不思議の国より不思議な国のアリス
短評「コンピュータの向こうのアリスの国」

   「コンピュータの向こうのアリスの国」

       稲木昭子、沖田知子著 英宝社 2002

この本との出会いは、「アリスの物語」の中の表現 thought Alice to herselfについて、稲木昭子先生にお尋ねした所、即座に27の用例を送ってきてくださったことには始まります。その日のうちに、先生の著書を求めて、池袋へ行きましたら、幸いにも、淳久堂に、この本の在庫があり、むさぶるように、一気に読みました。

この本には。次元の異なる2方面のメッセージがあります。

一つは、コンピュータを利用して、作品を分析する具体的、実践的方法を示していること。
もう一つは、その方法を用いた「アリスの物語」の分析です。
両方について感想を書いておきます。

1.作品分析へのコンピュータの利用

研究者にとってはもはや珍しくないのかも知れませんが、素人の私には、衝撃でした。ある作品がシェイクスピアのものかどうかの判定にコンピュータが用いられた等の話を聞くことがあっても、実際の分析の例はこれが初めてです。「アリスの物語」を先ず、コンピュータの処理しやすい形にし(コーパス化)、ワードスミスというソフトウエアで分析するというのが、この著者の取られた方法ですが、その分析の過程と結果を見ると、驚嘆せざるを得ません。ある単語の出てくる文章の摘出(コンコーダンス)だけでも、その威力は計り知れないと思いました。研究者の能率はこれによって、一挙に変わると思えるほどです。私のような晩学の者が、しょぼしょぼした目で、ある語句の用例を探す苦労を一挙に解決してくれるでしょう。

勿論、著者も述べておられるように、果物に喩えると、色・形・栄養などの数量的分析などはできるにしろ、作者の意気込みや、味そのものはコンピュータの及ぶ所ではないのは当然のことです。どのように作品を味わうかの視点がなければ、手も足も出ないことは言うまでもありません。中国の古典や聖書、シェイクスピアに良いコンコーダンスがありますが、あるレベル以上でないと何の役にも立たないのと同じです。

しかし、得るものがあれば、失うものがある訳で、失うものも結構大きいと思わなければなりません。それは、例えば、小川で、手づかみで泥鰌や鮒を取って楽しんでいる所に、河を堰きとめ、ポンプで川の水を全部掻い出して、泥鰌や鮒はおろか、うなぎもヤゴもタニシも一切合財、全部浚えるようなもので、効率は良いですが、手づかみのあの楽しさは永遠に失われてしまいます。他の例を挙げれば、一歩一歩、自分の足で登る所に登山の醍醐味があるのですが、いきなりヘリコプターで頂上に至るようなもので、苦労がない分、感激の質が全く異なってします。

作品を味わう行為も、手づかみの魚とりや、山登りに似たところがあって、一つ一つ味わいながら、やっている内に、そのノウハウや醍醐味を掴んで行き、蓄積された何ものかが、ある日、突然結びついて、得も言えぬ喜びをもたらすもので、また、このことによって、人は成熟すると思うのですが、そうしたものが失われてしまうと思います

とは言うものの、航空機や新幹線ができてしまうとそれに乗らないのは馬鹿げているように、コンピュータを使わない手はないと感じました。徒歩の楽しさを残しながら、たまには、航空機や新幹線にというのが現代的なのでしょう。

その点から、欲を言えば、CD―ROMにコーパス化された「アリス」と検索ソフトが付録についていたらとどんなに良かったでしょう。

2.「アリスの物語」の作品の分析

良い包丁があるからと言って、良い料理ができる訳はありません。いかに作品を分析するかは、著者の料理人としての腕前そのものです。素人の私には、プロの方を論評する力はありませんので、読後感の一部を書くに留めます。

いちいち物的証拠?を挙げての論考なので、終始頷きながら読むことになりました。未読の方のために、面白い例を挙げますと、「変な、変わった」を表す「不思議」語の分析です。具体的にはqueer, odd, strange, curiousという語ですが、先ず章別の頻度から始まり、アリスの身体変化との関連が分析され、最後に、アリスの気持ちの上で、queerは受け入れにくいマイナス・イメージの「変な、変わった」であり、curiousはプラス・イメージ、つまり、積極的に受け入れる、肯定的な「変な、変わった」感じを表しもので、アリスの態度の変化に添って、使い分けられていると論じられます。コンピュータのデータを巧みに使ってあるので、成る程と思う以外にありません。

全編殆どがそんな例でうずまっているので、アリスを学校で教える人は、これから、これらの分析を無視してはやれないのでしょうか?(幸か不幸か?)

「不思議の国」と「鏡の国」のパラレリズム(対称性というのでしょうか?)の解明もこの本のテーマの一つであるのです。最後に、その一部を、著者のキーワードを拾って、順不同ですが、示しておきます。

不思議の国

鏡の国

Wonderfulな世界

Curiousな世界

自由奔放

用意周到

上下動

水平動

身体の変化

非対称性

無秩序から秩序へ

秩序から無秩序へ

招かざる客

飽くなき探求者

おかしいのにまとも

まともなのにおかしい

 メタファーの世界  メトミーの世界

どんな局面で著者がそう書いておられるか楽しみに読んでください。

これらについての私の考えは「不思議の国より不思議な国のアリス」の終わる頃、明らかになると思いますが、それまでに、立ち返り、この本のお世話になることでしょう。

附;「アリスの英語―不思議な国のことば学」

稲木昭子、沖田知子著 研究社 1991

図書館で借りて、ざっと読んだ感じですか、「コンピュータの向こうのアリスの国」と、コンピュータの利用という点を除くと、多くの点で、同じことが書かれているのに驚きました。著者の作品の理解が急に変わるものでないので、当然と言えば当然ですが・・・

2つのことが考えられます。

A.「コンピュータの向こうのアリスの国」は「アリスの英語―不思議な国のことば学」のコンピュータ利用という楽屋裏を、後進のために示したものである。

B.「アリスの英語―不思議な国のことば学」の後でコンピュータの利用を始め、そのツールを利用して、前説を検証しながら書き進めてのが「コンピュータの向こうのアリスの国」である。

あるいは、2つの本は対象とする読者が異なるかもしれません。
私としてはCuriousなことですが、もう一冊の「アリスの英語2―鏡の国のことば学」も読んでみることにししましょう。

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