まざあ・ぐうす マザー・グース
        楠本君恵 著

            未知谷 2010


 日本のマザー・グース・ファンは、英米のファンの2倍の楽しみを持っています。それはオリジナルのマザー・グースと和訳、翻案されたマザー・グース両方を楽しめるからです。
 このような状況を作り出した最大の功労者はなんと言っても北原白秋だと思いますが、この本はその白秋から始まり、夢二へと日本の話題を拾い、マザー・グースの生命力の秘密をその柔軟性や韻律に求め、様々な訳詩も使いながら述べています。後半は本場イギリスでの姿を描き出していまので、和洋両方を響かせたタイトルがになっているのです。

 各章とも力作揃いの小論文で、マザー・グース学の様々な鉱脈に鍬が入れられ、調査、思索されている姿が伝わってきて感動します。

 第1部第1章 「白秋とまざあ・ぐうす」は、巨人、白秋を西條八十、鈴木三重吉とのかかわりと対比で、その本質と魅力を見事に描き出しています。白秋の持つ詩歌、言語への鋭い感覚、表現力と日本土着のわらべうたへの強い愛着(断絶への危惧と継続への強い願い)、この二つに、著者が深い共感を感じていることが文章に表われて、そんな著者に私も共鳴します。
「赤い鳥」など雑誌出版ともなれば、経営問題が生じますし、詩人たちは生活しなければなりません。「お山の大将」から始まったこの章は、そんな世俗の荒波にもまれ、野望と確執を抱いて生きていった人々の夢の跡を歌うかのように、「お山の大将」で閉じられています。この章を読むためだけでもこの本を手にする値打ちがあります。
 第2章では、白秋より早く、マザー・グースを導入した竹久夢二を取り上げ、翻訳か創作か分からない作品の中からマザー・グースを取り出し、楽しんでいます。丁寧に読んでいて、「つむじまがり」の翻訳が上手いと指摘されると、なるほどと思ってしまいます。著者には「不思議の国のアリス」の日本での受容史、翻訳論をまとめた『翻訳の国の「アリス」』という名著がありますが、明治、大正、昭和の児童文学の文献も広く収集、研究されておられるので、マザー・グースの受容史についてもまだまだ書きたいことがあることと思います。

 第3章は世代から世代へと受け継がれるマザー・グースの秘密の一つを、「確固たる存在感を持ちつつもけっして自らをかたくなに主張し続けないマザー・グースの柔軟さ、寛容さではないかと捉え」、いくつかのマザー・グースに楽しい考証を加え、訳詩も含めて社会や時代を反映せる姿を見ています。そして、マザー・グースの生命力のもう一つの秘密である韻律問題を述べた第4章と続くのです。韻律を訳詩者がどれをどう扱うか、「訳詩の醍醐味」を、素晴らしいサンプルを掲げています。中山克郎訳を取り上げているのにも共感を覚えます。マザー・グースの生命力はアングロ・サクソン系の英語によって民族の魂に根差しているように、日本人の情緒に訴えるには、訳詩も大和言葉によらないと魂に触れないことを、渡辺茂氏の言葉を引用しながら述べています。そして「訳詩に生命を吹き込むために、マザー・グースの翻訳家がまず無視することが許されるのは、「訳の正確さ」ではないかと思う」と言い放つくだりには、思わず膝を打ってしまいました。

 第2部はがらりと変わり、第1章では現代のイギリスの、階級性を強く意識した『マザー・グースがケーブル通りにやってきた』を取り上げ、余り指摘されなかった、伝統的なマザー・グースにも潜む階級性、差別問題にメスを入れます。マザー・グース=子供部屋の唄といった甘ったるい感情は一掃され、厳粛な社会問題へと向かう著者の筆には思わず強い力が込められているようです。
 マザー・グース・ファンにとって、本場イギリスでどんなものが、どの程度流通しているのか、知りたいところですが、第2章では、著者が実地に行った結果を、そのプロセスを含め詳細に書いています。文献を読むのとは違ったご苦労と多大な時間を要したことでしょう。それだけに貴重な資料と思います。(下記*参照)それだけではなく、英国の教育の中にどんな形でマザー・グースを生かそうとしているかに及んでいます。大きな問題を提起しているので、英語先生だけではなく、国語の先生にも是非読んでもらって色々と議論をして欲しいものです。

以上が各章の雑駁な紹介ですが、「あとがき」は著者のマザー・グースへの接触の断面が生々と描かれていて面白く、、このような形で、著者自身のマザー・グース受容史を書いて欲しいと思いました。それはこれからのお楽しみ。

*私の目に付いた範囲で、実態調査としては、立命館大学の井田俊隆教授が『イギリス人のナーサリーライム温度 −本場イギリスの現状をアンケート調査によって探る ―』として報告しておられます。『マザーグース研究[』(マザークース学会研究誌第8号2008年3月)に掲載。

なお 同じ著者による『マザー・グースのイギリス』 訳書ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』の私の短評参照

宮垣 弘
2010・12・18


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