ユリイカ 特集 白川静 −100歳から始める漢字


 青土社 2010

100歳から始める漢字とは、今年が丁度白川静の生誕100年に当たるからである。白川静に関心のあるものは、ひとたび、この本を手に取ると、面白くて止まらない。止まらない理由は、編集が軽いからである。
@一海知義・石川九楊の対談の始まり、A梅原猛。B松村正剛のインタービュウ記事に挟まれるように、沢山の方が寄稿しておられる。丁度、白川静という、独立峰を暗闇の中から、いくつものサーチライトで照らし出す趣があって、ここから、白川静が一部が照らし出されるのである。
@は何故白川静が、孤高であったかを、官学、私学のギャップの大きさということで、一海知義が発言しているが、時代の雰囲気が良く分かる。これは、藤堂明保との論争において、底流に流れていたものように思われる。(今でもこんなのかしら?) 
娘として、編集者として、その他様々な人が、その人となりや学問の断面を、切り取って見せてくれるが、中には、白川の漢字学は全く知らないとしながら、稿を寄せられている方がいる。その一人、出口宗和は立命館大学の、全共闘運動時代の、白川静に触れ、白川静の研究室が、例外的に、赤々と明かりが付いていたという伝説の背景を明らかにする。驚いたのは高島俊男である。彼は藤堂氏とわりあい近いところにいたが、白川氏とやり取りを知らなかったとし、編集者から、岩波新書『漢字』と当時論争が載っている『文学』を取り寄せ、それを読んで、稿を草している。論争の要約と、論争は結局かみ合わず、藤堂の考えは、白川には届かず、それで、藤堂は再反論をしなかったのだとしている。「両雄倶に立たず」というタイトルは、恐らく編集者がつけたもであろうが、高みに立って、裁断する高島俊男という人は一体何者といった感じがした。私のような素人でも、藤堂・白川の論争は知っているのに、この方面でプロとも言える高島俊男がこんな態度をとるなんて・・・・
こんな記事を含めて、読み応えのある文が多い。
高橋和己のことも散見される。
言葉の世界は、いくら掘っても切がない。ことば・文字・存在といったものを繋ぐものとして、白川静が用いた「ロゴス」という言葉を丁寧に分析したのは、山本貴光の文で、労作だと思った。それが、特集最後を飾っている。

8年前、雑誌 別冊太陽で「白川静の世界」が出されたが、これからも、こんな雑誌仕立ての本が出て来ることだろう。そして、白川静そのものに回帰するきっかけを作ってくれるものと思う。

松村正剛「白川静  漢字の世界観」

読書の愉楽・私の書評