アリスとチェシャ猫の対話(57)


200 猫: <人間として生れた限り、構造的にエゴがあり、スクリーンにさまざまな幻想を映し出しているのですね>ということですが、もしこの「人間」という言葉が肉体を意味しているのなら少し違います。肉体の人間として生まれたから幻想を持つわけではありません。幻想を持ったから肉体として生まれたのです。肉体として生まれたこと自体が幻想なのです。

物質世界が幻想であるというときの幻想は、肉体の脳が見ている幻想ではありません。本来は肉体をもたない霊的存在が「自分は物質世界の中にいる肉体人間である」という幻想を見ているのです。物質世界も肉体も脳もすべて幻想です。何一つ実在しません。実在しないのに実在するかのように見える・・・だからバーチャル・リアリティなのです。それが「色即是空」の意味です。

不思議の国のアリスの物語には二人のアリスが出てきますね。本を読んでいるアリスと、不思議の国の中に入って行くアリスです。本を読んでいるアリスが、不思議の国に入って行くアリスの夢を見るのです。

同じように、いま本物のアリスさんは霊的存在の住む世界で眠っていて、自分が地球という星に生まれた夢を見ています。いま私とメールをしているアリスさんは、その夢の中のアリスさんです。そしてその夢の中に、人間の形をした変な猫が現われて、「これは夢だよ」と言っています。夢の中のアリスさんはわかったようで、わからない・・・困っています。

<このような苦しみのただ中にある人に、「それはエゴが見ている幻想だ」と言って果たして通ずるかどうか。>

確かにその通りです。通じないから、今の地球があるのです。

 けれども、通じないから他の方法を探そうと思っても無駄です。ほかの方法ついては、古今東西のあらゆる人々があらゆる方法を試してきました。その結果が現在の地球の姿ではないでしょうか。「良薬口に苦し」と言いますが、苦いのは嫌だからといって砂糖水をなめても病気は治りません。ただ、子供向けの薬をシロップに入れて飲ませるように、苦い薬を飲みやすくする工夫は必要でしょう。また、手を変え品を変えて繰り返し、慣れさせることも必要でしょう。私が、古くからある思想に現代風の包装をして本を書いたりホームページを作ったりするのも、そのためです。

けれども、人間は本来的に自分の意識を体験する存在です。基本的には、私たちが自分の意識をクリアにしない限り、世界をクリアにすることはできません。そのことを、釈迦は理詰めで説明して理解させようとしました。それが「色即是空」の教えです。一方、キリストは理屈抜きで、自分の意識をクリアにする方法を教えました。それが「隣人を自分のように愛しなさい」「あなたの敵を愛しなさい。あなたに悪をなす者のために祈りなさい」という愛の教えです。

<何か良い手立てはないものでしょうか? それほど大きなものでなくとも、ちょっとした怪我や病気を避ける方法があるのでしょうか?>

先日おもしろいコンピューターゲームのソフトを見つけました。Alice in Nightmareというゲームです。いうまでもなく不思議の国のアリスのパロディなのですが、魔法をかけられて化け物に変えられてしまった不思議の国の住人を、魔法を解いてもとに戻して行くゲームだそうです。

いま私たちの「夢の中の地球」も悪夢のような世界です。アリスさんでなくても、この世界を何とかしたいと思うのは当然です。地球にかけられた魔法を解くにはどうしたらいいのでしょうか。それには、地球に魔法をかけている魔法使いが誰なのかを知らなくてはなりません。

ところでアリスさんは、もしアリスさんが毎晩悪い夢に悩まされるようだったら、どういう対策をとりますか。夢の中で化け物退治をしますか。

悪い夢を見るのは、身体の調子が悪いときですね。寝る前に間食したものがもたれていたり、ストレスで神経が高ぶっていたり、そういうときに悪い夢を見ます。もしアリスさんが悪夢に悩まされたとしたら、きっとアリスさんは生活習慣を改め、身体も心も健康でいられるようにするでしょう。そうすると、自然に悪い夢を見なくなり、楽しい夢を見るようになってきます。

霊的存在が見る地球の夢も同じです。私たちは「霊的に不健康」であるために、悪い夢を見ているのです。地球に魔法をかけているのは、私たちの「霊的不健康」なのです。さきほど、幻想を見るメカニズムがエゴであると言いました。そのエゴが不健康になっているので、いま私たちはゆがんだ幻想を見ているのです。

けれども、この「霊的不健康」という言い方は誤解を招きそうな表現です。これについての説明は次回にしましょう。そして、いま私たちが見ている地球の姿が、霊的存在が見ている夢であるという言葉には、重大な意味が隠されています。そのこともあわせて次回お話しします。

201 アリス: 私の疑問に丁寧なお答え有難うございました。猫さんのお話はこれまでのお説と趣旨一貫していて、分り良いです。次の「霊的不健康」というお話が続くようで、中断にならなければよいと思いながら、一つ付け加えさせていただきます。

<不思議の国のアリスの物語には二人のアリスが出てきますね。本を読んでいるアリスと、不思議の国の中に入って行くアリスです。本を読んでいるアリスが、不思議の国に入って行くアリスの夢を見るのです。>ですが、先ず『不思議の国』では、本を読んでいたのはアリスのお姉さんですし、アリスが夢を見て『不思議国の国』に入って行くという記述ありません。ただ、終りの所で、アリスはお姉さんに起こされ、夢と知るわけですが、そのお姉さんもアリスと同じ夢を見ます。目をあければ退屈な現実に帰るのだとおもいながら・・・『鏡の国』でも赤の王様の見る夢で、同様な夢か真か分らなくなる話が出てきます。マーチン・ガードナーの註釈によるとキャロルは現実は夢としたバークレイ僧正(これは猫さんが前に触れられておりますが)を意識していたとあります。

つまらぬ、チャチャ入れて申し訳ありません。

次のお話に出てくるのかどうか分りませんが、こんな話題にも触れていただければと思います。
科学者が物質の本質、量子など、もっと、上位の単位、DNAなど探求する意味をどう理解したらいいでしょうか。それから「Alice in Nightmare」について知りたい人もいると思います。もう少し情報をいただけませんか?

202 猫: 不思議の国のアリスについては、たしかに、本を読んでいるお姉さんのそばでぼんやりとあたりを見回していたアリスの前にウサギが飛び出してくるという始まりだったようです。うろ覚えの記憶でお話して申し訳ありません。

 本題に入る前に、二つのご要望に触れておきます。

<それから「Alice in Nightmare」について知りたい人もいると思います。もう少し情報をいただけませんか?>

Alice in Nightmareは8,000円近くしますので、それほど安っぽいゲームではないと思います。私自身はゲームを買っていませんので、これ以上のことはわかりません。詳しい情報が欲しい方は、アマゾン書店http://www.amazon.co.jpのゲームソフトのコーナーで検索してください。

 <科学者が物質の本質、量子など、もっと、上位の単位、DNAなど探求する意味をどう理解したらいいでしょうか。>

科学者が量子やDNAについて探求するのは、私は、物質世界というゲームの一部だと考えています。この物質世界がいかなる法則にしたがってつくられているかを探るゲームです。それはソフトの世界でインバース・エンジニアリングと呼ばれるものに似ています。日本語では逆解析と言いますが、ソフトの動作から逆にソフトの構造を調べようとするのがインバース・エンジニアリングです。科学は、法則に従って動く物質の現象から、逆に法則を推定しようとするものですから、物質世界の逆解析だといえます。

けれども、以前にもお話したことがありますが、逆解析によって物質の法則を知ることはできますが、物質それ自体が何であるかを知ることはできません。それは、たとえば、あらゆる物質が万有引力の法則に従うということと、万有引力が実在するということは同じではないということです。法則がわかれば物質を取り扱うという実用的な目的には十分です。けれども、「物質とは何か」というような哲学的な問いに対しては、答えは得られません。

 先日、「科学とこころ」という国際学会を聞きに行きましたが、ある講演者が、こころを持った機械を作ろうとする研究について講演をしました。けれども、私は、その研究は「こころを持っているように見える」機械の開発研究であって、「こころを持った機械」の開発ではないと思います。人間に優しいロボットを作ろうというような実用的な目的にはそれで十分なのですが、人間や人間のこころそのものの研究には役立たないと思います。

 科学については、また別の機会に触れることもあると思います。

 さて、本題の「霊的不健康」の話に戻ります。

 霊的不健康という言葉が誤解を生みそうだと言ったのは、本来、霊的存在は不健康になることはないからです。けれども、私たち人間は、霊的存在としてみれば、不健康な状態にあります。この本質と現実のギャップが何処から来るかというと、この「不健康」は霊的存在としての私たちが自ら選んだものであるというところから来るのです。

 霊的不健康とは、霊的存在が持つ本来の無限性・完全性が発現しないようになっているということです。私たちがなぜそのような状態を選んだかというと、それがゲームだからです。「サッカーとは人間本来の能力に制限をつけることによって成立するスポーツである」と言った人があります。確かに、人間がせっかく持っている二本の腕を使わないという約束によって、サッカーというスポーツは成り立ちます。そのように考えれば、どんなスポーツでも、どんなゲームでも、何らかの制約を課することによって成り立っていることがわかると思います。

 物質世界という霊的存在にとってのゲームの場は、極端といってもいいほど強い制約によって成り立っている場です。空間の三次元、逆行不可能な時間の一次元というのは、存在の場としては、非常に強い制約です。そして、もっとも強い制約は、自分が本来霊的存在であることを忘れるということです。私たちの肉体が存在している三次元世界は、「宝探し」ゲームのようなものです。宝を隠しておいて、それを見つけ出そうというゲームです。歌を忘れたカナリヤが、もう一度歌を取り戻そうというゲームです。

 その筋書きを簡単にいえば、まず三次元の物質世界を用意し、そこにエゴという比較的単純な意識の種を植え付けます。そのエゴが、物質世界の中で生活をしながら成長し、やがて霊的レベルを理解するようになり、自分の魂との再結合を果たす、というものです。それは学習能力をもったロボットをつくった技術者が、一生懸命ロボットを成長させようとするのに似ています。ただ、人間の作ったロボットは、いつまでたっても、どんなに賢くなっても、ロボットのままですが、エゴは成長すれば、魂との再結合を果たし、魂と一体になります。それはエゴも魂も本質は霊だからです。

 これが、現在人間がなぜ霊的不健康の状態にあるかということの理由です。多くの宗教は、霊的不健康を罪や悪であると考え、人間が神にそむいて堕落したとか、人間は本質的に悪であるといったことを教えます。けれども、霊的存在は堕落したり、罪を犯したりすることはありません。なぜなら、それは本質的に完全な存在だからです。

次に、対話200で<いま私たちが見ている地球の姿が、霊的存在が見ている夢であるという言葉には、重大な意味が隠されています>と申しあげたことを説明しなければなりませんが、少し長くなりましたのでいったんここで切ることにします。ご質問でもあればどうぞ。

203アリス:霊的「不健康」というところはちょっと釈然としないものが残りますが、ゲームのお話は理解できます。それにしても強烈なゲームを作り出したものですね。そのゴールが自分の魂との再結合(霊性への覚醒と言って良いでしょうか?)であるとすれば、99.99・・%の人がゲームのゴールを知らずに、その強固な規則に縛られながら、むやみにボールを蹴っていることになります。

前にお話のあったジェームス山の巨大迷路ではありませんが、立ち往生した挙句、こんなゲームに参加しなければよかったと思うひと何とか活路を探す人様々ですね。ゲームのルールに則って出られるのか?それともゲームを止めることが正解なのか?そんなことを思いました。

どうか、お話をお続けください。

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