皐月の宵には星空を 先日ラジオを聞いていたら、「星空」で村興しをしている鳥取県の天文台長さんが五月の夜空を眺めることの素晴らしさを話していた。2002年の5月、まさに今、宵の西空に太陽系の星が勢ぞろいする現象が日本全国で楽しめる。地球から見てすべての惑星が同じ方向に見えることを「惑星直列」あるいは「惑星集合」というが、「シェイクスピア星物語」 (香西洋樹著・講談社刊)によれば、シェイクスピアの時代にはまだ火星、水星、木星、金星、土星の五個の惑星しか知られていなかった。けれどその時代にも「惑星直列」が4度(1584年、1596年、1602年、1604年)あったという。 「ぺリクリーズ」(1幕1場)では、アンタイオカスが「天上の星をことごとく一堂に会せしめ、それぞれのもっと美しい光を織りなすよう命じたのだ」と言い放つ。マクベスも「星よ、お前の火を消せ!俺の真黒にして極秘の欲望に光をあててはならぬ」と言うが、もしかしたら1605年か6年の春から夏にかけて書かれたとされるこの作品も、惑星直列のパワーから生まれたのかもしれない。 惑星は人を惑わすという。まさに「惑星」なのだ。シェイクスピアも星の引力に惑わされ、マクベスのような傑作を生み出したのだろうか。だとしたら我々も、惑星のパワーが集合するこの皐月の宵に空を眺め、大きな力に惑わされながら新たな季節を迎えようではないか。
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“シェイクスピア”はシェイクスピアだ 今年もシェイクスピア記念日の4月23日前後に世界各地でさまざまなイベントが行なわれた。生地のストラットフォードでは4月20日に花いっぱいのシェイクスピア祭が行われ、その様子を真理さんの「ロンドン通信」が生き生きと伝えている。 日本でも幾つかの記念行事があった。僕はここ数年、日本シェイクスピア協会主催のシェイクスピア祭に参加してきたけれど、今年は原書で読む「十二夜」の例会日と重なったので、早稲田の記念行事に参加した。早稲田大学では逍遙時代から「シェイクスピア祭」を行なってきた。今年も4月23日に演劇博物館主催の記念講演会があり、大場建治氏(元明治学院大学学長)が「シェイクスピアの墓を暴く女」のテーマで講演された。 世の中には未だに“シェイクスピア”が誰だったかを執拗に探求している人たちがいる。大学も出ない無教養な田舎者に名作が書けたはずがない、“シェイクスピア”の全作品はフランシス・ベイコンが書いたのだと主張する。その信念から1856年10月5日の夜、シェイクスピアの墓を暴こうとしたのはアメリカ出身の女性、ディーリア・ベイコン。彼女はシェイクスピア=ベイコン説に取り憑かれ、墓を暴いてまでそれを実証しようとした。 |
シェイクスピア劇より陰惨な・・・ 政治の世界は一寸先は闇だ、とよく言われる。田中眞紀子議員が外務大臣を更迭され、 “疑惑の総合商社” と言われた鈴木宗男議員が証人として国会に喚問され、自民党を離した。その宗男議員を“疑惑の総合商社”と非難した辻元清美議員が、政策秘書給与流用疑惑で議員辞職した。まるで“永田町オセロ”だと、朝日新聞の政治記事は書いている。「永田町の攻防は、オセロのように一手で変わる」。白いコマが黒いコマに挟まれてパタパタと敗北するオセロ・ゲームに似ているからだろう。永田町には、「刺し合い」とか「相討ち」という物騒な言葉もあるという。この一連の政治劇の展開では、「返り血を浴びる」という表現すら聞かされた。まるで、幕末維新の政変のようだ。何年ほど前だったか、自民党内で「刺し合い」が行なわれたことがあった。その時に自民党大会にゲストとして招かれた女優の栗原小巻が講演で言ったのが「切った張ったはシェイクスピア(劇)だけにしてほしい」だった。人々はテレビの報道を見守り、渦中の政治家に非難を集中する。ムネオ辞めろコールは、いつの間にかキヨミ辞めろコールに変わった。“劇場型民主主義”という言葉も聞かれる。こんどは誰が“刺される”のか。「ヒトゴロシ、イロイロ」で知られるシェイクスピアだが、いま永田町の政治劇ステージでは、シェイクスピア劇よりも陰惨な「刺し合い」や
「殺し合い」が行われているのかもしれない。 |
花は儚く、そしてたくましい 「梅は咲いたか桜はまだかいな・・・」。日本では春を告げる花として梅や桜が代表的だが、イギリスではスミレが春のシンボルだという。シェイクスピア劇にも頻繁に登場するこの花は、清純で美しい女性に喩えられることが多い。「亡骸を埋めろ。美しい汚れを知らぬ妹のからだから、菫の花よ咲き出でよ!」。横たわるオフィーリアにレアティ−ズが祈りを込めて叫ぶシーンは印象的だ(「ハムレット」5幕1場)。花は美しい。けれど一方で、もろく、そして儚い。 「ハムレット」の花づくしの場面も有名だ。狂ったオフィーリアが歌いながら、王たちに花々を差し出す。摘みたてのスミレ、ローズマリー、パンジー、プリムローズ、ウイキョウ、デイジーなどが、それぞれの花言葉と重ねて手渡される。皮肉ともとれるこの場面だが、兄をハムレットと思い込むあたりがいっそう哀れを誘う。「これがローズマリー。ねぇお願い、私を忘れないで」。ローズマリーの花言葉は「変わらぬ愛」。 花は儚いが、たくましさも併せ持つ。シェイクスピアはそんなところに“花“と“女性”との共通点を見い出したのかもしれない。 儚くとも切なくとも、やはり花は、人に力を与える時に欠かせない。「冬物語」で花々を差し出しながらパーディタは言う。「あなたがたは、これからが人生の花盛りなのですから」。エネルギッシュな春は、もうすぐそこまで来ている。 |
老人はいまライオンの夢を見ているのか ヘミングウェーの傑作「老人と海」のモデルになったグレゴリオ・フエンテスさんが、キューバの首都ハバナ近郊の海辺にあるコヒマ村の自宅で死去した。104歳だった。数年前にハバナのフィンカ・ビヒア{望楼農場}にあるヘミングウェー記念館を訪ねた直後に、コヒマル村のレストラン・バーで偶然にも会うことができたので、訃報に接して、まずその時のことがよみがえってきた。 フエンテスさんは椅子に座って外国の旅行者たちと歓談していた。かつてヨット「ピラール号」に乗ってヘミングウェーとガルフ・ストリームにマリーンなどの大魚を追った海の男は静かな老人になっていた。若い観光客たちの質問に答えて、ヘミングウェーの思い出などを語った。スペイン領カナリア諸島に生まれ、6歳のとき家出して船に乗りキューバに渡った。31歳の時、ヘミングウェーと知り合い、彼のヨット「ピラール号」の艇長兼コックを務めた。ヘミングウェーは1952年に「老人と海」を発表したが、3年後の作家がノーベル文学賞を受賞し「老人と海」が映画化されて世界的に有名になるにつれて、彼はモデルとしての名誉を獲得していった。 昨年、フエンテスさんは「人生を通じて、海を愛し魚を愛すことを私たちに教えてくれた歴史的な船長」という称号を得たばかりだったという。
104歳という天寿を全うした彼の強靭さは海が育んだものなのだろ。永遠の眠りについたフエンテスさん。ヘミングウェーの小説のサンチャゴ老人のように、彼はいまライオンの夢を見ているのだろうか。 |
シェイクスピアは「馬番」だった? 先日ある新年会のテープル・スピーチで今年の干支とからめて「シェイクスピア劇にでてくる馬」について話したら、学生時代に英文学を専攻していたという人からこんな質問をされた。「シェイクスピアはロンドンへ出てから馬番をしていたと聞きましたが、実際はどうだったのですか」。数多いシェイクスピアにまつわる伝説の中でも特に有名なのが「鹿泥棒説」と「馬番説」の2つだろう。シェイクスピアは故郷のストラットフォードにいた青年時代、トーマス・ルーシーという人の荘園で鹿を盗んで捕らえられたが、その仕返しにトーマスを風刺する詩を書き、いっそう厳しい追及を受けて故郷にいられなくなったためにロンドンへ出たというのが「鹿泥棒伝説」である。やがてロンドンに出たシェイクスピアが、実は芝居小屋で観客の馬番をしていた、というのが「馬番伝説」だ。 確かにシェイクスピアの生涯記録には“失われた年代”と呼ばれる空白期(1585〜1592)がある。結婚して長女が生まれ、その1年後に男女の双子が生まれてからロンドンで新進の劇作家としてデビューするまでの7年間、彼に関する記録は何故かどこにも見当たらないのだ。そんなこともあってか、想像力旺盛な人々の憶測を呼び、数々の伝説が生まれたに違いない。小津次郎著「シェイクスピア伝説」(岩波セミナーブックス)によると、「馬番伝説」は何者かの手により18世紀に書かれたらしい。 シェイクスピアは素晴らしいドラマを世に送り出した優秀な脚本家であったけれど、自分の人生を「アレンジ(脚色)」されるのは、きっとお気に召さないだろう。
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フォルスタッフからのお年玉? 新しい年、2002年がゆっくりと始動した。僕の今年のモットーは【一日一沙】だ。新聞やテレビ、または巷で「一日に一つ、シェイクスピアにまつわる話題を見つけて記録する」のである。そんな気構えで元日の新聞を読んでみたら、なんと10以上の話題が見つかった。年末から年始にかけて最も人気があったのは、宝くじとデパートの福袋だったという。一攫千金の夢は見たいし福はできるだけ沢山来てほしいという、庶民の願いの強さを物語っている。 さてそのNew yearだが、シェイクスピア劇には、この言葉はあまり頻繁に出てこない。ただ新年にまつわる言葉としてNew- Year’s gift(新年の贈り物、お年玉)は、「ウィンザーの陽気な女房たち」(3幕5場)のフォルスタッフの台詞にある。すでにシェイクスピア時代には、元旦に贈り物を交換する習慣があったことを示していて興味深い。 お年玉と言えば、新年早々嬉しい贈り物をいただいた。近くの図書館の寄贈コーナーに欲しいと思っていた英語辞典「The
Shorter Oxford English Dictionary・1955年版」があったのだ。1955年(昭和30年)にメルボルンで9ポンド(当時で約1万円)で購入したと寄贈者のメモにあった。そしてなんと「The
Concise Oxford Dictionary・ 1954年版」まで添えてあった。こんなに太っ腹なお年玉を僕がもらえるなんて、きっとあの太っちょなフォルスタッフの、粋なはからいに違いない。 |
希望がペガサスに乗って天翔ける 年の瀬の慌ただしさのなかで、まだこの1年を静かに振り返る時を持てないでいる。経済不況のなかで陰惨な事件があいついで起こり、人心はすさんだ。昨年は文明の利器の精度疲労による事故が多かったが、今年は人間の精神が崩壊したために起こった事件が多い、と社会評論家は分析している。 そんななかで、「人間なかなか死なないものだと思った」という武智三繁さんの一言が忘れられない。1ケ月も太平洋を漂流して救出された漁師さんのコメントだった。「夢はかなう。やろうと心に決めたら、どんなことでも実現できる。」77歳の最高齢でヨットよる単独世界一周航海を成し遂げた米国人のデ−ヴィッド・クラークさんの言葉である。 21世紀の幕明けが暗かったからといって、この百年が暗黒になるということはない。新しく開かれてくる時の中から、希望は生まれてくる。シェイクスピア劇にも「希望」について語った台詞がある。「みじめなものの心を癒す薬はただ一つ、望みだけです。」「尺には尺を」(3幕1場)のクローディオの台詞。「正しい希望は燕の翼にのって矢のように天翔ける」。さらに僕が好きな「リチャード三世」(5幕2場)のリッチモンドの台詞である。 来年は馬年・・・。希望がペガサスにのって天翔ける年であってほしい。ご愛読に感謝しつつ、いま僕はそう切に祈る気持ちが一杯でいる。 01・12・25 |
漱石とシェイクスピア 長引く不況の中で迎えた年末。僕もひとりの生活者として千円札の夏目サンよりは1万円札の福沢サンにもっと来てほしい、と切に願う。けれどシェイクスピアとのかかわりでは、やはり福沢よりも漱石のほうがずっと重要だ。 漱石がロンドンに留学していた頃のことについての関心は依然として高く、先日もまたそのテーマの本が出版されたばかりだ。けれど一方で、あまり知られていないのが漱石とシェイクスピアとの関係。ロンドン留学時代に漱石が最も力を入れたのは、実はシェイクスピア研究であり、彼はクレイグというシェイクスピア学者を個人教授に直接指導を受けていた。その様子は初期の短編「クレイグ先生」に描かれている。 シェイクスピア研究の成果は、漱石が帰国して東大講師となってから行なった一連のシェイクスピア講義に活かされた。漱石の講義がいかに素晴らしいものであったかは、小宮豊隆や野上豊一郎らの受講ノートを読めば分かる。残念ながら今日、僕たちが読むことのできるのは「『オセロ』評釈」(「漱石全集」13巻)だけだが、文豪が小説家的な目でこの悲劇を読んでいたことが読み取れて、非常に興味深い。 12月9日は俳句の季語にもある「漱石忌」だった。漱石はちょうど、シェイクスピアの没後300年に他界した。この見事な“区切りのよさ”に、シェイクスピアと漱石の不思議なつながりを思うのは僕だけだろうか。 |
原書で読む「ハムレット」に“マニ車”は要らない 10年程前、旧ソ連を訪れた時にブリヤート共和国のウラン・ウデの仏教寺院に3日ほど滞在したことがある。そこでは毎朝、村人たちが寺を訪れてお経を唱えながら広い境内を一巡していた。そして大きな番傘を立てたような筒の横を通るとき、信者達は必ずそこに立ち寄り、その表面を撫でてゆく。あとで聞いたのだが、それは「マニ
(摩尼)車」というものでご利益のある経文が入れてあり、それを1回まわすとその経文を何10回も唱えたほどのご利益があるという。 ついこの間、2年がかりでHamletを原書で読み終えた時に、
僕はなぜか、あの「マニ車」を思い出した。僕たちの会読は決して簡単なものではなく、ひとつひとつ辞書をひき英米の注釈書を参照し、毎回メンバーそれぞれが調べたものを持ち寄ってのものだった。巷には「読まずにわかるシェイクスピア」などいう本も出版されている。たしかにエッセンス的にシェイクスピアに触れるには、それもひとつの方法だろう。けれど苦労して少しずつ読みすすめていくことの意味や喜びも、僕たちは忘れたくはない。何でもスピード化が進む現代だが、急いでいると見落としてしまう“風景”や、吸うことのできない“空気”もあるはずだ。原書で読むシェイクスピアに、「マニ車」は要らない。
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「過ちを隠す人々は、世の嘲りを浴びるもの」 今までほとんど聞いたこともなかったような言葉が、ある日突然マスコミの脚光をあびて、連日のように話題になることがある。
ずいぶん前には、いわゆるエイズ(Acquired Immunodeficiency Syndrome・後天性免疫不全症候群)がそうであったし、今は炭疽菌(anthrax)がそうである。その“anthrax”の恐怖がアメリカ全土に走っている今、日本では狂牛病の恐怖が拡がっている。畜産・精肉業者の利益しか守ろうとしない政府の露骨な対応が、かえって火に油を注ぎ、問題を拡大させている。 シェイクスピア時代にヨーロッパを襲った疫病(plague)にペスト(pest)があった。疫病が蔓延してロンドンの劇場が閉鎖されたため、俳優たちは地方巡業に出なければならなかった。その時期にシェイクスピアも故郷に戻って「ソネット集」などを書いていた。 Plagueはシェイクスピア劇の台詞でも、「くたばれ!」とか「いまいましい!」という強い呪いの言葉としてよく使われている。特に、気性の激しいリア王が怒り狂う時にでてくる。日本政府の当局者には、その「リア王」にあるコーデリアの台詞を進呈したい。 「「時」はやがて、美辞の陰に奸知の包み隠した真実を明らかにし、 過ちを隠す人々は、ついには恥辱を受けて世の嘲りを浴びるもの。」(安西徹雄訳) シェイクスピアについてのイベントや新刊情報などを発信してます。興味のある方はここをクリックしてください。 |
代わりにくれてやる王国はない アフガニスタン情勢が、動きだした。アメリカが軍事攻撃の最大の目標にしてきたのは同時多発テロの首謀者といわれるビンラーディンの捕縛だが、それが秒読み段階に入ったからだ。彼は、目的のためには手段を選ばない徹底したマキアヴェリストであり、その残忍さにおいてはシェイクスピア劇に出てくるリチャード三世に似ていると、以前このコラムにも書いた。 「俺は、微笑みながら人を殺すことができる。色を変えることでは、俺はカメレオンにまさる。形を変えることでは海の神も、俺にはかなうまい。残忍さにかけてはマキャヴェリさえ、おれの弟子だ」とは、「ヘンリー四世」第三幕の台詞だ。しかし権力をほしいままにしたリチャード三世も、やがては戦場で孤立して敗走する運命をたどる。「馬をくれ、馬を!馬のかわりに我が王国をくれてやる!」(「リチャード三世」)。彼の最期の台詞は、あまりにも有名だ。 ビンラーディンは、ロバに乗って逃げているとの情報がある。果たして彼は今、何を考え、これからどのような道を歩むのか。古代ローマ人たちのように雄々しく自害するのか。それとも追いつめられてもなお逃げようと、あがき続けるのか。けれど、たとえ「ロバをくれ、ロバを!」と叫び声を上げたところで、アラブから来たテロリストの彼には、代わりにくれてやる王国はない。 |
シェイクスピアも“しし座流星群”を観た? もうすぐ“しし座流星群”がやってくる。これは地球がテンペル・タットル彗星のまきちらした塵の中を通過する時に、その塵が大気との摩擦で燃えて見える美しい天体現象だ。天文学者の間では、今年は世界でも特に日本周辺で多く観られるとの予測もあり、運が良ければ11月19日午前3時19分頃をピークに、1時間で1万個の流星が観測できる。 「シェイクスピア星物語」の著者で天文学者の香西洋樹氏によれば、シェイクスピア時代に“しし座流星群”が地球に訪れた記録は、1566年、1582年、1602年の計3回。ガリレオと同年に生まれケプラーとも同時代人であるシェイクスピアは、天体現象にかなり興味を抱いていたようだ。例えば「ジュリアス・シーザー」では、ブルータスが「空を飛び交う凄まじいまでの流星群がこの庭を明るくしてくれる。手紙も読めそうだ」と言うし、「恋の骨折り損」では天文学者を“天の光の名付け親”と表現したりしている。そんなシェイクスピアだから、当時この美しい流星群を観ていた可能性は充分あると僕は思う。 「人間の一生は、「ひとつ」と数えるひまもない」とハムレットは言った。確かに雄大な宇宙の歴史に比べれば、僕たちに与えられた時間は短い。そしてそれは、ほんの一瞬だけ広い夜空を駆け抜ける“流星”と、あまりにも似ている。
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お金は毒よりも多くの人を殺す 先月初旬にニューヨークでの競売で1623年に出版された最初の「シェイクスピア戯曲全集」が約7億5千万円で落札された。シェイクスピアの死後7年たって出版された最初の全集本で「ファースト・フォリオ(通称F1)」と呼ばれ、シェイクスピア全集の原典とされる。世界中で200部ほどしか残っておらず、僕たちが目にする最もポピュラーな劇作家の肖像画もこの全集のものだ。それにしても7億5千万円というのは、シェイクスピア全集としてはもちろん17世紀の書籍としても史上最高額だという。この異常な高値には、当のシェイクスピアも驚いていることだろう。 「お金」というのは、いつの時代でもトラブルの元であり、それゆえにお金に対する考え方には人間性が如実に現れる。「オセロー」の中でイアーゴーは、デズデモーナに恋をしているロダリーゴをけしかけて言う。「できるだけ金をかき集めておけよ」。恋する男への忠告に金がからむなんて、貪欲なイアーゴーらしい。 「それ、金だ。人の心には毒よりおそろしい毒。このいとわしい世のなかでは毒よりも多くの人を殺す」。「ロミオとジュリエット」で薬屋からひそかに毒薬を買う時にロミオはつぶやく。お金が「毒よりも多くの人を殺す」ことを知っていたシェイクスピア。7億5千万で全集を落札した人物はこのことを「全集」から読み取ってくれるだろうか。 シェイクスピアについてのイベントや新刊情報などを発信してます。興味のある方はメイルでお問合せ下さい。 01・11・05 |
1本のコスモス コスモスの季節になった。この花を見るたびに僕は、10年ほど前にモンゴルのゴビ砂漠で見た“1本のコスモス”を思い出す。砂漠という苛酷な環境にもかかわらず真っ直ぐに空を仰いで立つ姿は逞しく、そして美しかった。あれ以来いろいろなコスモスを見たけれど、あの“1本のコスモス”よりも心を打つ光景には、まだ出会っていない。 日本では「秋桜」と書くコスモス(cosmos)だが、語源をたどるとギリシャ語の「Kosmos(秩序・世界・宇宙)」にゆきつく。ただし18世紀になってようやく原産地であるメキシコの高原からスペインを経てヨーロッパに広まった花なので、シェイクスピアが目にすることはなかった。このため残念ながらシェイクスピア作品には出てこないが、もし当時イギリスに存在していたとすれば、彼は間違いなくコスモスを劇中に、たぶんオフィーリアを称える場面で登場させたのではないかと思う。 コスモスは「世界」。そしてシェイクスピアにとっては、舞台こそがまさに「世界」だった。「この世界はすべてひとつの舞台。人間は男女を問わずすべて役者に過ぎぬ。それぞれが舞台に登場してはまた退場していく」。「お気に召すまま」のジェークイズの、あまりにも有名な台詞だ。もし人間がすべて役者だというなら僕もその役者のひとりとして、与えられた役柄を凛として演じたい。そう、ゴビ砂漠で見たあの“1本のコスモス”のように。
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“デキ婚”だったシェイクスピアの結婚観とは? 秋のブライダルシーズン真っ盛りだ。僕も30年以上前の今頃に結婚したが、当時と今とでは日本の結婚事情もずいぶん変わってきている。最近はいわゆる“できちゃった結婚”が多く、そんな需要のための特別プランを企画する式場が後を絶たないという。 ところで“できちゃった結婚(最近は「デキ婚」というらしい)”といえば、シェイクスピアがまさに“先駆者”だったことを知る人は少ない。彼の生涯には謎が多いが、数少ない貴重な記録の中ではっきりしているのは、18歳の時に8歳年上のアン・ハサウェイと結婚し、半年後に長女スザンナが生まれたということである。「若くて結婚は人生の欠損」(「終わりよければすべてよし」)や、「性急な結婚はうまくいかないのが常ですがね」(「ヘンリー六世」)などの台詞を読む限り、シェイクスピアなりに結婚には苦労していたようにも見受けられる。しかし一方で「強制されての結婚とは地獄そのもの、それに反して望み望まれての結婚は至福そのもの」と、同じ「ヘンリー六世」の中でサフォークに言わせたりもしている。 果たしてシェイクスピアは結婚に対してどのような思いを抱いていたのだろう。僕には知る由もない。けれどファンのひとりとして、彼の結婚が幸せだったことを祈りたい。“人生の墓場”などと嘆くものではなくね。 |
「おもしろく、美しく、ときに役立つ」もの 久々に明るいニュースが舞い込んできた。名古屋大学の野依良治教授が「不斉(フセイ)合成の研究」でノーベル化学賞を受賞した。化学に弱い僕には細部まで理解できないが、野依教授らの研究により抗生物質や心臓病の治療薬などにも工業生産の道が開かれたという。教授は受賞インタビューで「化学はおもしろく、美しく、ときに役立つ」と語った。 英語でchemistry(化学)という言葉が生まれたのは17世紀。ただ今日に近い意味で使われるようになったのは18世紀半ばだったから、シェイクスピア劇には出てこない。けれどchemistryの語源となった中世の化学、つまり卑しい金属を貴重な金に変える錬金術alchemyは出てくる。代表的なのが「ジュリアス・シーザー」で、シーザーを暗殺するためにブルータスを味方につけなければならないとキャスカがキャシスアスに語る場面。「あの男の姿は万人の胸に高々と刻まれている。俺たちにあっては罪と見えるようなことも、あの男の支持さえあれば、まるで素晴らしい錬金術だ。たちまち美徳と価値に一変してしまう」。 化学は昔も今も僕たちにとって“マジック”なのかもしれない。苦手意識が強い僕だったが、嬉しいタイミングでシェイクスピア文学との共通点を教えられたように思う。分野こそ違うがどちらも奥が深くて、何より「おもしろく、美しく、ときに役立つ」。 |