旅程    2000年6月6日(火)-6月27日(火)     ドイツ・オーストリア

6日ー9日    ハンブルグ泊  (ツェレ)       

10日−11日   ブレーメン泊   

12日−13日   レーゲンスブルク泊

14日−17日   ザルツブルク泊  

18日        ザンクトヴォルフガング泊  

           (ハルシュタット)

19日−22日   ヴィスバーデン泊 

           (マインツ、オッフェンバッハ)

23日−25日   フランクフルト泊 

 (  )の中は宿泊しないで行った街 

                              

                                 参考地図(線は旅程と異なります)

なかなか決まらなかったドイツ

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昨日、西神中央のマンションに泊まった。

関空に朝800頃に着くには垂水の家からではとても間に合わないからだ。

旅行社に勤めている松本さんが一緒に泊まってくれて、しかも関空まで見送ってもらった。ドイツに一人で行くのはもちろん不安だが、うまく関空を飛び立てるかどうかの方がよっぽど心配だったのでひと安心。

どうしてドイツ行きになったのか、も一つ理由が分からない。

最初はイギリスにしようかと思った。

真田広之がイギリスで舞台に出てると新聞やテレビで言ってたので、ちょっと興味があったから。(ミーハーな私です)

それから、ハワイ、イタリア、オーストリアなんかも考えた。

それがどうしてこうなったのか?

実はどこでもよかった。

仕事を辞め、無理を言って休暇をもらいどこかに逃げたかった。

外国にしたのは「ちょっと出てきて」と言われ職場に呼び戻される事がないと思ったから。

なんでドイツに決めたか?

かって会社の上司だった祁答院さんが勧めてくれたから?

28年も前に女の子3人でヨーロッパに行くとき、ちょっとだけドイツ語を勉強して親近感があったから?

ドイツは安全な国と思っているから?

  よくわからないけどドイツに決めた。

最初はハンブルグ、最後はフランクフルト。

この2カ所のホテルだけは予約し、あとはうまくいくかどうかわからないけど行くところも決めず出発。

交通はジャーマンレイルパス(2等)10日用を使うことにした。

飛行機は少なくとも20年ぶりぐらい。もちろん関空なんて始めてだ。

飛行機はルフトハンザ。

松本さんが出発の時間ぎりぎりまで一緒に居てくれると思ったが飛行機は電車とかクルマとは違う。

テレビのドラマのようにはいかず、名残を惜しむ暇もなく「行って来まーす」と言って別れた。

席は進行方向の左手3列の通路側だった。

結構混んでいて、隣は空いていたがその隣の窓側に若い男の子が座った。

フランクフルトまで12時間。緊張してたからか、私にとっては意外に短く感じた。

フランクフルトで乗り換えてハンブルグへ。

この乗り換えるとき、私はどこへ行ったらいいのかわからずうろうろしていると、飛行機で一個おいて隣に座っていた男の子が、(どこの国の子だったのかしら)

「こんにちは」と日本語で話しかけてきて、「どこへ行きますか」と訊いてくれたので、航空券を見せ「ハンブルグ」と私。

「こっち」と言って、彼はどこかへ行ってしまったけど、さりげないこの親切さがとてもうれしかった。

(さいさきいいなあ)

フランクフルトから1時間でハンブルグへ。

空港からシャトルバスに乗って中央駅に着いた。

ここからホテルを探しながら行くときが、この旅行で一番心細く感じたときだと思う。めちゃくちゃな英語やドイツ語を使うのがまだ恥ずかしく、相手の言ってることも勘が冴えてないので分からない。

そんなに重くないはずのリュックがやけにつらく感じた。

湖畔沿いのホテルを見つけるまでどのくらいうろうろしただろうか。

何人の人に道をたずねたかなあ。

そんなに大きいホテルではなかった。白い壁。中に入ると赤い絨毯が敷いてあった。

少し歩いて左手にフロントがあり、今でもそこにいた男性と女性の顔は思い出せる。

廊下を通って(左はガラス張りになって外の庭が見えた)

階段を上がって(廊下には絵がいくつか掛かっていた)

そして部屋に入ったのだが、不思議なことに部屋の中がどうしても思い出せない。

シャワーは思い出せる。スチームが夜入っていたことも思い出せる。部屋の扉も思い出せる。

だけど不思議なのは部屋の中がどうしても思い出せない。

シーツの白さは思い出せるが、ベッドが思い出せない。

窓からの景色がどんなだったかも思い出せない。

それもまだ旅行中の時から思い出せない。

机があったのか。ベッドがどの位置だったのか。TVがあったと思うけどどこにあったのか。

こういうのって心理学から言ってどうなってるんですか?

 

がんばって食べた朝食

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ドイツのホテルはほとんど朝食付き。

それもバイキング形式だ。

このハンブルグのホテルはなかなか豪華だった。

港町だからか海の幸が多かった。パンも野菜もジャムの種類も紅茶の種類も豊富だった。もちろんハムやソーセージも。

レストランは明るくなかなかしゃれていた。

どのテーブルにも小さなかわいい花が飾られていた。

椅子は日本より足の部分が高めで、神戸のメープル不二屋に売っているような木製に布張りで素敵なものだった。

後から考えると、このホテルが一番落ち着いて食事が出来たように思う。

ちょっと淋しいのは、大きなテーブルで一人で食べることだった。

出発前に職場の若者に教えてもらったことは、

朝食は少し遅めににすること。

しかもおなか一杯に食べておくこと。

小さなジャムなんかはひとつくらい昼か夜用に頂いておくこと。

そしてお昼は軽く、夜もまあ軽く。

朝はもともとあまり食べられない方だが、こちらに来て運動が足りるのか、それとも私にとって一番豪華な食事というのは朝食だったからか、朝の食欲はなかなかのものだった。

旅行の最後の頃には、パン2、3個 牛乳コップ1杯 オレンジジュース1

紅茶2杯 チーズ1片 ハム12枚 ソーセージ12本 卵(スクランブルエッグ) サラダ トマト1個 果物(バナナかりんご)

このぐらい食べたと思う。 (私は結構やせの大食いです)  

私が食べられなかったもの   コーンフレークに牛乳をかけたもの

              ヨーグルト

               においの強いチーズ

              酢漬けになっているもの           

              

ブラームス記念館             

68日 

ハンブルグ2日目、朝食を取るためホテルのレストランに行く途中、フロントで昨日と同じくFax を受け取った。松本さんから。

昨日もそうだったけど、こういうのを貰うとなんか心強いのよね。

そばに居るよ、と言われている感じ。

ホームシックにかかってないかとか、ドイツとの時差はSummer Time で7時間とか、

それとハンブルグでオペラのカルメン2000というのをハーゲンベック動物園でしているとか、

今日はブラームス記念館に行くけど、その前に駅のインフォメーションで訊ねてみよう。

今日の席もあるといってるけど、TシャツにGパンでもいいのかな。

こんな格好でもOK? (と相手に言ったつもり)

そんなかっこうでもいいよ (と相手に言われたつもり)

動物園でするからいいです、ラフな格好の人もいます (と相手が言ったかどうか)

とりあえず今日のチケット[夜730分開演]を買って先にブラームス記念館に行こう。

U3 St.Pauli から歩いて7分 (とガイドブックには書いてある) 手入れの行き届いた大きな公園がそばにあり、そこを通り抜けるとすぐ目の前にあった。

結果的には、、、

だが地図を見せても知らない人が多く、やっと教えて貰ってもドイツ語の所々の単語が分かる程度なので、どんどん違う方向へ、、、

それでもなんとかやっとたどり着いた時は、1時間なんてとっくに過ぎてた。

でも、そこで緑色のドアをすぐ押せば良かった。ところが、その時ドアから出てきた2人の男性が記念写真を撮っているのを見た私は、

(私も今のうちに撮っておこう)

(ここからたくさんの人がぞろぞろ出てきたらいい写真が撮れないものね)

こんなことがふっと頭に浮かんだのかどうか、接写タイプのインスタントカメラであっち向きこっち向きしてたら、後ろで 「カチャッ」

プレートが [Besetzt]に変わっていた。「えーっ」  

あわててガイドブックを見ると

開) 火・木曜1000?1300

この時、私の腕時計はちょうど昼の1時を指していた。

しばらくするとそこの受付でもしているのか、かなりの年齢の女性が、

「私は開けてあげることは出来ない。次は火曜日」

と言った。(多分、そう言ったと思う)

仕方なく公園で一休み。

帰りは途中下車してエルベ川(かな?)の帆船をアイスクリームを食べながらぼんやり眺めていた。ホントにいい天気。

                                                                                                    ブラームス記念館

カルメンってどんなお話?

ブラームス記念館見学を不発に終わり、一度ホテルに戻る。

夕飯用にパンを買ったが2種類を1個ずつと言ったはずなのに、ホテルで開けてみると2個ずつ計4個も入ってる それとコーラで淋しい食事。

そしてU2でハーゲンベック動物園に行く。カルメン2000の会場へ1800過ぎに到着。日は長く、とても夕方とは思えない明るさ。

ここは檻を使わない動物園で有名。開演は1930。まだまだ始まらない。

会場は日本では見られない形のテント。簡易とは言え、水洗のトイレもたくさん設置されていた。、、、ここはお金がいらなかった。

64日から10月1日までしているらしい。

時間が近づいてくるといろんな世代の人が様々な格好で集まってきた。

若者はGパン姿も多く、お年の方は流行りのよそおいでもなく、そんなに上等そうなものを着ていなくてもみんな堂々としている印象。

まるでサーカスのような始まりだった。

空中ブランコや口から火を飲んだりする人も出てきた。

カルメンってよく聞くけどどんな話しだったかな。

カルメンは若く、美しく、情熱的だった。

しかし新しい恋人となる人はどうも格好悪い。

背は低く、魅力がなく、しかも禿げていた。

ホントにあんな人に惹かれるかなあ、、、

上演時間は短く、みんなが外に出るので(エッ、もう終わったの?)と思って帰ったのだけど。

もしかしたら話しが分かってないから、途中で出てきてしまったってことはないでしょうね?

 

ウーパン、ヤーパン

道を聞くのは結構難しい。

出来れば若者に聞いた方が早く済む。

年齢がいった人に聞くと、ともかく時間がかかる。

だがどちらかと言うと、その人達の方が教えたがる傾向あり。

彼らに掴まったら、しかも私がガイドブックを持っていたら、まず必ずと言っていいほどメガネを取り出す。

そう言えばフランクフルトの飛行場で外見はスチューワーデス風の女性に道を尋ねた時も、「Just a moment」と言ってメガネを取りだした。

思わず(40歳は過ぎてるね)と眼科で働いている私は職業柄そう思ってしまった。

また、お年の人は自分がわからなかったら、誰か他の人を呼び止めて知っていそうな人を見つけてくれる。でもそれがまたまた時間がかかる。

(もういいのになー)と思っても、そういう意味の言葉が喋れない私はただ、ただ、

(早くして)と祈るだけ。

そして年齢がいけばいくほど、英語が通じないのと記憶があやしいので、全然違ったところに行ってしまうこともある。

道を聞くことで大失敗した。

ハンブルグの交通にはSバーン、Uバーン、もちろんバスもある。

Uバーンとは地下鉄のこと。

カルメンを見に行くとき、Uバーン2の路線に乗っていくのだが、中央駅のどのあたりにその停留所があるのかわからなかった。

その時、前を通る年齢のいった2人連れを見つけ、英語でU2の停留所を聞いた。

彼女2人は私を指さして何度も「ウーパン?ウーパン?」と言う。

Uはドイツ語でウーと発音することはわかっていたはずなのに、あまり何度も私を指さして聞くものだから、

私は突如、「nicht Upan. Ich bin Japan  ! 」と言ってしまった。

「私はウーパンではないです(そんな国があるはずない)ヤーパン 日本人です」と言ったつもり。

なぜか一瞬向こうの2人も私も止まってしまった。

そしてほぼ同時にキャーキャー笑ってしまった。

Ya-,Ya-.Japan,Japan!」 

「そうよ、そうよ、あなたは日本人よ。わかってます」と言ってたのかなあ。

穴があったら入りたい。こんな言葉がドイツ語にもあるのかどうか。

旅行して、全く知らない人の前で笑い転げることがあるとは夢にも思わなかった。

 

iMac

昨年末ひょんな事から私が、この私がパソコンを買ってしまった。

別に絶対買わなくては出来ない仕事ではなかったが、なんかそういうはめになった。

ワープロも出来ないのにね。

ウィンドウズにするかマックにするかから始まって、1から10まで、全てのことは整形のDrにおまかせ。

結局自分でやったのはごく一部で、あとは皆さんのご協力で全てのことは終了した。

ちなみに私のパソコンの師匠は3人もいる。(と勝手に私が思っている)

こんなに贅沢なことはない。

実はこの一人旅も、パソコンを曲がりなりにも少し使えるようになった事から考えついたことのように思う。(旅行も一人で行けるかな)と。

最初のハンブルグのホテルは中央駅から歩いて20分くらいの所にあった。

ドイツは通りの名前が必ず書いてあるのでわかりやすいが、それでも最初探すのに時間がかかった。

Alstar  101214、 あったー。

そしてホテルの2?3軒隣になんのオフィスか知らないけど窓から私と同じブルーのiMacを見つけたとき、それまでの心細さがいっぺんにどこかへ行ってしまった。

Macちゃんがいた!

ジャーマンレイルパス

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もう一晩ハンブルグに宿泊するんだけど、今日は鉄道を使って少し遠出したい。

どこにしようかとあれこれ考えているうちに朝10時を過ぎてしまった。

ツェレに行こうとやっと決めてホテルを出た。

なんだか今日はとっても暑い。昨日までとは大違い。

この暑い中、駅までがんばって歩く。

途中で窓に日よけをつけているクルマを見つけた。

猫の顔になっている。おもしろい。おみやげにほしいな。

祁答院さんがくれたトーマス・クックの時刻表では1128発の列車がある。

乗る前に駅でジャーマンレイルパスの最初のスタンプを押して貰わなければいけない。ところが駅員さんに見せても知らないみたい。

やっと分かってもらったけど、切符の窓口に行けと言われた。

ところが沢山の旅行者がえんえんと列を作って待っていた。

日本とは違って自分で時刻を調べないで、窓口で調べて貰っているみたい。

だから一人一人がとっても長くかかる。

やっと私の番が来た。私はこのチケットにスタンプを押して貰うだけと思っていたら、窓口の女性が「パスポートは?」と言った。

パスポートはあまり持ち歩かない方がいいと言われてるのでホテルに預けていた。

ところがチケットにはパスポートナンバーを記入しなければならなかった。

番号を覚えていたらそれでもよかったんだけど、私はどこにも控えていなかった。

仕方なくホテルにもどり、また駅まで歩く。

初めに計画していたより1時間もあとの列車に乗った。

28年前に来たときはユーレイルパスのファーストクラスだったが、今回はジャーマンパスのセカンドクラス。

ところがなぜかセカンドクラスは若者で一杯。ほとんど立ちっぱなし。

たどたどしい英語で聞いたところによると、金、土、日はどうも混むらしい。

遠くまで列車で移動するには月から木がいいようだ。

やっぱりファーストクラスにしておけばよかったかなあ。

ツェレまでは1時間10分かかった。駅から15分くらい歩くと旧市街。

町全体が絵本のようだ。

じつは今日は私の誕生日。

かって28年前はドイツのシュッツガルトで誕生日を迎えた。

その時は3人だったので、あとの2人から赤いバラ一輪と木で出来た汽車のおもちゃをプレゼントしてもらった。

まだまだ未来がある頃で、まさかその時が私にとって青春のハイライトになるとは思わなかった。

今度の一人旅はいったい何になるのだろうか。

 

ミートスパゲッティ

610

今日からは(最後のフランクフルトをのぞいて)ホテルの予約をしていない。

何となく不安。

それで今日と明日の宿泊は土、日ということもあって、ハンブルグからあまり遠くないブレーメンにした。

街は木組みのおもちゃのような家が並んでいた。

すぐインフォメーションへ。

インフォメーションがしまってしまうとどうしてホテルを探せばいいかわからないからだ。

めちゃくちゃなドイツ語だけど、しかも向こうは何を言ってるか分からないけど、ともかくホテルの予約が出来た。

ばんざーい。

駅から10分もかからないところだった。

街をぶらぶらし、レストランでスパゲッティを食べる。山盛りのミートスパゲッティ。緬がプチプチにきれる。

なんだ、これ?湯がき過ぎ。おいしくない!ルーもおいしくない!

レストランの階段を降りて、地下にあるトイレに行くと突然日本人の声。しかも小さな女の子の声。顔を見ればまさしくそう、日本人。側にいた母親に話しかけていたのだ。私にしては珍しく話しかけてしまった。

「こんにちは」

デュッセルドルフに住んでいて、旅行でここに来たと話してくれた。

ドイツに来てから初めての日本人だった。

電話

610日午後6時頃、母と松本さんと高濱さんに電話した。ブレーメンから。

併せて197マルク、日本円にしてだいたい11000円くらいだろうか?

そのTulip Inn2日間の宿泊費が200マルク、ほぼ同じだった。

ずいぶん長電話したものだ。

本当に近くから電話しているみたいで外国からなどとは思えない。

最初に母に電話したのはハンブルグからだったけど、その時の会話は

私 「今ハンブルグから」

母 「あ、そう。元気?」

私 「うん。みんなは元気?」

母 「元気や。ネコで大変やけど、あんまり沢山言う事があるから帰ってから話すね。あっ、そうそう、 あんたの部屋の紙袋に入ってる服、あれはクリーニングに出すもの? どうするの?」   

私 「あっ、忘れていた。割引してくれる月曜日に出しといてくれる?」

母 「わかった。そうしとく」

確かこうだったと思う。

それをきいた友達は、「あんたのお母さんは凄いね」と言ってあきれていた。

凄いのではなく、どの程度日本とドイツが離れているのかまったくわかっていないだけ。(でもこの時の私の返事もなかなか現実的だった)

そういえば28年前にヨーロッパ旅行するとき、朝早く家を出たのだが、母は確か布団の中から、

「いってらっしゃーい」と言ってくれたように思う。

今回は夜家を出たのだが、その時はお風呂の中から

「いってらっしゃーい」だった。

続く

ハンブルク

28年ぶりの海外旅行
くろだよしこ