不思議の国より不思議な国のアリス 
『ローズ・イン・タイドランド』 Rose in Tideland

大学の同級生のU君が、『週間ST』という英字新聞の『ローズ・イン・タイドランド』という映画についての切抜き*を送ってくれて、この映画が上映されているのを知りました。『不思議の国のアリス』をモチーフとした小説を映画化したものとありましたので、キャロル・ファンの方にもメールで知らせ、自分の早速見に行きました。映画には主人公が「不思議の国のアリス」を読んでいたり、ウサギ穴に落ちるシーンもあり、明らかに「アリス」を本歌取りしているのですが、麻薬、狂人、死体剥製、性、殺戮と子供には見せたくないようなエロ・グロ的要素もあって、ショックを受けました。とりあえず、先にメールした方が週末、家族や恋人とこの映画を見に行かれたら大変と、慌てて、この映画がその手のエンターテイメントのものでないことをお知らせしたことでした。

物語はこんな感じです。

10歳の少女、ジェライザ・ローズ(ジョデル・フェルランド)は元ロックスターのパパと、チョコレートを食べつづけるママと暮らしている。ローザは「不思議の国のアリス」を読むのが大好きで、両親の世話やかいがいしく焼いている。二人とも麻薬を取っているが、父は時々ヘロインを注射して"バケーション”に入るお手伝いをするのもローザの仕事。ある日、母は薬を摂り過ぎ死んでしまい、ローザと父は父の故郷へと向かう。そこはテキサスの草原の古い壊れそうな一軒家だった。

ローズのトランクには、ママの形見のドレスとお気に入りのお友達4人(頭だけのバービー人形たち)が入っている。この友達と話しながらローザは行動することが多い。
父はは一息つく(薬をとる)と"バケーション"に出てしまった。そしてそのまま死んでしまう。
ローザは屋根裏部屋でお祖母ちゃんの衣装や宝物を発見する。

草原で遊んでいると黒ずくめの服を着た幽霊女に遭遇する。そして、その弟ディケンズとも付き合いが始まる。彼は、手術で頭にイナズマ型の傷を持ち、精神薄弱児に近い。ローズはディケンズに、秘密の屋根裏で見つけた金髪のウィッグを着けてお化粧を施したパパを紹介。ローズはディケンズとの付き合いに楽しみを見出す。
この頃になると、観客は監督テリー・ギリアムの手中に捉えられ、ローザと行動を共にしているような気分になっている。後半、色々な出来事があって、思いもかけない終わり方をする。

これから映画を見る人のためにあらすじの紹介はもれぐらいにして置きましょう。

終わった時は、なんだか強烈な重いイメージが覆い被さり、悪夢を見た後のように気持ちが沈んでしました。平日の映画館は半分ぐらいの入りで、若い男女も多くいましたが、今ひとつ割り切れない表情で席を立っていきました。
この映画は正調アリス・ファンにも正調キャロル・ファンにも違和感を与える映画といえるでしょう。

キャロルの「アリスの物語」はもともと子供のクリスマスの贈り物としておかしくないように書かれた物語なので、子供も大人も安心して読めるのですが、そのレベルでの愛好家を正調アリス・ファンと呼ぶことにします。『不思議の国のアリス』の終わりで、アリスのお姉さんは少女アリスが、いつまでもシンプルな心の持ち主であって欲しいと願っていますが、そのような純な気持ちでアリスを愛するのが正調アリス・ファンと言えます。
このファンをもう少し拡大し、作者キャロルを含めて愛するのが正調キャロル・ファンと言えるでしょう。
そのキャロルとは、オックスフォードの数学の先生として、まじめに生涯を過ごし、数学のほかに子供のための本を書いた人。その本はその後、次々と出てくる質の高い児童文学の流れにあって、金字塔とも言われるものであります。良家の少女を愛し、家族思いで、写真撮影や観劇好きのビクトリア朝紳士に相応しい人といった感じです。このファンは当時の文物もあわせて イギリスの上流社会の文化、つまり、輝かしき大英帝国の文化を愛するのが普通です。この正調派はキャロルをロリータ・コンプレックスと見たり、「どもりの少女誘拐者」などと言われると、そのファンまで同類に扱われる感じがして、当惑してしまうのです。

さらに、この物語から、そのゆかりの本やグーッズを集めたり、多くの意味を引き出そうという気を起こさせるのも確かで、さらに、この物語の翻訳を含めバリエーションを作りたいという欲望に駆られるのも確かです。正調アリス・ファンは拡大を続け、変形された形で、異端とも言えるものまで生まれてきます。コスプレはどうか、ロリコンはどうか?おそらく正調派は拒絶するでしょう。しかしこれらが正統なものに入らないかどうか大変議論のあるところなので、私はあえて「正調」と言って「正統」と言う言葉を避けたのです。

他人の創りだしたものをベースにを、自分の想像力(妄想?)によって変形することは、あらゆる芸術の行うところで、これを禁止することは出来きません。モナリザに髭を描いても、「君が代」を猥褻な唄に変えたとしても、その事の価値は別にして禁じることは出来せん。シェックスピアもその多くの作品は先行する物語のシェクスピアによるデフォルメといって言いのですから、先行作品に刺激され、変形、拡大し、換骨奪胎して自分の作品を作るのが芸術家というものです。

もともとキャロル自身がパロディーやデフォルメを好み、「アリスの物語」もその例に満ちた作品です。中にはグロテスクなものも含み、狂気、暴力、理不尽、ノンセンスそのものといってもいいのかもしれません。それは、イギリス文学の伝統とも言える、狂気、ノンセンスの許容であり、 社会常識的基準、モラルとの繋がりを切り放し、奔放なイマジネーションを開花させた点で『不思議の国のアリス』は児童文学の金字塔としての価値を担ってといわれ訳ですから、大きく変容させることこそキャロルの系譜と言えますし、逆説的ですが「正統派」と呼んでもいいくらいです。
「正調派」と「正統派」の分かつ境界は何かといえば私は「性」だと思うのですが、この議論は別の機会に譲りたいと思います。

私は、この『ローズ・イン・タイドランド』という映画に強烈な印象を受けたので、ギリアム監督のことが気になり、同監督の『ブラザー・グリム』も見てみました。ごれもグリム兄弟がペテン師と描かれている点、正調グリム・ファンはおそらく反感をもつのでしょうが、グリムの世界もある意味で再現されていて、この監督の世界に結構はめられてしまします。体当たりで自分のグリムを吐き出していることが分ります。
先行する物語を換骨奪胎して自分の作品を作るという点では、『ローズ・イン・タイドランド』の方が、ギリアムが自分のアリス像をのびのびと打ち出していると思いました。

この映画にはアリスのモチーフがふんだんに出てきます。『千と千尋の神隠し』にその影響を感じた人には、この映画はもっと類似点を見出すことでしょう。例えは、パパ―青虫、ママー白の女王、幽霊女ーハートの女王、ディケンズー気違い帽子屋と直接結びつけることは出来るかもしれませんが、その性質の一部を共有してり、場面展開の飛躍がアリス的で、上手く観客を「不思議の国」に引き入れています。最も重要なことはローザをアリスに対比させることが出来るということです。独り言を言いながら、それも、ビーバー人形との対話という増幅されたやり方でなされますが、自分の前に繰り広げらる奇怪な出来事に対する彼女の対応を見るとこのローザは私には全くアリス的に見え、 この意味で、テーリー・ギリアム監督がローザをアリスの延長線上に描いたのは私には納得がいきます。

映画の終わりあたりでは、彼女は口紅を厚く塗って、精一杯おめかしをしてディケンズに会いに行くシーンがありますが、これなどアリスを乗り越えた実在感を与えています。このローザの強烈な存在によってこの映画は成功作と思います。
「アリスの物語」と同様にシンボリックな事柄に満ちていて、その深い意味を汲み取って行く人も多く出て来ることでしょう。

U君から貰った切抜きを改めて読んでみると、大変重要なことが書いてあることが分かります。
この記事はギリアム監督が今年4月に来日した時のインタービュー記事なのですが、私の心に残った個所を抄録しておきます。

Q:あなたの子供時代はどこかローザと似た所がありましたか?
A:(田舎育ちで、林や沼地で遊ぶのが大好きたったと少年時代を回顧した後) 64歳にして、私は自分の内なる子供を見出しました。それは少女でした。

Q小説に合わせるのは難しかったですか?
A:易しかった、(中略) 我々は映画では、「不思議の国のアリス」をより多く強調したかもしれませんが、それは観客に我々がどこに向かおうとしているか分かりやすくするためでした。

Q:あなたは映画の暗いテーマをジョデル・ファーランド(ローザ役)にどう説明しましたか?
A:私は説明する必要はありませんでした。この子は素晴らしい才能をもっていました。(brillant) 彼女はこのセットの中では最も老練な(the oldest person)で、私は彼女に演技をつけませんでした。私が彼女をその状況に置けば、それをこなしました。彼女の選んだ行動には皆驚いたものでした。

Q&Aの最初の「私は自分の内なる子供を見出しました。それは少女でした」というくだりは、既に採り上げたこともあるアリス=キャロルのアニマ(内なる女性像)にも附合して私には感銘深いものでした。

U君のお蔭で、又一つキャロルへの理解が進んだように思ったことでした。

06・07・25(改29)

(映画の原作Mitch Culin「Tideland」はまだ読んでおりません。何れ読むことになると思いますが、その時は又報告します。)

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*週刊ST 2006年7月14日号