アリスとチェシャ猫の対話(51)

170 猫: 話を先に進めると霊性回復の十二章ということになりますが、これを一つずつやっていくのは同じような話を繰り返すことになりますので、要点だけをお話しします。

「すべては仏性である」という観念や信念を持つことと「仏性になりきる」ことは違うということは、アリスさんもいっしょに確認されましたね。

私は同様にして、「瞬間だけ仏性になる」ことと「仏性を自覚する状態を持続すること」は全く違うことだと考えています。そして「仏性を自覚する状態のままで日常の生活をする」ということは、さらに違うことだと考えます。私が学んだTMでは、瞬間的な覚醒を体験する状態を超越意識といいますが、常時覚醒状態にあることを宇宙意識と呼んで区別しています。

霊性回復の十二章はそのような段階を順次ならべたものです。

ところで、「仏性になりきる」というような表現を使いますが、アリスさんもご承知のとおり、自覚があろうがなかろうが、私たちが「仏性である」ということは変わりません。私たちは「仏になる」ことはできません。なぜなら、すでに仏であるからです。

私が昔読んだ本で、「人間は金の指輪である」と言った人がいます。神が金であり、金の指輪が人間である、つまり、人間は神でできている、人間は神に形を与えたものである、というのです。金で指輪を作ることもできれば、剣を作ることもできます。そのように、どんな悪人も、どんな病人も、知者も愚者もすべて形を与えられた神なのです。それだけではありません。人間以外のものもすべて「金」でできています。家や家具や自動車や地面や森や山のような固体だけでなく、川も海も、空気も風も、光も空間も真空も、すべて神の形です。「すべては仏性である。仏性以外には何もない」というのはこのことを指しているのではないでしょうか。

そこで、アリスさんが対話163に<本来仏であるものが、なぜ、苦しむのか、修行がいるのか、といったこれまで繰り返してきた疑問に立ち返ってしまいます>とお書きになった問題に、私なりの答えをさしあげます。

仏は苦しんではいません。これが私の答えです。「本来仏であるものがなぜ苦しむのか」という問題そのものが存在しないのです。

苦しんでいるアリスさんも金でできています。それは神の形の一つです。金はどんな姿をあらわしていても、苦しんではいません。苦しんでいる形をあらわしているだけです。私たちは、苦しんでいる形を自分だと思い、自分が苦しんでいると思います。けれども、本当の自分は仏性であり、どんなに苦しんでいる姿をあらわしていても、苦しんではいません。見性とは、そのことを知ることではないのでしょうか。

 

171アリス: そのことに目覚めることだと思います。般若心経の冒頭に、五蘊皆空なりと照見し、一切の苦厄を度したまう、とあります。

しかし、潜在意識の掃除、低エネルギーの譬えと段階を追ってお話をお聞きしておりますので、やはり修行もいるという風なストーリーの展開にはならないと、結論が飛躍した感じが致します。96あるいは金太郎飴が出てくる119以降へ引き返した方がいいかもしれません。猫さんの例の担当者意識と霊性の回復はどのようにかかわってくるのでしょうか?

 

172 猫: 「96あるいは119あたりに引き返したほうがいいかもしれません」と言われるのに賛成します。これまでにもあちこちに大きな宿題を残したまま来ていることもわかっていますので、このあたりでいったん引き返して、途中で置き忘れた疑問なども拾い上げながら進みたいと思います。

 96や119のあたりは、神と霊的世界と物質世界がどういう関係にあるのかということを話題にしていました。そこから再出発したいと思いますが、前回と全く同じではなく、また新しい譬えなどを作りながら進みたいと思います。今度はできるだけ要素的部分からはじめて、全体を構成的に説明できるようにしていきたいと思います。

 

 まず最初の譬えをお話しします。これは霊的存在が仮想世界に入り込むということがどういうことかということを示す譬えです。

 アリスさんは読書がたいへんお好きなようです。そこで、未来の本を一冊(といっても技術的にはそれほど先の未来ではないと思いますが)、アリスさんにプレゼントしましょう。それは「体験ブックス文庫」の「不思議の国のアリス」です。

 アリスさんがその本の包みを開けると、小さな電子機器と大きなゴーグルが出てきます。アリスさんはそのゴーグルを目にかけ、機器のスイッチを入れます。すると突然、アリスさんの周りの世界が変化します。アリスさんは、初夏のさわやかな陽射しの下で草むらに座っています。手には「不思議の国のアリス」という本があります。隣にお姉さんが座って同じように本を読んでいます。自分の体を見ると、十九世紀の英国の少女の服を着ています。アリスさんは、本家本元の「不思議の国へ行ったアリス」になってしまったのです。それはゴーグルの中に映し出されたCGに過ぎませんが、右を向けば右側の世界が見え、左を向けば左の世界が見えるので、まるで自分が本当にその世界に入り込んでいるように感じます。

 アリスさんはふと眠気を感じてあくびをします。それは本の中のアリスがあくびをしたのですが、まるで自分があくびをしたように感じます。そのときアリスさんの目の前に白いウサギが飛び出してきます。ウサギはアリスさんの前で立ち止まり、チラッと腕時計を見ます。そして「たいへんだ、たいへんだ」と叫びながら、走っていきます。アリスさんは「こんな変なウサギ見たことないわ」とつぶやきながら、その後を追いかけます。といっても、アリスさんが実際に立ち上がって走るわけではありません。ゴーグルの中のアリスが走っているのです。けれども、このあたりになると、アリスさんは自分が本を読んでいるアリスなのか、走っているアリスなのか、区別が怪しくなってきています。

・・・

如何でしょうか、この譬え。「体験ブックス」を読むひとは、このようにして、ゴーグルをかけている間、その本の登場人物のひとりになりきってしまいます。そのような錯覚を引き起こすように本が作られているのです。

私が、「霊的存在が仮想世界を体験する」と言うとき考えているのは、このようなものです。「仮想世界に入る」とか「仮想世界を体験する」というような表現を使いますが、「仮想世界」という世界がどこかに存在するわけではありません。仮想世界とは存在しない世界のことです。フィクションです。

アリスさんはいま、自分は地球人の一人だと思っておられると思いますが、実は、アリスさんは地球人ではありません。アリスさんは、いま宇宙の外にあるご自分の書斎で大きなゴーグルをかけて、「体験ブックス」を読んでいるのです。地球の現実というのは、霊的存在たちが読む「体験ブックス文庫」の中の「地球物語」なのです。

いずれ「地球物語」がどれほどの大作であるかということもお話ししますが、次回以降はしばらくのあいだ「体験ブックス」の要素技術的な話として、このような「体験ブックス」の中に、どのようにして「自由意志」が組み込まれるか、大勢の「他人」がどのようにして一つの物語に参加できるのか、「担当者意識」の役割は何か、というようなことをお話しましょう。

 

173アリス: 霊的存在たちが「体験ブックス文庫」を読んでいるのですか?

お話を先に進めてください。

 

174 猫: 少し間があきましたが、実はこの話をこのまま進めていいものかどうか、考えていました。いま、新しい本を読み始めています。もしかしたら、その本を読んだ後で譬えを作り変えることになるかもしれません。けれども、譬えがつくれるほどにその本の内容を消化するにはまだ時間がかかりそうなので、当分これまでの路線で進めることにします。

 体験ブックスは、ブックスとはいいますが、実態はCDのようなものです。その中には膨大な情報が圧縮されて詰め込まれています。体験ブックスの「不思議の国のアリス」は、ルイス・キャロルが書いたものとは少し違っています。キャロルが書かなかった物語がたくさん書き込まれているのです。

不思議の国に入っていったアリスは分かれ道にきます。アリスになりきって本を読んでいるアリスさんは、どちらに行くかを決めなければなりません。右の道に入っていったアリスは青虫に出会います。では、もし左の道に入っていったら何が起こったのでしょうか。それは、その道に入ってみなければわかりません。青虫とわかれて、もと来た道を引き返して、分かれ道から左の道に入って行くこともできます。体験ブックスには、たくさんの分かれ道が書き込まれていて、どの道に進むかを読者が決めるようになっているのです。

 これが「自由意志」のモデルです。私たちは、自分の人生で絶えず選択を迫られます。私は、大学に進学したときは、天文学者になるつもりでした。もしそうなっていたら、私は企業に就職することもなく、アリスさんと出会うこともなかったでしょう。私たちは、このような「実現しなかった人生」は存在しないと思っています。けれども、霊的世界においては、「三次元世界に実現しなかった可能性の世界」がすべて存在しているのです。過去も未来もいま存在しています。それは常に存在しています。それは三次元世界の時間の外にあるからです。

 私の「過去」も、私の「未来」もたくさんあります。私の「現在」も無数にあります。人間の平均寿命を80年として、一月に一回、人生の分かれ道になるような選択のチャンスがあり、いつも五つの選択肢があるとすると、一人の人の人生のバリエーションの個数は670桁の数字になります。これは宇宙の中の電子の個数よりもはるかに大きな数値です。私たちはそのような膨大な可能性の中の一つの人生を選んで体験しているのです。

 物理学者たちは、量子の奇妙な振る舞いを説明するために、「平行宇宙」という理論を考え出しました。これはまさに、「可能性の世界」がすべて存在しているという理論なのです。この理論が発表されたときは、あまりにもきちがいじみているとして、誰も真面目に取り上げなかったほどでした。けれども、この理論は奇妙に実験事実とあうことがわかっており、しぶとく生き残っています。最近では、平行宇宙というのは真実なのではないかと考える人が次第に増えています。

 平行宇宙が存在するのは、量子のようなミクロの世界だけではありません。私たち人間の人生にも「平行人生」が存在します。無数のバリエーションが存在しています。私たちは、その中の一つを選択して、「これが私のただ一つの人生だ」と思っているのです。

 

175アリス:「体験ブック」にはあらゆる可能なものが詰まっていて、私たちは、1つ1つ選びながら読んでいるのに、それを人生だと思っているのですね。しかも、選択は読者に任されている。

「体験ブック」にしろ、「平行人生」にしろ、それなりに理解できますが、ところで、私は何をすればいいのでしょうか?

アリスがチェシャ猫に道を聞くくだりは115でも出しましたが、どちらに進んでもかまわないということになるのでしょうか?

 

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