日曜はダメよ
駅のインフォメーションは日曜がお休み。
場合によっては土曜日も午後はお休みの可能性あり。
インフォメーションのみならずデパートをはじめ、ほとんどのお店が日曜は
閉まっている。
(美術館などは開いてるが、その代わりに月曜日が休み)
旅行者にとっては魔の日曜日です。
土曜日になると明日のことを考えてなんかうっとおしい。
ホテルの部屋には冷蔵庫なんてほとんどなかったので、腐らないような物を買っておかないといけない。めんどくさいときは駅の構内でよく食べたものだ。
ここならとりあえず日曜でもパンにソーセージぐらいは食べれるから。
ここで住んでいる人は慣れているかもしれないけど、私なんてきっとダメね。
お料理の材料が一つなくても応用が利かなくて、どうしたらいいのか分からなくなるのに。
それが日曜だったら、、、やっぱりお隣に借りに行くのかしら。Bitteとか言って。
6月12日
ブレーメンを8時14分に発ってハノーファーで乗り換えレーゲンスブルクに13時29分に着いた。
ところがこの日は月曜日というのに、ほとんどのいや全部のお店が閉まっていた。
それで友達に電話したとき、
「ねえ今日は月曜日だよねえ。日曜日と違うよねえ」
と頼りなげに聞いたけど、ほんと不安なのよ。食べる物がないなんて。
昔、どこの国のか忘れたけど(日曜はダメよ)とかいう題名の歌があったように思うがまさしく日曜はダメ。
結局何日もあとでわかったのだが、この日は祝日だった。
レーゲンブルグ
ここのホテルの良くなかったところ・・ベッドのマットが柔らかすぎ。
ティッシュ、シャンプー、冷蔵庫がない。
便箋もない。
ここのホテルの良かったところ・・・・お金を預かってもらってたけど
ちゃんと貴重品としておいててくれた。
レストランはなかなか趣があった。
ドナウ川のたもとに炭焼きのソーセージ屋さんあり。
夕方 ビールを飲みながらソーセージを食べる。最高!
ドナウ川と古い石橋。いつまで見てても飽きない。
やっぱり行こう、オーストリア
ハンブルグ4泊、ブレーメン2泊、レーゲンスブルク2泊。
これでドイツが分かったわけではないが、違うところへ行きたい、何か違うところへ行きたい、、、
やっぱりオーストリア、ザルツブルグだ、ザルツブルグに行こうと急に思い立ってしまった。
ドイツ以外は行かないだろうと思っていたし、荷物を少なくするためにもガイドブックは持ってきていない。昔来たことはあるけど、ほとんど何も覚えていない。
あわてて松本さんに電話する。「ザルツブルグのホテルをファックスで教えて」
ザルツブルグは国境の街なので、ジャーマンレイルパスが使えることだけは覚えていた。
6月14日 レーゲンスブルク9:35発
ミュンヘン経由
ザルツブルグ 13:23着
前の旅行で一番印象的な街だったけれど、駅はこんなだったかな。
ホテルはWeisse
Taube。
ザルツブルグ
外壁に4つか5つ国旗が飾ってあり、その中に日本の国旗もあった。
かなり古い建物。神戸に帰ってからガイドブックを見ると
[1365年に建てられたという歴史ある建物]と書いてあった。
それぞれ部屋は入り組んでいてなかなか複雑。火事になったら怖いだろうな。
私の部屋は3階だった。今回の旅行の半分以上はツィンの部屋。ここもツィンだった。やっぱり照明は暗い。バスルームは広いけれど窓が小さく、換気の為にだけあるようなもの。昼でも真っ暗だった。
フロントの女性の一人が理知的な感じの人で、かってのロミー・シュナイダーに似ていた。
うるうる
6月15日
ザルツブルグ1泊目、昼頃に鉄道の駅付近をうろうろしていると日本人夫妻に会う。
関東弁で「シェラトンホテルはどの辺にあるかご存じですか?」と訊ねられたが私もまさかオーストリアに来るとは思っていなかったので、ガイドブックを持ってきていない。暇だから一緒に歩いて探しましょうということになり、ホテルを探すことが縁になって、その日と次の日も一緒にこの街を歩き回った。
そのシェラトンホテルの部屋も「まあいいじゃないですか」 と勧められて見せていただく。
私が今までに泊まったどの部屋よりも豪華で、ともかく明るい!
私の泊まったホテルはいわゆるヨーロッパタイプで(あたりまえ)部屋の真ん中には照明がない。ベッド、窓際、ドア付近に小さい黄色い明かりがあるだけなので、全部点けても暗い。こちらに来て一変に老眼が進んだのかと思ったくらい、小さな字が見にくかった。
シェラトンホテルを出るとき、エレベーターの近くにあった(かな?)山盛りのフルーツからりんごを一個頂く。「どーぞ、取っていただいていいのよ」 とお二人に言われたからです。
伊藤さんとおっしゃるこのご夫妻は、かなりの旅行通。
一年に何度も海外旅行をしていると。
ミラベル庭園。
朝1人で28年ぶりに行った。昔3人で来たことをいろいろ思いだした。
同じ会社に勤めていて、3ヶ月間海外旅行する為に同時に退職した。
あの時の小川さんと松浦さんは今どこでどうしているのか。随分長いこと会ってない。あの時一番頼りなかった私が、まさか一人で来るとはね。
午後、もう一度伊藤さんご夫妻と来る。
朝市はすっかり片づけられていた。
写真を撮っていただく。 私と伊藤敏子さん
旧市街
私はここでビール、コーヒーをごちそうになる、
この旅行で初めて他の人と一緒にテーブルにつく。
6月16日
伊藤ご夫妻が泊まっているシェラトンホテルヘ電話。お昼12時にモーツァルトの銅像の前で会う約束をする。昨日から天気が悪く肌寒い。
ケーブルが故障なので3人で歩いてお城に登る。かなりの坂。途中でどこの国の人なのか、日本語で「初めてヨーロッパに来ました。もうすぐ日本に帰ります」
という家族づれにあった。アメリカ人?どこの人?日本に帰ります???
カプツィーナの丘
ここはあまり知られていないのか、人が少ない。かなり急な坂を登る。
両脇にあんまり趣味の良くないキリスト教の壁画。てっぺんに教会があった。
風がかなり強いが心地よい。
旧市街あたりをまた三人で歩いてスパゲッティ、サラダ、ビールと久しぶりに食事らしい食事をする。
またまた歩いて(しかしお二人は健脚というかすごいエネルギッシュ。私一人なら何日分かの観光をたったの半日でしてしまった)
夕方5時頃、お別れする。なんかちょっと(いいえ、かなり)寂しい気がした。
こういうのって私は一番苦手です。ちょっとうるうるしそう。
寝る前突然電話が掛かって来た。伊藤さんから。別れるとき、私はよっぽど変な顔をしてたらしい。
「あまり寂しそうだったので、よかったら一緒にベルギーに行きませんか」
と言われたときにはとても恥ずかしかった。ごめんなさい、ご心配かけて。
こんなに親切に声を掛けていただいたのに、ホテルの名前も聞いていながら、待ち会う場所も決めておきながら、どこにメモしたのかすっかり忘れてしまった。
その時は、何かメモ用紙に書いてどこかに挟んだと思ってた。
そしてベルギーには行かなかったし、なんの連絡もしなかった。
そして神戸に帰って約一ヶ月後、手帳を開いて
6月21日(水)ブリュッセル中央駅 コンラッドインターナショナルホテル
電話 02542 4242
と書いてるのを見つけたときの私の驚き。 今でも本当に心残りです。
エルメスあるやん
6月17日
ザルツブルグ3泊目、旧市街をうろうろしていると後ろの方で何人いやいや何十人かの足音が聞こえて来た。そして一人若い女性の声、しかも大阪弁で
「ここにもエルメスあるやん!」「種類は少ないみたいや」
私はちょっとこわごわ振り向くと、日本の団体が結構急ぎ足で通り過ぎていく。
そして多分ツーリストの人かな、[大阪商工○○連盟]と書かれている小さな旗を肩の高さに持って彼らの先頭をひたすら歩いていた。
なぜか私は身を隠すようにもとの旧市街の方に歩き出した。
ナインとバーイ
6月18日
バスに乗ってザルツブルグを離れるやいなや、まさしくサウンド・オブ・ミュージックの世界。ここよ、ここ。私の大好きなザルツカンマーグートは。
バスから外を見ているだけで、マリアの歌声が聞こえるみたい。
松本さんがFAXで教えてくれたホテルの中から、この日はザンクト・ヴォルフガングにあるWeissen
Rosselに(Oにウムラウトが付くけど、私のパソコン技術では分からない)一泊する。
ところがホテルには午前中に着いてしまったので、この近くの登山電車に乗って山を楽しみ、それから珍しくエネルギッシュに動いた私はハルシュタットまで行った。
ところがこれが大変。2回と教えてもらったはずなのに、この日は4回もバスを乗り換えハルシュタットに着いた。
何回目の乗り換え(ドイツ語でUMSTEIGENといいます。ウムスタイゲン)の時か忘れたけど間違って違う停留所で降りようとしたら、
運転手さんに「NEIN」(ナイン 英語でNOと言う意味)と言われ、それだけでなく結構混んでいた乗客の人達まで声をそろえて「NEIN」 と合唱(?)してくれたのには驚き。
シャフルベルクからの展望
ハルシュタット行きのバスには6人の日本人も乗っていて、この6人のグループは私が一人旅だと知るととても驚いて一緒に記念撮影。
この時すでに夕方の5時5分。帰るバスはというと、あと25分後に出るとなっている。結局来たときのバスに乗って帰ることになるが、この間の忙しかったこと。
「せっかくだから、あの広場のところまで、、、」
6人グループの案内で広場近くと、なかなかステキなところだったのでホテルにも行って明日の部屋が空いてないか聞いてもらったりした。
しばらくは、満員らしく諦めた。
帰りのバスはまた何度かの乗り換えが必要だったけど、たった一人で次のバスを待つ事になったとき、「ここで10分待ちなさい」と教えてくれてそのバスはずーっと走り去った。そしてどうしたのか突然舞い戻って来て「バーイ」と大きな声で運転手さんは叫ぶように言ってから、また立ち去った。
私が心細そうにしてたからかな。
すごい!
このことだけでも、この旅行の価値はある。
どんなにお金を出しても、得られない感激。
小林薫
6月21日
ヴィスバーデン2泊目。
フランクフルトから数十分で行ける街。温泉が有名な高級住宅街。
昨日夜9時過ぎにOHさんと言う男性よりTelあり.
実はこの人は私の恩師”OH先生”の息子さんです。
海外旅行をすることを前もって先生に知らせていたので、
「息子がルフトハンザに勤めていて、ドイツにいるので連絡しておく」
と言ってくださり、それで会うことになった。
ああでもこの汚い格好じゃねえ。
本当は気の進まない頼まれごとだったでしょう。
多分お母さんにずいぶん頼み込まれたのだと思う。
「生きているかどうかもわからない。心配だから連絡してやって、お願い、、、」とか。
しかもホテルをちゃんと決めてなかったので、なかなか連絡が取れなかったみたい。
やっとわかったと思うともうチェックアウトした後とか、出かけているとか。
本当にご迷惑かけたと思う。
でもこの極楽とんぼ(と誰かが呼んでます)の私は何にも知らないで、そうか、じゃ僕ちゃん(私と友達は勝手に彼のことをそう呼んでいた)の住んでる街で連絡あるまで待っていよう、と予定を変更しヴィスバーデンに行った。
こちらからも電話したのだけど、なんせドイツ語の留守電。ちっともわからず。
「、、、、、ダンケ」
「、、、、、ダンケ」
何回訊いても最後のダンケしかわからなかった。「ダンケだけじゃわからないよー」私は部屋で大きな声でひとりごとを言った。
朝10時 ホテルまで来ていただく。お父さんに似ているかな。
まず大好きなワーゲンに乗せていただき、マインツまでドライブし初めてアイスカフェを飲み、写真を撮っていただいて、ヴィスバーデンで中華料理をごちそうしていただいた。
初対面にもかかわらず結構色々話しして(きっと自分の母親と同世代と思って
気楽だったのよね)お互いに人に言えない病持ちであることまで(しかも食事どきに相応しくない病気です)しゃべってしまった。
一番興味があったのはお父さんとお母さんの結婚に対してどう思ったのか話してくれたこと。
じつは彼の今のお母さんというのは実のお母さんではなく二度目のお母さんで、本当のお母さんというのは事故で亡くなられ、その後お父さんは再婚されたのだが、その相手の女性が私の専門学校の先生だった。
しかもその前の年の一年間、私はその学校の手伝いの形でずっとそばに居たので、
突然結婚すると聞いて、そして相手が誰か知った時はかなり驚いた。
お父さんはDrでその専門学校には講師として来られていたのだから。
そういったこともあり、他人事ながら私は気になってたので、話を聞いてフーンと思った。
この数時間は私はとっても気が楽だった。今まで旅行の間一人でいて、どこか緊張してたのかなあ。
この街、ヴィスバーデンではハンザホテルに泊まった。
ここはガイドブックで見つけたのだが、いろんな意味で良くなかった。
まずフロントの人が感じ悪い。愛想がない。
また私が外出するとき、フロントの人がいなかったので、鍵を入れておく小さな箱のような所に入れて外出したのだが(この入れ物の名前、なんだった?)
2時間以上たって帰ってきたのにも関わらず、まだ同じ箱に入ったままだった。(手を伸ばせば、誰でもとれる位置です)これはびっくりした。
それと食事。質素な上に足らなくなっても補充しない。美味しくもなかった。
それにホテルのせいではないけど、ここ何日暑くて暑くて、それに苦手なハエが多い。クーラーってないよね。
僕ちゃんと会った翌日その美味しくない朝食を食べかけたとき、ふっと昨夜見た夢を思い出した。
あれ! 小林薫が私に会いに来たよ、、、
たしかそうだったよね、、、
あれ?、でも本当にそうだったかな、、、
ムムム、、、なんや夢か。
色々お世話掛けた人ではなく、なぜか私のお気に入りの俳優さんが初めて夢に、しかもこんな旅行先に出てきてくれた。ちょっと嬉しい。でもこれは彼には絶対内緒です。なんか悪いじゃないですか。なんせ日中34度の暑さだもの、夢の回路もおかしかったのよね。ごめんなさい。すみません。
オッフェンバッハ
6月22日
昼まで公園でぼんやり。
こんなきれいな公園でぼんやりするのが、私は一番好きだ。
でもせっかくだから、気分を変えてどこか近くでも。各駅停車(と言うのかどうか)に乗ってオッフェンバッハへ。ICとかECとかはなかなか清潔でとてもきれいだけど、この各停は日本の方がずっと良い。落書きも多い。
落書きと言えば、バス停留所にも地下鉄の構内でも本当にすごく多いしダイナミック。日本人は落書きが好きと言われてるけど、こっちもなかなか。
オッフェンバッハは皮革の街。
観光の街ではない。皮革博物館というのがあって、ナポレオンが愛用したという鞄なんかが展示しているという。特に興味があるわけではないが、入ってみた。
閑散としている。受付にはかなりの年齢の女性がいた。
そして部屋の入り口まで案内してくれた。
「自分でライトを点けながら見て下さい」と言ったのだと思うが、立ち去った。
なんにも分かってない私は、目の前にあるスイッチを押したとたん、気絶するのではないかと思ったほど、怖かった。
目の前にライトで浮かび上がったのは、大きな大きな鰐の剥製だった。
なんで鰐がいるの!そうか鰐皮のバッグってあるよね。
その最初の部屋は原材料を展示してあるらしい。
ほかにもいろいろ動物の剥製があったらしいが、とても見る気になれずあわてて
退散した。ナポレオンの鞄だろうがジョセフィーヌの靴だろうがもういい!
とにかく怖かった。受付の女の人はあまりの早さに驚いていたようだった。
私はお城の中を見るのがなぜか怖くて苦手だけど、博物館も怖いぞ。
フェラガモ
6月23日
朝ヴィスバーデンから最後の街フランクフルトへ。速い列車なら30分の距離。
僕ちゃん、いやOH先生の息子さんが色々忠告してたっけ。
まず駅周辺は怪しげなので注意すること。
マイン川の橋の下はやはり怪しげな人が多いので行ってはいけない。
ああそれから、、、後いくつかあったけど忘れてしまった。
しかし私のホテルは駅のすぐそば。たしかに怪しげな人がうろうろしてる感じ。
でもホテル・モノポールは古いけれど昨日までのホテル(ヴィスバーデンのハンザ・ホテル)と違ってなかなかいい。フロントの男性の一人がとても感じよかった。
こういうのをFriendlyというのかなあ。日本人も結構宿泊していた。
それと朝の食事もまあよい。部屋の中の冷蔵庫の飲み物は只。
水、コーラ、ジュース、ワイン、ウィスキー。
(大体、今までのホテルには冷蔵庫のない部屋が多かった)
しかも朝の10時頃にホテルに着いたのに、すぐ部屋を使わせてくれた。
私はおみやげを買うタイプではないが、何も買わないわけにはいかないし、一つぐらい何か自分自身にもほしかった。デパートのカウフホーフ、アイグナー、ゴールドファイル、三越、いろいろ回ってなかなか疲れた。
バッグ、財布、ジャガイモの皮むき、パンナイフなど。
そしてなにげなくフェラガモのお店のショーウィンドウを見ると、たぶん本革ではないが合成っぽい雨靴にちょうどよいような靴が飾っていた。
バーゲン中なので値段もお手頃。サイズも何となく良さそうで色は薄い鶯色。
思わずみせてほしいと頼んでみたが、私の汚いカッコを見て「ちいさいよ」と言い、靴を半ば放り投げて見せてくれた。「ちょっと、失礼じゃないの」と叫びたかったけど、なんせドイツ語なんだからどう言ったらいいのか。
でもくやしいから履いてみたらちょっと大きくてダメだった。
大きさが合わないのも残念だったけど、あんなにバカにするなんて、、、
ドイツ人でもいい人ばかりじゃないんだ。
エホバの証人
6月24日
今回の旅行、最後の街フランクフルト。
ここから飛行機に乗って私は2日後帰途につく。昨日からこの街にいるが、
鉄道駅のそばはどこの国かと思うほど怪しげな感じの人が多い。
買い物に手間取る私は、今日もおみやげを買いにうろうろ。
疲れた顔で街を歩いていると、珍しく若い日本女性が話しかけてきた。
「ご旅行ですか」 から始まって
「私はこの街に7年住んでます」 フーン
「実はある本を紹介しているんです」 ???
「これなんですが、、」 何か怪しいぞ
「じつはエホバです」 エ?
「よかったら読んでみて下さい」 わかりました
(ゴメン、ゴミ箱に捨ててしまった)
こんな所でも布教しているんだ。
ちょっと驚いた。
トイレ
ドイツのトイレにはお金がいる。ほとんど50ペニヒ。
ええっと今の日本円で30円くらいかな。
ドイツの人にとって、このことは普通のことなんでしょうが、少なくとも私には普通のことではない。だからついなるべくお金を払わないでいいように考えてしまう。
ホテルから出かけるときは直前に必ずトイレに行く。
デパートでもお金が要ることがあるが只のこともあるので行く。
要らないと思って喜んで用を足してドアの外に出ると、なぜか係りのおばさんがいてがっかりしながら、仕方なくお財布を出す。
美術館、博物館なんかは只。フランクフルトにあった三越は地下にあって、もちろん自由に出入りできる。レストラン、カフェテラスも只。
そう言えばホーエンザルツブルグ城(オーストリアだけどほぼ同じ)のトイレはお金を入れたらドアが開くのだが、そのコインがなかったらどうするのでしょう。
私が行ったときは、自分が終わったら「かちゃ」と閉めないで、その辺に誰かいないか見て、誰かいたら「Bitte」 と言って半開け状態で出る。そして次の人が入る。これを次々と繰り返していた。だったら皆が最初の人の恩恵にあずかるわけである。
なるほどなあと思ってしまった、
やっぱり生活の知恵がある??
まだ帰りたくない
6月26日
いよいよ帰る日となった。フランクフルト発12:50
昨日は、うまく帰れるか心配で飛行場まで下見に行った。
ホテルは駅前だし、乗っている時間は10分ぐらいなのであっという間に着く。
だが飛行機の手続きが今ひとつわからないので、早めに行った。3時間以上も前に着く。ドイツのお金を日本円に替える。残ったコインで小さなチョコレートを買った。チョコの大好きな甥のおみやげにしよう。行きも帰りもルフトハンザは結構満員に近い。パンナイフを買ったのでリュックは手荷物にしなかった。
おみやげは少ない。
バッグ 2個 (アイグナー、 ゴールドファイル)
財布 3個 (アイグナー)
パンナイフ 1個 (WMF)
皮むき 17個 (WMF)
ルーペ 1個 (エッシェンバッハ)
キーホルダ 1個
かたつむりのぬいぐるみ 1個
鼻毛ばさみ 2個 (ゾーリンゲン)
車の日よけ 2個 (猫 うさぎ)
たったこれだけ。しかし免税手続きをするのが大変だった。
わずかな金額なのでどうしようかと思ったけど、時間もあるし、何千円かが戻ってくると思うともったいない。言葉でうまく言えないのでガイドブックの”Zoll”を指でさし、探すこと約1時間。この間何人の人に尋ねたことか。
「なんでそんなにかかったの?」なんて聞かないでほしい。
ともかくお金5?6千円を手にするのは大変だった。
関空行きの出発ラウンジに行くと、どんどん日本人が集まってきた。どこにこんなにいたのかと思うくらい日本人だらけ。いや関西人だらけ。
ほとんどが団体旅行の人達だった。にぎやかで、にぎやかで、うるさかった。
こんなにたくさんの日本語がいっぺんに聞こえるなんて久しぶり。
なのに驚いたことに私はそれが煩わしかった。
飛行機の中では行きと違ってみんなよく眠っていた。ほんとに疲れているといった感じ。映画3本していたけど全部見たのは私ぐらい?でもどれもあまりおもしろくなかった。大鳥さんを知ってから乗務員の仕事ぶりが気になったけど、なかなかハード。タレントの香坂美由紀にちょっと似ていたスチューワーデスは途中からメガネをかけていた。そうか、さっきまでコンタクトレンズだったんだ。飛行機の中は本当に眼が乾くものね。
お隣の日本人ご夫婦は車でドイツをあちこちと廻ってきたと。ベルリンも行ったらしい。工事中が多く、言葉は英語はほとんど通じない。森は手入れがされていないからか、道無き道を歩くといった感じらしい。でも食べ物の物価は安いとか。
一人で旅行したと言ったら、ぜひ旅行記のような物を作りなさいと勧められる。
「そうすることによって何か見えてくる」とも言われた。 (何か見えてきたかな)
6月27日
朝8時過ぎ、関空に着いた。行きと違って、うまく耳の空気抜けが出来てほっとした。行きは2日間ぐらい痛くて困ったもの。松本さんが迎えに来てくれるはず。
考えれば彼女のおかげで一人旅が出来たようなもの。
見送ってくれる、迎えに来てくれる、Faxで色々教えてくれる、電話もしてくれた。
何回かは留守番している母に会いに行ってくれた。私にはこういう真似は出来ない。
本当にありがとうございました。
しかしなんか蒸し暑いね。しばらくボーっとしていると彼女がやってきた。
3週間前に送ってくれたはずなのに、昨日も会っていたかのような会話になった。
私は「朝何時に家を出たん?」
彼女は「ちょっと痩せたんと違う?」(ホントはやつれた?)
そういえばたった一枚の着たきりGパンがガボガボだ。
帰って体重計に乗ってみると4キロも減っていた。
もしまた行くなら、こんな事に注意したい
1)一人旅ならやはりリュックが良い
2)磁石があれば便利かも
3)カメラはインスタントカメラで無く普通のものが良い
4)(夏なら)傘は日傘兼用がいいかも
5)辞書、会話の本はほとんど使わない
6)ラジオを持って行くのもいいらしい(宮垣さん曰く)