アリスとチェシャ猫の対話(73)

332 猫: アリスさんと私との間で言葉の使い方が違うので、混乱しているようです。アリスさんが問題を整理してくださったので、それに沿って話を進めます。

 アリスさんのA、B、C、Dについて、アリスさんと私の用語の比較をしてみます。

アリス      猫
A 霊的存在     人間   神
B 個別化した霊的存在 私  人間
C 自分    
D エゴ      エゴ エゴ

 こうしてみると、アリスさんと私の大きな違いは、私が人間という言葉を個別化した霊的存在(たくさん存在する)に対して使うのに対し、アリスさんは個別化する以前の(根源的)霊的存在(唯一の存在)に対して使っておられることです。

 「自分」という言葉は、アリスさんは、Bの「私」が自分に「自分」という名をつけたと考えておられますが、私はそれぞれの存在がそれぞれ自分を「自分」と認識すると考えています。つまり、エゴはエゴを「自分」だと思い、人間(個別化した霊)は個別化した霊を自分だと思い、神は神を自分だと思う、ということです。

 次に、<私の疑問は、BがDで発生する不如意を少なくし、如意の方はたっぷりと味わう、そんな手はないものか?ということなのですが・・・>と仰った如意と不如意の問題ですが、不如意がD(エゴ)において発生するのはいいとして、アリスさんは、不如意を感じているのはB(個別化した霊)だと考えておられるのでしょうか。それとも、不如意を減らすのはBの役目で、それを感じるのはDのほうだということなのでしょうか。

私は、不如意を感じているのはD(エゴ)だと考えています。B(個別化した霊)にとっては、不如意は存在しません。したがって、Bが不如意を減らすということもありえないのです。私たちはいま、自己の認識をエゴに置いているので不如意を感じます。もし私たちが、B(個別化した霊)を自分だと認識するようになれば、不如意は発生もしないし、感じることもないというのが、私の考えです。

このところを理解するには、もう一度「自分という意識」に戻らなければならないような気がしますが、その前に、「不如意を感じているのは何者か」ということについて、アリスさんのお考えをお聞かせください。

333 アリス: お話を表にまとめてくださったので、コントラストがはっきりしました。

私の話は人間から始めましたので、私なりに補完いたします。

アリス      猫
X 一なる霊      (神) 
A 人間という霊的存在     人間   ー
B 個別化した霊的存在 私  人間
C 自分  自分      ー)
D エゴ      エゴ(我) エゴ

 [猫さんには表とは別に、それぞれの存在がそれぞれ自分を「自分」と認識する、最も根源的な意識(存在)がある。]

猫さんとの違いは特に[ ]の中ですね。もう少し時間をかけないと理解できません。

犬や花や石も「自分」があることになるのですが、そこが分からないのです。

エゴの話になりましたが、この対話では意外と掘り下げをしていません。148で、<エゴというのは、これまでにお話したように、人間の心のサブシステムであって、特定の目的を達成するように作られた自動化装置の部分です。>が猫さんのお考えであれば、私のエゴとはちょっと違うように思います。私の現在の理解は、自分というものが出来て、意思を持ち始めたあたりをエゴという言葉で表したいと思っています。自分を温存、拡大しようとする意思ですが、エゴの本体ではないかと思っております。

不如意問題は繰り返しになりますが、如意、不如意を含めてBレベルまで感じると思っています。もしそうでないなら、自分を、また、エゴをコントロールできないのではないでしょうか?「痛い」にこだわってきたのをそのためですし、エゴに属さないことにも、喜びや悲しみがあるのではないかと思っています。もちろんエゴのレベルと霊のレベルで感じ方は違うのでしょうが・・・

334 猫: <私のエゴとはちょっと違うように思います>

確かに、アリスさんが補完された表を見ると、332で私が書いたのとまた違うように思います。強いて当てはめれば、私の用語では、X=神、A=人間、B=エゴ(自動制御装置)となるように思われます。C、Dは、エゴの機能の一部ということになります。このように対応させれば、如意不如意をBレベルで感じるというお話は理解できます。

ただし私には、アリスさんの言われるX「一なる霊」、A「人間という霊的存在」、B「個別化した霊的存在」の三者の関係がよくわかりません。私は「個別化した霊的存在」=「一なる霊が個別化したもの」=「人間という霊的存在」と考えていますので。また「私」と「自分」の違いもよくわかりません。「自分」ができる前の「私」とは何者なのでしょうか。よろしければ、少し説明してくださるとありがたい、と思います。

 <犬や花や石も「自分」があることになるのですが、そこが分からないのです>

私は、犬や花や石だけでなく、原子や分子や素粒子にも「自分」があると思っています。存在するものはすべて純粋意識(それ自体で存在する意識)であり、意識とは「自分」を認識することに他ならない、と考えるからです。ただし、「エゴ」を、アリスさんの言われるように「自分を温存、拡大しようとする意志」とした場合、「自分」があるからといって「エゴ」があるとは限らないと思います。

335アリス: 同じ言葉を互いに別の意味で使っていると収拾かつかなくなりますね。戸惑いながら、話を先に進めさせていただきます。

<私には、アリスさんの言われるX「一なる霊」、A「人間という霊的存在」、B「個別化した霊的存在」の三者の関係がよくわかりません。>

Bはただ今現在は、肉体を持ってこの世にいるアリスであり、猫さんです。この私はある意味で、何度も生まれ、死にますが、何時までも続くかどうかはわかりません。

AはそのようなBを纏めて「人間という霊的存在」といいます。猫さん、アリス、・・・を日本人というようなものですが、固有の性質を持つので、1つの存在と見るわけです。

視覚的に言えば、全体と部分であり X>A>B となります。

<また「私」と「自分」の違いもよくわかりません。「自分」ができる前の「私」とは何者なのでしょうか。よろしければ、少し説明してくださるとありがたい、と思います。>

B「私」は言葉をもたないり限り「自分」を認識、表現できません。従って、「私」が言葉をもった時に、C「自分」が出来、対象も生じます。森羅万象が現れてきます。そして「自分」が核となって、それを維持拡大しようという意志がでてくると、その部分を「エゴ」といいます。視覚的にいいますとB>C>Dとなり、勿論、DはXに含まれます。例のアリスの金太郎飴です。

猫さんの「自分」とかなり違いがあります。<自分をなくすのは難しい>と猫さんが言われたときは、Bレベルのことを思い描いたので、それは大変難しいことだと思いましたが、Dレベルであると、それが猫さんの仰る自動化装置であるとしても、多少はBまたはCがコントロールできるのではと考えたわけです。しかし、それは諦めるべきだ、という考えも心の片隅にあります。また、Bが何もしなければDは発生しない、とも考えます。猫さんに繰り返し、お尋ねしているのは、このあたりです。

<私は、犬や花や石だけでなく、原子や分子や素粒子にも「自分」があると思っています。存在するものはすべて純粋意識(それ自体で存在する意識)であり、意識とは「自分」を認識することに他ならない、と考えるからです>

犬や素粒子が言葉を持っておれば「自分」を認識できるでしょう。持っているかどうかは認識不可能だと思うのです。私は、それらはB人間が名づけたから、存在するのではないかと考えています。

大変大きな言葉の壁があって、対話が成り立っているかどうかわかりませんが、猫さんにバトンをお渡しします。

336 猫: 今回のご説明で、アリスさんのお考えがかなりよくわかったように思います。有難うございました。

<B「私」は言葉をもたないり限り「自分」を認識、表現できません。従って、「私」が言葉をもった時に、C「自分」が出来、対象も生じます。>というお考えもおもしろいと思いますが、これについては、私のほうもじっくり考えてから、また適当な時に話題にしたいと思います。

 ひとつだけ、確認のための質問をさせていただきますが、A「人間という霊的存在」というのは、単数でしょうか。つまり、人類全体をひとつの霊的存在として考えておられるのでしょうか。もしそうだとすると、アリスさんと私の対応関係は、次のように書き直さなければなりません。(私はこのほうがよくわかります。)

アリス      猫
X 一なる霊      (神) 
A 人間という霊的存在     人間   人類という霊
B 個別化した霊的存在 私  個人の霊(霊的存在レベルの個人)
C 自分  自分      エゴ(自動化装置)=肉体とその意識
D エゴ      エゴ 自己中心的意志

    このように理解すると、X>A>B>C>D という関係も納得できます。

 私がこれまで問題にしつづけてきたのは、私たち人間が、B(霊)のレベルで生きていないで、C(肉体)のレベルを自分だと思いこんでいる、ということです。私のいう霊性回復とは、Cのレベルに(肉体の中に)閉じ込められて(閉じこもって?)いる私たちの意識を解放して、Bのレベルにまで拡大することです。いわば、肉体として生きるのでなく、霊として、あるいは魂として生きるようになるということです。

 このような対応でよければ、私もアリスさんのお考えがよくわかるし、アリスさんも私の考えを理解していただけるのではないでしょうか。この表についてまだご質問やご意見がおありであれば続けてください。

 もし、一応、表については納得されたということであれば、アリスさんに、今後の対話に対するお考えをお聞きしたいと思います。かなり長い間、霊性ということに話題を集中してきました。一応の整理がついたようでもあるし、このあたりですこし話題を変えて、物理学の話でもしませんか。

 私は、科学が、私が考えているような「真実」に、どの程度近づいてくるか、という目で興味を持って科学の動向を眺めています。現代は、物理学者が「時間も空間も存在しない」というような理論を考える時代です。私自身もそれらの理論を十分理解できているかどうか自信がありませんが、とてもおもしろいと思います。アリスさんも興味をもたれるのではないかと思いますが。

337アリス:<確認のための質問をさせていただきますが、A「人間という霊的存在」というのは、単数でしょうか。つまり、人類全体をひとつの霊的存在として考えておられるのでしょうか。>

今は、人類全体をひとつの霊的存在して考えています。実はこれには余り自信がありません。思惟上の便宜のための観念かもしれないという疑念が残っていますので、更に考えてみます。

猫さんのお蔭で、だいぶ理解が進みました。有難うございます。話題を変えることに異存はありませんが、その前に、不如意問題について纏めとして次の4点、猫さんのお考えをお聞かせください。

@    猫さんご自身は不如意を感じられませんか?不如意にどう対応しておられますか?

A    不如意(体が痛い。震える。子供の不登校、不和。金がない。等々)を解決したい一心で、この対話を読み続けた読者へ猫さんからのメッセージをどうぞ。

B    如意(健康、長寿、家庭の幸せ、金、名誉、等々)を求めてこの対話を読み続けた読者へ猫さんからのメッセージをどうぞ。

C    エゴ(猫さんのいうエゴ)を取ってしまうと如意、不如意がなくなるが、生きる悦びまで失ってしまうのではないかと懼れるアリスへのメッセージをお願いします。

(長くなりそうでしたら、猫さんのサイト「霊性の時代の夜明け」を適宜ご引用ください。)

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