アリスとチェシャ猫の対話(50)

166 猫: 「低エネルギーの塊が蒸発することを具体的に話せ」というご要望ですが、心の中のことなので、ご要望に沿えるかどうかわかりません。対話152でお話ししましたが、私がTM(超越瞑想)をはじめて3年ほどたった頃、かなりはっきりした「ストレス解消」の症状を体験したことがあります。そのことをお話しましょう。

 TMでは、毎日2回、時間を決めて瞑想をすることになっていますが、その頃、私は瞑想をするたびに、胸の中に大きな岩があると感じるようになりました。昔、長崎にいた頃、庭に小さな畑を作ろうと思って土を掘ったところ、石にぶつかりました。私は、その石を掘り出してしまおうと思って、その周辺を30センチほど掘り下げたのですが、掘れば掘るほど、石は大きくなっていきます。ついに「これは石ではない。山にあるような大きな岩が埋まっているんだ」とあきらめて、埋め戻してしまったことがあります。そのあたりは、山を切り開いて宅地にしたところなので、そういう大きな岩が埋まっていたのだと思います。ちょうどその時のような、大きさで言えば直径10メートルもあるような岩が、胸の中にあるような感じがしたのです。

 1ヶ月ほどすると、その岩がいつのまにか氷の塊に変りました。岩は融けませんが、氷は融けます。私は瞑想のたびに、胸の中に冷たい氷の塊があり、その周りがじくじくと湿っているような感じを受けました。それが1ヶ月ほど続くと、今度は胸の中に何かがあるという感じはしなくなりましたが、瞑想の間、正しい姿勢で座っていることができなくなりました。まるで背骨がなくなって軟体動物になったように体が崩れていって、瞑想の途中で横になってしまったことが何度もあります。そして1ヶ月ほどすると、突然すっきりと以前のように、きちんと座って瞑想ができるようになったのです。

 それからしばらくして、私は自分が、自分の過去を思い出すことに抵抗を感じなくなったことに気付きました。私は、かなり大きな「低エネルギーの塊」が融けて蒸発したのだと思っています。そのような塊は、ふだん私たちが気付かないままに、私たちの心のあちこちにたまっているのです。

それが霊性回復の第三章に進むのに障害になるのかというお尋ねですが、私はその通りだと思っています。このような低エネルギーの塊がたくさんあっても、霊性の世界に瞬間的に触れることは起こり得ます。自分でまったく予期しないときに、突然そういうことが起こります。それを、私は、「雲の間から太陽の光が差し込むような」現象というのです。けれども、このような低エネルギーの塊があると、霊性との接触が起こった瞬間に低エネルギーの塊が反応を起こし、心の中に乱れを引き起こします。その結果、霊性との接触がすぐに断ち切られてしまうのです。それは、射し込んだ太陽光線の熱で、地上の氷が蒸発して、新しい雲を作ってしまうようなものです。つまり、霊性との接触、私たちの言葉でいえば「見性」とか「覚醒」とかの体験、が持続するためには、これらの低エネルギーの塊が減少する必要があると、私は考えています。

これらの低エネルギーの塊は、心理学的な方法でも解消していくことができますが、霊性との短い接触を繰り返すことで次第に消滅していきますので、結局は、繰り返し霊性との接触の努力を続けることが重要になるわけです。特に、人間の最も根源的な観念、物質的世界観や外界が実在するとする観念などは、霊性との接触を繰り返す以外に、消滅させる方法はないのではないかと考えています。

 

167アリス:巨大な岩の塊がやがて溶けてしまうという体験は凄いですね。この「低エネルギーの塊」ですが、低エネルギーをもう少しご説明願えませんか?高エネルギーというのもあるのでしょうね。エネルギーと霊性は異なりますか?第3章以下へお話を進めていただくにあたり、このこともお話に織り込んでください。

168 猫: 私が勝手にいろいろなたとえを使うので、アリスさんを混乱させてしまうようですね。申し訳ありません。

 霊性というものは、本質的に言葉で表現できないので、いろいろなたとえを使うことになりますが、ここでエネルギーといっているのは「霊性への近づき具合」のようなものと考えていただければよいと思います。エネルギーが低いほど霊性から遠くなります。

 低エネルギーの塊というものには、心理的なストレスやコンプレックス、トラウマと呼ばれる心の傷などのほかに、物質主義や科学至上主義あるいは特定の宗教や思想にとらわれた固定観念、そしてそれらの固定観念から生まれるさまざまな不安や恐れや不平不満などの感情が含まれます。

 高エネルギーの方には、愛、寛容、自由、自主、自律などの資質が含まれます。

 「霊性への近づき具合」という言葉や、それをエネルギーで表現するというようなことは、アリスさんにとってなじみのないことかも知れませんが、これも一つのたとえとして、次のような状況を想像してみてください。

 エネルギーは、無限のエネルギー源である神から、あらゆる存在に向かって流れてきます。ちょうど太陽の光が「よい人にも悪い人にも、えこひいきなく降り注ぐ」(聖書の言葉)のと同じです。けれども、そのエネルギーをどれだけ自分に吸収するかということは、それぞれの人の自由意志に任されています。エネルギーをたくさん受け取った人は、次第に熱くなり、熱気球のように上昇をはじめます。その結果、ますますたくさんのエネルギーを受け取れるようになっていきます。エネルギーを受け取ることを拒否する人は、いつまでたっても冷たいままで、地面にへばりついています。

 このたとえでは、霊性を回復するということは、エネルギーを吸収して、熱くなって上昇して行くことです。霊性回復に終わりはありません。なぜなら、神の温度は無限だからです。私たちは、自分の内面にある相対的に温度の低い部分を暖めたり、外に放り出したりして、次第に自分自身の温度を高め、限りなく上昇して行くのです。

 「霊性回復に終わりがない」という考え方も、仏教の悟りの考え方とは違うようですね。次回には、霊性回復の第三章以降についてお話ししたいと思っていますが、実は、各章ごとに詳しくお話しするほどの力は、私にはありません。そこで、また別のたとえで、その全体の流れをお話ししようと考えていますが、その中で、この「霊性回復に終わりがない」ということが何を意味しているのかということもお話しできると思います。

 

169アリス:高校の物理で位置のエネルギーというのを習ったのを思い出しましたが、猫さんのエネルギーは今ひとつ分りません。

<エネルギーは、無限のエネルギー源である神から、あらゆる存在に向かって流れてきます。>とありますが、エネルギー=神=霊性なら分りがいいのですが・・・

似たような主張を私は繰り返していますが、どうか猫さんのお話をお進めください。色んな譬えをお聞きしているうちに、分かってくるかも知れません。

 
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