「不思議の国より不思議な国のアリス」 | |
プロスペローとしてのキャロル | Carroll as Prospero |
(日本ルイス・キャロル協会会報「MISCHMASCH』8号 2006に発表のものを転載)
シェイクスピアの「テンペスト」はキャロルの好んだ作品であるが、それは彼の作品に反映しており、さらに、その主人公プロスペローは、キャロルの一面を表すのに大変良いモデルでもある。キャロルの人間像は既に多くの伝記や研究によって示されているので、屋上に屋を重ねる観があるが、ここでは、キャロルをプロスペローに見立てることにより、彼の豊かな人生の基調の一つを引き出してみたい。
1.少女自身のためのシェイクスピア
1882年3月13日のリチャード夫人宛ての手紙でキャロルは、少女のためのシェイクスピアを作ろうとしているので、その作品の選定を手伝ってくれそうなお母さんを推薦して欲しいと依頼している。子供のためのシェイクスピアは既にThomas BowdlerのThe Family Shakespeare (1818年)があり、キャロルの頃は、子供のために書き換えることをbowdlerizeというほどポピラーで、この手紙の中でもキャロルはBowdler版を少女に合うように徹底的にbowdlerizeするという言葉を使っている。ところが、この手紙の2日後、Brandmanの子供用のSelections from Shakespeareを入手している。彼の目からはこれでも不十分であった。さらに、83年11月、彼の友人でもあり、少女のための雑誌や物語を書いていたYongeも子供用のシェイクスピアを手がけるに及んでキャロルの「少女自身のためのシェイクスピア」は立ち消えになりそうになるが、彼女の手がけていない「テンペスト」に取り掛かっているとアリス・パーカーへの手紙にある。1885年3月29日の日記にはなお「テンペスト」に取り組んでいると書いており、彼は真っ先に「テンペスト」を完成しようとしていたようである。
キャロルはまず性的な匂いを消そうとしたのではないかと思うのだが、Bowdler 版もBrandram版も読んでみた限り、私の思いつきそうな箇所は既に削除されており、キャロルが何所を削ろうとしたのか分からなかった。
もし彼の草稿でも残っていれば彼が少女に見せたくなかったものは何かが分かって面白いのだが・・・
彼がなぜ「テンペスト」を取り上げたのかも分らないが、私の推測では「テンペスト」の中身が彼の好む世界と近く、また、主人公プロスペローに自分の似姿を見出したのではないかと思う。
2.「テンペスト」とキャロルの作品
キャロルを「テンペスト」の主人公プロスペローに見立てるという話題に入る前に、この作品とキャロルの作品との関連を見ておきたい。
2・1 物語の構造
「テンペスト」は猛烈な嵐によって始まり、登場人物も観客もその世界に引き込まれ、様々な出来事が起き、やがてはその魔法(あるいは夢)も解け、元の世界に戻る。アリスの物語も「穴に落ちる」「鏡を通る」に始まり、夢の世界に入り、やがて覚めるという構造は同じである。このような構造は古今東西の物語に遍在する現象であるかもしれないが、物語の中で魔法または夢であることが強調されている点でも両者は関連深い。
プロスペローは元のミラノ公として帰還するのであるが、元の鞘に収まり、これまで通りの生活が続くとすれば、「テンペスト」全体がプロスペローの夢とみることもできる。
2・2 様式
「テンペスト」はエアリアルの歌をはじめとしてステファーノ、妖精などの歌が随所に散りばめられていて、シェイクスピアの作品の中でも特にストーリーと歌が巧みに構成された作品とされているのだが、アリスの物語もこの伝統を引き継いでいる。
2・3 夢
「テンペスト」の中で最も有名な台詞はプロスペローの次の台詞
We are such stuff as dreams are made
on,
and our life is round with a sleep.
「われわれは夢と同じ素材で織りなされており、はかない一生はひとの眠りなのだ。」[4・1・156―]
アリスの物語は全体として、この夢を取り上げているのだが、「不思議の国」の終章、「鏡の国」では、赤の王さまの夢や終章で夢をクローズアップさせている。その巻末の詩の中での、Life, what is it a dream ? や、「シルビーとブルノー」の序詞の、Is all our life, then, but a dream? に直接響き合っている。
(このテーマはあまりにも重いのでまた、別のところで取り上げたい。)
2・4 迷路、迷宮
「テンペスト」の島が迷宮であることは、ゴンザローの「ここは全くの迷路です。まっすぐ行くかと思えば、元に戻ったり。」[3・3・2―]やアロンゾーの「ここにはあらゆる責苦、厄介、不思議、驚嘆がある。」[5・1・242−] で分かるが、「不思議の国」でもアリスはどこをどう行けばよいか分からない。「鏡の国」ではチェス盤ということで読者は多少の見通しを与えられるが、アリスにとっては全く迷路なのである。第二章冒頭のアリスの体験とゴンザローたちの体験とよく似ている。
2・5 騒音
「テンペスト」は「・・・この島は騒音や音楽やきれいな歌声で一杯・・・」[3・2・127―]とキャリバンも言っているように不思議な音や騒音に満ちている。
「鏡の国」はいたるところに喧噪の感じがあるが、特に、ライオンとユニコーンの章でも強烈な音が出てくる。
2・6 犬
プロスペローとエアリアルが謀反を起こしたキャリバン、ステファーノ、トリンキュローに犬をけしかけて追うシーンがあるが、その犬の一匹の名はFuryで、「不思議の国」の例の「長い尾話」の主人公としてとして登場する。
ついでに触れると、「長い尾話」をするネズミがアリスに対して、「あなた聞いていないわね!You are not attending!」と詰問するところは、プロスペロー がミランダに身の上話をするときに、「お前聞いていないなthou attend’st not!」[
1・2・87]という場面を思い出される。
アリスの物語以外では、風刺文「クライスト・チャーチの新しい鐘楼」の中にエアリアルの歌がパロディー化されて使われているなど、キャロルが「テンペスト」に馴染んでいたことが分かる。
3 プロスペローとしてキャロル
上述のように「テンペスト」とキャロルの縁は深いのであるが、その主人公プロスペローの人間像はキャロルのそれと重なるところが大きい。
プロスペローは魔術に熱中の余り、その地位を失うのであるが、彼はその魔術を用いて復讐し、復帰も計る。その後、その魔術をすて、故郷に静かな余生を過ごそうとする。
プロスペローは魔術師である一方、世事にはあまり関心のない、孤独な隠者的面影を持つ。キャロルがこのようなプロスペロー的性格を持っていることをこれから見たい。
3・1 魔術師プロスペロー=キャロル
「プロスペロー は大公としては最高で、威厳においても、文芸においても並ぶものがないと言われたものだ」[1・2・66―]
ヤン・コットが「シェイクスピアわれら同時代人」(1964年)の中の「プロスペローの杖」で述べていように、プロスペローの人間像を考える時、魔術師・ルネッサンス的普遍人と捉えるのが面白いと思う。彼によるとレオナルドの自画像を見るとプロスペローのイメージが涌くという。レオナルドは長年ミラノ公に仕えたこととプロスペローがミラノ公であることにも関係するのかもしれない。魔術の知識を備え、様々な発明・都市設計・運河・大砲・飛行機を構想したダヴィンチとプロスペローとは相通じるものがある。ただ共に余り現実の実効性を考えず、現実性を伴わないので歴史を変えることはしなかったとヤン・コットは述べており、これはキャロルのイメージとも繋がるのである。
ヤン・コットから10年後、高橋康也は「魔術・反魔術−キャロルとレオナルド」という論文(「ノンセンス大全」に収録)でキャロルを魔術師・ルネッサンス的普遍人レオナルド・ダ・ヴィンチになぞらえて論じている。両者の共通点として、左利きで鏡文字を良くし、子供が好きで、生涯独身であった。数学が得意で機械に興味があり、発明家であると共に美術、詩を愛することでも同じである。
2人は普遍人(ホモ・ウニヴェリサリス)なのであるが、キャロルのスケールは遺憾ながら小さく、レオナルドの縮尺化、戯画化、ノンセンス化、奇妙な発育不全の《普遍人》、変則的な《魔術師》と言っている。
私はむしろプロスペロー=キャロルと見たほうが相応しいと思う。ことはヤン・コットのプロスペロー=レオナルド説と高橋康也のキャロル=レオナルド説から、私のキャロル=プロスペロー説は必然的に導かれそうだが、私の発想は逆の経路を辿ったものである。つまり、後に述べるようにキャロルの魔術はレオナルドよりプロスペローのそれに近いということを思いつき、先人の論述を改めて繙どいたのである。
3・2 孤高の人プロスペロー=キャロル
プロスペローとキャロルの共通点はもう一つあって、それは権力に無欲で、自由を渇望し、何よりも孤独を愛する人であったということである。プロスペローは早く妻を失い、独り魔術の研究に沈潜しており、再びミラノに帰っても静かな余生を送ろうと願っている。[5―1―309]
キャロルは、俗に言う世捨て人ではなく、姉妹、弟、親族の面倒をよくみ、多くの人と交わり、忙しく社会との接触をもっている。しかし、心のどこかに孤独を愛するものを持ち、晩年には、通り一遍の社交上の付き合いから遠ざかっている。
ルイス・キャロルというペンネームで最初に発表された詩「孤独Solitude」(The Train1856年)は、その後のPhantasmagoiaへ、更に最後の詩集Three Sunset and Other Poems(1898年)にも取り入れられていることから分かるように、孤独は彼の本質であると思う。
3・3 キャロルの魔術
プロスペローとしてのキャロルを見るとき、その中核をなす魔術はどんなものだったのかを見てみたい。
先ずクロフトの牧師館の庭に繰り広げられた鉄道ごっこが挙げられる。その頃のキャロルはよく鬘をつけ、白いローブを羽織って魔術師の扮装をした。人形劇などによって兄弟姉妹たちを幻惑したことはコリングウッドの書いた伝記に見える。家庭回覧誌、アリスの物語、詩、キャロルの魔法の変形と考えられる。彼の作品の多くが、パロディー、言葉遊び、トリック的なものを含み、文学の世界より魔術の世界に近いといってよいと思われる。彼の語り口は魔術師のように子供たちを引き込むものがあった。ゲーム、なぞなぞ、パズル、玩具といったものへと広がる。
写真も当時魔術的なものであったし、特に子供を暗室に入れ、現像の過程を共にするとき、写真は素晴らしい魔力を発揮した。
これらのキャロルの持ち駒を駆使して、総合芸術としての魔術を使ったのがイーストボーンを中心とした「少女狩り」とも思える行動であり、彼の最大の楽しみであったのだと思われる。
一方、プロスペローの魔術の源泉を見てみると、絶えず「本」に言及していることがわかる。
「(ゴンザローは)私が本を愛していることを知っていて、私の蔵書の中から、公国より大切と思っている書物を持たせてくれた。」[1・2・166−]
「本に戻ることにしよう。夕食前にやらねばならぬことがたくさんある。」[3・1・96−]
「キャリバン:・・・まず彼の本を取り上げること・・・・ただ、本を焼いてしまえ。彼は素晴らしい道具をもっている。それを家に飾ると言っている代物だ。」[3・2・81−]
これはプロスペローの魔術が「言葉」によることを意味し、「夏の夜の夢」の魔術が三色スミレの汁など薬物的なものによるのとは異なる。オベロン・パックの化学的魔術に近いのは写真であり、キャロルは一時それにとりつかれるのであるが、1880年ごろから町の写真屋の普及によって、現像の神秘性が失われてくると自分で写真を撮るのをやめてしまっている。
プロスペロー は、自らは魔術を実行せず、専らエアリアルたちを駆使しているのだが、これは彼らを言葉で呪縛したのであろうと思う。
私はキャロルの魔術の本質もプロスペローと同様に本―言葉―ロゴス―ロジックールールであったと思う。
魔術は現実の世界とは異なった世界を人の心に描かせるものであるが、描き出された世界にはそれなりのロゴス(言葉、論理、ルール)が存在する。そのロゴスに人を導き、乗せることが魔術であり、人がそれに従った時に魔術の有効性が確認できるのである。鉄道ごっこもその初期の一例であり、独自のルール(ロジック)に従わせるものである。後々の彼の言葉遊び、論理学もそうであるし、選挙制度、トーナメントの公平な賞品授与法、郵便制度への提言などへと連なっている。何よりも、アリスの物語の登場人物がそれぞれ自分のロジックを持って登場する。白兎、ネズミ、ドードー・・・と「不思議の国」の登場キャラクターはそれぞれ風変わりな気質を持っているようであるが、その本質はそれぞれ個性あるロジックを持っているのである。簡単な例を挙げれば、鳩のロジックの中には「長いもの=蛇」帽子屋のロジックには「時=お茶の時間」という風に独自のロジックがある。「鏡の国」では更にこのことは徹底し、チェスの駒ということでロジック性が高まっている。ロジックの個性とは、例えば、ユークリッド幾何学の前提となる公理(ロジック)を少し換えると非ユーグリッド幾何学が生まれるようなもので、ちょっとロジックを変えるとどんなことになるか、これがアリスの物語を読む楽しみなのである。
ノンセンスと思えるが確かにロジックであり、アリスを引き入れようとする。
このように、言葉・ロゴス・ロジックがキャロルの魔術の本質だと思う。
3・4 魔術の対象 少女と自分
プロスペローの魔術は謀反人を改心させ、娘をナポリ王の後取り息子に結びつけることに使われたが、キャロルはどうだったかといえば、彼の最も魔法を掛けたかったのは「少女」だったと思う。
キャロルにとって少女とは、まず美しいもの、品のいいもの、無垢なるものものであった。ノンセンスへ共感し、不思議なことにロジックにも反応するもので、アリスがその代表といえる。
このような少女には彼はどこか聖なるもと感じていたようで、少女が朝、散歩にキャロルを誘いに来るようなことがあれば彼は大変名誉に感じた。
「テンペスト」のミランダはそろそろ性にも目覚め始め、地位など世俗的なものに興味を示し始めており、キャロルの「少女」からは離れつつある。キャロルは「少女自身のためのシェイクスピア」でミランダをどう扱おうとしたか興味深いことである。
彼が魔術を行使したのが少女であったことは彼の日記を見れば分かるが、少女と何分で友達になったという記述とか、新しい少女友達のリストを見ると、魔術師キャロルの姿を見る思いがする。
なぜ彼の魔術の第一の対象が少女であったのかといえば、このような少女達はキャロルの潜在意識の中の「アニマ」であったからだと思う。「アニマ」はC.G.Jungの概念で、男性の潜在意識の中にあって補完的役割をしている理想的な女性像を示すものであるが、Judith Bloomingdaleが1971年、Alice as Anima(Aspects of Alice に収録)の中で、アリスをキャロルのアニマとして話を展開している。私はアリスだけではなく、後の多くの少女友達もキャロルのアニマを象徴していたように思う。少女と遊ぶことは自己(の潜在意識)と遊ぶことで、だから、少女たちを膝の上に載せて話をしたかったのだし、別れる時は、握手ではなく、キスをしたかったのだと思う。
自分の編み出したゲームやお話に少女が乗ってくるかどうかは、自分の編み出した言葉・ロジックの自己検証でもあった。
少女のロジックに就いては、Judith Bloomingdaleは次のように述べている。「話を複雑にしているのは、アリスは逆に「アニムス」に憑かれているのであり、その「アニムス」とは女性の潜在意識の中で補完の役を果たしている男性のイメージである。その「アニムス」がロゴスまたは言葉に呼応しており、女性の思考に影響を与えている」
このことから言うと、キャロルはロジックを少女達の潜在意識に訴え、検証していたことになる。
(晩年、女学校で論理学を教えたのもこの延長にある)
魔術の対象としての少女を取り上げたからといって、キャロルは少女しか興味がなかったというのではない。少女偏愛者のイメージは作られた伝説であって、キャロルの人生はもっと多様で、日記や伝記は、大人の女性、少女達のお母さんをも同様に愛したことを示している。Karoline Leach のIn the Shadow of Dreamchild は彼のそんな一面を描き出している。
3・5 キャロルのイメージ
1849年か1850年に始められ1854年頃終わる家庭回覧誌「牧師館の雨傘」には、巻頭と巻末にキャロル自身が描いた自画像と思える挿絵(下図)がある。
巻頭はキャロルが18才ごろの絵である。悲しみや不安をこの雨傘(回覧誌)で防ぎ、楽しいことを招き込もうとしている。両性具有的、年齢不明のこの像にはいろんな解釈が可能であろうが、私はプロスペローとしてのキャロルの自画像と見るのが良いと考える。彼は魔法の杖の代わりに雨傘を持っており、雨傘には、写真こそないが、彼の魔法の科目が書かれており、色々な魅力を備えた少女が魔術に魅せられ集っている。
私が「プロスペローとしてのキャロル」を思いついたのはこの絵の所為かもしれない。
補足:「テンペスト」は、プロスペローは魔法の杖も本も放棄して、元のミラノに帰るところで終わる。この作品はシェイクスピアの最後の作で、彼の引退の宣言を表していると言われている。彼らの引退は、おそらく、自分の魔術の効果を十分に味わったからであろう。あるいは、魔術を使うのが怖くなったのかもしれない。
「牧師館の雨傘」の巻末の絵では、キャロルは魔法の傘を捨て堂々と大地に立っており、若きキャロルの理想が、不思議なことに、プロスペロー やシェイクスピアと同じようだったように見える。何故彼がこのような絵を書いたのか、また、実際の生活でこの理想をどう実現したのか、興味ある問題である。
注:文中の「テンペスト」の引用は拙訳。下記に準拠。
The New
The Tempest ed. David Lindley 2002
これは日本ルイス・キャロル協会の第11回研究大会で発表したものに、若干の修正を加えたものである。
[主な参照文献]
「ノンセンス大全」 高橋康也 晶文社 1974
Shakespeare Our
Contemporary, Jan Kott, Doubleday,1964
Aspects of
The Life and
letters of Lewis Carroll, S.D.Collingwood,
T. Fisher Unwin, 1898
The Lewis Carroll Picture Book ,
S.D.Collingwood, Collins, 1899
Lewis Carroll:
a Biography , Morton N.
Cohen, Macmillan, 1995
A Story of Lewis Carroll, Roger Lancelyn Green,
Henry Shuman, 1949
同訳書「ルイス・キャロル物語」 門馬義幸・直子訳 法政大学出版局1997
In the Shadow
of Dreamchild , Karoline
Leach, Peter
Owen, 1999
「ルイス・キャロルの図像学」 平 倫子 英宝社 2000
The Diaries of Lewis Carroll, ed. Edward Wakeling, The Lewis Carroll Society, 1993〜
Carroll
as Prospero
Hiromu MIYAGAKI
Lewis Carroll loved Shakespeare, whose The
Tempest was one of his favorites. The Tempest casts its shadow on
Carroll’s works. Furthermore, there is some correspondence between Carroll and
Prospero, the main character in this
piece.
In this article
I will grope for some keynotes in his life by looking upon him as Prospero.
1. Girl’s Own Shakespeare.
He attempted to “bowdlerize
Bowdler’s The Family Shakespeare absolutely fit for girls.”
We know that he
loved The Tempest from the fact that
he attempted to rewrite The Tempest at
the head of his Girl’s Own Shakespeare, even though versions of Shakespeare for
children by S.Brandam and C.Yonge had already appeared.
One of the reasons why he loved this piece is, I assume, that he found
his self-image in
Prospero.
2. Shadow of The Tempest
2.1 Structure
We find many
stories which begin with falling into a dream or magic, and end with waking up.
The Tempest and Alice stories have the same structure, and
what’s more, they emphasize that their stories are dream or magic.
2.2 Style
They both are
composed of songs and stories.
2.3 Dreams
The most famous
words in The Tempest are:.
We are such stuff as
dreams are made on,
and our little life
Is rounded with a sleep. [4-1-156―]
This concept is essential to all of Carroll’s work.
For example he put
such questions to readers as “Life, what is it but a dream? “or “Is all our
life, then, but a dream?”
2.4 Maze
Gonzalo:Through forth-rights and meanders! [
Alonzo: This is as strange a
maze as e'er men trod
And there is in this
business more than nature
Was ever conduct of:
some oracle
Must rectify our
knowledge. [5-1-104-]
2.3 Noise
Caliban : Be not afeard; the
isle is full of noises,
Sounds and sweet
airs, that give delight and hurt not.
Sometimes a thousand
twangling instruments
Will hum about mine
ears, [3-2-127-]
There are many noises in TLG, especially in the chapter 7.
2.6 Dog etc.
One of
the dogs in The Tempest has the name Fury, which reappears in the “long
tale” story told by the Mouse.
The Mouse said to
One of Arial’s songs was transformed into a Parody
in New Belfry of
You may find other influences on his works.
3. Carroll as Prospero
Prospero has two aspects in his character. First he is a magician,
second, he is a lover of solitude. Both are essential to Carroll.
3.1 Carroll as magician Prospero
And Prospero the
prime duke, being so reputed
In dignity, and for
the liberal arts
Without a parallel;
those being all my study [1-2-72-]
Jan Kott says in “Prospero’s Staff” (Shakespeare
Our Contemporary 1964):
“Whenever I think
of Prospero I always see Leonarde da Vinci’s head, drawn in his last self-portrait”
“ Not by chance, perhaps, Shakespeare gives the dukedom of Milan, where Leonard
had spent many years, … ”
Leonardo, as
Prospero , was multi-talented in the
liberal arts including magic. He was a master of invention, but his inventions
were never put into practice. Kott describes Leonardo and Prospero as
Renaissance men with great dreams and disappointments.
10 years after Jan Kott, Yasunari Takahashi
excellently compares Carroll to Leonardo da Vinci, in his article “Magic and
Anti magic --- Carroll to Leonardo” ( Nonsense Taizen 1974)
Takahashi
enumerates their similarities such as being left-handed, mirror writing, life
long bachelor, lover of children, impromptu tales, magician, mathematician,
artist, maniac inventor.
He says both were so called homo
univerisalis, but regrets to say that Carroll was lesser than Leonardo in
scale. Carroll is a compacted, caricatured, nonsenserised Leonardo,a
premature “homo univerisalis” and anomalous “magician”
I think it better to liken Carroll to
Prospero than to Leonardo, because of the similarity of their magic.
3.2 A man of
solitude
Another keyword in common between Carroll
and Prospero is solitude.
They had little desires for power, and
loved freedom and solitude. Prospero having lost his wife in the early stage of
their marriage, he was lonely absorbed in research of magic
On the other hand, Carroll took much cares of
many sisters, brothers and relatives, and enjoyed to associate with many peoples,
so we can not call him a hermit. But he was a lover of solitude or loner. He avoided sociable meetings in his later
years.
As you know, his
poetry "Solitude" was the first piece published by the name "Lewis
Carroll" (1856) and compiled in Phantasmagoria(1869)
and Three Sunsets(1897), he really seems to love solitude.
3.3 Carroll as a
magician
His magic seems to have begun with the
railway games in the garden of the rectory at Croft. Collingwood wrote Carroll
liked wearing white robe and carrying a magic wand. Puppet shows, home-magazines were examples
of his magic in his boyhood, through which he enjoyed dazzling his sisters and
brothers. Tales, puzzles, poems were all variations of his magic.
Photography was a
sort of magic, especially the developing process in the dark-room.
His greatest pleasure was “hunting girls”
using all the resources of his magic on the seashore at
3.3.1 Prospero’s
magic
Thinking about the source of Prospero’s
magic, we notice that his magic
came from
books, which differs from the magic in Midsummer Night’s Dream which
depends on herbs.
Prospero: A noble Neapolitan, Gonzalo,
Out of his charity,
being then appointed
Master of this
design, did give us, with
Rich garments,
linens, stuffs and necessaries,
Which since have
steaded much; so, of his gentleness
Knowing I loved my books, he furnish'd me
From mine own
library with volumes that
I
prize above my dukedom. [1-2-159-]
Prospero: I'll to my book,
For yet ere
supper-time must I perform
Much business
appertaining. [3-1-94-]
Caliban : Having first
seized his books, or with a log
Batter
his skull, or paunch him with a stake,
Or cut his wezand
with thy knife. Remember
First to possess his
books; for without them
He's but a sot, as I
am, nor hath not
One spirit to
command: they all do hate him
As rootedly as
He has
brave utensils,--for so he calls them?
Which
when he has a house, he'll deck withal [3-2-79-]
Prospero performed his magic through Arial
or other characters, on whom he cast spells. The essence of Prospero’s magic
must be words, including spells and logic which he had got from books.
3.3.2 Carroll’s
magic
I think the essence of Carroll’s magic is
also words (logos, logic, rules) just like Prospero’s magic.
The magic is to make people imagine the
world where other words, logic, rules are valid. He used words to induce us
into virtual realities, and make us believe in them. When you act following his
words (magic), his magic is validated.
The railway game was an early example, in
which his sisters and brothers complied with his curious rules. His words
games, puzzles, logic, tales - all have the same purpose: to lead people into
his make-believe world. He was always interested in the rules of processes such
as elections, tennis tournament, postal system.
Though all characters in the Alice Stories
seem to have curious dispositions, the truth is that, they have their own unique
logic.
To show simple
examples, one of Pigeon’s logic is ”What is long is a serpent”: One of Hatter’s
logic is “Time is always tea time”. In TLG, the logic of characters appears
more clearly.
Difference of logic is easily understood if
you can recognize the difference between Euclidean geometry and non-Euclidean
geometry. You change an axiom a little bit;you will be surprised at its result.
At first glance, you may think they are nonsense but when we become to know
that they have their own logic, you can enjoy them.
Words, logos, logic, rules, that is the essence
of Carroll’s magic.
Concerning photography, a sort of chemical
magic, he abandoned it when photo shops became common and its mystery vanished.
3.4 The objectives
of magic --- Girls and Himself
Using his magic, Prospero reformed his
rebels and joined Miranda and Ferdinand.
Then whom would Carroll like to charm most?
I think that it
must be girls. For him girls should be pretty first of all, elegant, innocent,
sensitive to nonsense, and strange to say, they respond to logic.
The most typical figure is
The reason why the first targets of his
magic should be girls is, I assume, that girls are equivalent to Carroll’s
Anima. Anima is a Jungian concept, which is the archetypal image of a woman
that compensates the masculine consciousness.
1971 J.Bloomigdale expressed
I would like to expand his Anima to all his
all girl-friends. The girls symbolized Carroll’s sub-conscious. He plays with girls,
that is to say, plays by himself. He loves girls as means of expressing
himself. Therefore he wanted to put the girls on his lap, to kiss them at their
parting. It was a test of his magic (logic), whether girls were easily taken in
his games, tales and so on.
As to girl’s logic, J. Bloomigdales says, ”
to complicate,
That the first Targets of his magic were
girls does not necessarily lead us to the idea that he was a maniac girl-lover.
Carroll’s life was
more diverse than his legend. He loved women and mothers of the child-friends. Though
we know this through his diaries and letters, Karoline Leach was successed in
changing the saint-like image of Carroll in her In the Shadow of Dreamchild.
My image of Carroll as Prospero perhaps
comes from the frontispiece to The Rectory Umbrella which was drawn by
the 18-year-old Carroll.
This picture is said to be hermaphroditic, ambiguous
of his age.
I guess he drew it as a self-portrait in
the image of Prospero. Instead of a magic wand, he has an umbrella, which shows
the breath of his magic: Tales, Poetry, Fun, Riddles, and Jokes, all of which
use words. By means of these, he charmed wonderful girls to him.
A supplement: In The Tempest, Prospero abandoned
his wand and books, and returned to his home-land
Strange to say, on the ending of The
Rectory Umbrella, he drew his portrait standing upright beside his abandoned
umbrella, which reminds us of Prospero and Shakespeare. It is mysterious for me
why Carroll imagined the same ideal as Shakespeare in his youth. I wonder whether
he could ever become a Prospero by the end of his life.
06・6・8up