アリスとチェシャ猫の対話(52)

176 猫: 115でのチェシャー猫の返事は、「それはあなたが何処へ行きたいかによる」ということでしたね。その返事は、いまでも変わりません。アリスさんがどの道を選ぶかということは全く自由ですし、行きたい道に進めばいいのです。けれども私は、ルイス・キャロルが書いた初代のチェシャー猫よりは、すこし親切です。初代が答えなかった問題にお答えしようと思います。

アリスさんをはじめ多くの人たちは、どうしたら自分の行きたい道を選ぶことができるのかが、わからないのです。そうではないでしょうか。

 別の譬えで言えば、人間の人生は広大な自然公園の中をハイキングするようなものです。公園の中には、美しい高山植物の群生するお花畑もあれば、硫黄と熱湯の噴出する地獄谷もあります。そして、人はお花畑に行くつもりで地獄谷に行ってしまうのです。それは、自分がいつどのようにして道を選んでいるかに気がついていないからです。

 そこでこれから、私たちが行きたい道を選ぶためにはどうしたらよいか、ということをお話ししようと思いますが、大きく分けて、二種類の話があります。一つは、自分の人生や自分の住む世界をもっと快適なものにする方法、つまり地獄谷に行かずにお花畑にちゃんと行き着けるような道の選び方の話です。もう一つは、霊性回復の話で、それはいわばこの自然公園から熱気球に乗って垂直に上昇するような方法、体験ブックスの譬えで言えば、ゴーグルをはずして、仮想現実でない本当の霊的世界の現実に戻る方法です。

 いずれはどちらもお話しする必要があると思いますが、とりあえずどちらを先にするか選んでくださいませんか。

177 アリス: 先ずお花畑へ行って見たいですね。

178 猫: では、お花畑に行く方法を説明しましょう。

 その前に、自然公園の譬えを体験ブックスの譬えと合体させておきます。それは、この「人間の人生」という自然公園そのものが仮想世界であり、私たち人間は仮想世界を体験しているけれども、本来は仮想世界に属する存在ではないということを絶えず覚えておくためです。

この自然公園そのものが体験ブックスの中身だと考えてください。アリスさんはいま、ゴーグルをかけて「地球物語」という体験ブックスを開いています。ゴーグルの中には、広大な自然公園の中のどこかの場所が表示されています。この自然公園の中の道は、すべて人間の人生を意味しています。お花畑は楽しい喜びに満ちた人生です。地獄谷は苦しみと悲しみに満ちた人生です。一般的には、人は誰でも、明るく楽しい人生を体験したいと思っています。

 アリスさんは自然公園の中の道を歩いて行きます。このアリスさんは、物語の中に入り込んでしまったアリスさんですから、対話58のIとmyselfの区別をすれば、Iということになります。Myselfのほうはゴーグルをかけてソファに座っています。これからは、Iのほうをアリスと呼び、myselfのほうをアリスさんと呼ぶことにしましょう。

アリスはいまお花畑に行きたいと思いながら歩いています。しばらくすると、分かれ道に来ました。行く手にいくつかの道が見えます。けれども不思議なことに、その中の一つの道だけがはっきりと魅力的に見え、他の道は薄暗く、霧がかかったようにぼんやりしていて、存在感が希薄です。そこで、アリスはほとんど無意識のうちに、一番はっきりしていて魅力的に見える道に入っていきます。アリスはその三叉路か五叉路を通り過ぎた後は、もう分かれ道があったことすら忘れています。選んだ道に入って行くのがあまりにも自然なので、選んだという意識すら残っていないのです。

 どうして一つの道だけがはっきりと見えるのでしょうか。その秘密は、体験ブックスという電子装置にあります。この電子装置は、体験している主人公、この場合は歩いているアリス、の心の状態を記録していて、その状態に最も共鳴する道を自動的に選び出すようになっているのです。ですから、アリスが意識的にはお花畑に行きたいと思いながら歩いていても、アリスの心の状態がお花畑に行く道に共鳴しなかったら、その道に入って行くことはできません。アリスは、その道を横目で見ながら地獄谷に行く道に入ってしまい、しかも自分ではいつ何処で道を間違ったのか気づかないということが起こります。

 この譬えは、私たちが「意識的に考えること」と「心の状態」が違うということを示しています。次回にはこの問題を取り上げましょう。

179 アリス: どうぞお話を進めてください。

180 猫: 「心の状態」というのは、私たちの心の中にあるすべての想念、感情、記憶、意志等の全体を言います。「意識的に考えること」というのは、その中のごく一部分です。心の中にある想念や感情には、自分で気づいているものも気づいていないものもあります。また、ふつうは気づいていないけれども、すこし注意すれば容易に気づくものと、なかなか気づかない深いところに隠れているものがあります。

 アリスはお花畑に行きたいと思って歩いています。この「お花畑に行きたい」という気持ちは、自分で気づいている考えあるいは意思であり、「意識的に考えていること」です。ところがアリスの心の中には、他の考えや感情や記憶があります。たとえば、「お花畑より地獄谷のほうがおもしろいかも知れない」とか「お花畑は退屈かも知れない」とか「いまはシーズンじゃないから、お花畑には花が咲いていないかもしれない」とか、あるいは「このあいだテレビが言ってた紫の蘭を見てみたい」といった考えがあります。

 こういったさまざまな思考や観念や感情の中に、お花畑に向かう方向のエネルギーを持ったものと、お花畑から遠ざかる方向のエネルギーを持ったものがあることに注意してください。そういうエネルギー成分の総和が、どの道に入って行くかを決めるのです。したがって、自分の心の中にあるすべての想念や感情に気づいていないと、自分はお花畑に行きたいと思っているのに、どうして違う道に入ってしまうのか、自分で理解できなくなります。また、自分の心の中にある想念のすべてをクリアに把握し、お花畑に反対する想念を削除し、心の中のすべての想念がお花畑を指向するようにすれば、アリスは自然にお花畑への道に入って行くことになるでしょう。

 別の譬えを入れておきます。小さな舵を無数に取り付けた大きなタンカーを想像してください。この船は、小さな舵の向きの総和にしたがって、進んでいく方向が決まります。舵のいくつかは水面近くにあるので、どっちを向いているかデッキの上から見えますが、船底に取り付けられた舵は、デッキの上からはどっちを向いているかわかりません。この船を操縦するには、すべての舵の向きがわかるような計器盤をデッキに取り付け、すべての舵を操作する必要があります。人間というのはこのタンカーのようなものです。

181 アリス: 2つの譬え話はいずれも分りやすいです。要は「心の状態」がどなっているかによるということですが、「心の状態」を知ること、そして、それを一定の方向に向ける方法について話をお進めいただけませんか?

182 猫: 「心の状態」を知り、それを自分の意図する方向に向けることは、物質世界で生きる上にも、霊性を回復するためにも、そしてまた、霊性を回復した後に、霊的存在として生きるためにも、もっとも重要な根本的な土台です。なぜなら、人間(=霊的存在)とは、純粋の意識だからです。意識をコントロールすること以外に、何もすることはないのです。

 したがって、これからお話しすることも、これまでお話ししたことも、すべてはそのための話であると言っても過言ではありませんが、ここでは、とりあえず、狭い意味での方法論を簡単にお話しましょう。それは、方法論の詳細というよりは、筋書き、骨組みのようなものです。

 一応「心構え」「心の状態を知る」「心の状態を変える」という三つの段階に分けてお話しします。

 心構えとして第一に大切なことは「決意」です。つまり、「自分の意識を自分でコントロールするぞ」という決心をすることです。なぜ決意が重要なのでしょうか。それは、私たちの住んでいる世界が「信じるとおりになる世界」だからです。

 対話178で、人生の道が心の状態との共鳴によって自然に決まってくるという話をしました。それは別の言葉で言えば、自分の信念が現実になるということです。私たちは「信じるとおりになる世界」に住んでいるのです。

 「信じるとおりになる世界」とはどんな世界でしょうか。それは、たとえば、「信じるとおりになる」というのは嘘だと信じたら、「信じるとおりにならない世界」を体験するということです。「神も仏もあるものか」と信じたら、神も仏もない世界を体験するということです。「自分の信念を変えるのは難しい」と信じたら、本当に自分の信念を変えられなくなる、ということです。

 私たちは、ふつう、どちらかというと、自分の信念を外界にしたがわせるような生き方をしています。外の世界を観察してその性質を調べ、それによって自分の信念を形成し、その信念にしたがって自分の行動を決めようとします。ところが、外の世界が自分の信念が現実化したものであるとすると、このような生き方は、ただ自分の持っている信念を強化する方向にぐるぐると回りつづけるだけです。

 このぐるぐる回りをやめるには、どこかでこのループを断ち切らなければなりません。ところが、信念が現実化することは宇宙の法則ですから止めることはできません。唯一、人間の自由になるところは、外界を見て自分の信念を作るというところです。つまり、外界の姿に影響されずに、自分の信念を確立し、それを維持することが必要なのです。そのためには、強い意志の力を必要とします。これが「決意」が重要である理由です。

聖書に「信仰とは、望む事柄を確信し、まだ見ぬ事実を確認することである」という言葉が出てきます。この言葉は、このようなことを言っているのです。

第二に重要な点は「善悪の観念を捨てる」ことです。自分の心の状態を知るためには、自分の心の中にどんな信念や想念が潜んでいるかを見なければなりません。ところが、善悪の観念があると、自分の心の中に「あってはならない思い」があるのを発見したとき、私たちの意識は自動的に目をつぶり、そのような思いを見ないようにします。つまり、善悪の観念があると、自分の心の中の真実を調べることができなくなるのです。

これは、米国の航空機事故調査委員会のやり方に似ています。真相を究明するために、委員会は関係者が訴追されないことを保証します。免罪符を与えることによって、関係者が真相を告白することができるようになるのです。

私たちの心の中身を調べるときにも、同じことが必要です。どのような思いが自分の中にあっても、それを悪と見ないで、中立の立場を維持することが必要です。

第三に、「さまざまな信念のつながりのパターン」に注意することです。多数の信念は独立にバラバラに存在するのではなく、互いの間につながりがあります。そのようなつながりにいくつかの共通のパターンがあることを知ることにより、一つの手がかりから、それにつながるいろいろな信念を探し出すことができるようになります。

たとえば、「欲しい」という願いは、「不足している」という信念から生まれます。「お金が欲しい」という思いの陰には「いまお金が足りない」という思いがあります。「お金が足りない」という思いの裏には、「何事をするにもお金が必要だ」という信念があります。このような、具体的な信念については、また別に取り上げる事にしたいと思いますが、このような信念のつながり方に注意を払うことによって、心の中をもっとよく見ることができるようになります。

以上が「心構え」として重要な三つのポイントです。「知る」「変える」という段階については、次回にお話しましょう。

183  アリス:心構えの第一、第二は分かりました。第三の「願い」とか「信念」というのは180の「意識的に考えていること」とは同じなのでしょうか、違うのでしょうか?言葉の厳密な詮索はおそらくこの段階では必要が無いのかも知れません。
心構えとしては分かる気がしますので、お話を進めてください。

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