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Alice in Tokyohe
アリスとチェシャ猫との対話(6)

44 猫 私がなぜこのような質問をするかという意図をお話していないので、アリスさんは少しいららしておられるのではないでしょうか。私の意図は、人間が、感覚に受ける印象を通して外界が本当に存在するかどうかを確かめようと考えている限り、それを確かめることはできない、ということに気づくためです。
 人間がこの問題に取り組んだのは、いまから2500年も前にさかのぼります。数多くの優れた思索家が生涯をかけて取り組んだにもかかわらず、いまだに決着がつきません。それは本質的に不可能なことをしようとしているからです。
 私たちは、ここでとりあえず次の二つの結論を共有したいと思います。

  結論1:感覚によって世界を認識する私たちが、感覚に受ける印象のみを素材とする論理的思考によって、外界が認識されるとおりに存在しているかどうかを確定することは不可能である。

  結論2:したがって「外界が存在し、私たちの感覚はそれから来る刺激を受け取って、外界を認識する」という考えと、「存在するものは意識だけであって、外界に見えるものは、それが存在するかのように意識が描き出したものである。」という考えは、信頼性において一方が他方に勝ることはない。
 アリスさんのお考えはいかがでしょうか。もし、結論を急ぎすぎていると思われる
ようでしたら、どこに飛躍があるか、ご指摘をお願いします。


5 アリス
 ご返事が遅くなりました。別に他意はありません。いらいらしているわけでもありません。HPを作っておりますと、色んな障害に遭い、エネルギーの90%を取られております。これは私だけのことかもしれませんが、私にとり、非人間的な苦労で、ある意味でバーチャルな世界の体験かも知れません。そんなことで遅くなりましたことをお許しください。

共有すべき結論として示された2つの命題は、これまでの対話から感情的には抵抗なく受け入れることができます。ただ、ここで、この命題を受け入れてしまっては、この対話が少し、貧しいものになるのではないでしょうか?

即ち、第一の命題。これを是認すると、現代の自然科学。ルネッサンスからやっと築いた科学の位置付けはどうなるのでしょうか。観察、仮説、実験、検証といった一連のプロセスについて、何がしかの見解を示すべきだと思います。これらは感覚によって外界を認識しようとしたのではないでしょうか。

第2の命題で、二つの選択肢を示し「信頼性において一方が他方に勝ることはない。」というのは、統計学(確率論)上のお話かもしれませんが、私にはこれから何か展開するとは思えません。これから、そのいずれかが選ばれる過程や論拠が示されると思いますがので、猫さんの次のお話をお願いいたします。

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