マザー・グースのイギリス
  楠本君恵 著

    未知谷 2010

マザーグース学会のSさんがメーリングリストで、「 『マザー・グースのイギリス』を読んでいます。一気に読むのが惜しくて少しずつ読み進めています。」との書き出して感想を寄せておられました。マザー・グースのファンがこの本を手にしたときに抱く想いを良く表しています。

一章一章に、ファンが驚くような発見が盛り込まれていて、思わず膝を打つような箇所が沢山あります。そして、この本の最大の特徴であり、類書に見られないところなのですが、小学校5年の子供さんを連れての英国留学時の経験を中心に、子供の母親として、マザー・グースの生きた現場から、生活の匂いを吸い上げて書かれていることです。
私のようにもっぱら本でマザー・グースに出会い、本の上でだけで楽しんできた人間には、この体験的マザー・グース・エッセイはたまらなく魅力があります。勿論、児童文学学者としての探求癖が随所に見られ、それも好ましい深みを添えています。

どこを採り上げても面白いのですが、第三話の「雨、雨、いっちまえ」を例にとりましょう。
まず、雨を嫌う子供たちが雨に向かって唱えるライム
  Rain,rain, go to Spain
  Come bace to anotherday
から始まり、そのバリエーションや謂れなど触れ、ここだけで十分楽しいのですが、雨の体験へと入っていきます。英国滞在の間もない4月、息子さんと友人のお嬢さんとデパートに行き、出ようとしたら雨が降り、慌てて雨傘を買って出たら,周りの人は雨の中傘を差さないで歩いており、差している自分たちは落ち着かない気分を味わいます。やがて雨は止んで居心地悪さは解消しますが、話は、変わりやすいイギリスの天気や西洋の傘の歴史や英国紳士のシンボルといえるこうもり傘に及びます。「にわか雨」の多い土地で、洗濯物を干すのは大変で、体験を重ねていくうちに、この雨に馴染んで行くさまは、主婦ならではのことです。『トムは真夜中の庭で』のフィリプ・ピアスさんに招かれたお茶会で、豪華メンバーに取り囲まれて、庭のテーブルでお茶を飲んでいると、にわか雨に会い、その時の大家たちの逃げ方が面白そうに描かれています。
イギリスの雨が穏やかなものばかりでないことは、7月、作家マイクル・モーバーゴ氏の農場体験に招かれた時に知ります。4日間のうち2日半雨だったそうで、雨を追いやる呪い唄は、こんな時のもなのだと著者はハッと気づきます。
8月「土砂降り」にも出会います。9月、雨の続く日、通学の子供たちを見て、白秋の「あめあめ ふれるれ かあさんが、じゃのめで おむかえ うれしいな・・・」の唄が浮かび、小学校時代への郷愁へ向かいます。その後、雨の増水で、牧草地が湖になっている光景にも出会い、下流のロンドンへ思いを馳せ、ごうごうと渦巻く濁流に、落ちては建替えられた「ロンドン橋」と至ります。最後は日本の雨の童謡やわらべうたに転じて、もうこれらが日本では忘れ去られようとしているのに、英国の子供たちは今もレ「レイン レイン ゴーア ウェイ カマ ゲインア ナザー デェイ」と唱え続けていると結ばれています。

このように、読者は著者と共にイギリスの雨をたっぷり体験し、日本の雨も思い起こさせてもらい、お陰で、雨のマザー・グースの味わいがぐっと深く心に入ってきます。

以上は29ページある第三話の、著者には申し訳のない程、雑駁な紹介です。沢山の事が盛られており、著者の穏やかな語り口で、直接お聞きくださいと申し上げるほかありません。

他の話のタイトルを掲げておきます。
  黒つぐみ、英国流味付け、夜の饗宴、犬が笑う、レディの国、イギリスりんご
それそれ好篇ぞろいで、私たちは、著者の幸運な体験と薀蓄のおこぼれをもらって、様々なマザー・グースを味わうと共に、著者のお人柄、生き様に触れて、豊かな読後感を味わうことになります。

最後に、私は常々、日本のマザー・グースの本が、日本の伝承童謡に触れてているものが少ないことを淋しく思っていましたが、このエッセイには、日本の童謡、唱歌、わらべうたが随所に引かれていて、その渇を癒してくれ、それらが失われ行くことへの愛惜には共感を覚えました。

装丁はイラストはひらいたかこさん。マザー・グースに親しんでこられた方からならではの絵柄です。
「マザーグース・ショーケース」「ディア・マザーグース」という画集があります。

宮垣 弘
2010・10・18

この記事はマザーグース学会会報 No.192 November 15, 2010に転載されました。

読書の愉楽・私の書評へ    Alice in Tokyo