず、才能は開かれず、内面の葛藤のため創造力は開花しない。

これなども、実際には首切りの執行のチャンスがあったとも思えない彼に相応しい。庭師役になるスペードの2、5、7についても見ても、当たらずと言えども遠からずの記述でした。別の所で、

ダイヤのクイーン ー 強烈な熱情の持ち主。威勢とエネルギーに満ち、いつも、心はせかせかと絶え間なく動き、蓄財、出世、他人支配のために計画、策略を考えている。・・・・・ひとたび、悪と結びつく時は、とてつもなく大きな害を与え、ずる賢そうに見えて、しばしば判断を誤る。・・・かっとなり、燃え上がり、軽率に動いたり、注意散漫な自分の性格に悩まされる。赤い炎が好きで、炎のようにすぐ燃え、消えるのも早い。

これだと、顔を真っ赤にして叫ぶハートのクイーンに相応しい。彼女ははもともとダイヤのクイーンで、後に、ハートのキングと再婚するが、キングは浮気するし、継子のシャックはならず者で、折からの更年期障害と相俟って、ヒステリー状態になっていたことも考られます。

この占いの本はHow to Tell Fortune with Cards by Wenzell Brownという本でニューヨークで出版されたものですが、発刊年号の記載はなく、ネットで調べると、1960年代の本のようです。
キャロルがトランプ占いに凝っていて、占い本を基に書いているとは思えませんが、トランプ占いのことをもう少し調べようと本屋に出かけてみると、棚にあるのは、タロット、風水、占星術、四柱推命、細木数子の本ばかりで、トランプ占いの本はありませんでした。
キャロルの蔵書にも占いの本は見当たらないので、占いを離れ、改めて、キャロルが拠ったとされる、ナーサリーライムを見ることにしました。

The Queen of Hearts
She made some tarts,
All on a summer's day;
The Knave of Hearts
He stole the tarts,
And took them clean away.
 
ハートの女王
タルトをつくった
ある夏の日 一日かけて
ハートの ジャック
タルトを盗った
そっくり みんな持ち去った
The King of Hearts
Called for the tarts,
And beat the knave full sore;
The Knave of Hearts
Brought back the tarts,
And vowed he'd steal no more
.
ハートの王様
タルトを返せと
ジャックをぶった
ハートのジャックタルトかえし、
誓って言った
もう決して盗りません 
オピー*1もベアリングールド*2もこれを掲げているので、以下では標準形と呼ぶことにします、

この前段が『不思議の国」第11章の'Who stole the Tart?' の裁判の場面で、白うさぎが起訴状として読み上げるのですが、この詩を基にこの場面が作られていることに誰も疑いを挟みません。

ところで、この箇所のマーチン・ガードナーの注*3はベアリングールドを引用しており、それによると、この詩は、1782年にThe European Magazineという雑誌で発表された、ハートだけでなく、スペード、キング、ダイヤも登場するとして、全詩を載せています。この詩はハリウエルがハートの部分だけ載せ*5、これが流布したという。なぜそうしたかといえば、その内容が子供には相応しくないと思われたのではないかと考えらわれます。 例えば、スペードの例を、その内容を示すと

スペードの王様は小間使い達にキッスした。それで女王はカッとなって、小間使い達を叩き出した。スペードのジャックは同情し、とりなした。女王は育ちが良いので、もう打たないわと約束した。

このような具合に続くので、無難なハートの部分が普及したというわけです。現在のマザーグス本はまずこれに従っています。

ここで、オピーにより、『不思議の国』が出るまでのこの詩の基本的な情報を整理しておきますと;

1782年 The European Magazineの4月号に12行4スタンダーズのものが出る。
1785年 この詩を使った流行歌あり。
1787年 Canningによって最初の部分(標準形)が政治風刺として使用される。
1805年 Charles LambのKing and  Queen of Hearts
1844年 HalliwellのNursery Rhymes of  England第三版(標準形)
1860年 Cruikshanksの挿絵本
1862年 Thomas Burkeが4スタンダーズのものを18世紀文献からとしてNotes&Queriesに引用。
1865年 『不思議の国』出版

ネットで調べていると、これ以前のことに触れた面白い記事に出会いました。
http://eclipse.rutgers.edu/goose/rhymes/qoht/rhyme.aspx
これは「ハートの女王」が歴史上のどんな人物から生まれたものかを探るもので、唄の前に、カードありきで、トランプの世界までさかのぼり、追求し、果ては、経典外聖書に出てくるイスラエルの英雄的女性Judithに至っています。詳しくはHPをご覧ください。

そんなことから、占い本のカードの性格記述は、歴史的な背景を持ちつつ、象徴として純化されたもののはですから、あながち 私の最初の取っ掛かりも、見当はずれとは言えないと思いました。

こんなことを考えながら、ふと手に取った中山克郎訳『もうひとつのマザー・グース』(東京布井出版 1981)*6です。その中の「ハートの女王」は標準形とかなり違い、そのストーリーはきわめて物語性があって、なぜ、クイーンがタルトを作ったのか、招待した客の対応のしかた、特に、ジャックを皆の前で追求するところが上手く表現され、さらにクイーンが死刑を要求するところも出てきます。キャロルが準拠した詩は、一般に信じられている標準形ではなく、この詩ではないかと思いました。

キャロルは、その蔵書*4にHalliwellのNursery Rhymes of  Englandを持っているので、その版が1844版であれば、(というのはベアリングールドによると、その前後の版にはこの詩は掲載されていないとのこと)それから写したとも考えられますが、私は中山訳原詩(当分こう呼びます)の形が当時、流行していて、アリスもキャロルも膾炙していた可能性が高く、キャロルはこれを念頭において書いたという気がしました。そして、この詩は、1805年出版のCharles LambのKing and  Queen of Heartsにこの形が出ているのかもしれないと思いました。 

もう一つの手がかりは、中山訳原詩の上から5,6行は
He stole the tarts
and took them quite away.

『不思議の国』
He stole the tarts
and took them quite away.

と合致するからです。

標準形
He stole the tarts
and took them clean away.

となっており、ベアリングールドによると(ガードナーは無視しているのですが)少し変えて引用していると言っています。つまり、cleanがquiteと変更していると言うのです。ノートン版の注ではわざわざ伝統的な版を変えずに(unchanged)で使っているとしています。些細なことのようですが、後の議論と関連するので覚えておいてください。

中山訳原詩は
@ストーリーが、ジャックの詮議を含み「不思議の国」の裁判の場面に近い。
Aハートの女王が死刑を要求している。
B第一連の終わりがぴたりと合う。
ことから、キャロルの準拠作品と考えられるのですが、では、中山訳原詩はどこから出たかということになります。

それをこれから、マザーグース学会のメーリングリストの皆様にもお手伝いいただき、追及しよう思います。こんなメールを出しました。
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東京の宮垣です。
下記ご存知の方がありましたらお教えいただけないでしょうか?
1.『もうひとつのマザーグ・グース』の著者中山克郎さんにお教えを請いたいことがあるのですが
同氏の連絡先(住所またはメールアドレス)
2.同氏にお聞きしたいことは同書の64頁以降に訳出されている「ハートのクイーン」の原詩、(オピーにもベアリング・グールドにも掲載されていないやや長い詩)の出典。
もし、上記いずれかご存知の方、ご教示いただければ幸いです。06・05・04
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結果は次回お伝えします。   つづく

【ご参考】
http://www.megabrands.com/carroll/knave.html
これは『不思議の国』の裁判の被告は「ハートのジャック」ではないのだという愕くべき結論を出しています。


*1The Oxford Dictionary of Nursery Rhymes Iona and Peter Opie 1997
*2 The Annotated Mother Goose Willian s and Cell Baring-Gould 1962
*3 The Annotated Alice (the Definitive Edition,) Martin Gardner 2000
*4 Lewis Carroll’s Library  Jeffrey Stern  1981
*5 オピー(前掲書)は、ハリウェルは第三版で取り上げ、奇妙なことに、その後の版では削除している。それはこの唄、または付属のサタンダースに、猥雑な揶揄、おそらく政治なそれがあったのかも知れない、としている。ベアリングールド(前掲書)はただ奇妙とだけ言っている。これに関連して次の「ハートの女王(2)」藤野先生の情報を参照。
*6 本書には、平野敬一先生の序が付いていて、原詩の調子のよさを生かしている点、出色のものであり、選詩の独自性にも触れておられます。挿絵は古橋美保・川村栄子。

06・5.5 (改5・6  改5・9、改5・23)

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