アリスとチェシャ猫の対話(3)
21 アリス:脳はテレビのようなもので、テレビを分解しても何もわからないということでした。このことをもう少し説明してください。
22 猫:私たちが知覚する意識というのは、テレビの画面に映っている映像のようなものです。
テレビが故障すると映像がゆがんだり、音が出なくなったりします。したがって、映像を映し出すのにテレビという機械装置が何らかのかかわりをもっていることは事実です。けれども、北条時宗のドラマがテレビの中で作られるわけではありません。
テレビの回路をいくら分解して調べても、ドラマの物語や場面の構成を創り出すメカニズムを見つけることはできないでしょう。
それと同じように、私たちが意識を知覚するのに、脳が何らかのかかわりを持っていることは事実です。けれども、だからといって意識が脳の中で作られるというわけではありません。むしろ、脳は意識がこの物質世界とかかわりをもつための受信機に過ぎないのです。
23 アリス:最近遺伝子の解析が盛んで、意識もDNAに書き込まれたプログラムの一つの挙動だと考えられなくもありませんが、これについてどう思いますか。
24 猫:遺伝子は肉体の設計図ですから、脳の設計図も持っており、脳があるルールのもとに作動するようにするでしょう。したがって、意識に対して遺伝子が関る程度は、脳が意識に関るのと同じ程度だと思います。
25 アリス:臨死体験や薬物により、意識が独立して存在するという体験がよく取り上げられますが、ここでの意識と猫さんのいう意識とは同じものですか。
26 猫:ある意識が別の意識と同じであるかどうかというのは、ビルの1階と5階が同じ建物であるかどうかというようなものです。建物としては同じですが、階としては違うということになります。臨死体験の時の意識も、バーチャルなわれを創り出す意識も、意識にはちがいないけれども、おそらくかなりレベルが違うというのが妥当な答えではないかと思います。
意識というのは広大な世界で、私たちの認識する物質宇宙よりもはるかに大きな広がりを持っているものです。(実は意識は物質的存在ではないので、それが存在するための時間や空間の広がりというものも必要ないのですが、時間や空間の中に意識があるのではなくて、意識の中に時間空間があるのだという意味で、意識のほうが宇宙より大きいというのです。) その中にはさまざまな種類や系列やレベルがあります。実は、私たちは意識というものについてほとんど何も知らないというほうが真実に近いのです。
私たちは、あるものに意識があるかないかを、そのものの外見から判断しようとします。その結果、犬や猫にはある程度の意識があるかもしれないが、植物にはないだろう、というような推測に基づいた判断をします。けれども、それは本当に正しいのでしょうか。
私は先日面白い体験をしました。私はふだん車に乗るときにカーナビは使いませんが、先日レンタカーを借りたときにカーナビがついてきました。そこでカーナビというものを初めて使ってみたのです。ご承知と思いますが、最近のカーナビは曲がり角を間違えたりすると、「道が違います」と叫んで教えてくれます。 しばらく走っているうちに、小さい子供を横に乗せているような気分になってきました。家内といっしょに「カーナビってかわいいねえ」といいながら走って来ました。
「意識を持っているように見える」ということと「意識をもっている」ということはったく別の事柄です。同じように「意識をもっていないように見える」ということと「意識をもっていない」ということはまったく異なることがらです。
海や山や地面や道端の石ころが意識をもっていないということはどうやって証明されるのでしょうか。地球には意識はないのでしょうか。宇宙全体の意識というのは?
原子や素粒子のひとつひとつが意識をもっているという人もいます。これらの問題は、結局意識とは何か、という問題と同じことになるのではないでしょうか。