ロンドン通信 22 01・08・21 LONDON UNDERGROUND ロンドンにおける通勤・通学の足は、Tubeの愛称で呼ばれるLondon
Undergroundです。Undergroundといっても全部が地下を走っているわけではなく、郊外に近づくにつれ、地上を走ることが多くなります。Tubeは信号機が度々故障し、電車が遅れたり、安全確保のため運転を見合わせることもしばしばです。その頻度は、日本の正確な電車運行に慣れている私たちには信じられないほどですが、大抵の人々は慌てず騒がず「あー、また止ったか」という表情で平然としています。車内アナウンスも「信号機故障で前の電車が遅れているため、ゆっくり運行します」とか「皆さま、毎度ご乗車ありがとうございます、毎度のことですがこの電車は遅れます」などといった調子で、いったいどれくらい遅れるのか、運転手にも車掌にもわからないようです。中には、ノロノロ運転の際に「ゆっくりでもこの電車は着々と進行しています、駅までもうすぐですよ」とアナウンスしたり、ジョークを飛ばして乗客を楽しませようとする車掌もいます。 こんなLondon Undergroundが、2-3年前から新しいサービスを開始しました。METROという無料の日刊新聞を発刊、各駅の入口に置いて、朝の通勤・通学客が自由に取れるようにしています。これはタブロイド版で、20ページを超える充実した紙面構成です。まず全国のニュースと世界のニュース、スポーツニュース、健康情報、ショッピング、芸能情報、ロンドンで開催されるイベント情報など盛りだくさん。今日お勧めのコンサート、映画、演劇を紹介するコーナーもあり、レビューも充実しているので、私も愛読しています(Tubeで通学する娘が毎日持ち帰ってくれます)。私も時には通勤・通学の時間帯に乗車しますが、METROを手にしていると電車の遅れるのがあまり気にならないから不思議です。London Underground がMETROを無料配布するのは、電車が遅れても車内で乗客が飽きないよう、先手を打ったサービスかも知れません。 しかしこのような遅延頻発にはさすがに対処が必要ということで、London Underground の民営化が決定されています。これに対して労働組合側は、民営化された際の雇用維持を主張、「民営化による経済効率優先策で人員を削減すれば、輸送の安全性が低下し、乗客の安全も守れない」という議論を展開して、「乗客のため」という大義名分のもと、この春にストライキを敢行しました。それに先立ち、London Underground では『ストライキ対処の心得』をMETROに掲載しました。 ・外出は避けましょう。仕事も出来れば家でやりましょう。 ・道路は大変混雑しますから、車の使用は避けましょう。 ・自分の足で歩くのが一番です。London Underground では皆さんのためにウォーキングマップをご用意しています。 ストライキは大きな混乱もなく無事に終了、労働組合側は雇用の確保を勝取りましたが、何とも辛抱強いロンドンの人々に私は感嘆しました。もちろん当日は、多くの人々がウォーキングを実行しました。 |
ロンドン通信 21
01・08・15 右か左か、それが問題 数日前に親しい友人とテニスをしたとき、「今週はとっても辛いことがあったから、今日はあなたと楽しいテニスが出来て本当に良かった。」といわれました。サマーホリデーのため、彼女の友人夫妻が家族でスペインに出掛けたのですが、その息子が交通事故に遭って突然亡くなり、昨日お葬式があったばかりだというのです。彼はまだ16歳でした。 日本では、道を横断する時に「右を見て、左を見て」と注意しますが、先に右を見るのは車が左側通行だからです。自分の右手から来る車を先ず確認、次に左手からの車を確認して渡り始めます。英国も車は左側通行なので日本と同じ要領で良いわけですが、ヨーロッパ大陸に渡ると逆に車は右側通行となります。その少年は英国にいるときの習慣で先ず右を確認、一歩前に進んで左を確認する直前に、左手から来た車にはねられてしまったそうです。英国人の夏休み海外旅行先ナンバーワンはスペインということで、英国人が関わるこのような痛ましい事故が、スペインの路上でよく発生するといわれています。国が違えば左右に関する習慣も違い、それが生死に関わることもあるのだと、はっとさせられました。 ロンドンでは、道を横断するときどの方向を確認すればよいかわかるよう、路上にLook right、Look leftと表示されています。市内は一方通行の道が多いため、英国人でもいつもの習慣で横断すると危険です。それに加えロンドンには海外からの観光客も多いため、車が右側通行の国の人々に注意を促すためにも、この表示は役立っていると思います。 息子と娘は7月中旬から日本に一時帰国し、久し振りの日本の夏休みを楽しんでいます。私も2日前に子供達と合流しました。海外での暮しが人生の半分以上を占める娘は、左右に関する習慣の違いに戸惑いながらも、やっと日本のやり方に慣れてきたようです。エスカレーターに乗るとき、ロンドンでは右側によって立ち、左側を急ぐ人のためにあけておくが、日本では反対に右側をあける。日本では縦に書かれた字は右から左に読み、横に書かれた字は左から右に読む、といった具合です。ところが先日、娘は例外に遭遇しました。「おばあちゃんのお使いで虎屋の羊羹を買いに行ったの。でもね、お店には『やらと』と書いてあって、最初は虎屋だってわからなかったの。」 道を横断するときと、横書きの日本語を読むときは、右と左両方を確かめなければなりません。 |
ロンドン通信 20 01・08・08 北欧への旅 氷河の浸食でできたフィヨルドを見に、ロンドンからノルウェーに2泊3日の旅行に出かけました。ヨーロッパ大陸でも中央部や南部にはたびたび出かけているのですが、北欧を訪ねるのは初めてのことで、今までの思い違いに気づき新しい発見をする旅となりました。 小学生の頃にスカンジナビア半島にあるノルウェー、スウェーデン、フィンランドを3つセットにして暗記したため、私は北欧あるいはスカンディナビア3国といえば、この3国のことだと思い込んでいました。ところがロンドン・ヒースロー空港からノルウェーのオスロに向かうため乗り込んだスカンディナビア航空の機内誌を見ると、どうやらスカンディナビアとは、ノルウェー、スウェーデン、デンマークの3国を指すらしい…。あわててガイドブックで確かめると、北欧(スカンディナビア)といえばこの3国で、時にフィンランドとアイスランドを含むとあり、自分の思い違いを恥じた次第です。 この3国は北ゲルマン民族(バイキング)を共通の祖先とし、9世紀-11世紀に西欧諸国へ遠征、交易あるいは略奪によって富を形成し、王国を統一します。まず9世紀前半にデンマークが、11世紀前半にはノルウェー、スウェーデンも王国を確立しますが、デンマークの国力は他をしのぎ、14世紀終わりには全スカンジナビアを支配していたそうです。16世紀にスウェーデンがその支配から独立、ノルウェーがデンマークの支配から独立したのは19世紀になってからのことなので、シェイクスピアがハムレットを執筆した頃の北欧は、デンマークが覇権を握っていたことになります。 今回の旅行の目的地は、フィヨルド観光の基地である北海に面したベルゲンという都市です。ここは12−13世紀のノルウェーの首都であり、当時の王城の一部(王堂)が修復されて残っています。14世紀後半にノルウェーが国外統治されるようになって王室がデンマークに移ったあと、この建物は荒れはて、19世紀になるまで倉庫として使用されていたといいます。ノルウェーとデンマークの複雑な関係を物語るような建物です。 ベルゲンはまた、中世から18世紀までドイツ商人(ハンザ同盟加入の商人)が干し鱈の貿易で活躍した港町でもあります。ハンザ同盟は欧州にある重要な貿易港4カ所に駐在事務所を置きましたが、そのうちの2つがロンドンとベルゲンでした。ベルゲンでは現地の人々から干し鱈を買い付け、英国産の小麦を報酬の一部として現地の人々に与えたというので、ロンドン、ベルゲン間には人とものの交流が盛んであったと推察できます。ロンドンを訪れた商人達から、シェイクスピアはデンマークやノルウェーの情報を仕入れたのかもしれません。 無数の滝や森林、切り立った断崖が水に映る様子など、フィョルドの自然の美しさを十分楽しんだあと、飛行機でイングランドに戻ってきました。ベルゲン港の入り口には前述の王堂と並んで、16世紀にベルゲンを支配していたエリック・ローゼンクランツが建てたローゼンクランツ塔があります。空からこの塔を見ながら、ハムレットに登場するローゼンクランツとギルデスターンは船でイングランドに渡り、ハムレットの代わりに処刑されたことを思い出しました。 |
ロンドン通信 19 01・07・31 夏のストラットフォード この週末、シェイクスピアの故郷であるストラットフォードに行って来ました。夏休みも本番とあって、街は観光客であふれ、ホテルの予約も取れず、お目当てのレストランも予約でいっぱいと断られてしまいました。特に多いのが米国からの旅行者、中年のカップルや大学生の団体旅行者が目立ちました。 さてストラットフォードは、いつ頃からこんなに人を集めるようになったのでしょう。海外からも大勢の人が来るようになったのはごく最近のことですが、ストラットフォードを有名にした最初の人物は、ロンドン通信1でも触れたDavid Garrickでした。彼は俳優であるのみならず、シェイクスピア劇を自在にアレンジする作家であり、舞台監督であり、また劇場支配人でもありました。彼が活躍する以前には、シェイクスピアは世間からあまり顧みられることのない、一介の詩人にすぎませんでした。Garrickの活躍により、シェイクスピアは劇作家としての評判を取り戻し、いわゆるシェイクスピア産業というものが誕生します。1769年、Garrickはシェイクスピアを大々的にプロモーションするため、シェイクスピアの故郷ストラットフォードでの一大イベントを企画します。当時のロンドンの人々にとってストラットフォードは未知の場所。「それってどこのど田舎?スコットランドの近くじゃないの?」という反応だったようです。確かに当時のストラットフォードは、羊の交易をするコッツォルズの小さな村にすぎませんでした。 Garrickはエイボン川河畔のやなぎの木を切り倒し、河原に仮設劇場を建設、ロンドンからシェイクスピア俳優を引き連れ、ステージ衣装でのパレードなどを企画していました。ところが3日間のイベントは雨にたたられ、河原の劇場は増水で流されそうになるやら、衣装が雨で泥まみれになるためパレードは中止になるやら、さんざんの結果だったようです。しかしこれを機会に、ストラットフォードの名は広く知られるようになり、後にシェイクスピア産業がここを中心に根付き、今日のような隆盛を見ることになるのです。 Garrick一行がストラットフォードを訪れた際、全員が宿泊できる施設は村にありませんでした。羊の取引をする商人が、たまに村を訪れて泊まる程度だったからです。そこでパブのテーブルをベッド代わりにしたり、羊小屋で寝泊まりすることを余儀なくされたそうです。 予約でいっぱいというレストランの女主人が、すまなさそうにこういってくれました。 「ストラットフォードで2番目にベストのレストランに行ってみて。SHEEP
STREETにあるLambsっていうレストランよ。」ストラットフォードは今でも羊に縁があります。Lambsでおいしい食事をいただいた後、ロイヤルシェイクスピア劇場で4時間のハムレットを観劇、さすがに羊小屋には泊まれないので、夜のハイウェーをとばしてロンドンに帰ってきました。 [ 編者註: 昨年、雑司が谷シェイクスピアの森のグループがストラットフォードが訪れた時もLambsで食事をしています。偶然ですね。「会のあゆみ」3ページ目に写真があります。 ]
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ロンドン通信 18
01・07・24 狂言とシェイクスピアの楽しい融合 シェイクスピア・グローブ座で、野村万作・萬斎親子を中心とする日本の狂言役者のシェイクスピア翻案劇が上演されました。上演言語は日本語、二組の双子が巻き起こす喜劇THE COMEDY OF ERRORSをシェイクスピア学者・高橋康也が狂言に翻案したものです。電光式の掲示板が舞台上方2カ所に設置され、英語の字幕を表示していました。この翻訳は高橋康也と、やはりシェイクスピア学者である河合祥一郎があたり、簡潔で的確な訳があてられているため、舞台と字幕を往復する時間も最小限ですんだことと思います。 高橋康也の翻案は、シェイクスピアの原作の登場人物、筋の展開をしっかり踏まえているため、原作の物語さえ知っていれば、言葉が分かっても分からなくても、十分楽しめる舞台でした。 それに加え、シェイクスピアのお得意の言葉遊びが調子の良い日本語に上手に移し替えられており、それを狂言役者が独特の明快な発声で披露してくれるため、耳に心地よく、たいへん聞き取りやすいものでした。例えば冒頭の場面、うり二つの赤ちゃんの双子二組が嵐で離ればなれになった経緯をその父親が語るところでは、「ややこしや(双子がうり二つなのでどちらがどちらか分からない)」と「ややこ恋しや(赤ちゃんと離ればなれになって切ない)」が上手く使われていました。頭韻、脚韻も、「腹立たし」「腹減った」などと言うように、上手く日本語に取り入れられていました。 狂言は身体を使って喜怒哀楽を様式的に表現するものです。前回のロンドン通信でナショナル・シアターの役者達がボディーランゲージの大切さを強調していたように、言葉の通じない海外公演ではこれが大きな武器となります。日本語が分からない観衆にも、この身体表現は十分楽しんでもらえたことと思います。 この公演の演出を担当し、双子の一組を一人二役で演じた野村萬斎は、狂言だけでなく映画やテレビなどでも活躍していますが、私が彼と初めてであったのは彼が高校2年生の時でした。非常勤で高校の英語講師をしていたとき、1年間担当したクラスにいたのが彼でした。その後校庭で出会ったとき「今度僕、黒沢監督の『乱』に出演するんです。映画見に来てね。」といってくれたのですが、そのころはまだ私はシェイクスピアにも興味がなく、『乱』がリア王の翻案だとも知らず、映画を見に行く機会もなくすぎてしまいました。今思えば本当に残念なことをしました。 彼は1994年から1年間文化庁の派遣でロンドンに留学、現在シェークスピア・グローブ座の美術監督を務めるマーク・ライランスと共にワークショップを開催するなど、演出を中心に学んでいます。留学を終える1995年8月、彼はロンドンの日本大使館で、”What is Kyogen?”というタイトルで狂言の紹介とデモンストレーションを行いました。私もちょうどロンドンにいましたので、これを見に行き、彼と再会することができました。2時間あまりのプログラムで、狂言の歴史から一つ一つのテクニックまで、彼1人ですべて英語でおこなったプレゼンテーションは、たいへん見事でした。最後におまけとして、ハムレットの有名な独白部分を、ここだけは日本語で披露してくれました。 狂言とシェイクスピア劇は異なる歴史を持つ異なった演劇形式ですが、そこに共通点を見つけだすのは大変楽しいものです。これからも今回のような試みと、野村萬斎の活躍に期待し、声援を送っていきたいと思います。
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ロンドン通信 17
CHEMISTRYを感じてください 前回のロンドン通信でご紹介したplatformでは、参加者から劇団員にこんな質問がありました。「非英語圏でシェイクスピアを上演するとき、せりふをゆっくりしゃべったり、間を余計に取ったりするのですか?」答えはNOでした。しかし公演先によって劇場の大きさや舞台の形状が違うため、どんな条件でも観客に声がしっかり届くよう、せりふの早さや間を変えてそれぞれの舞台に対応することはあるそうです。ただ非英語圏では、英語圏に比較して観客の反応が鈍いと感じることもあるそうで、そんなときはボディーランゲージでこちらの思いを伝えようと、ついつい身振り、手振りが大きくなるそうです。 劇団を迎える劇場側では、字幕を用意したり、イヤホンによる同時通訳を付けたりするそうですが、これは劇団員からは不評でした。「観客の目が字幕と舞台を行き来しているうちに、舞台での大事な展開を見逃してしまう。」「イヤホンの通訳と舞台での展開に微妙な時間のずれが生じる。笑いを誘うせりふの説明が舞台に先行してしまい、観客から一瞬早く笑いがもれることがある。」というのです。「字幕や通訳に頼らず、私たちの演技の一瞬一瞬を見てほしい。そして役者と観客の間に生まれるCHEMISTRYを感じてほしい。」というのが彼らの願いです。 CHEMISTRYは日本語に訳しにくい言葉です。「化学」という訳語がまず頭に浮かびますが、これが人間同士に用いられると、異なる物質の間に大きなエネルギーが生じて化学反応を起こすように、本来異質の人間同士の間に強く惹きつけ合う力が生まれることを指すようです。 最後にこんな質問がありました。「長いツアーを経験したことにより、このプロダクションに何か変化が見られましたか?」これに対するサイモン・ラッセル・ビール(ハムレット役)の答えは「もちろんです。上演のたびに、今まで分かっていたつもりのせりふに新しい意味を発見してきました。自分がスランプに陥ったときは、他人のせりふにじっと耳を傾け、それをより深く理解することによって自分の演技に再び力を取り戻すことができました。このプロダクションは常に変化を遂げてきたのです。」 これを聞いて私は、あらためてシェイクスピアの奥の深さを感じさせられました。ハムレットのせりふを全部そらんじている役者でさえ常に新しい発見があるのですから、初心者の私の前にはまだまだ見えない宝の山がありそうです。 さて、ロンドンにやってきた日本の旅役者の評判はどうだったでしょうか。 6月下旬、ニナガワカンパニーがロンドンのバービカン劇場で、三島由紀夫の『卒塔婆小町』『弱法師』の2作品を上演しました。しかし残念ながら、ロンドンの観衆にCHEMISTRYを感じてもらうにはいたらなかったようです。ニナガワのステージをいつも高く評価しているTHE TIMESの劇評家Benedict
Nightingaleでさえ、「三島の戯曲は劇的要素に富むわけでもなく、感情移入も容易ではない…蜷川幸雄のすばらしい演出をもってしても、この華美で冗長な戯曲の世界は理解不能と感じられる部分があった」と述べています。しかし異質な部分があってこそ文化交流の意義があるのですから、ニナガワカンパニーの挑戦は評価されるべきだと思います。 今週はシェイクスピア・グローブ座に、狂言師・野村万作率いる「万作の会」がやって来ます。シェイクスピアのTHE
COMEDY OF ERRORSをシェイクスピア学者・高橋康也が狂言に翻案した新作ということで、CHEMISTRYを感じることができるかどうか、たいへん楽しみな公演です。 |
ロンドン通信 16 01・07・10 ベオグラードのハムレット ハムレットには旅回りの役者が登場しますが、現代の役者も世界各地を巡って公演を披露しています。ナショナル・シアター(英国国立劇場)も巡回公演に力を入れており、最近ではジョン・ケアード演出の「ハムレット」がロンドンを皮切りに欧州各地と米国を訪れ、7月初旬にロンドンで凱旋公演を終了しました。タイトルロールを務めたのはサイモン・ラッセル・ビール。近年では最高のハムレットと評判の高い公演でした。 私は巡回の前後2回、ロンドンでこの公演を見る機会に恵まれ、たいへん感銘を受けました。その感想はまたの機会に譲るとして、今日は巡回した役者達の感想をお伝えしたいと思います。ナショナル・シアターではplatformと題して、劇団員から公演にまつわる話を直接聞く機会を一般の人々に提供しています。今回はElsinore and
beyond, the tourという副題のついたplatformでした。「ハムレット」の一行はデンマークのElsinore初め各地を旅しましたが、最も印象深かったのがベオグラード(ユーゴスラビア)での公演だったというのです。 ベオグラードの街には1999年のNATO軍空爆の跡がまだ生々しく残っていましたが、ミロシェビチ政権を自分たちの手で終焉させたことに、人々は誇りを持ち、新しい時代を切り開いていこうという気概にあふれていました。このような空気の中、空爆後初の海外劇団公演とあって、「ハムレット」一行は市民から熱烈な支持を受けました。劇場は満席、通路にも立ち見の人があふれました。非英語圏であるにもかかわらず、ストーリーがよく知られていることもあり、観衆の反応は非常に良かったそうです。 主演のサイモン・ラッセル・ビールは公演中のある日、街に買い物に出かけました。ロンドンと比べてベオグラードはたいへん物価が安いため、靴を買おうとしたのです。街には「ハムレット」公演のポスターがあちこちに貼られているため、靴屋の女性店員は客が「ハムレット」の主役であることに気づき、大喜び。彼女は英語が全く話せないのに、to be or not to beだけは知っていて、靴選びを手伝う間になんと40回近くもto be or not to beを連発、サイモン・ラッセル・ビールもどんな顔で応えればよいか困ったそうです。 公演の行われたユーゴスラビアの国立劇場は、共和国広場に面して大きなバルコニーのある美しい建物です。10年程前、ミロシェビチ政権に異を唱えるグループが市民に結集を呼びかける動きにでましたが、当局は即座に拡声器などを押収、集会を妨害しようとしました。そこでこのグループは国立劇場の芸術監督に劇場バルコニーの使用を依頼、そこから広場に集まった市民に呼びかけ、反対運動を盛り上げる重大なターニングポイントとなりました。しかしバルコニー使用を快諾したこの芸術監督は、集会翌日当局によって解雇され、以後約10年、国外に身を隠さなければなりませんでした。 内戦、空爆、政権崩壊など数々の悲劇を経験したベオグラードの人々にとって、ハムレットの世界は切実に共感できるものだったに違いありません。役者達にもそういう観衆の熱い思いが伝わり、忘れられない公演となったといいます。前述の元芸術監督は、祖国に戻って先頃2つのポストのオファーを受けました。1つは国立劇場芸術監督への復職。もう1つはノルウェー大使就任。本人はノルウェー大使就任を選んだそうです。 そういえばシェイクスピアのハムレットで最後に登場するのはノルウェーの王子でした。新しいノルウェー大使、そして新しい歩みを始めたユーゴスラビアが、悲劇を乗り越えて明るい希望の道を進めるよう願わずにはいられません。 |
ロンドン通信 15 ウインブルドン −伝統と革新− ウインブルドン(全英テニス選手権)開催中の2週間は、英国中の人々がテニスファンになり、普段ラケットを握らない人達まで、テニスをやってみようと近所の公営コートに出かけます。スーパーマーケットもこれに便乗し、昨年は期間中インスタントコーヒーを買うと、テニスボールがおまけについてきました。今年はじゃがいものパックにおまけのテニスボールを入れて売り出しています。子供用におもちゃのテニスラケットもよく売れるようです。新聞も高級紙・タブロイド紙に関わらず、ウインブルドンをカラー写真入りで大きく扱います。BBC(英国放送協会)は、毎日試合開始から終了までテレビで実況放送、夜にはTODAY AT WIMBLEDONという1時間番組でその日のハイライトを紹介、さらにこの番組は、YESTERDAY
AT WIMBLEDONと名前を代えて翌朝再放送されます。このように国中がテニス一色となるこの季節、テニスが大好きな私はWIMBLEDONから目が離せません。 ところが今年は、目が離せないどころか目が釘付けになるような、画期的なテレビ放送が登場しました。BBCでウインブルドンのインタラクティブ放送が開始されたのです。従来なら、実況放送はセンターコートの試合が主で、それ以外のコートの試合がライブで放送されることはまれでした。ウインブルドンにはセンターコート以外に1番から19番まで合計20面のコートがあり、それぞれに熱戦が展開されます。今まではセンターコート以外の試合をテレビで見られないのがとても残念でした。ところが今年から、一度に5つのコートの試合が放送され、どれを見るかをリモートコントローラーで選択できるようになりました。手元のスイッチ1つで、サンプラスの試合からアガシの試合、カプリアティの試合から日本のエース杉山のダブルスへと画面が切り替わります。どの試合も、ジョン・マッケンロー、ヤナ・ノボトナなど、歴代の優勝者がコメンテーターとして登場、そのコメントを聞くのも楽しみです。それに加え、ボタンの選択によってその日の結果一覧を見ることもできるのです。雨で試合が一時中断しても、色々な画面が用意されています。画面1は雨よけのカバーのかかったコート、画面2・3・4はそれぞれ異なった過去の名勝負、画面5は選手とのインタビューといった具合です。そんなわけで私は、リモートコントローラーを握ったままテレビに釘付けとなっています(このサービスはデジタル回線で放送を受信している場合にのみ利用でき、アナログ回線の場合は従来通りの放送形態です)。 前回のロンドン通信で「ウインブルドンのグラスコートは絶対守り続けるべきだ」という伝統重視の英国人気質をご紹介しましたが、その一方で新しいものを取り入れる意欲も旺盛なのが英国人です。ウインブルドン・インタラクティブ放送の成功は、デジタル回線加入者を確実に増やすでしょうし、その先にはテレビを通じたさまざまなインターネットサービスが待っていることでしょう。ウインブルドンがI T社会推進のきっかけになるとすれば、まさに伝統と革新のウインブルドンといえるのではないでしょうか。
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ロンドン通信 14 グラスコート(芝)の季節 英国の芝生は日本と違って一年中青々としているのが特徴ですが、この季節は最も生命力にあふれ、緑が輝きを増します。この芝を短く平均に刈ると、球足の速いテニスのグラスコートができあがります。もちろん芝の生えている地面が真っ平らでなくてはならないし、雑草が生えてもいけません。手入れには大変な労力がかかります。また一年中芝が青くても、テニスコートとして使えるのは芝に力のある夏場だけなので、それ以外の季節は養生が必要です。ウインブルドンはもちろん、CHAMPIONSHIPの2週間だけのために1年かけて整備が行われます。一般のクラブでグラスコートを持っているところでも、夏のほんの数週間プレーするだけのために、1年間大切にグラスコートを育てます。それだけにグラスコートでプレーするのは英国人にとって大変な喜びであり、ウインブルドンのグラスコートでのプレーを見るときも、長い冬を耐えてまたこの季節が巡ってきたという感慨があります。 このようにグラスコートは手間がかかり、使用できる期間も短い経済効率の悪いコートですから、英国内でも一般のクラブでは、1年中使える人工芝にその座を明け渡すところが増えてきました。しかしたとえ非効率、不経済でも伝統を守るという英国人気質は健在で、ウインブルドンのグラスコートは絶対守り続けるべきだというのが大方の意見のようです。 グラスコートはバウンドした後のボールのスピードが早いため、それ以外のサーフェスとは違った練習が必要です。そのためウインブルドンに出場する選手たちは、開幕の2−3週間前に渡英、調整のためにウインブルドン前哨戦といわれるグラスコートトーナメントに出場します。このようなトーナメントは英国で大変人気があり、それぞれに特色があります。 まずロンドン高級住宅地にあるQUEEN’S CLUBで開催されるSTELLA ARTOISは、大変おしゃれな大会です。ボックス席の男性はスーツにストローハット、女性もワンピースかスーツに帽子をかぶり、ブラックスーツを着たウエイターが座席でシャンペンをサービスし、ランチ時になると会場の一角にしつらえたテントで優雅に食事を楽しむようになっています。もちろん純粋なテニスファンの姿も多く見られますが、洗練された社交の場という雰囲気が漂っています。 これに対してイングランド南東部にある海辺の街EASTBOURNEで開催される女子の大会は、フレンドリーでほのぼのとしています。もともとEASTBOURNEは、退職した熟年の人々が明るい海辺でゆったり過ごす保養地です。観客も圧倒的に熟年の、それも女性が多いのが特徴です。60代、70代と思われる女性たちが、Tシャツに半ズボン、サンダルかテニスシューズでやって来ます。熱心にプレーを見て、「今のショットはよかったわ。」とか「いい攻撃だったわね。」とか隣の人とテニス談義を交わします。皆さん自分がテニス少女だった頃を思い出し、懐かしむような、とってもいい表情をしていらっしゃいます。そばに座っている私も、暖かく楽しい気分になってきます。お腹がすくと、スーパーマーケットの袋から取りだしたサンドイッチ、フルーツなどを口に入れ、試合からは目を離しません。こうした人々のテニスにかける愛情が、英国テニスのグラスルーツ(草の根)とグラスコート(芝のコート)を支えているのだと思わずにはいられません。
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ロンドン通信 13
01・06・19 英語で発信する意義 −歌舞伎と神風− ロンドン通信10でもお伝えした近松座のロンドン公演(5/30-6/9)は、盛況のうちに幕を閉じました。私も6月7日の夜の部を娘と観劇しましたが、平日にも関わらずほぼ満席、ほとんどが英国人のお客さんで、ロビーは熱気に包まれていました。「公演を理解し楽しんでいただくため、是非ともイヤホンガイド(英語)をご利用ください」という案内板のもと、日本から持ち込んだイヤホンガイドが貸し出されていました。男性の低く落ち着いた声で、開幕前に作品の歴史的背景、登場人物、ストーリーを説明し、開幕後はストーリーの展開に従って、登場人物のせりふを「彼は…と言います。彼女は…と答えます。」と間接話法でタイミング良く説明します。もともと歌舞伎のせりふは数が少ないので、イヤホンガイドが観劇の邪魔になることはありません。歌舞伎特有の舞台上の約束事なども、要所要所で説明していました。休憩中も、近松が作品を執筆した頃の時代背景をわかりやすく説明していました。閉幕後のロビーは観劇を堪能した人々で再びあふれましたが、あちこちから「イヤホンガイドはよかった。これがなかったらあんなに楽しめなかったと思う」という声が聞かれました。 新聞の劇評はどれもこの公演を絶賛していましたが、次のようなものが大方の印象でしょう。「ヘッドホーンを通じて供される実況説明は、舞台で何が起こっているかを理解するのに非常に役立っている。このような古典的演劇様式を鑑賞し、そのテーマやユーモアが我々の伝統と同じであると実感させられるのはきわめて興味深い。」 歌舞伎ほど大きく報道はされませんでしたが、5月4日から26日まで、ロンドンの小さな劇場(座席数約200)で今井雅之を中心とする若手の日本人グループが「特攻隊員」を主人公にした劇を上演しました。タイトルはTHE WINDS OF GOD(KAMIKAZE)。今井の原作・脚本・演出・主演作品で、英語上演という意欲的なものです。私は25日に娘と見に行きましたが、ほとんど満席、7割が日本人の若者、残りが英国人のお客さんでした。劇の内容は、時代の圧力や当時の間違った政府の考え方の巻き添えになって、愛する人達のために死を選ばざるを得なかった特攻隊員たちの心情に迫るものです。ストーリー展開、英語の発音などの点で、英国人聴衆をどの程度惹きつけられたかは疑問ですが、これにかける劇団員たちの努力、情熱は十分に伝わってきました。映画Pearl
Harborの公開などで日本の過去の歴史が問題となっている今、日本人のほうから英語で自分たちの気持ちを発信することは非常に意義深く、コミュニケーションを深めていくきっかけになるものと思います。アメリカンスクールで第2次世界大戦について勉強したものの、戦争当時の日本ををよく知らない娘は、この劇を見て本当に好かったといっていました。 |
ロンドン通信 12 01・06・14 カナダ発シェイクスピア肖像画論争にクールな反応 カナダ発で話題となっているシェイクスピアの新肖像画(ばーなむのコラム、関連記事をご参照下さい)について、英国ではTHE SUNDAY TIMES(高級紙)DAILY MAIL(タブロイドと呼ばれる大衆紙)など数紙が取り上げていますが、その扱い方はたいへんクールです。THE
SUNDAY TIMESの場合、ニュースセクションの9ページ目でほぼ全面を使用して報道しているにもかかわらず、話題の新肖像画は掲載されていません。代わりに、本物とされているfirst
folioの肖像画、ストラットフォードの墓にある胸像の2点が白黒写真で、さらにナショナルポートレートギャラリーにある肖像画と映画Shakespeare in
Loveで主役を演じるジョセフ・ファインズの写真がカラーで掲載されています。本文で「あるタブロイド新聞日曜版は、英国における新肖像画の版権獲得に数万ポンドを散財」と皮肉っぽく述べているところからも、この新聞の新肖像画に対するスタンスが伺えます。 ナショナルポートレートギャラリー代表者Catherine MacLeodは次のように述べています。 「これが本物なら非常に重要なものといえますが、あごひげの生えた肖像画を見つけ、これはシェイクスピアだという人はあとを絶ちません。シェイクスピアの肖像画発見というのは、それだけで1つの業界を形成しているぐらいですから、このニュースにも非常に懐疑的にならざるを得ません。」シェイクスピアかもしれないという肖像画は、2年に1回ぐらいの割合で登場するそうです。 ストラットフォードにあるShakespeare Birthplace Trust会長Stanley
Wellsも新肖像画には非常に懐疑的であるとし、その理由として次の3点を指摘しています。 ・この肖像画は、本物と認められているシェイクスピアの姿(first folioの肖像画およびストラットフォードの墓にある胸像:どちらもシェイクスピア死後の作品であるが、家族や友人からその姿であると承認されている)とかけ離れている。 ・絵に付いていたラベルにはシェイクスピアの生没年月日が記されているが、生年月日については現在でも確かでなく、当時も明らかでなかったはずで、はっきり記載されているのはおかしい。 ・新肖像画の所有者は、この絵を描いたとされるJohn Sandersの名が当時の上演プログラムに役者として載っていると主張しているが、当時のプログラムに役者の名前を載せているものはなく、劇場関係でJohn
Sandersという人物がいたという記録もない。 THE SUNDAY TIMESは社説でもこの新肖像画を取り上げ、最後をこのように結んでいます。 「絵の持ち主は…祖母がこの絵に全く心を動かされなかったため、ベッドの下に置きっぱなしにしていたと語っている。シェイクスピアもそれを是としたことであろう。彼曰く “False face must hide what the false
heart doth know.”」 |
ロンドン通信ハックナンバー2