「不思議の国より不思議な国のアリス」           
ハートの女王(4) The Queen of Hearts(4)


中山克郎さんにその訳詩「ハートのクイーン」の全文引用のお許しと原詩の出典をお尋ねしようと、2つの線でたどって行きましました。一つは、「もうひとつのマザー・グース」の出版元、東京布井出版の上野幹夫さんからたどり、もう一つは、中山さんが東レの後、先生をしておられたことから、学校を当たることでした。こまかなことを略して、結論を書きますと、上野幹夫さんは別の出版会社におられて、中山さんに連絡を取ってくださいました。学校のほうは東工大大学院の講師をしておられることが分かり私のメールがをご本人に転送くださったました。これらの心やさしい方の介在があって、ご本人からのお手紙が届き、直接やり取りできるようになりました。

まづ、訳詩「ハートのクイーン」の全訳を掲載するこ同意を得ることでき、このHPの「ハートの女王(2)」には全文引用を載せております。
もう一つの原詩の出典ですが、別のところに保管しておられる蔵書をチェックしてくださり、中山さんからご連絡をうけた本は、意外にもオピーのThe Puffin Book of Nursery Rhymesでした。オピーはThe Nursery Rhymes Book の方は見たのですが、辞書にあるとおりの標準形でしたので、ついPuffinのチエックを怠っていたのです。これなら私も持っているの*1を取り出してみるとThe Queen of Hearts and the Stolen Tarts という題で中山訳原詩が出ています。灯台下暗しとはこのことです。
有難いことに巻末にノートが付いていて、このライムの出所が分かります。(同書200ページ)
ご参考のために訳出しておきます。

「『ハートの女王と盗まれたタルト』 この物語は、ブラザー・シャイン著『ハバードおばさんと古い友達たち』から採った。この本は我々所蔵の300のナーサリー・ライム・ブックの中でも最も古風で美しいものの一つである。1860年ごろに作られたもので、その頃は出版社はゆとりがあったので、各ページに大きな挿絵を入れ、それぞれに手書きで彩色しており、頬はばら色、ドレスはロイヤル・ブルー、王冠は黄色、カーテンは一つは紫、次のは最高の緑暗色と色に使い惜しみをしていない。Pauline Baynes*2は元の挿絵を物語を素晴らしい形で再現している。テキストはあちこちで洗練化の必要があった」

ここで、最初に触れた1840年ころの版http://www.cts.dmu.ac.uk/AnaServer?hockliffe+111551+hoccview.anvと比べておきます。
テキストはほとんど同じですが、全部で84行のうち、17行に違いが見られますが、ほとんどが軽微な違いで、前掲のオピーのノートに「テキストはあちこちで洗練化の必要があった」を意味するのかもしれれません。実質的な違いは、たとえば、中山訳では3連目3行目から

キング ハッスル    座をとりもてば
クィーンいそいそ    パンを切る
スープに魚に      ごちそういろいろ
笑いさざめき      舌つづみ
終わりに出てきた   プラムのプリン
まるでこれでは     クリスマス

1840年ごろ版では、(中山流に訳すと)

キングは下手(しもて)に 座をしめて
クイーン上座で       世話をする
スープに魚に       ごちそういろいろ
すべての料理が     かたずくと
終わりに出てきた    プラムのプリン
まるでこれでは     クリスマス

があるくらいです。ちょっと問題ななのは、収録の原本の段階では1840年ごろ版そのものなのか確かめようがありません。この洗練化を、もし、Puffinに入れる際、オピーがしたのなら、余計なことをしたものです。原本に接するまでこの問題は保留にします。

次に挿絵ですが、Puffinの挿絵は彩色の跡が見えませんから、ノートで言っているものとは別のものであると思われます。「Pauline Baynesは元の挿絵を物語を素晴らしい形で再現している。」とありますから、ポーリン・バイネスが転写したものなのでしょう。Puffinの挿絵は4葉しかありませんが、1840年ころ版と同一と言いたいほど似ています。ということは、1860年頃のPuffinの原画は1840年ころ版と同じか、そっくりのものであることが分ります。

何れにしろ、これから分かることは1840年頃のNew Story of the Queen of Heartsは、その20年後のブラザー・サンシャインのThe Queen of Hearts and the Stolen Tart(中山訳原詩)にテキストも挿絵も殆どそっくり引き継がれていると言うことです。
つまり、リデル・アリスの少女時代には、「ハートの女王」がかなり安定した形で、丁度、『桃太郎』『一寸法師』の絵本のように、物語絵本の『ハートの女王』がが子供たちの部屋にあったと考えられます。

これまでのところをもう一度まとめて見ます。

1.『不思議の国』の後半、特に11章「だれがタルトを盗んだれか?」は、ハリウエルなどのナーサリーライムの集成本(標準形)に準拠しているではなく、ルーツは同じであるが、物語絵本を前提として書かれたものであると言うことです。

それは物語絵本には
@タルトを誰が盗んだかの王の詮議(裁判)がある。
  『不思議の国』10章の終わりで、遠くから「裁判が始まる」と声がして、アリスが「何の裁判?」と聴きますが、グリホーンはそれに答えず、「さあ、行こう」とアリスを誘います。次の11章の裁判のはがまさしく物語絵本の王の詮議にあたります。
A起訴状として白兎が読み上げるライムは物語絵本系のものです。
B裁判は王の主導で行われます。
Cハートの女王は死刑を要求しています。

2.ハートの女王は本来心やさしい女王のイメージが物語絵本で浸透しており、、キャロルはこれを逆手にとってパロディー化したと思われます。キャロルによってこの「ハードの女王」は有名になったとされるが、後にも物語絵本系の本が出ていることから、独自の生命を持って、これは現在のダイアナ妃を「ハートの女王」とされるのにとつながています。

3.藤野紀男先生の調査で、ハリウエルの3版(1844年)だけでなく、4版(1846年)にも「ハートの女王」が出ていることから、オピーの辞典で、「奇妙なことに後の版(4版以降のこと)は省略されている」という記述は誤りであり、それを踏襲するベアリングールドの記述も同様。さらにベアリングールドはキャロルが標準形を少し変えて使っているといっているが、キャロルが使ったのは物語絵本とすれはこの記述はおかしいことになります。さらに、このライムが有名になったのはキャロルの所為としているが、物語絵本を無視した発言ではないかと思われます。マーチン・ガードナーはベアルングールドに拠っていて同罪のような気がしますし、物語絵本系に触れていない点不十分な記述と思われます。

『不思議の国』の書かれる直前に出版された、The New Story of the Queen of Hearts, illus. George Cruikshank, c.1860,は「マザーグースの世界展」図録で、表紙を見ることができますが、内容はまだ見ておりません。何れの日か出会うことでしょう。その時は又ご報告することにしましょう。

06・5・29

これまで話題となった中山克郎さんですが、今日,私の勤め先まで、わざわざ来てくださり、お会いすることができました。マザーグースを愛する者同士、しかも、同じ神戸出身とあって、すぐ打ち解け、いろんな話をしてくださいました。ご専門は高分子化学で、東工大、早稲田、法政、などで教えておられるのですが、マザーグースや言葉遊びの話をなさる時はまるで少年のようでした。特に、詩の韻律、ノンセンスについてのお考えには大いに共鳴いたしました。
「もうひとつのマザー・グース」発刊当時の書評など*3見せていただきましたが、その中で平野敬一先生は次のように述べておられます。*4
「・・・谷川俊太郎訳マザー・グース以降で特筆すべき成果を挙げているのは『もうひとつのマザー・グース』(東京布井出帆昭和53年)を世に問うた中山克郎氏であろう。マザー・グースが英米で幼児にも愛好される最大の理由は、その口調のよさ、すなわち、ユーフォニーによる。必ずしも内容のナンセンス性とか、とぼけた味わいがもてはやされているわけではない。この原詩のユーフォニーに近づくのに最も成功しているのが、私見によれば、この中山訳である。・・・」
この裏には、中山さんが、言葉遊びが大好きで、地口、パロディーなど沢山の作品があり、(このことはここでは省略します)しかも、それそれが日本語の伝統を踏まえたものであるなど、長年の修練の賜物だと思います。理系で言葉遊びが好きという点で大変キャロル的な方と思いました。お土産にSONGS FROM ALICE*5をいただき、これから何年ぶりにか上野さんにお会いになるという中山さんとお別れしたときは、「ハートの女王」もなかなか素晴しい計らいをしてくれたものだなーと思ったことでした。

06・5・30

中山さんから戴いたSONGS FROM ALICEはDon Harperという人が「アリスの物語」でてくる詩に総て曲をつけているのですが、「ハートの女王」のライムにつけられた曲の楽譜を友人の古市靖夫さんにお送りして音を再現していただきました。ここをクリックしてください。

06・6・3


*1 私の手持ちのもの:The Puffin Book of Nursery Rhymes gathered by Lona and Peter Opie with lillustrations by Pauline Bayne Puffin Books 1973 (初版1963)
*2 Pauline Baynes(1922〜)はナルニア物語りなど多くの作品に挿絵を描いている。
*3 毎日新聞(夕)1981.11.27 日本経済新聞 1982.11.13  「翻訳の世界」1981.12?
*4 『月刊言語』1984.6 p42〜 大修館
*5 曲:Don Harper 挿絵:Charler Foikard (1921版のものを再録) Adam & Chrles Black 1978年
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