アリスとチェシャ猫の対話(48)

156 猫:
 <大勢いたら収拾がつかなくなりませんか>

収拾がつかなくなることはないと思います。それは複雑な地形を流れる水の流れのようなもので、どんなに地形が複雑であっても水は自然に流れるように、関係者の意識の状態がどんなに複雑に絡み合っていても、いわば何かのエネルギーの自然な流れの結果として事件が形成されるのです。

けれども複雑にはなると思います。そのために、私たちは世界が自分の意識の反映であることが見えなくなるのです。いまの例でいえば、もしAさんがBさんという友人を持っていなかったら、もちろんBさんから中傷を受けるということは起こりません。けれども、Aさんが「うまく行き過ぎる自分の人生」に不安と罪悪感を持ち続けていたとしたら、いつかは何か別のことで、人生は恐ろしいと思うような出来事にであったかもしれません。逆に、Aさんがそのような不安をまったく持っていなかったとしたら、Bさんが誰かを中傷するということが起きたとしても、その相手はAさんではなかったはずです。

このように、関係者のすべてのこころの特性や霊的な意味での必要性や社会的な背景や、さまざまなことが絡み合って目に見える一つの出来事になります。そのために、私たちはそれらの事件が自分の心の中の状態と関係があるとは思えず、自分と無関係に起こる客観的な出来事と考え、自分はそのような事件の被害者だと思うのです。

 

<すべてが意識の反映だというほうがわかりやすい>

そういっても間違いではありません。「いろいろな人の意識が絡み合って一つの事件になる」というのと矛盾するように見えますが、それは観察しているレベルが違うからです。たとえば、私の前にある机が「材木と鉄釘と塗料でできている」といっても、「炭素と酸素と水素と鉄と、その他の微量の元素でできている」といっても、「陽子と中性子と電子の集まりだ」といっても、すべて正しい、というのと同じです。

意識と世界の関係についてもさまざまなレベルでの見方が可能であり、一つの極限まで行けば「すべては一つ」であり、別の極限では「すべては客観的な実在」になります。それは、わたしたちが「自分を何ものだと思っているか」という、例のスポットライトの広さによるのです。

以前にも申しあげたと思いますが、人間は現在スポットライトを極限まで狭く絞って、自分を小さく小さく考えています。その極限の思想が唯物論だと私は考えています。そこから少しずつスポットライトを広げて、霊的な世界を分かりかけているというのが現在の人類の状況だと思います。

 

157アリス 1つ1つは、それなりに理解が出来ます。巧みな解説のためにわかった気になるのですが。2つのことが同時に分らなくてはならないのですね。151で<潜在意識に取組むために重要なことは、自分の周りの外界が自分の意識を映し出しているのだということに気づくことです。>とあり、そのために、<自分で潜在意識に取組むことを自覚して何らかの方法を講じていこうとするのであれば、いくつかのモデルプランのようなものが考えられるように思います。次回は、そのようなことについてお話ししたいと思います。>というところ立ち返りたいと思います。もうすでにモデルプランのお話に入っているのでしょうか?

 

158 猫: モデルプランに既に触れていますが整理された形で説明していませんので、これまではモデルプランの宣伝用チラシみたいなものです。これからモデルプランの話をします。

 潜在意識に取組むには、大きく分けて二つのアプローチがあると考えています。一つは、潜在意識の中身を個別的に調べて、個々に処理していこうとするものです。もう一つは、潜在意識の中身にこだわらずに、一括して処理しようというものです。二つとも対話152に出ています。

 個別的な対応に相当するのがカウンセリングなどの方法で、私の場合には「母への怒り」という抑圧された感情が明らかになりました。一括して対応しようとするのが、私の場合には、TM(超越瞑想)で、「解消されていくストレスの中身に注意を向ける必要はありません」という言葉にその性格がはっきり示されています。

 お分かりのように、どちらのアプローチについても、心理学および宗教の領域でさまざまな方法が開発されています。一般に心理学的なプロセスは個別的で、宗教的なプロセスは一括的だと言えるかも知れません。また、心理学の臨床の専門家や宗教的な訓練の指導者につかなくても、自分で独力で取組む方法についてもたくさんの本が出版されています。

 さまざまな方法に共通の要素として、次の四つを挙げることができるように思います。

   (1)  リラクゼーション ― 心身を静める

   (2)  集中 ― 覚醒して、気を引き締める

   (2)  ヴィジュアライゼーション ― 望みを思い描く

   (3)  アファーメーション ― いまそうなりつつあると宣言する

         (ヴァージニア・エッセン編著『アセンションするDNA』より)

 原著では「望みを実現させる方法」という意味で取り上げられていますので、説明がその方向に少し偏っていますが、私は「心の使い方」という意味で、上記の四項目が普遍的であるように思います。以前ご紹介したことのある『 A Course In Miracles 』の中に、「訓練されていない心は何も達成できない」という言葉が出てきます。その「心の訓練」というのが、上記の四項目に集約されるように思います。

 

 まずリラクゼーションですが、静かにゆっくりと呼吸をすること、全身の力を抜くこと、それも漠然と全体の力を抜くというよりも、からだの各部の筋肉に意識を移していきながら、ゆっくり意識的に力を抜いていくこと、が奨められます。そうすると自分の思考に気がつき始めます。次から次へと雑念が猛スピードで沸き起こってくるのに気付くことができます。つぎに、その雑念に巻き込まれないようにすることが必要です。そのために、各流儀によって、さまざまな方法が工夫されています。マントラと呼ばれる特定の言葉を繰り返し唱えたり、雑念をカーニバルのパレードだと思って自分はその観客になりなさい、などと教えられます。雑念を押さえ込まずに、しかも自分がそれについていくのでなく、チンドン屋の行列を眺めるように、ただ眺めて流していくのが肝要です。そうすると、次第に雑念が減って、行列が静かになってきます。そして、次の「集中」の段階に入ります。

 

 「集中」というと、何か「力をいれて力む」ような感じがしますが、これは多分訳語があまり適切ではないのだと思います。これは、心の奥のほうに入っていって裏側に出てしまったような状態だと、私は考えています。それは非常に透明な、静かな、安らかな、しかも非常にはっきりした覚醒の状態です。ざわついていた湖の水面が、風が凪いだ瞬間に鏡のようにぴたりと静止する、あの神秘的な一瞬の状態です。

 リラクゼーションをはじめると、だれでもすぐにこの状態になるというわけではありません。雑念に巻き込まれてチンドン屋と一緒に歩いていってしまうか、逆に眠り込んでしまうか、というのがよくあることです。したがって、この静かな覚醒の状態にちょっとでも入ることができたら大成功です。この状態を一瞬でも体験したら、その人は決してそれを忘れることはないでしょう。あとは少しでも長くこの状態にとどまっていることができるように、繰り返し練習することです。

 

 ヴィジュアライゼーションというのは、この静かな覚醒の状態で、望むことを思い描くことです。願望の描き方にもコツがありますが、それにはここでは触れないことにします。現実的な願望を描いてもかまいませんが、いまは私たちのテーマである潜在意識のクリーニングをすることに話を絞りましょう。

 この静かな覚醒の状態では、あらゆることが可能です。自分の潜在意識の中を覗いて、いらないものを一つ一つ捨てることもできるし、自分の現在の性質に影響している過去の記憶や、前世の出来事を探り出すこともできます。

 また、一つ一つは面倒だというなら、一足飛びに自分の意識の高次の部分、ハイアーセルフや魂などと呼ばれる部分と直接出会って合体することもできます。そうすれば、そのためのプロセスの途中で、あるいは、ハイアーセルフの指導によって、自分の潜在意識の不要な部分を変化させることができます。

 要は、自分が何を望むかということを、はっきりと、確実に、ステディに描くことです。この「ステディ」ということは、とても大切です。日本語で何と言うのが適切なのでしょうか。人間の心は秋の空にたとえられるように、たえず動き回っています。変りまくっている、というような感じでしょうか。この静かな覚醒の状態では、そのようなあり方ではなく、自分の本当の望みを明確にして、それをじっと保ち続けることが重要です。そうしなければ、それが実現しないうちに、もとが変ってしまい、何も実現しなくなります。「訓練されていない心は何事も達成できない」とはそのことです。

 

 最後に「アファーメーション」ですが、これは「思い描いたことが、いますでにそうなっている」という宣言をすることです。自分自身に対し、宇宙に対し、全存在に対して宣言するのです。

 この宣言は「現在形」ですることが大切です。「こうなりたい」とか「将来こうなるだろう」という宣言は、「いまはそうではない」という宣言と同じです。人間は「いま」しか体験することはできません。したがって、このような宣言をすると、望むことを決して体験することができないことになります。

 この宣言のコツを理解していただくために、一つのたとえをお話しましょう。私もアリスさんも「この世」では造船会社に働いていました。船を桟橋に止めるところを思い出してください。船員が投げ縄のようにロープを桟橋に向かって投げます。桟橋の上の係員が、それを桟橋に固定します。それから、船員がそのロープを引っ張ると、船は次第に桟橋に近づきます。

 アファーメーションというのは、このロープのようなものです。望むことは既に「静かな覚醒」の世界に存在しています。それを「いま」の現実にするためには、その世界を自分に引き寄せなければなりません。それは実は、自分のほうがその望む現実に入って行くことなのです。船員はロープを引っ張って、まるで桟橋を引きよせるように見えます。けれども、実際に動いているのは船の方です。それと同じです。「静かな覚醒」の世界に存在する現実が私たちの方に動いてくるのではありません。私たちがその現実の中に入って行くのです。そのためのロープがアファーメーションです。それは「いま既にそうである」という宣言でなければならないのです。

 

 以上が、潜在意識と取組む方法のモデルです。アリスさんも、このような方法の一部を既に体験なさったのではないでしょうか。

 

アリス159:確かに、一部をすでに体験いたしました。曹洞宗の大接心(5日間)を2回経験することによって、猫さんの(1)(2)を体験しております。覚醒は「刀おれ、矢尽き」た後で起きます。ただ、ここで起きることは見性。これに尽きます。他の一切のものは不要です。

猫さんの<この静かな覚醒の状態では、あらゆることが可能です。自分の潜在意識の中を覗いて、いらないものを一つ一つ捨てることもできるし、自分の現在の性質に影響している過去の記憶や、前世の出来事を探り出すこともできます。>の域に達しておりません。このあたりをもう少し精しくお話していただけませんか?

 
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