116 猫: 「時が来ている」という言葉には、二つの意味があります。

 一つは「時はいつでも来ている」という意味です。新聞記者の仕事はレポートを書くことです。彼は、旅に出た瞬間から、レポートを書くことを求められています。「本社が無限に待ちつづける」ことと、「いまレポートを書く必要はない」ということは同じではありません。

 別のたとえで言えば、人間は迷路に遊びに入った若者たちと同じです。迷路の中でどれだけの時間を過ごそうと、誰からも文句は言われません。けれども、迷路というのは出るのが目的なのです。入った瞬間から、出ることが目的になっているのです。神の体験エージェントとしての人間が、何を体験しようとしたのか、私たちが入っている迷路とは何なのかは、このあとでお話します。

 「時が来ている」という言葉のもう一つの意味は、「現在、人類のすべてに対して、変化が求められている」という意味です。これもたとえでお話ししましょう。地球を神の国にある一つの劇場あるいは劇団だと考えてください。この劇場はいままで、血なまぐさいバイオレンス劇やアクションドラマばかりを上演してきました。けれども、劇場のオーナーの気が変わって、これからは純愛ドラマばかりを上演することになりました。すると、いままで暴力的な役ばかりを演じてきたアクション俳優たちはいらなくなります。このような俳優たちは二つの選択肢のどちらかを選ばなければなりません。一つは、自分の演じる役柄をがらりと変えて地球劇場に残ることであり、もう一つはアクション俳優としての特技を演じつづけるために、別の劇団に鞍替えする、という道です。別の劇団とは、地球ではない、別の世界という意味です。それは、わたしたちと同じ物質宇宙の中の別の星かもしれないし、別の宇宙の中の世界かもしれません。

 これを善悪の問題と考えないで下さい。暴力的な役を演じつづけるのが悪いわけではありません。ただ、地球劇団には今後そのような俳優は必要でなくなるというだけのことです。善悪の問題ではなく、選択の問題です。

 このあたりで、アリスさんには、いろいろご質問があるのではないでしょうか。

 

117アリス: お話の続きをお聞きしたほうが良いのかもしれませんが、たとえ話で話が進み過ぎたように思いますので、私の疑問に戻らせていただきます。

112の『意識体験の要素システムである人間は、神から「あらゆるものごとを経験する」ように「委託」されているのです。』ということがわかりません。委託されている「私」も神なら、「委託」ということも起こりません。そうなると、新聞記者や俳優のたとえ話も架空のの話となります。そもそも「委託」されたり、呼び戻されたりと言った関係があるのでしょうか?猫さんがそう仰る根拠のようなものがあれば、お聞きしたいのですが・・・・

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アリスとチェシャ猫との対話(37)