「不思議の国のアリス」
柳の木  WillowTree

「不思議の国のアリス」の著者ルイス・キャロルのイメージとして、彼は、内気で、大人の女性とは付き合うことができず、もっぱら十歳ぐらいのまでの少女と付き合うのを好んだ、というのがあります。終身独身で、少女の写真を多く撮っており、少女たちとの交流を心から楽しんだことも確かですし、彼の作品を追うと、そこには色恋の要素は少なく、モデルとなったアリスとの関係が言わば伝説となっているのを除けば、特定の女性と恋愛関係にあったという証拠もないので、こんなイメージもあながち不当とは言えません。

しかし、日記や手紙を読んでみると、男女を含む実に多くの大人と交際していることがわかり、変人ではない、普通の男としてのキャロル像が浮かび上がってきます。

彼の心の襞を見るため、「The Willow Tree 柳の木」という詩を取り上げてみます。

彼の詩の中では数少ない色恋を扱ったもので、彼二十七歳、「不思議の国のアリス」出版の八年前の作です。最初に拙訳を、後に原詩を掲げますが、キャロルが古い民謡を意識して書いているので、訳も古風に訳しました。

    柳の木

朝日輝き 駒足軽やか

婚儀のまろうど 声さんざめく

若きエレンは茂みの蔭で

過ぎ行くさまを見守れり

落ちる涙で目は曇り

華やかな一行霞みて見えぬ

乙女はかこつ人知れず

この柳の木の下で


「ああ、ロビン、かくも愛してくれたのに

それは切ないあの日まで

イザベル姫がやってきて

あなたの心を盗んでいった

無駄に流した私の涙

思い出の日々を再び生きる

あなたは駆け寄り私を抱いた

この柳の木の下で


   「ああ、あせし柳よ 春が来て

御身が若葉つけるまで

私はここに留まらぬ

はるか遠く身を隠し

悲しみ独り耐えましょう

彼の幸せ壊さぬように

彼に涙を見せぬよう

彼が近くにいるうちは

しだれ柳に近づかぬ


  「でも、私が死んだなら

お前の木陰に休ませて

私が眠るその傍を

ある時 彼が迷い来て

屈んで見るやも知れませぬ

白い大理石の墓碑銘は

『あなたをこよなく愛した乙女、ここに眠る

この柳の木の下で』

 

     The Willow Tree

THE morn was bright, the steeds were light,

The wedding guests were gay:

Young Ellen stood within the wood

And watched them pass away.

She scarcely saw the gallant train:

The tear-drop dimmed her e'e:

Unheard the maiden did complain

Beneath the Willow-Tree. -


"Oh, Robin, thou didst love me well,

Till, on a bitter day,

She came, the Lady Isabel,

And stole thy heart away.

My tears are vain: I live again

In days that used to be,

When I could meet thy welcome feet

Beneath the Willow-Tree. -



   "Oh, Willow gray, I may not stay

Till Spring renew thy leaf;

But I will hide myself away,

And nurse a lonely grief.

It shall not dim Life's joy for him:

My tears he shall not see:

While he is by, I'll come not nigh

My weeping Willow-Tree.



   "But when I die, oh, let me lie

Beneath thy loving shade,

That he may loiter careless by,

Where I am lowly laid.

And let the white white marble tell,

If he should stoop to see,

'Here lies a maid that loved thee well,

Beneath the Willow-Tree.'" ?

 

題材はバラード風で、どこでもありそうな平凡なテーマですが、男女の変心は、くり返し、くり返し唄われ、しかも、何度聞いても心の奥に響くテーマでもあります。愛を得ることの喜び、愛を得られないことの悲しみという、私たちの最も大切な心情がここにあるからです。

この詩には元唄があることはなんとなく想像されますが、古い民謡をインターネットで調べておりましたら、こんなのが目につきましたので、次に掲げておきます。キャロルより古いものと思われますが年代は分かりません。男性が女性の心変わりを歌っており、立場は逆ですが、同じように beneath the willow treeがリフレインされているので、キャロルがこの詩を念頭に作詞したことも考えられます。

The Willow Tree

O take me in your arms, love

For keen doth the wind blow

O take me in your arms, love

For bitter is my deep woe.


She hears me not, she heeds me not

Nor will she listen to me

While here I lie alone

To die beneath the willow tree.


My love hath wealth and beauty

Rich suitors attend her door

My love hath wealth and beauty

She slights me because I am poor.


The ribbon fair that bound her hair

Is all that is left to me

While here I lie alone

To die beneath the willow tree.


I once had gold and silver

I thought them without end

I once had gold and silver

I thought I had a true friend


My wealth is lost, my friend is false

My love hath he stolen from me

While here I lie alone

To die beneath the willow tree.

[詩の大意]

ねえ、僕を抱きしめて。風がヒューヒュー吹いている。ねえ、僕を抱しめて。悲しくてたまらない。// 彼女は応えず、うわの空。僕の言うこと決して聞かぬ。僕はひとり死んでいこう。この柳の木の下で。 // 彼女は金持ち、器量よし。良家の息子がしきりと求婚。僕が貧しいそのために 彼女は僕をこけにする。 // 彼女の髪を飾ったリボン 僕に残った唯一の形見。僕はひとり死んでいこう。この柳の木の下で。 // かって僕も金持ちだった。財産尽きると思わなかった。昔、金持ちだった頃、彼を親友と思っていた。 // 僕が財産無くして見れば その親友は手のひら返し 僕の恋人奪っていった。僕はひとり死んでいこう。この柳の木の下で。

この詩は親友の裏切りまで含みますが、恋人の心変わり―失恋―柳の木の下での死、というのは、古今東西を貫く典型的パターンのように思えてきます。同じような詩が世界は沢山あることでしょう。

柳と言えば、シェイクスピアを好んだキャロルには、むしろその時代に遡るのが自然かもしれません。

「ハムレット」ではオフェーリアは柳の木の下で死に、この場面(四幕七場)を描いたエバレット・ミレーの「オフィーリア」(1852年)では、オフィーリアの頭上に柳が描かれています。この柳に花冠をかけようとして、誤って川に落ちたとされます。柳は裏切られた恋を示し、当時の流行歌を踏まえていると言われてますが、この歌は四年後の「オセロ」の中で、デスデモーナが歌い、有名です。

四幕四場でオセロに殺させる少し前、デスデモーナはベッドに就きながらエレーミアと話ます。

デスデモーナ

「お母様にはバーバラという小間使いがいて、彼女は恋をしたんだけど、恋人は気が狂って彼女を捨てたの。彼女は柳の唄というのを知っていて、古い唄なんだけど、彼女の身の上そっくり。彼女はそれを歌いながら死んだわ。その唄をどういうわけか、今夜はその唄を、かわいそうなバーバラのように首を傾け、歌いたくてしかたがないわ。・・・」

この後、エレーミリアとのやり取りを挟みながら歌うのですが、その唄をまとめて掲げると次のようになります。

The poor soul sat sighing by a sycamore tree,

Sing all a green willow:

Her hand on her bosom, her head on her knee,

Sing willow, willow, willow:

The fresh streams ran by her, and murmur'd her moans;

Sing willow, willow, willow;

Her salt tears fell from her, and soften'd the stones;

Lay by these:--

Sing willow, willow, willow;

Sing all a green willow must be my garland.

Let nobody blame him; his scorn I approve,-

 I call'd my love false love; but what

said he then?

Sing willow, willow, willow:

これには多く訳があり、特にSing willow, willow, willowの訳は多様です。ここでは坪内逍遥訳を掲げます。

あはれ娘はシャモーアの蔭に、

   歌へ、柳を、只青柳を!

胸にや手をあて、膝には頭《かしら》、

 歌へ柳を、柳や柳!

傍《はた》の小川も共音《ともね》に鳴いて、

   歌へ柳を、柳や柳!

落す涙にや石さへ和《なご》む、

 歌へ柳を、柳や柳!

歌へ、青柳や、此身の插《かざ》し、

 主《ぬし》にや咎《とが》ない、身をこそ怨め

主《ぬし》を浮氣と譴《せ》めたりや主《ぬし》が、

   歌へ柳を、柳や柳!

餘所《よそ》の女子《をなご》懇懃《ねんごろ》したら

   餘所《よそ》の男と寢やれと被言《おしや》る。

この唄は、当時、歌詞も曲もいくつかのバリエーションがあったことが知られています。

もともと先の詩のように、男性の失恋の唄だったものをシェイクスピアが女性の唄に変えたという説もあります。何れにしろ、多くの唄は、デステモーナが歌ったものより長く、代表的なものは、七連あり、私が注目したいのは、実はデステモーナが歌わなかった部分です。特に最後の一連です。

Take this for my farewell

And latest adieu;

Sing willow, willow, willow:

Write this on my tomb

That in love I was true.

O willow, willow, willow, willow.

シェイクスピアはこの部分はありませんので、逍遥訳もありません。拙訳で我慢ください。

これが私のお別れよ、最後の言葉と思ってね。

     歌って 柳を 柳よ 柳

墓碑銘に 誠の愛を捧げた者と 書いてね。

     ああ 柳、柳よ 柳よ 柳 

愛を得る悦びは人生の悦びの中で最大のものです。愛されていることを感じるのは幸せの源泉ですが、そのことを日頃忘れがちです。

愛を得ようとして得られない悲しみ、愛し愛されたものを失う寂しさ、相手の変心による懊悩などを味わって、愛の重さをあらためて知ることになります。

自分の愛は、たとえ相手が心変わりしても、変わらない真実の愛なのだと天に向かって叫びます。このことを、キャロルの「柳の木」もシェイクスピアの選んだ「柳の唄」でも墓碑銘に刻んで欲しいという形で訴えています。

キャロルはおそらくこの唄を知っていて、自分の詩をこれに共鳴させたのだと思います。

 

冒頭のキャロルの詩は、彼が二十七歳の時、家庭回覧誌Mischmaschに載せたのが初めです。それには英国の古い調べに合わせて書いたと前置きがあり、唄うことを前提に作られたもののようです。四十七歳の時出版した詩集Phantasmagoriaには題そのものがStanzas for Music(音楽のために歌詞)とされています。

私の想像ですが、彼はこの詩に節をつけて何度も何度も歌ったのではないかと思います。

さらに、キャロルがこの詩を愛したことは、六十六歳、彼がなくなった年に発刊された最後の詩集The Three Sunset and Other Poems(1898)にも収録していることからでもわかります。

現実のキャロルがこのような体験をしたか否かは今のところわかりません。しかし、ここには、少女しか愛せなかった変人ではなく、普通の大人、シェイクスピアや私、また、この文を読んでおられる貴方と同じ人間が息づいていると思うのですが、いかがでしょうか?

参考

「シェイクスピア音楽論序説」山浦拓造著 東京泰文堂

  この本には「柳の唄」に関する記述が三十ページにわたりあります。

「シェイクスピアの音楽」有村祐輔・吉田正俊箸 大修館

「シェイクスピアの音楽」CD  Philip Pickett  1995 PHCP-11202

同人誌「遊山38」に掲載。  04・03.01

この文に対する陣万里さんのお便り 05・3・11

キャロル初期詩集「柳の木」
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