「不思議の国より不思議な国のアリス」    
「から騒ぎ」についての英雄的パズル
(エレン・テリーへの手紙1)
A Hero-ic puzzle about Much Ado About Mothing

今年(2012年8月)のオックスフォード大学演劇協会(OUDS)の来日公演は「から騒ぎ」だった。「雑司が谷シェイクスピアの森」では仲間とそれを観劇し、数日後の半日、合評会のようなものを持ったが、その席で、チューターの関場理一先生から、この作品について、ルイス・キャロルから、エレン・テリー宛の手紙があると教えられ、それが掲載されているOxford School Shakespeare版の付録のコピーを取らせていただいて持ち帰った。
それはMorton Cohen 編のThe Letters of Lewis Carroll (1979) からの抄録で、家に帰り、原書を開くとその箇所にちゃんと付箋が張ってあり、また、自分のまとめた「キャロルの日記の中のシェイクスピア」を見ると、キャロルが何度も「から騒ぎ」を観劇していることもわかり、そんなことをすっかり忘れている、キャロル離れしてした自分に気付いた。

キャロルが1883年3月20日、エレン・テリーに宛てたこの手紙には「から騒ぎ」の不可解な点を、登場人物のHeroをもじって、a hero-ic puzzle英雄的パズルとして出しているで、最初はその部分だけ、シェイクスピア愛好家のために訳出しておこうと思ったのだが、パズルの部分以外で、エレン・テリーや成人となった女友達との交友関係や彼の哲学の一端を示しているので、手紙の全文を訳出し、キャロル・ファンにも楽しめるようにしました。

手紙の紹介の前に、キャロルとエレン・テリーとのかかわりや、「から騒ぎ」上演の跡を少し辿っておきます。

1856年(キャロル24歳)に「冬物語」のマミリアスとして出演した9歳のエレン・テリーに感動して以来、生涯、テリーの舞台を見続けたキャロルは、エレン・テリーの舞台を最も多く見て来た人かもしれない。コーエンの『キャロル伝』には、日記に83回登場するとあるが、テリー一家の交流のことを含めるとその倍以上ある。エレン・テリー以外にも一家と親しく、写真を撮り、キャロルがテリー家と特別の関係を取り結んでいたことも伺える。女友達と観劇のために、エレン・テリーに電報で席の確保を依頼したりしているし、演技や演出についての意見も何度も述べている。彼とエレン・テリーの波乱の人生や一家のことを絡めて書くと一冊の本ができるほどである。(既にあるかもしれないが)

キャロルが「から騒ぎ」を観劇したのは、日記から拾うと、1882年(1回))、83年(2)、84年(1)、87年(1)各1回、合計5回で、いずれも、劇場はThe Lyceum.。ベネディック役は希代の名優ヘンリー・アービング。相手役のベアトリスがエレン・テリー。

The New Cambridge Shakepeare版の「から騒ぎ」の編者、E.H.Maresによると、ヘンリー・アービングとエレン・テリーによる「から騒ぎ」は1882年10月11日から212回の公演の後、アメリカへ渡り、そこでも大成功をおさめて、ロンドンに帰って来たとある。同書には1882年のエレン・テリーの舞台写真が大きく掲載されている。その初演が10月11日とすれば、キャロルはこの初演を見ている。1884年7月5日のキャロルの日記では743回を見るともある。いずれにしろ、ヘンリー・アーヴィングとにもエレン・テリーにも当たり役の一つであった。

「から騒ぎ」という作品をまったく知らないと、後の話が分かりにくいと思うので、未知の方のために、最小限のあらすじを書いておきます。

これはクローディオとヒーロー、ベネディックとベアトリスという男女2組のカップルが結婚するまでの、すったもんだを描いた作品。クローディオがヒーローに惚れ込み、上司ドン・ペデロの取りなしにより、めでたく結婚にこぎつける。この結婚を快からぬと思ったドン・ジョンが従者ボラチオと組んで、姦計を用いて破談を目論む。姦計のというのはヒーローの侍女マーガレットとボチオの逢引の場を、ヒーローの寝室から、クローディオとドン・ペドロに見せ、あたかもヒーローがふしだらな女と思い込ませようというものである。まんまと成功し、結婚式の場に至って、クローディオはヒーローを拒絶し、ヒーローは失神してしまう。
一方、この劇は、最初から、ベネディックとベアトリスが舌戦を繰り返し、終始突っ張り合っていたのが、周りの策略で次第に結ばれていくというのが見所なので、この2人が主役で、クローディオとヒーローは準主役といったところ。
すったもんだの後、2組のカップルが生まれ、めでたし、めでたしで終わる。

キャロルがこの手紙を出す、5日前に、女友達ルーシー・アーノルド(1858−1899))を「から騒ぎ」を観に連れて行っている。
キャロルの日記ー1883年3月15日

町へ行く。ルーシー・アーノルドとの約束ー彼女にとって初めての観劇へ連れて行ってあげようというー約束を果たすためである。グレート・ウエスタン・ホテルに投泊。午後、チャップハム通りへ行く。私の幼い文通友達「アディー」に会うためだったが、一家は町にいなかった。
私たちは丁度良い時間にthe Lyceumに着いた。公演は素晴らしい出来栄えだった。私は「ベアトリス」(エレン・テリー)に、彼女の「カード」でも届けてくれたら、ルーシーが大変喜ぶだろうと、予め仄めかしておいた。彼女は「箱」を、しかもエーテルの分まで贈ってくれた。彼女は間違いなく、人を喜ばせるような贈り物をする達人である!
私たちはお礼の寄せ書きをして、彼女の元に送った。私のエレン・テリー嬢への書付に、以前、ヒーローの失神が2度あるのは具合が悪い、一度きり、やりたいところで失神するのが良いと示唆したこと。それが今夜は実行されていたが、私の示唆によるものか、他の人によるものか、テリー嬢は言わなかった。(と書いた)
 ー E..Wakeling版日記から

この日の日記はこれだけだが、気になる点は、ルーシーの初めての観劇が25歳であることである。彼女の妹にエーテル(1862−1908)、ジュリア(1866−1930)がいて、共にキャロルと親しい。その後ルーシーは結婚し、この日記の2年後、ジュリアの結婚式に出るために帰省した際、夫を伴って、キャロルを訪ねている。さらに言うと、ジュリアはオルダス・ハックスレーの母、詩人マッシュー・アーノルドは彼女たちの叔父に当たる。

この観劇の5日後、

キャロルからエレン・テリー宛の手紙1883年3月20日ー

 Wardell夫人殿
  この手紙には返信は要りません。あなたが、手紙を書くのは億劫な事と思っていることを知ったからには、(これはポリーから聞いたと思うのですが) あなたの疲労を増すことは何もしたくありません。というのも、あなたは大変忙しいことを知っているからです。 しかし、手紙を読むことはほんの僅かな時間または労力で済みますし、さらに、あなたにはそれを読む義務もありませんものね。
  ルーシー・アーノルドが私に言うには、お芝居のあの夜の思い出が、彼女の日々の生活の中で、益々楽しいものになって行くと。(彼女が50歳になるまでそれがどうなっているか、また、彼女が今の、またはこれから来るであろうエクスタシーが確かなものか、大きな問題ですが) もうお分りでしょう。あなたがどんな大きな幸せを与えたか。あなたの演技によって(これは、他の人にも同様ですが)それだけでなく、彼女への特別な好意を示すことによって。
私は思うのですが、あなたは、多くの人が長い人生で学ぶことがないような、一個の哲学を修得しておられます。− それは、どんな小さな幸せでも、自分のために守るは、絶望的な程難しく、また、骨を折れば折るほど、益々失敗するものですが、他人のためにそれを守るのは、こんな容易なことはない。だから、AがBの幸せのためにし、BがCの幸せのためにと次々しさえすれば、私たちはみんな幸せとなるはずです。そして、天国を待つ必要は殆どなくなるでしょう。私たちは幸せにきっとなります。私が好んで繰り返し読んでいる詩があります。それはこのことを、私が出来る以上に見事に言っています。その詩をさらに読ませて、あなたを疲れさせるというリスクを犯して、あなたのために写しておきましょう。

  エーテルは昨日午後ここに来ました。あなたの古い手紙をとても読みたがったので、彼女のために取り出しました。彼女が無遠慮にあなたに手紙を書いて、サインを求めたことを、これまで知りませんでした! 彼女は今は、彼女にとって貴重な形で、あなたが彼女に贈った写真の上にサインを持っています。彼女は今は定期的のお芝居を見ています。あの少女が。もし、彼女がいつか舞台の道に進んだとしても、驚かないでしょう。彼女に演技の才能があるか私には分かりませんが、情熱が役に立つなら、彼女は成功するはずです。

  さて、これから、私の’Hero-ic puzzle’英雄的バズルを披露しましょう。
どうか、私があなたの答えを求めているなんて思わないでください。というのも、もし私があなたにシェイクスピアの難問を解くのに助けを求めたとしても、あなたは私が冗談でやっているに違いないと信じて疑わないでしょう。しかしながら、あなたが自分自身で解決したくなくても、多分、、アービング氏に彼がどうこれを説明するか聞いてみたいでしょう?

私の難問は次の通り: 一体なぜヒーロー(あるいは、少なくとも彼女を弁護すべきベアトリス)が嫌疑に答えて「アリバイ」を立証しなかったのか?彼女が自分の寝室で寝なかったことは明らかに思える。なぜなら、侍女マーガレットが主人の寝ている寝室で、窓を開けてそこから話すということがありえるでしょうか?きっと彼女の目を覚ますに違いありません。さらに、ボラチオが、マーガレットとヒーローの部屋の窓から、彼と話す約束をした後で、「ヒーローがそこに居ないように、取り計らっておきます」と言っている。(どうして彼にそんな芸当が出来るかはも一つの難題だが、問わないことにします。)

  所で、その夜、他の部屋で寝たと認めるとして、どうして彼女はそう言わなかったのか?クローディオが「昨夜、12時と1時の間、あなたの窓辺で話していた男は誰なのか?」と彼女に問うた時、どうして次のように答えなかったのか?「殿、私はその時間、どなたとも話しておりません。昨夜は私の部屋に居なかったのです。ずっと離れた他の部屋に居ました」そして、このことは、勿論、侍女の証言によって証明されたはずです。侍女はヒーローが、その晩、他の部屋を使ったことを承知していたはずだからです。
  しかし、もしたとえ、ヒーローが余りにも動転していて、昨夜どこで寝たか、または、どこかで寝たことさえ思い出せないと考えられるにしても、ベアトリスは彼女について知っていたことは確かではないか?一年間寝室をともにしていたのに、その夜、一緒に寝ないという手筈がなされた時、ベアトリスが、ヒーローがどこで眠るか知らないなど、考えられないではないか?どうして彼女は答えなかったのだろう?
     いいえ、お殿様、いとしのヒーローはそこで休ます
     ちょっと他の部屋に居ましたのよ
     まやかしに違いありません。他の人に窓辺に立たせ
     声や格好やしぐさを真似させて
     ペドロ様やお仲間を欺いたのです

こんなに「アリバイ」証明の好材料が揃いながら、誰も思いつかないなんて理解に苦しみます。
その場に弁護士が居て、ベアトリスに尋問してくれたらと思います。
「お願いですから、よく聴いてください。陪審員に聞こえるようはっきり言ってください。 あなたは昨夜どこで寝ましたか?ヒーローはどこで寝ましたか? ヒーローが自分の部屋で寝なかったと誓いますか?ヒーローがどこで寝たか知らないとあなたは誓いますか?等々
私はかのウェラー氏を引用して、ベアトリスに向かって、その演技の終わりに言いたくなる。(ただ、客席からフットライト越しに言うのはエチケット違反ではないかと恐れるのだが)「 おお、サニベル、サニベル、どぎゃして、アリベエが、なかったのか?」

 しかし、おしゃべり続けると退屈するでしょう。先に言った詩句を写しておきます。
    ーーーーーーーーーー
     そして、もし、地上のお前の生に
     部屋に、炉辺に
     町の喧騒の中に
     また、寂しい高丘の上に
     お前が平和の思いを起こし、
     悲痛な考えを収束させ
     憂いに包まれた魂の上に
     喜びの微光を放つことが出来るなら
     労を惜しむな、わが子よ
     喜びを受けた者は祝福の水が流れ出す
     荒野の中の湧き井戸を
     決して知ることはないが・・・
     幸いにも為したということの中に
     お前の報酬を見出せ;
     他人の喜びで喜びを
     お前の胸にも満たせ。
     そして感謝の心という愛が
     豊かな報酬として与えられるなら
     感謝の心という愛を
     天なる愛の神へ捧げなさい。
    ー−−−−−−−−−−−−−−
所で、言い忘れてはならないことは、失神の場の変更は大変立派な改善だと思いました。この変更は誰か他の方の示唆によるものと推測します。以前も示唆しましたが(あなたが私のお陰だと言われないので) さりながら、私の意見がこのように実行されたことは嬉しく思います。
  子供たちによろしく。             
                             敬具 
                             C.L.ドドソン

本文を出来るだけ直訳し、原文イタリックスのところは斜字体にしてある。一部訳者がゴシック体にした。
コーエンの注などを利用して、若干補足すると、
Wardell夫人とあるのはこの時は、俳優のCharles Kelly Wardellと結婚していたため。
ポリーはエレンテリーの妹の一人、写真も撮っている。
ウエラー氏以下はディケンズの『ピクウイック・ペイパーズ』34章最終行からの引用。
引用の詩はキャロルの友人、ジョージ・マクドナルドのもの。

キャロルの出したHiro-ic puzzleは、誰でもが思いつく問題であるが、考えれば考えるほど謎が深まる。一体、ヒーローはその晩、どこにいたのか?  皆さんいかがですか?

この手紙は、「英雄的パズル」の前後に、キャロルの人生哲学のようなものが示されて興味深い。それを一口にいうと次のようなものになるでしょう。

     他人の喜びで喜びを
     お前の胸にも満たせ
     そして感謝の心という愛が
     豊かな報酬として与えられるなら
     感謝の心という愛を
     天なる愛の神へ捧げなさい。

     
この原文を掲げておきますので、拙訳の不備をご指摘いただければ幸いです。
     Let the joy of others cause joy to spring
     Up in the bossom.
     And if the love of a grateful heart
     As a rich reward be given,
     Lift thou the love of a grateful heart
     To the God of Love in heaven.

                    宮垣弘        2012・9・18改
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