幽霊
 イーディス・ウォートン著
 薗田美和子・山田晴子訳
 作品社 2007

シェイクスピアを読む会で、月に何度もお会いする薗田美智子さんの訳でなければ、この手の翻訳物には手に出すことはなかったでしょう。手堅い、味のある翻訳につられて、ゆっくりとイーディス・ウォートンの世界に入っていくことが出来、読み終えて、豊かな読後感を得ました。

イーディス・ウォートンの本を読むのは初めてですし、このような幽霊物語をまとめて読むのも初めてです。
リアルなタッチで、じわじわと状況が作られ、読者の好奇心を駆り立てていきます。ーー古い館、多くの使用人、開かずの間、美貌の女主人、めったに帰ってこない主人ーー幽霊物語はこんな舞台装置がふさわしいのですが、7編それぞれ設定が工夫されており、自然に読者を導く、著者の手腕は冴えています。不思議な現象が小出しにされ、疑念と恐怖心が膨らんでくると共に、物語の主人公と同化してしまい、一語一語に集中していきます。時には背筋がぞーとする。そこで何が起きたか?犯人は?となるとミステリー小説ですが、その犯人に当たるものが『  』なのです。
その後に読者の心に『  』が残ります。『  』は、著者が仕掛け、読者の中に、芽生えてくる、『幽霊』なのですが、どろどろとしたいやな感じではありません。日本のお化けともシェイクスピア、ディケンズの幽霊とも違います。本当の幽霊が読者の心をよぎって行った感じで、『  』とするしかありません。登場人物、たとえは、小間使い、妻などがこの幽霊につながっている時にはもっと複雑な気持ちになり、『  』の謎は深まります。
「ホルバインにならって」は、かって社交界でもてはやされた男と女が物語の主人公ですが、「認知症」的世界で、人事とは思えないのですが、すべてが幽霊で、読者は一杯食わされているのかもしれません。
ミステリー小説が、読者の知性に働きかけるものとしたら、幽霊物語は読者の感性、潜在意識に働きかけるものだと思います。
巻末に訳出された本書の序文で、著者は「幽霊を感じるひと」について論じていて、これがまた面白いのですが、私たちが、急速に幽霊を感じる能力を失いつつあることは確かです。
どれだけその能力を保持しているか、この本を読んでテストしてみませんか?

同じ薗田美和子さんの訳で、イーディス・ウォートンの「魅入られて」という短編を内山照子編『化けて出てやる  古今英米幽霊事情1』新風社1998年でも読むことが出来ます。これは大きな館で起きる物語ではありませんが、鄙びた世界がリアティーのある筆致で描かれ、なんとも奇妙な味わいのある好篇です。

以下は、キャロル・ファンとしての蛇足。
同書の解説からこんなことを知りました。
著者は、富豪の家に生まれ、アメリカ人ですが、主として英国人の家庭教師から豊かな教育を受けており、『不思議の国のアリス』は全文を暗記していたといいます。
さらに序文の注によると、この本はウォルター・ド・ラ・メアの献呈されています。ド・ラ・メアと言へば、私の好きな詩集Peacok PieのほかにLewis Carroll(という本を書いており、なにか不思議なご縁を感じます。
キャロルは若いときから妖精や幽霊には興味があり、Phantasmagoriaという滑稽な幽霊の詩がありますし、心霊現象研究協会の1882年発足時からのメンバーですので、幽霊とは縁のある作家です。タイプは全く異なる2人の間に、何か関係があるかも知れません。

さらに蛇足。
私が読み続けている「聊斎志異」は、大半が狐、幽霊の話ですが、イーディス・ウォートンと異なり、読者も物語の主人公もそれが、幽霊(鬼という)とも狐とも初めから分かっていて展開するのもがほとんどです。したがって、怖さが少なく、異界と地続きになっています。西洋的緊迫感に対して、中国的鷹揚さとも言うべきでしょう。

またまた蛇足。
「犬は人に付き、猫は家に付く」と言われますが、幽霊も猫のようにどうやら家(館、場所)に付くことが多いのはなぜでしょうか?

2010・10・30

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