シェイクスピア雑記帖

          ルイス・キャロルとシェイクスピア

英国人の大半がシェイクスピア・ファンなのかもしれませんが、「不思議の国のアリス」の著者、ルイスキャロルもそうでした。2人の関係を少しず明らかにしていきます。

「不思議の国より不思議な国のアリス」の中にあります。

   2005・6・10  宮垣 弘


  Mirror か Looking-glass か?       宮垣弘/高木登

今、私たちはリチャード三世を読んでいますが、一幕二場では、リチャードは、彼にその父と夫を殺害されたアンを、葬儀の棺を運ぶ途中で口説き落とし、得意絶頂の台詞をはきます。
Was ever woman in this humour  woo'd ?
Was ever woman in this humour won? 
< かってこんな気分にいる女が求婚されたことがあるか?
 かってこんな気分にいる女が口説き落とされたことがあるか?>
で始まり
俺もまんざらもてなくもない、Lookig-glassを買ったり、大勢の仕立て屋を雇っておめかししよう、と高揚していき、最後は
Shine out  fair sun, till I have bought a glass, 
That I may see my shadow as I pass.  
 <美しい太陽よ、光輝いておれ。俺が鏡を買って
   歩きながら我が姿を見るまでは>
で終わります。

鏡はハムレットの中の演劇論で、劇とは、いわば、自然に向かって鏡を掲げ、善は善として、悪は悪として、真の姿を映し出し、時代の姿を浮き上がらせる、のくだり、to hold, as 'twere, the mirror up to nature;(三幕二場)が有名ですが、シュミットで調べるとmirrorよりglassの方が多いようです。「鏡の国のアリス」ではThe Looking-Glassですから、キャロル・ファンでもある私には「鏡」ちょっと気になる言葉です。
(このことは別の所で書きますが)次の高木さんの文をお読みください。

★ 
looking-glass 「鏡」について

前回(2月26日)の例会の帰り道、いつものように宮垣さんと語り合いながら帰る道すがら、宮垣さんから、「鏡はなんで‘mirror’じゃないのでしょうね?」という疑問が出された。そのとき僕は「語調のためでしょう」と答えたのだが、そのこともあるだろうが、気になったのでちょっと調べてみた。

まず、‘mirror’については、この語は13世紀半ばからすでに「鏡」の意味で用いられている。14世紀の初めには「鑑」や「(人の)模範」という意味でも用いられている。シェイクスピアでも、『ヘンリー五世』の第2幕、コーラスの台詞に‘Following the mirror of all Christian kings’として出てくる。語源的にはラテン語の‘mirare’(=to look at)、‘mirari’(=to wonder at)からきている。

英語の本来語は(looking)glassで、1526年に「鏡」の意味で使用され、これは主として上流階級で用いられることが多い、と研究社の『英語語源辞典』では説明している。なお、‘glass’の語源はインド・ヨーロッパ語で‘to shine’という意味で、類語として‘glad’、‘glare’、‘glow’などがある。

ところで「鏡」の歴史は、古くは「水鏡」があり、続いて古代エジプトで発明された「金属の鏡」があって、「ガラスの鏡」は、15世紀ヴェネツイアで鍍錫法(としゃくほう)によって作られるようになって、各国に輸出された。ガラスそのものは、エジプト、メソポタミアなどの古代オリエントの文明が繁栄したところに起原をもっていて、ガラスは陶器の発達を媒介にして生まれた。ガラスは初期の段階では実用品よりもむしろ、宝石、貴金属に近いものとして支配者階級の愛好品に過ぎなかった(平凡社『世界大百科事典』参考)

鏡に関する伝説や信仰としては、「鏡は女の魂」とか魔物の正体を見破るような「魔よけの機能」があると信じられて、日本では神聖な神物として、三種の神器の一つにもなっている。また、顔かたちをなおす化粧道具から派生して「道徳の規範」という義にまで発展した。

‘looking glass’と‘mirror’をWebster’s Encyclopedic Unabridged Dictionary of the English Language で比較してみると、

◆ looking-glass] a mirror made of glass with a metallic or amalgam backing

◆ mirror]a reflecting surface, originally of polished metal but now usually of glass with a silvery metallic, or amalgam backing.

ということで、‘mirror’であれば「水鏡」であれ、「金属の鏡」であれ、「ガラスの鏡」であれ「鏡」の意味として広く使用できるが、‘looking-glass’は文字通り「ガラスの鏡」に限定される。

宮垣さんの素朴(?)で鋭いご質問のおかげで一つまた勉強することが出来たのはありがたいことです。

03・03・08


          のインターネット              宮垣 弘

4月24日の幕間のコンパで私はこんなことを申し上げました。要点を再現してみましょう。
                *****
私は間違ってシェイクスピアを読む会に入ってしまったのです。でも良かったことはシェイクスピアが最初の一行から面白いということでした。会員の皆様もそうですが、なぜ、面白いのでしょうか?それは、古今の傑作がそうであるように、一杯、隙間が空いていて、そこに、自分を投入することができるからです。伊藤さんや角田さんのようなベテランから、中学生にいたるまで自分をそこに見出します。
シェイクスピアをはじめとして、人は、どうして、お芝居が好きなのでしょうか?お芝居好きの高木さんにしろ、例えば、関場先生の漱石とシェイクスピアにしろ、いずれにしろ、架空(ヴァーチャル)なものを追っかけています。どうして、このようなものに、熱中するのでしょうか?私は長い間、このことを考えて来ましたが、ごく最近その謎が解けました。
野口慊三さんの「魂のインターネットを読んでいただければ分ります。
               *****
3分間スピーチでしたから、大体こんなことを申し上げたと思います。
答えを言ってしまえば、人間の存在が仮想であるということです。
シェイクスピア流に言えば:
        All the world's a stage,
               And all the man and  the woman merely players
               They have their exits and their entrances;
                                       As You Like It Act 2 sc7

同著についての私の寸評
02/04/28

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