The Lady of the Ladle
            Whitbyなどについて  お寄せ戴いたご意見                     



木場田由利子さんから  2005・4・24         木場田さんのHP

キャロルは数学の勉強をするために、ウイットビーに滞在し、そこで、ウイットビーガゼットへ投稿しています。(よろしければ、ミッシュマッシュNo.7の、ワインさんの原稿を訳した「ルイス・キャロルのウイットビー」をお読みくださいませ。古い港町で、長い階段を登っていくと、古い修道院の跡があり、ロイヤルという、ホテルもまだあるようです。家々は、軒を連ねていて、キャロルが詩に書いた通りの景色のようです。あの詩を訳しているときとても行きたくなりました。

編者追記
ミッシュマッシュNo.7(日本ルイス・キャロル協会刊 2004・12・15発行)
Lewis Carroll's Whitby by Ivor Wynne Lones「ルイス・キャロルのウイットビー」(訳 木場田由利子)
これはこの詩を読むのに格好のエッセイです。

それによりますとキャロルが泊まった宿屋が残っていてドアの横に銘板があり
『・・・次のように記されている。「ルイイッス・キャロルとしてよく知られている、数学者であり作家でもあるチャールズ・ラドウィッジ・ドジソン(1832−1898)は、1854年から71年までの6回のウイットビーへの訪問中、ここに滞在した。」
 西の岬に建っているので、その宿からはウイットビーの最も壮観な景色の一部が見える。港の細い入り江を越えて東方を望み、港から199の階段はプラム・ストーカーの「ドラキュラ(1897)」に霊感を与えた、セント・ウイットビー大修道院跡に導く。ストーカー(1847−1912)は、「ドラキュラ」を書く間、キャロルの宿から200ヤードほど離れたロイヤル・クレセントに住んでいた。・・・・』(以上木場田訳引用。青字編者)

若者のさ迷っている町はウイットビーであることは間違いなさそうですが、そうなると弔歌の2行目の拙訳(初訳:去ってしまった ウィットビーへ)は問題が出てきます。
高橋訳「船は もうホイットビーからは見えない」となっています。
問題はShe is lost unto WhitbyのなかのSheとuntoをどうとるか?


木場田由利子さんから  2005・4・25
She is lost unto Whitbyは、単に彼女が消えるというわけではないと、思います。
be lost to という言い方があります、その意味は、もう...の影響をうけない、...を感じない、ということですので、その文の雰囲気がお分かりになるかと、思います。しかし、それを日本語にするのは、とても大変ですね!!


鈴木真理さんから  2005・4・25         鈴木さんのHP

木場田さんの情報読ませていただきました。それで思い出しました。WHITBYに立ち寄ったのは、丘の上にある古い修道院あとを見に行ったためです。残念ながら「ロイヤル」には気づきませんでした。
そうなるとUntoは「〜にとって」「〜に対して」と解釈しなくてはなりませんね。She is a stranger to London.のtoと同じような意味のuntoと考えて「今や彼女はWHITBYから失われてしまった」と考えればいいのでしょうか。
詩は短いだけに、背景をよく知らないと訳も難しいですね。
ずいぶん前に訪れたWHITBYのことを懐かしく思い出しました。

編者追記
有難うございました。I's Greek to me.というのもありますね。AbbotのShakespeare Grammerにも動作の方向とは関係のないtoの用例が掲げてありました。
初訳「去ってしまった ウィットビーへ」は「消えてしまった ウィットビーからは」と改訳しました。
高橋先生が「船」とわざわざ訳出しておられるのにも理由があるのかもしれません。


arsさんから   2005・4・25
 
お久しぶりです。 木場田さんのBBSで下記の詩訳のことを知りました。
 
  Coronach

" She is gone by the Hilda,
  She is lost unto Whitby,
And her name is Matilda,
  Which my heart it was smit by,

>高橋先生が「船」とわざわざ訳出しておられるのにも理由があるのかもしれません。
 
乗り物、この場合は船ですね。また、昨日の列車や電車などはSheで受けていますよ。
「電車が来たよ!」 Here she comes!とか駅のプラットホームで言うようですよ。
 
そこで、上の詩の2行目のSheはthe Hildaヒルダ号ですね。英語では船もハリケーンも女性の名前ですね。
日本語では船は男性っぽい感じですが・・・。高橋先生は代名詞を峻別されているわけですが、以下のようにAITさまがされていても、通じると思います。
 
      弔歌

 ヒルダ号で あの子は行った
   消えてしまった ウィットビーからは
 彼女の名前は マチルダ
   僕の胸をグッと刺した
 
ヒルダ号がぼくのマチルダを連れ去ってしまった、
船もマチルダもウィットビーから離れて今は遥か遠くに行っちゃった、

arsさまから   2005・4・26
 
代名詞は既に出てきている一番近いものを指すとされています。そこで、船を指すほうが文法的には正確ですが、すぐ後に出ているマチルダを指しても間違いとは言えないと思います。そこで、どちらでも通じているとは思うのですが、
気持ちのうえでは微妙ですよね。
 そこで、She is lost unto Whitby の "lost"について再考してみたらどうでしょうか。
お馴染みの"lost"は、なんといっても新約聖書の"The Lost Son"
「放蕩息子」でしょう。息子は故郷を見限って出ていってしまうのですが、放蕩の末、目が醒めて・・父親のもとに帰ります。
息子は自分の意思で故郷を出ていっちゃった   マチルダは自らWhitbyを出ていっちゃった 
父をないがしろにした息子             ぼくを捨てたマチルダ 
 
こうの類推の動きがAITさまが、「この場合マチルダと取ることもごく自然」と解されるものに近いですね。
 
James HiltonのThe Lost Horizon『失われた地平線』というのがありましたね。
この場合の"lost"は、
 
楽園シャングリラ      マチルダが居たウィットビー

楽園シャングリラの喪失  マチルダのいないウィットビー 
               船とともに去ったあの娘
 
こう見ると、AITさまの見方のほうがstraightforward自然ですね。
 
気持ちないし感傷sentimentsを見ると、マチルダと船とどちらがよりつれないかということになりますね。
マチルダとすると捨てられたネッドに視線が行ってますね
船とすると、一見するとネッドの感傷と傷心にオブラートを掛けたものとなりそうです。
マチルダは髪を引かれる思いでウィットビーを去ったかもしれないとして、ネッドにも辛さを隠してやせ我慢させろことで後半の自暴自棄がさらに対照的なものになるようです。 
となると、マチルダとすると自然の感情を採り、船とすると詩的技巧としてのコントラストを採ることになるでしょうか。 
 
というのが最初の2行ですね。
 
HildaのSheとマチルダのSheとを読み分けているよ〜♪ということを
示すのに「あの子の名前は マチルダ」とするのも1つの手かもしれませんね。
 
ヒルダ号で あの娘は行っちゃった
 ウィットビーには もう居ないのさ
あの娘の名は マチルダといった
 僕の心を捕らえた娘さ
 
「娘」にルビを振れるといいんですけどね・・・。
 
では、また・・・。
 
編者追記
いろいろご教示有難うございました。Lostも色んな響きのあるものですね。Lostとには失って(なくなって、見えなくなって)淋しいと言う気持があるような気がします。そう言えば、「ミッシュマッシュNo.7」の私の駄文もThe Lost 'Adventures'でした。
最後の訳詞はarsさん特有の押韻で、以前、ファンタスマゴリアを訳しておられたときもこれでしたね。
HPが消えて今は読めなくなって残念です。


ご意見をお寄せいただいき有難うございました。 
いつの日かウイットビーの199階段を登って見たいものです。 宮垣 弘

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