「不思議の国より不思議な国のアリス」
アリスのアイデンティティ (2)
私はAlice

Thy name is Alice.

アイデンティティの一つの砦は名前です。

「鏡の国のアリス」の名無しの森には入って、自分が誰だったか思い出そうとしますが、名前が出てきません。

「不思議の国のアリス」2章で、ひょっとしたら,エイダやメイベルではないかと点検するところがありましたが、もし、自分がアリスでなければ大変なのです。名無しの森では名前という手がかりが失われます。

我々は人から自分の名を呼ばれ自分のアイデンティティを自覚することが多く、我々が自分の名前を呼ばれて普通気持ちが良いのは、他から自分のアイデンティティを確認してもらっているからです。時には、自分で自分の名前を呼ぶことがあります。先ほどの「ハウルの動く城」のソフィーがそうでした。アイデンティティの危機に直面した時です。

「アリスの物語」では、アリスはハートの女王からとハンプティ・ダンプティに名前を聞かれています。ところが、アリスはだれからも「アリスちゃん」と呼びかけてくれません。こんな童話はこれもまた珍しいのではないでしょうか?犬だって猫だって毎日、名を呼ばれるというのに。ですから、小鹿と出会う名無しの森でほっとするのは、この問題を忘れることが出来るからです。

ハンプティ・ダンプティは変わっていて、アリスが自分の名を言うと、彼は「アリスってどんな意味なの」と切り込んできますから、アリスにはお手上げです。アイデンティティの標識として、意味がなくてもかまわないのですが、親はある願いを込めて名付けますから、意味がないともいえないのです。私もアリスに親しむうちに名前としての「アリス」の意味にも興味が出てきました。シェクスピア時代には庶民的だったAliceもヴィクトリア女王の3子にAliceがつけられたところから、わが主人公アリスもこれにあやかったのかもしれません。
(愛ちゃんといえばありふれた名前ですが、内親王「愛子」妃ともなればまた値打ちが違うと言うものです。)

外国人が帰化するとき名前を変えます。中国人のように変えなくともいい場合でも変える人がいるのは、アイデンティティを変えたいという気持ちの表れと感じます。名前を単なる符丁化して、N氏、O氏とした星新一のショートショートが今ひとしっくり来ないのはこんな所にあるかもしれません。

12章でアリスが他人事のように眺めていた裁判の場で、証人として喚問されます。
「アリス」
と、いきなり、白兎に名を読み上げられた時の驚きを想像して見てください。(とキャロルは書いています。)これによって、何かする主体のアリスが呼び出されます。

宮崎駿の「千と千尋の神隠し」ではこの問題を大きく取り上げられています。千尋もそうですが、ハクも自分の名が思い出せない。アイデンティティの回復を名前の取戻しという形で展開しているといっていいくらいです。

お前は誰か?という難しい問題も自分の名前を言うだけで取りあえず回避できます。あなたも名前があってよかったですね。
自分の名前が思い出せないときはどこかおかしいと思ってください。

最後に、Aliceにとって悲しいことがあります。それは日本ではアリスのことをarisuと書くことです。外国語―カタカナ―ローマ字という過程でそうなるらしいのですが、もうそこにはAliceはいない感じです。RLの区別がつかないお国柄です。Hamletはhamuretto?? こんな国に住みたくありません。ロシヤでは紆余曲折あってAlisaに落ち着いたようですが、これが許せるぎりぎりのところでしょうか* というのは、名無しの森でアリスが自分の名を思い出そうとしたときLを手掛かりしているからです。

名無しの森を出て、アリス「まあ、自分の名前がわかって見れば、ちょっとほっとしたわ。AliceAliceー この名前、二度とわすれないはわ。・・・」

*『翻訳の国の「アリス」』楠本君恵 未知谷 2001年
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★この世で大切な名前ですが、あの世では余り重要性がないとのことです。それは霊媒を通して霊を呼び出したした際、霊は他のことに比べ名前を思い出すことが困難なケースが多いとコナン・ドイルは書いています。(「コナン・ドイルの心霊学」近藤千雄訳 新潮選書  p116ー )

★年を取ると名前を思い出せないということがしばしばあります。その人の癖やその人のやったことなどよく覚えているのですが、名前が出てこない。有名な俳優から身近な人まで広範囲に及びます。そのことについて、イメージと単語を記憶している場所が異なることを、生命科学者の柳澤桂子さんが「図書」岩波書店2005年4月号に書いておられました。
私は、単語の中でも名前や、固有名詞は更に記憶する特別なところがあるのではと思っています。
(2005・4・10追記)