アリスとチェシャ猫の対話(69)
 
291アリス: 猫さんの問い「あなたは、ウサギとの追いかけっこを楽しみたいのですか。それとも、ウサギをつかまえたいのですか。もしつかまえたいのなら、最初につかまえたいのはどのウサギですか?」に対して

「私は、2、3羽のウサギとの追いかけっこを楽しんだあと、ウサギをつかまえたい。捕まえるときは最初に一番足の速いウサギです。」とお答えします。

ウサギを捕まえてしまえば遊べないし、遊んでいる内は捕まらないという矛盾があるので、欲張りの私はこう思う訳のです。

【290の猫さんのお話は、これだけで完結した豊かな内容をもっていて、本来もう何も言うことがないと言うべきだと思います。しかし、猫さんから待望の質問をお受けしたので、答えさせていただきました。

以下は、対話の流れから、無視して戴いて結構ですが、触れたい話題の一つに次のようなものがあります。

289、290と「しっくりこない」という表現が出てきましたが、不如意(「痛み」もその例だと思います)を表しています。「しっくりこない」は翻訳するのは難しい言葉だと思うのですが、それはさて置き、私はアリスの物語(ルイ・キャロルの「不思議の国のアリス」「鑑の国のアリス」の世界)の大きな要素であると私は考えています。

即ち、アリス自身の体が自分の意志に反して変化するだけでなく、出てくるキャラクターはアリスに対してつっけんどんで思いやりがなく、およそアリスの気持ちを考えてくれません。先ほど猫さんが引かれた箇所もそうですね。アリスは肩透かしにあっています。

(115でも同じところを引用しましたが、ここでも肩透かしに会いましたね。)このことの重大さに気付き、考えておりました所、「翻訳の国のアリス」の著者、法政大楠本君恵教授も同じことに関心を持ち、発表しておられ(2002年11月日本ルイス・キャロル協会。第8回大会)、結論は私と異なりますが、アリス学のテーマとしては、的外れでないと意を強くしました。

この不如意に立ち向かうアリスが「Alice in Tokyo」のネーミングのいわれなのですが、猫さんとの対話を続けながら、お釈迦さんの言われる「一切行苦」もこのアリスの世界も同じだな、と思ったわけです。「痛み」を不如意の例にして、猫さんにその解決法をお尋ねしたのもこのためです。お蔭様で回答は手中に入ったと思いますが、どう使いこなすかはこれからです。

「しっくりこない」のもう1つの観点は、木の上で現れたり消えたりできる猫さんと、地上から見上げているアリスの位置の差です。時々かみ合わないのはこの所為ではないかと思います。この対話の大半がこのテニエルの挿絵のような形で行われて来ました。

アリスの方はこの位置に少し飽きはじめたのでしょう。質問されたいという気持ちは、一度木に上ってみたいということかもしれません。すぐ落ちるかもしれませんが・・・

また、猫さんが地上に降りてこられることがあるかもしれないと思っています。

元祖アリスと元祖チェシャー猫のその後の会話は大変おもしろいところなので、その一部を引用します。

猫は、あっちの方は帽子屋、もう一方の方は三月ウサギと指しながら

猫「・・・訪ねたい方を訪ねなさい。どちらもきちがいです。」

アリス「でも、きちがいのところへいきたくないわ。」

猫「ああ、それは仕方がないよ。ここでは、みんなきちがいなんだ。私もきちがい。あなたもきちがい。」

アリス「私がきちがいだということどうしてわかるの?」・・

後はキャロル流のノンセンスが続きます。】

テニエルの挿絵

292 猫: いちばん足の速いウサギというのは、いちばん逃げ足の速いウサギということですね。よく遊んでくれます。そして捕まえたと思ったらいつのまにかスルッと消えていなくなっている。メーテルリンクが描いた青い鳥もそうでしたね。捕まえたと思って家につれて帰ると、色が変っていたり、死んでいたり、・・・・共通するテーマを感じます。人間はいつもそれを追い求めてきました。そして、最後は、ああそうか、探しにいく必要はなかったんだ、ということを発見したときに、終わるのです。

アリスさんの好きな旅行もそうですね。最後はいつも家に帰ってきて終ります。だからといって、旅行をするのが無駄というわけではありません。探しに行かなければ、探す必要はなかったということを発見することもないのです。

 さて、質問を二つします。

第一の質問: 日本ルイス・キャロル協会というのははじめて知りました。地球平面協会とかシャーロック・ホームズ協会のことは聞いたことがありますが。いろいろなことを趣味にする人がいるのだと感心します。

それにしても、「不思議の国のアリス」というのは不思議な本ですね。どうして、これが子供向けの本なのでしょう。私は子供のときに読んで、ぜんぜんおもしろくなかったという記憶しかないのですが、アリスさんはどうしてこの本にはまり込んだのですか。

第二の質問: 私がアリスさんの言葉でときどき「しっくりこない」という感じをもつのは、アリスさんが言葉にされていることを、どこまで「自分のもの」にされているのか、ということがわからないときです。その観点から、これからアリスさんにいくつかの質問をしたいと思います。

まず、290で私は「アリスさんが『自分は霊である』ということを本当に信じておられるなら、時間は無限にあるということがおわかりになるはずです」といいましたが、この私の言葉に違和感はお持ちになられないでしょうか。それとも、なるほどそうだと納得されているのでしょうか。

293アリス:ご質問を有難うございます。

第一の質問: <・・・アリスさんはどうしてこの本にはまり込んだのですか。>

どうして、そうなったのか分りません。原文は20年ぐらい前に読んでいたのではないかと思います。数年前、ふと自分はアリスではないかということが頭に浮かびました。廻りが不思議な世界だと気がついたのに対応しているかもしれません。自分の意図しないこと(良い意味を含めて不如意)が起きるし、長年いた会社という組織からも離れてゆく。そんな中で、アリスの本を読んでみると面白い。はまり込んだと言ってもまだ初期という所です。

なお、ルイス・キャロル協会は英国をはじめ多くの国にあり、それなりの歴史と活動実績を持っています。会員は数学者、自然科学者、写真家、アリス・グーッズ・コレクター、勿論、英文学者など多士済々です。

猫さんが子供の頃読んで面白くなかったのは分ります。童謡(ナーサリー・ライム)や言葉遊びが大きなウェイトを占めているので、英語圏以外の子供が楽しめるかどうか疑問です。私は少し童謡に親しんだのと、http://www.alice-it.com/lib1.htmlようやく言葉遊びが分るようになって、この作品が世に児童文学の金字塔といわれる意味が分って来ました。言いたいことが沢山あるのですが、またの機会に。

第二の質問: <・・・290で私は「アリスさんが『自分は霊である』ということを本当に信じておられるなら、時間は無限にあるということがおわかりになるはずです」といいましたが、この私の言葉に違和感はお持ちになられないでしょうか。それとも、なるほどそうだと納得されているのでしょうか。>

違和感はありませんでした。なるほど、そうだったんだと思いました。信じるとか、納得とか言われると自信はありません。もっと正確に言うと、信じてしまうともうあの世に行ってしまうという感じでしょうか? 291の答えにも関係しますが・・・

294 猫: アリスさんは、高校時代にヘッセを読み、いまは自分を「不思議の国に迷い込んだアリス」だと感じておられる・・・・。それは、アリスさんが、霊性の問題に非常に鋭い感性を持っておられることを示していると思います。私は、そのようなものが「魂の呼び声」であると、思うのです。

一方で、アリスさんは<信じてしまうともうあの世に行ってしまうという感じでしょうか?>という気持ちも持っておられます。そのような気持ちは理解できるような気がしますが、いましばらくコメントは差し控えて、質問を続けます。

アリスさんにとって、人間の「魂」という言葉はどういう意味を持っているでしょうか。それとも無意味な言葉でしょうか。

295アリス: すいません。ご質問の意味が分りません。「意識」「担当者意識」「霊」「神」と色々出てきましたが、こののほかに「魂」が出てくると混乱します。「存在の階層」の中にどう位置付けられるのでしょうか?

296 猫: 私が使っている特殊な使い方という意味でなく、世間一般で使っている「魂」あるいは「霊魂」あるいは英語のsoulという言葉を、アリスさんはどのように理解しておられますか、という意味です。

 たとえば、294で私は「魂の呼び声」という言い方をしました。また世間では、肉体は死んでも魂は永遠に生きる、というような言い方をすることもあります。そのような「魂」という言葉を聞いた時、アリスさんは何をイメージされますか。アリスさんが使われる「霊」あるいは「一なる霊」という言葉と、どういう関係に位置付けられますか。「自分は魂という言葉は使わないし、イメージもわかない」ということなら、それでも結構です。

297 アリス: 私には、私という個性を持った「魂」または「霊」があり、それが、猫さんと対話しています。それは「一なる霊」でもありますが、取敢えず、個性を持たないとお話ができません。死後にそのようなものが存続するのかといえば、その個性が不変とは思いませんが存続すると思います。

298 猫: 質問を続けます。

(1)「一なる霊」というのはもっとも根源的な存在であると考えられますが、それでよろしいでしょうか。

(2)「一なる霊」の中にたくさんの個性あるいは個性化した部分があり、それが人間の「魂」である、と理解していいでしょうか。部分といっても、霊に大きさはありませんから、たとえて言えば、オーケストラの音の中に含まれる各楽器の音色といったらいいでしょうか。オーケストラの発する音は、それ自体でひとつの音ですが、その中にバイオリンの音があり、チェロの音があり、クラリネットの音がある・・・というように、多くの「部分的」な音で構成されています。そのようなものと考えてよろしいでしょうか
299アリス:(1)OKです。

(2)<「一なる霊」の中にたくさんの個性あるいは個性化した部分があり、それが人間の「魂」である、と理解していいでしょうか。>その部分を「魂」という言葉をもって表すというのならOKです。いつか猫さんからお聞きした例えで言うと、「一なる霊」を金平糖とすれば「魂」はその突起のようなものです。音の例でも同じことになるのかもしれませんが、私にはちょっとぴったり来ません。

オーゲストラの例を使って、説明してみますと、全存在である「一なる霊」が演奏会場であると仮定します。ある「魂」は例えば今はバイオリン奏者であるという役割を持っている。ある「魂」は緞帳の役をしている。ある「魂」は楽屋に住むネズミといった感じでしょうか。ひところ、猫さんが好んで使われた担当者意識だと思います。担当は不変のものではありません。

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