不思議の国より不思議なっ国のアリス
チェシャ猫の笑い(1) Somewhere


アリスの入いった公爵夫人の家は、胡椒がもうもうと充満しています。昔、胡椒は金と同じくらい価値があったので、女主人が鍵を掛けて管理したものですが*1、インドを支配下に置いたヴィクトリア朝の英国では胡椒がふんだんに使えたのでしょう。この中にあって、くしゃみをしない者がいます。それは、料理女とチェシャ猫です。この二人の血液から花粉症のワクチンを作ればきっと効くと思うのですが、料理女はともかくとして、猫の方は肉体を持っているかどうかわかりませんので、当てには出来ません。というのは「チェシャ猫のように笑うgrin like a Cheshire cat」という慣用句があって、その言葉に基づいて作られた猫であるからです。「チェシャ猫のように笑う」いう成句の由来についてはガードナーの注釈にも色々な解説がなされていますので、それを見ていただくことにして、私たちはアリスがこの猫に出会うとことから始めましょう。

炉辺に座って、耳まで口を上げてにやにや笑っているのですが、アリスは笑う猫は初めてです。

初対面の公爵夫人に、こちらから先に口をきいてどうか気にしながら、おずおずと、
アリス: すいません。あなたの猫はどうしてあんなに、にやにや笑うのか、教えてくださいませんか?
公爵夫人:チェシャ猫だからさ。豚!
    突然乱暴な言葉が出てきて、アリスが飛び上がりますが、自分に向かってではなく、赤ん坊に向けたものだとわかって、気を取り直して、続けます。
アリス
:チェシャ猫がいつも笑っているなんて知らなかったわ。実のところ、猫が笑えるなんて知らなかったんです。
公爵夫人:猫は皆笑えます。大抵の猫は笑っています。

     とにかく話が出来るようになってほっとして、アリスは鄭重に

アリス
:笑う猫がいるなんて知りませんでした。
公爵夫人:お前はものを知らないね!実際のところ。 

アリスは、ものを知らない子として扱われますが、実は私も猫が笑うのは知りません。馬が笑うのを見ましたが・・・おかしくて腹の皮がよじれるenough to make a cat laugh.という表現があるくらいですから、猫は先ず笑わないものと思っていました。
あなたは如何ですか?アリスと同じ?
その後、色々なことがあって、豚になった赤ん坊を手放して、ほっとしているところで、また、この猫に出会うのです。

テニエルの挿絵がいいですね。木の上にいるチェシャ猫にアリスは見上げながら話します。名場面に筆頭に上がると思いますので、是非、原文をお読みください。
ここでは会話の核心に入ります。



アリス:すみませんが、私はどちらに行ったらよいか教えていただけませんか。
     
チェシャ猫:そりゃ、おまえがどこへ行きたいと思っている かによるね。 

アリス:どこだってかまわないんですけど

チェシャ猫:それなら、どっちに行ってもいいさ。

アリス;どこかに着きさえすれば・・・

チェシャ猫:そりゃ、きっと着くさ。着くまで歩けばの話だけど。

こんな問答です。正面から受け止めれば反論のしようがないのですが、なんだかコンピューターと話している感じがするでしょう。論理学の先生でもあったキャロルの一面を表していて、この猫は理系ですね。余りに当然のことは、逆に、ノンセンスに変貌して、笑いを誘います。こんなナーサーリライムがあります。

There was an old woman
Lived under a hill.
And if she's not gone
She lives there still.

ばあさん一人住んでいた
岡の麓に住んでいた
どこへも行っていなければ
今でもそこにいるだろう


これなら笑えますか?このライムは、文献初出は1714年ですが、シェイクスピア時代に似たものがあると注釈書には書いてありますから、余りにも当たり前のことを言って笑うのは英国の古くからの伝統のようです。日本でもそうかもしれません。犬が東向けば、尾は西を向く。自明の理、分かり切ったことをthe self-evident propositionというそうです。*2 英語を使うと物知りに見えますね。

このチェシャ猫が論理学に詳しいことは後にも触れますが、アリスが成るほどと思わざるを得ないほど正論なのです。チェシャ猫の「そりゃ、おまえがどこへ行きたいと思っているかによるね。」という発言は、ガードナーによるとアリスの物語の中で、最も多く引用される箇所とされています。青虫の「お前は誰だ」とこの箇所は、多くの大人を引き付け、私も最初に惹かれたところです。

少し詳しく見て行きます。

アリス:すみませんが、私はどちらに行ったらよいか教えていただけませんか。     
チェシャ猫:そりゃ、おまえがどこへ行きたいと思っているかによるね。

これはthe self-evident propositionでしょうか?そうではありません。
迷い子同然の7歳の子供が道を聞いた時の答えとしては冷たい気がします。それはいいとしても、

アリス:どこだってかまわないんだけど
チェシャ猫:それなら、どっちに行ってもいいさ。
アリス;どこか (somewhere) に着きさえすれば・・・
チェシャ猫:そりゃ、きっとつくさ。着くまで歩けばの話だけど。

取り付く島が無い感じです。ちょっと状況を変えて見ると不自然さが分かります。

A:なにか食べるものが欲しいんだけど、どこにありますか?C:そりゃ、おまえが何を食べたいと思っているかによるね。
A:食べれるものなら何でもいいんだけど。 C:どこでもあるさ。畑には大根、牧場には牛、小川には魚もいる。
A:何かそのまま食べられるのであれば、何でもいいの。 C:きっと手に入るさ。手に入るまで行けばの話しだが。

おかしいのは7歳の子が何を求めているかを無視しているから(あるいは余りにも理論的に扱っているから)です。では、アリスは何を求めているのでしょうか?

どこかへ(somewhere)行きたいのであって、どこでも(anywhere)良い訳ではありません。
どこかとは、アリスにとって楽しい所のはずで、私はどうしてこの時、アリスが最初にDrink Meを飲んだ後に見た素晴らしい庭園に行きたいと言わなかったと思います。アリスにどんなところに行きたいか聞いてくれれば思い出したかもしれません。

しかし、チェシャ猫が聞いてくれたとしても、アリスは答えられないと思うのです。なぜなら、どこが良いか知らないし、経験が無いから選択できないのです。

例えば、チェシャ猫のいる樹の下にこんな機械があったとします。それは体験機械*2といって、自分の思うとおりの体験を機械がさせてくれるのです。ちょっとした電極を頭につけるだけですから、痛くはありません。ただ、どんな事でも体験できますが、体験している間に要した時間はあなたの寿命から差し引きます。

如何ですか?あなたはこの機械は入りますか?
アリスはおそらく入らないだろうと思います。自分のしたいことがはっきりしないからです。

それではアリスのためにカタログを用意しましょう。シンデレラのようにお姫様になるコース。宝塚に入って、トップスターになって、金持ちのステキな男性に出会って、結婚して、立派な子供を3人生んで・・・というコース、あるいは、先ず、東大に入って、大学教授になって、ノーベル賞を取って、最後は総理大臣になるコース、何万というコースがあります。どんな欲望もカタログ通りに実現します。

アリスはまだ入りません。どんなことが好きになるか体験しないとわからないので、入ってから困るからです。

それでは、コースの変更は途中で自由に出来ることにしましょう。男から女への変身もOKです。これを読んでいるあなたはアリスより大分年上だと思います。この体験機械に入ってみますか?
もし、あなたが癌で苦しんでいたり、サラ金で首吊りでもしようかと思っているのなら喜んで入るでしょうね。

アリス、そして私も入らないと思います。理由はよく分からないのですが、機械に与えられる体験は欲しくないからかもしれません。

(そうだ!アリスも私もアドベンチャーの途中だったんだ!)

あらかじめ行く先がどんなところか知らずに選択しなければならない人生のパラドックス、こうなるだろうと思って進んでもそうならない不思議、何事も自分で味あわなければすまない自分、人間がそのような存在であることをチェシャ猫はにやにや笑いながら見ているようです。

道を聞いてもつっけんどんな答えが返って来るので、アリスは別の方面からチェシャ猫にアプローチしますが、これがまた大変なことになるのです。


*1 Romeo and Juliet 4・4・1
*2 The Oxford Dictionary of Nursery Rhymes  Iona and Peter Opie  p519
   The Annotated Mother Goose  Baring-Gould  Bramhall House New York  p13,23
*3 Robert Nozick のAnarchy, State, and Utopia(BLACKWell 1974), p42−45に出てくるThe Experience Machineにヒントを得て書いています。

チェシャ猫のこの場面は、青虫のwho are you?と双璧をなす根源的問いで、これによって大人を強く引き付けているのだと思います。
野口兼三さんとの対話「自分を探すアリス」はこの問題に触れるものです。ご興味があれば、覗いて見てください。
この体験機械については、野口さんはある所で「実は、私たちは、擬似的な経験機械をたくさん持っており、実際にそれを使っています。それは映画や小説です。私はそのようなもので、たくさんの人生を疑似体験し、その中で、愛や怖れやスリルを味わっています。・・・・・・」と言っておられます。

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