アリスとチェシャ猫との対話(21)

80 猫: 「自分の世界」をどうして作る必要があったか、というご質問ですが、それは「宇宙は何のために存在するか」という質問と同じではないでしょうか。古来から、哲学者や物理学者や天文学者が、それぞれの立場でいろいろな考えを発明しました。けれども、そのどれが正しいかを証明する方法はありません。 
 私の考えも同じです。正しいかどうかを証明する方法は、その考えに従って生きてみることだけですが、困ったことに、この体験劇場という世界は、「いつも自分の考えが正しい」ことを証明する世界を体験させてくれるのです。したがって、これによっても「正しい」かどうかを客観的に証明することはできません。そもそも「客観的」正しさというものが意味を持たない世界がこの体験劇場なのです。

 そこで、この体験劇場で上映されるドラマが、どのようにして作られるかをお話します。
 この体験劇場は、人間の心の内容を外側に投影して見せてくれる装置なのです。プラネタリウムを想像してください。外側の丸天井にたくさんの星が輝いているように見えますが、実は小さな球面に開けられた小さな穴を内側の電灯で投影しているに過ぎません。
 私たちの心もプラネタリウムのようなものです。中心に光源があり、心の表面にあるさまざまな想念や観念の模様を外側の世界として投影して見せるのです。
 投影されるのは、私たちが意識の表面に浮かべている顕在化した思考ではありません。それらも多少は含まれるかも知れませんが、それよりも潜在意識の中に隠されている秘密の想念や感情が投影されるのです。
 たとえば、「世の中ってどうせこんなものだ」と言うような漠然とした不満をたいていの人が持っていると思いますが、そうするとその「こんなもんだ」を証明するような出来事が次々に起こります。私たちはそのような出来事を見て「やっぱりそうだ」という意識をもちます。つまり、この劇場では次々に自分のもっている意識を強化するような「世界」を体験することになります。私たちが外の世界を見て、そこから世界観を引き出すというプロセスを続ける限り、この堂堂巡りから抜け出すことはできません。これがお釈迦様のいうカルマの輪であり、そこから抜け出すための「悟り」が必要になるのです。

 では、こんな仕掛けは何のためにつくられたのでしょうか。私は、それを「心のつかいかた」の練習装置だと考えていいます。たとえば、声楽や外国語の発音を練習するときには、私たちは自分の出した声を自分で聞くことによって、それがよかったか悪かったかを判断し、目的の音が出るように発声器官を調節します。心の体験劇場も、私たちの心にどんな考えが潜んでいるかを見ることによって、心を調節する能力を身に付けるためではないかと考えています。いかがでしょうか。

81アリス:『「自分の世界」をどうして作る必要があったか、というご質問ですが、それは「宇宙は何のために存在するか」という質問と同じではないでしょうか。』には唸ってしまいました。I型世界観ではこうなるのですね!
 『こんな仕掛けは何のためにつくられたのでしょうか。私は、それを「心のつかいかた」の練習装置だと考えていいます。(中略)心の体験劇場も、私たちの心にどんな考えが潜んでいるかを見ることによって、心を調節する能力を身に付けるためではないかと考えています。』これについては、異議ありです。神様は自分の世界を楽しみ、改良をしようとしておられるのではないでしょうか?結局同じなのかも知れませんが・・・
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追加) その後こんな言葉に出会いました。
法句経160
「実に自己が自己の依主である。
他の誰が依主たりえよう。
自らよく訓練せるによりて
実に得難き依主をうる。」(水野弘元訳)
これは猫さんのお考えに近いのでは?

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