82 猫: 「心の使い方の練習装置」は少し見方が狭かったと思います。これは、今でこそ練習装置にしか役立っていませんが、本来は思考を現実として体験する究極のアミューズメントマシンです。

 50年近く前に、非常に示唆に富んだ映画がありました。そのタイトルを「禁断の惑星」といいます。
 地球から来た宇宙探検隊の一行がとある惑星に着陸します。その惑星には、古代に高度に発達した文明があったのですが、なぜか突然滅びてしまい、文明の遺跡だけが残っています。探検隊はその文明が滅びた理由を調査に来たのです。
 調査隊が着陸して調査を開始してから数日後、なんとなく奇怪な現象が起こりはじめす。地球から来た探検隊以外には無人のはずの惑星に、何か生き物がいるらいしい気配が感じられるのです。その気配は次第にはっきりした形を取り始め、やがて隊員が何者かに襲われる事件がおきるようになります。
 その攻撃は次第にエスカレートし、遂に姿をあらわした巨大な怪物が隊員たちの調査基地に襲い掛かってきます。隊員の大部分がその得たいの知れぬ怪物と戦っている最中に、その文明の文献を調査していた別の隊員が資料の解読に成功します。
 それによると、その文明は、思考を物質化する装置の開発に成功したのです。それはまるで「ご馳走出て来い」といえば何でも出てくる魔法のテーブル掛けのようなものです。それにより、その文明は極度の繁栄を謳歌したのですが、突然得たいの知れぬ怪物に襲われるようになり、遂に滅びてしまいます。その怪物は、住民たち自身の潜在意識が物質化したものだったのです。
 星の住民達が死に絶えた後、その物質化装置は地中深くで眠っていましたが、地球から来た生物の意識の波動を受け止めて復活し、活動を開始したというわけです。隊員の内部にあった隠された人間関係の葛藤が物質化され、攻撃をしてきたのでした。
そのことに気づいた隊員たちは、間一髪のところでその物質化装置を破壊し、難を逃れます。

 私たちの心は、自らの意識を外部の世界として体験する究極のゲームマシンです。そして、この物語と同じように、潜在意識が外界を作り出していることに気づかないために、私たちはその体験映画をコントロールする方法を見つけることができずにいるのです。

 

83アリス:面白い映画ですね。猫さんと似た考えの方ですね。
「心は自らの意識を外部の世界として体験する究極のゲームマシン」だとして、そのマシンのハード、ソフトを作る側面と見る、遊ぶ、楽しむ(苦しむ)という体験する側面があると思うのですが、如何ですか?このように2つに分けてお話をお聞きできると分かりやすいのですが・・・

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アリスとチェシャ猫との対話(22)