不思議の国より不思議な国のアリス     
公爵夫人の教訓 Duchess' morals

 家の中は無茶苦茶で、赤ん坊も乱暴に扱う公爵夫人ですが、教訓が大好きでした。

「みなが自分ことだけを考えて、ひとのことに口出ししなけりゃ、この世は今よりずっと上手く行くものを」は公爵夫人の教訓第1号ですが、これなどは、日ごろ他人のお節介で、色んな雑事の巻き込まれる私には大いに納得のいくものです。3章あとの第9章で沢山出てきますが、公爵夫人が自ら「Moral教訓」と銘打っているものを読者のために一括ここに掲げておきます。

「そうだろうと思われるようなものでありなさい。」(注1)

「類をもって集まる」

「愛だ。愛だ。世界を動かすのは」(注5)

「意味を考えれば音は付いてくる」

「私のものが多くなれば、君の方は少なくなる」

 これだけでは面白くないかもしれません。どういう事柄からどんな教訓を引き出すかが問題ですから。公爵夫人は「すべてのことには教訓がある。見つけることができればの話だが」`Everything's got a moral, if only you can find it.'と言っています。

しばらく、moralのことを考えて見ましょう。
文学史上「不思議の国のアリス」が画期的な意義を持つこととしてよく言われていることは、子供の読み物の中から、moralを解き放して、純粋に楽しみだけのものにしたよく言われています。(注2)

 ここでいうmoralとは何でしょうか?道徳的、品行方正な行動を強いるような義務とか規範なのでしょう。ヴィクトリア時代では、福音主義運動の盛り上がり、社会改良思想の普及を背景に、社会上、宗教上の厳しくmoralを要求する風潮があったとされます。大人は勿論、子供たちにも強くmoralを求めた時代のようで、子供の読み物はmoralを教えるために書かれていたのでしょう。「不思議の国のアリス」は子供たちからこの縛りから解き放ったという訳です。

moralは教訓、倫理、道徳、寓意、と言ったものから、格言、諺、原理、原則、条理、定理、ルールといった物を含む大変広い概念を持っていますが、私がこれから取り上げたいのは、詩や物語の末尾にわざわざMoralとして付け加えられるものです。

 たとえば、「赤ずきんちゃん」のお話はペローの童話集の中から、やがてグリム童話に収録され、広まるのですが、最初のペローの童話集に、各編に教訓が付いています。「赤ずきんちゃん」の場合は次のようです。

教訓:
これでおわかりであろう、おさない子どもたち、
とりわけ若い娘たち
美しく姿よく心優しい娘たちが
誰にでも耳を貸すのはとんだ間違い、
そのあげく狼に食べられたとしても
すこしも不思議はない

(以下10行略。  新倉朗子訳 岩波文庫)

教訓といえば誰もが思い浮かべるイソップ物語は,それぞれの物語の末尾にその教訓をまとめていますが、Sir Roger L'Estrangeによって1692年翻訳されたものには,末尾にMoralとReflection が付いています。イソップの他の翻訳にも訳者特有のMoralが付いていたようで、どんな教訓をつけるか楽しんだ風にも見えます。それほどに、教訓が蔓延していたと考えられます。

 一見、ナンセンスのようなナーサリーライムも古いのものにも(注3)Moralが付いています。たとえば

Heigh, diddle, diddle,
The cat and the fiddle,
The cow jumped over the moon;
The little dog laughed
To see such sport,
And the dish ran away with the spoon.

えっさかほいさ
ねこにバイオリン
めうしがつきをとびこえた
こいぬはそれみておおわらい
そこでおさらはスプーンといっしょにおささばさ
(谷川俊太郎訳)

Moral:;笑った犬は小物の犬に違いない。大物の犬はこんなノンセンスのことを見て笑うのを恥と思うだろう。。

前章で挙げた子守歌;Hush-a-bye, baby, on the tree top,もこんなMoralが付いています。
Moral:これは誇り高く野心的な人間に、高く昇りすぎると、結局は墜落してしまうということを警告しているのかも知れない。満足は触れるものすべてを金に変える。

Dickery, dickery, dockではMoral:歳月人を待たず
 ABCの歌を含めすべてに教訓が付いており、「すべてのことには教訓がある。見つけることができればの話だが」という公爵夫人のような人物がいたようです。

「不思議の国のアリス」の2年前に出版されたキングスリィーの「水の子」には随所に「坊ちゃん嬢ちゃん・・・・してはいけませんよ」式の教訓が出てきますが、最後の締めとしてMoralが出てきます。原文は40数行ありますがその一部を掲げておきます。

Moral: さて、可愛い坊や、この例え話から何を学んだらいいかな?37か39あると思うんだが、私には正確なことはわからない。唯一つ、少なくとも学んでいいことは次のことだよ。――もし、池でイモリを見つけても、決して石を投げてはいけないということ。・・・・というのは、イモリは実はね、勉強せず、体も洗わない、馬鹿で汚い水の子なんだよ。・・・・・・最初に話したように、これはみんなおとぎ話で、冗談とこじつけなんだから、信じてはいけないよ。それが例え本当でも。」
こうなるとMoralが既にユーモアの対象となっていることが分かります。

このような環境にあって、はキャロル自身もMoralに特別な思いを持ったのは言うまでもありません。
13歳の時の詩はMoralが付いています。題名とMoralのところを取り出してみます。

My Fairy 僕の妖精 Moral: You mustn't.. 教訓:汝・・・すべからず。

Punctuality時間厳守

Moral:
Let punctuality and care
Seize every flitting hour,
So shalt thou cull a floweret fair,
E'en from a fading flower

教訓
心して時間を守り
過ぎゆく一刻を掴め
あせゆく花から
美しき花びらを摘みとるために

Rules and Regulations 道徳的処方箋 Moral: Behave. 教訓:行儀を守れ。
Brother and Sister兄弟姉妹  Moral:: Never stew your sister  教訓:妹をシチューにするな。
(最後を除き高橋康也訳 注4)

 私はキャロルが事象から原理、原則、真理を抽象して、短く表現するmoralを大変好んだのではないかと思います。このことはこの初期の詩に伺えるだけではなく、汽車ごっこのルールを作ったり、彼の専門の数学、論理学もまさしくそのような性質のものだからです。色んなモラルが引き出せるから愉快なので、そのことを含めて好きだったと思う。

このようなことを背景にMoralを考えますと、キャロルも幼少の頃からMoralに馴染み、これを好み、また、冷やかしの態度を取れるほどゆとりを持っていたと思うのです。これは現実のアリスたちも同じだったのではないかと思います。耳にタコが出来るほどMoralを聞かされると子供たちもこれを茶化したくなります。大人たちもMoralをユーモアの対象としたことでしょう。だから、公爵夫人の「その教訓は・・・」という台詞が面白いのです。.

 「アリスの物語」からビクトリア朝的道徳、教訓を引き出すことは難しく、Moralを物語から追放し、面白さだけの世界へ導いたことは確かです。しかし、そのような世界をどう作ったかといえば、多様なmoralを提示し、特定の価値を相対化し、場合によりノンセンスの領域に引き入れることによってです。ここに登場するキャラクターはそれぞれが自分の目から教訓を引き出して生きています。公爵夫人の「すべてのことには教訓がある。見つけることができればの話だが」は更に「1つのことから様々な教訓が引き出せる。立場を変えれば」となるはずです。

キャロルもそう考えて描いたのがこの物語のような気がします。その目から見ればアリスは単細胞的で「お前はものを知らないね」(公爵夫人)と言われても仕方がなく、そのことを思い知らされることが続出するのがこの物語といえます。

大変醜くて、末路も幸せと思えない公爵夫人ですが、私は彼女のmoral論には、味わうべき真実があるように思います。


 注1:これは、公爵夫人自ら説明しているのですが、原文は--"Be what you would seem to be"--or, if you'd like it put more simply--"Never imagine yourself not to be otherwise than what it might appear to others that what you were or might have been was not otherwise than what you had been would have appeared to them to be otherwise."大変長く、アリスが書いてもらわないと理解できないと言っています。
つまるところ何を言いたいのかあなたも考えてみませんか?
私は、ヴィクトリア時代の典型的な価値基準、respectabilityを表しているように思うのですが・・・・(「イギリス近代史」村岡健次・川北稔編著 ミネルバ書房 2003 p182〜))

注2:例えばOxford Companion to English Literature Margaret Drabble 1990

注3:マザーグース・ファンにはお馴染みのことですが、英国伝承童謡ナーサリーライムが「マザーグース」と呼ばれるようになったのは、ペローの童話集が発端です。その本の扉絵にガチョウおばさんのお話という言葉が見え、これが英訳されてMother Goose Tales という本になったそうです。そのタイトルが親しまれていたので、1765年頃、Newburyが51のナーサリーライムを出版した本にMother Goose Melody というタイトルつけました。この51のナーサリーライムにはすべてMoralが付いています。アメリカのIsaiah Thomasという人がその海賊版に出ていてそれがもとで、アメリカでは「マザーグース」という名が定着したと言われます。

注4:「原典対照 ルイス・キャロル詩集」高橋康也、沢崎順之助訳 ちくま文庫1989

注5:ガードナーが詳しい注を付けているが、キングスリーの「水の子」2章にもフランス語で出てきます。当時の流行歌だったのでしょう。

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