情報技術(IT)革命日本語          宮垣 弘
                         
ロンドン通信43で鈴木さんの触れられている情報革命の問題は、私が日ごろ強く思っていることと重なりますので、少し述べてみます。(鈴木さんの文章を先に読んでいただくと話が分かりやすいと思います。)

1.日本のITの遅れ
  日本は、世界的に見ても、アジアの中でも下位にあることの認識が余りにも不足しています。それはITの技術的な、設備的なハード面の遅れだけではないのです。ソフト、特にデーターベースがお粗末なのです。例えば、シェイクスピアの作品は全作品を直ちにインターネットで見ることが出来ます。
http://web.uvic.ca/shakespeare/Annex/ShakSites10.html#toc3
http://zekscrab.users.50megs.com/Cummings/Shakespeare/index.html
それも何種類もあります。私は使いませんが、シェイクスピアの主要な文献もWEBで見えると思います。日本はどうでしょうか?岩波の日本古典文学全集くらいは注釈を含めてWEBで見れるぐらいでないと困るのです。万葉集や源氏物語が使いやすく整備されているでしょうか?シェイクスピアなら、小田島訳か松岡訳のいずれかで、訳文が簡単に見ることが出来、検索もやりやすいものがあって欲しいものです。
光ケーブルなど引いたりする投資の1桁も2桁も少ない費用でデーターベースは出来るはずです。

2.日本語の普及の遅れ
  日本語教師をしてみて、日本は余りにも日本語普及に意を用いていないかということが分かりました。戦前植民地を持った一時期は別ですが、日本の日本語普及に費やした努力は、イギリスやアメリカが英語の普及に費やした努力(金)の何百分の1にも及ばないのではないでしょうか?英語帝国主義といわれるぐらいですが、母国を愛することの延長とも取れます。日本はいま現在、海外からの留学生や働きに来ている人に対して、日本語を学ぶために、どれだけ援助しているかよく知りませんが、日本語のテキストは高い、日本語学校も高い・・・ことから判断して、十分なことをしているとは思えません。日本語教師をどんどん海外に出しているとも思えません。こんな状況で、日本のシンパがふえるはずがありませんね。アメリカやイギリスの学校のパソコンに日本語のソフトを入れるのは、大したお金がかかるわけではありませんが、そんなことを考えるが人がいません。
折角「かな漢字変換」などで、この複雑な文字のデジタル化に成功しながら、日本はこのままでは地盤沈下します。英語に乗り換えたらいう議論出てきそうです。明治維新にも第2次大戦後にも出ています。今や世界言語となった英語を習得するのは必須ですが、日本語を捨てる羽目にならないように、こちらも強化すべきだと思います。後進国支援や戦災のアフガニスタンの支援も大切ですが、日本かここ10年、足元の自分のために余りにもお金をかけていないという気がしてなりません。日本が後進国となってしまったらどうするのでしょうか?
02・01・24



映画
             ムーラン・ルージュ                    宮垣弘
                  Moulin Rouge

ロートレックのファンにとって、ムーラン・ルージュとあれば、見過ごすわけに行かない。この映画は、勿論、ロートレックも出てくるし、ムーラン・ルージュの内部も、フレンチ・カンカンも見ることができれる。万国博から持ってきたという象の建造物?もこんな形で使われていたのかとびっくりしながら見ることができた。
時は1899年から1900年に移ろうとする頃の話である。
貧乏作家に踊り子、パトロンとなる貴族。典型的なお話で、いたるところに、陳腐な映画手法も使われているので、玄人には物足りないかも知れないが、歌あり、踊りあり、「恋におちたシェイクスピア」に似た劇中劇の趣向が凝らしてあって、最後まで楽しめる。何よりもいいのは、純愛物語で、後味が良い。
シェイクスピアとの関係と言えば、監督が数年前。「ロメオ+ジュリエット」のバズ・ラーマン。それから、一度だけだが、シェイクスピアという言葉が出てくるので、シェイクスピアも是非ご覧ください。
02・10・06


映画              コレリ大尉のマンドリン             宮垣弘
                Captain Corelli's  Mandolin

「恋におちたシェイクスピア」のジョウン・マッデン監督が贈る<音楽に魅せられた兵士>の愛と人生の讃歌ーーとパンフレットにあります。映画好きのIさんのお勧めで見ましたが、楽しめました。
舞台はギリシャ。1940年イタリヤ軍が、ある島に駐屯します。そして後押しするナチ・ドイツ軍。戦下の恋。空爆のシーンは今のアフガニスタンが思いやられます。シェイクスピアとは直接関係が無いのですが、ギリシャ人もイタリヤ人もドイツ人も英語で話すので、シェイクスピア劇を見ている感じでした。お父さんをはじめ、脇役もよく、それに音楽が素晴らしい。
最近の映画では「蝶の舌」も戦争を背景としたもので、スペインの1936−40頃の政治や生活も分かり、映画らしい映画です。戦争はドラマを生みますが、映画や芝居の中だけにして欲しいものです。
01・10・16

映画の原作(作者Louis de Bernaierers)は1994年、イギリスでベストセラーとなり、国民の20人に一人は読んでいるといわれている。
この映画のことをアメリカ人のLさんに話したら、彼女は数ヶ月前に原作を読んで、大変感動し、その感動を壊したくないので、映画は当分見ない積りだと言っていた。映画は、原作の最初の200ページ当たりまでは出てこないらしい。原作が先か、映画が先か迷う方は、原作は400ページ以上あること、又映画のように音楽が聴けないことを考えると、映画を先にしてもいいのではと思う。
01・10・18追記

この本も映画も両方見たアメリカ人のEさんによると圧倒的に原作が良いとのことでした。口ぶりから、そうだろうな!と思いました。
01・11・06


MyBookmark6        The Wit of Sir Winston                宮垣弘
                  compiled by A,Sykes/I..Sproat  1965
Churchillのwitを集めたものである。例えば
All I can say is that I have taken more out of alcohol than alcohl  has taken outof me.
これなどは我が意を 得たりという言葉であるが、ウイットは背景を知らなければ分かりにくいものが多い。シェイクスピアは出てこないのだが、本の最後のページに((編者が入れたものかどうかはっきりしないのだが)
He is a man ,take him for all in all, We shall not look upon his like again --Hamlet Act1, Scene 2 とあって、これは我々も少し前に読んだ所なので、すぐ分かった。ハムレットが父王に関して「どこから見ても立派な人で、二度とあんな人には会わないだろう」と言っているところなのである。Churchillのことを指して用いたと思うのだが、実は、原文は I shall not ・・・で、We shall not・・・ではない。(そんな版は無い) こんな間違い起きる程、シェイクスピアがこの国に親しまれているのだろう。
01・9・25

Jokes 1                                            宮垣弘

Knock, knock !
Who’s there?

Desdemona.
Desdemona who ?
Desdemona Lisa still hang on the gallery wall.

Knock, knock !
Who’s there?

Despair.
Despair who?
Despair tire is flat.

Knock knok jokeという言葉遊びですが、集めれば何十万もあるといいます。

Knock, knock ! Who’s there? と言えばマクベス2幕3場の門番の台詞を思い出す人も多いと思いますが、この言葉遊びとマクベスと関係があるかどうか、知りません。シェイクスピア当時からあったとすると話が面白くなりますが、もし、ご存知の方があれば教えてください。

それしても、この種のジョークのうち,私が笑えるのは1- 2%ぐらいでしょうか? 我が語学力を示しているようで情けない気分になることもあります。   01・08・06


My bookmark 5                                                                                          宮垣弘

      中西信太郎「ハムレット −序説」研究社 1950初版1958 3

本書は「まえがき」に、昭和14年に発刊された前著の増訂版ともいえると書いてある。ゲーテからブラッドレーまでのハムレット観を概観した後、ハムレットの成立を伝説、キッドの「原ハムレット」からシェイクスピアの「ハムレット」と見ていく。内容、構成の分析、最後にドーバー・ウイルソンの「What Happens in Hamlet」とローレンス・オリヴィエの映画に触れている。初学者の私にはありがたい本であった。特に「原ハムレット」と「ハムレット」の比較が興味深かった。先行の演劇、当時の政治社会の状況から、「ハムレット」が生まれたのであるが、それをまた「原ハムレット」して、進化させて行ってもおかしくないのだと思ったし、現にそうなっているいる。もし、本来のシェイクスピアのハムレットがどうであったかを論じるなら、テキストを読み込むことも大切だが、演劇のみならす当時の状況をよく知らないとできることではないので、これは大変しんどい仕事である。シェイクスピア学者にはなりたくない。

01・08・03

 My Bookmaark 4                                      宮垣 弘

  Bruce Alexander Blind Justice  Berkley Prime Mystery 1995

鈴木真理さん

あなたの「ロンドン通信1」はSamuel Johnsonの有名な言葉、

When a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford.”

で始まり、以来、ロンドンの新鮮な香りを毎週私たちに送り続けて下さっていますが、この本には、この言葉も「ロンドン通信1」で触れられたJames BoswellもDavid Garrickも登場します。未だでしたら、ご一読をお勧めします。コナン・ドイルの流れを踏む正統派ミステリーです。

謎を追うのはSir John Fieldingと孤児のJeremyで、筋はミステリーの作法に従い、明かしませんが、二人はGarrick のMacbethを見に行き、幕が終わって、彼に会いに行っています。

調べて見ますと、Sir John Fieldingは歴史上有名な人物で、兄のHenry Fielding(トム・ジョーンズなど書いた作家)とロンドン警察の基礎を作った人です。やはり盲目だったそうです。この警察をBow Street Runners(Court)と言うことも知りました。しっかりと史実も抑えた作品のようで、楽しみながら、18世紀後半のロンドンの様子を知ることが出来ます。

The Life Of Samuel Johnson, LL.D(1791)を読まれた息子さんなら、きっとこの本を楽しまれることでしょう。(The Life Of Samuel Johnsonを入手しました。ペーパーバックで1400頁を越える大著で、当分積読です。)

 今年の東京は猛暑続きですが、毎週、ロンドンから爽やかな風が来るので助かります。お元気にお過ごしください。ではまた。宮垣 弘   01・07・30


 

        My bookmarks 3                                                  宮垣 弘

      Gray Blackwood The Shakespeare Stealer Puffin Books 1998

速記術を身に付けた孤児ウイッジはグローブ座に「ハムレット」を盗み写すために派遣される。上手く、台本を依頼者にもたらすことが出来るであろうか?ヤングアダルト向けの冒険小説で、読み出すととまらない。シェイクスピアの同僚ヘミングなどでてきて、当時のthe Lord Chamberlain’s Menの雰囲気を伝える。エリザベス女王の前でハムレットも演じられる。シェイクスピア通には物足りないかもしれないが、私には結構楽しめた。 ( 01.07)


        My Bookmaark2                                    宮垣 弘

    カール・シュミット「ハムレットもしくはヘカベ」初見基訳 みすず書房1998

ガルトルート=メアリー・ステュワート。ハムレット=ジェームス1世。ということで「ハムレット」の謎を解く。大変説得力あるある上、当時の政治との係わり合いで、聴衆が我々とは異質なインパクトをこの劇から受けたであろうことが想像できる。この本は今から50年前の本であるが、さらにそれより30年前のリリアン・ウィンスタンリの説を踏まえている。

芸術と歴史は別物という考えもたしかに正しいのだが、芸術と歴史と交差するなかで作品をみると、妙に生き生きとしてくる。

この人の刑法に関する本を今から約40年前、原書購読で読んだ。桂静子助教授。当時、女性が大学の教壇に立つのは珍しかった時代の話である。ナチにかかわったと言われる人の本を当時テキストによくぞ取り上げてものだと、桂助教授の勇気に今ごろ感心している。



 
 My Bookmark I                           
                               宮垣弘
     柳沼重剛著「語学者の散歩道」 研究社1991  

It’s Greek to meは斎藤秀三郎の英和中辞典では「ちんぷんかんぷん、さっぱり訳のわからぬ、唐人の寝言」とある。シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』に出てくる言葉であるが、同著は、長いはしがきの後、筆頭にこれを論じている。さらにその中では、「ブルータスよ。お前もか?」Et tu, Brute?とここだけをシェイクスピアがラテン語にしたのはなぜかにも触れている。とにかく面白く、読んでみてくださいとしか言いようがない。第2篇目の「Rは犬の字」では、『ロミオとジュリエット』の2幕4場で乳母が言う台詞について詮索しているのだが、その出典を追う楽しさを味あわせてくれる。

著者は古代ギリシャがご専門で、このエッセー集ではシェイクスピアの関するのは最初の2編だけであるが、シェイクスピア・ファンに一読をお勧めします。

他の篇も皆面白く、ギリシャ、ローマの古典を学ぶとこうなるのかと、ちょっと怖い気もした。このような教養を基にシェイクスピアを読んでいる西洋の学者には、日本人はちょっと太刀打ちできないなあと言うのが実感である。

(01・05・29)

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