84 猫: では先ず、ハード、ソフトを作る方からお話しましょう。

ハードを作る方の説明は簡単です。これは「神」がつくった仕組み、というよりも、神そのものの性質である仕組みです。人間は、そのハードウェアであり、同時にソフトを作るものであり、その体験者であるのです。

なぜ、神はこのような仕組みを持っているのでしょうか。それは神が「自分を認識するものである」ためです。対話62で、太陽の光はスペクトルに分解しなければ無色透明で知覚できない、ということを申しあげました。同じように、神の中にはすべてがあり、そのためにそれを分解するまでは何も認識することはできません。

光は闇から分離することによってはじめて光として認識されます。光と闇が同時に存在していたら、そこには何も存在しないのと同じです。それは、量子物理の世界で、真空からマイナスの電気を持った電子と、プラスの電気をもった陽電子が同時に発生するのと同じです。これを対発生といいます。ゼロがプラスとマイナスに分離することによって、両方が認識されるようになるのです。けれども、両方足し合わせたものはやはりゼロのままですから、電子と陽電子がぶつかると二つは互いに打ち消しあって消滅します。

同じように、神の中にあるものを認識するためには、それを分解する仕組みが必要です。それが人間の心の仕組みなのです。したがって、人間が自分の心を通して何を体験していようとも、それは人間が体験しているのと同時に、「神が体験している」のです。神の自己認識プロセスそのものが人間なのです。

 

85:「色即是空、空即是色」を思い浮かべますが、それはさておき、聖書に、神様は天地創造の最後にあたって、「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記1・27)とあるのはこのことでしょうか? 猫さんの「神そのものの性質である仕組みです。」とは面白い表現ですね。もう、そうとしか言いようが無いということなのでしょう。

人は神の作った世界を体験するためにあるものとして、人間以外のものは、どうなのでしょうか?人間と異なるのでしょうか?

〔1・27の少し前は、神様が複数で出てきますが、余り意味が無いのでしょうか?

シェイクスピアでは王様は自分のことを複数(We, Our, Us)で言うことが多いですが、そのよに理解していいのでしょうか? 議論の本筋とは関係ありませんが〕

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