74猫: 不思議の国の裁判はたいへん面白いですね。これにも作者キャロルの洞察のすごさを感じます。人間は一見証拠を集めてそれから結論を出すように見えますが、実は最初に結論があって、それを証明するように証拠を集めるのです。人間の意識の深いところにもそのしくみが隠されています。この話には、もう少し先でまた戻ってくることになると思います。

 さて、私がこの世界をバーチャルであると考えている、ということの内容をこれまでお話ししてきました。どんな風にバーチャルであるのか、ということについては、ほぼご理解いただけたかと思います。
 そこで、ここで少しおさらいをしてみたいと思います。それは、私たちが普通に持っている世界観と、バーチャルであると考える世界観と、どこが違うのか、というより、どういう違いが重要なの、という点についてです。世界は「実在」か、「バーチャル」か、というだけなら、どちらでもたいした違いはありません。なぜなら、仮にバーチャルであるとしても、そのバーチャルは人間が作るCGとは比べ物にならないリアリティを持っているのであり、私たちの生命さえも左右する力を持っているからです。
 私は、二つの世界観の違いの重要な点は、実在かバーチャルかということよりも、二つの世界観のモデルのもつ構造にあると考えています。それを明らかにするために、二つの世界観に、その違いを際立たせるようなニックネームを付けたいと思います。
 従来の世界観では、宇宙という広い空間があって、その中に私たちが存在しています。それは大間に大勢集まってパーティーをしているようなものです。そこで、これを「大広間型」世界観、またはサロンの頭文字をとってS型世界観と名付けましょう。
 一方、バーチャルと見る世界観では、一人一人の心の中に体験型スクリーンがあって、そこに宇宙の姿が映し出されています。以前にもいいましたが、これはインターネットとまったく同じ構造をしています。そこで、これを「インターネット型」世界観またはI型世界観と呼びましょう。
 実は、二つの世界観の最も重要な違いは、此処にあるのです。そのことを、これからお話していきます。

 第1のポイント: 「大広間型」世界観では、すべての人は「一つの共通の世界」の中に住んでいるが、「インターネット型」では共通の世界というものはない。

 I型世界観では、すべての人はそれぞれ自分のスクリーンを持っています。そこへ送られてきた報を元にして、「共通の外界」の姿を復元します。けれども、復元された世界が、送られてきた世界とまったく同じであるという保証はありません。それは、インターネットの上でホームページを見るとき、ブラウザーの種類やバージョンによってホームページの現れ方が違うのとまったく同じです。しかも、いずれお話しますが、スクリーンに外界の姿を映し出すときに、それぞれの心は自分で手を加えて映し出すのです。したがって、すべての心は、それ自身の「外界」の中に住んでいるのであって、一つの共通の世界の中に住んでいるのではないのです。

 とりあえず、このあたりで一服しましょう。アリスさんが、そろそろ何か言いたくなる頃ではないでしょうか。

75 アリス: 量子レベルでは存在が怪しげになってしまうようで、この問題にこだわりたい気もしますが、ご推奨のニック・ハーバートの「量子と実在」を読み進めておりますと、猫さんとこの議論を続けるには、私のほうが、かなり準備が必要と思います。ひとまず、猫さんの提示されたS型世界観とI型世界観に話題を移しましょう。

特にインターネットに関してはこの半年、自分でホームページを作ってみて大変大きな体験をしましたので、そのことを少し述べて見ます。(『遊山』に「ウエブの国のアリス」という題で書き始めておりますが、これから書くことは、その先取りとなります。)

まず、ホームページが作られて見られるまでのプロセスをまとめておきます

@素材つくり(文章、絵、写真などの用意) 例えば文章だけでも、さまざまなハード、ソフトで作られます。

A編集 HTMLという言語またはこれを使いやすくしたホームページ製作ソフトを用いる。

B校正 プレビューモードで点検し、修正。

Cアップロード プロバイダーのサーバーへのデーターの転送

Dダウンロード 見る側のパソコンへのデーターの取り込み

E閲覧 検索  ブラウザーによりコンテンツを見る。

この@からEにさまざまなハード、ソフトが介在します。それぞれのハードの理論、ソフトの理論で動いていますので、理解不能、非人間的トラブルに巻き込まれます。そして、Eで、猫さんご指摘のように、見る人のハード・ソフト(そのバージョン)によって異なります。あるデータはまったく見えなかったり、見えてもかなり違ったものです。@からCまでについて作る側は上手くいっている積もりでも受け手には上手く伝わらないことが起き、頭を抱えることがしばしばです。(専門の会社は各種ハード・ソフトを備えていて、検証し、この手の問題を事前につぶします。)@からEの間で、何度もトラブルに遭遇すると自分が惨めになると同時に、自然の齟齬の少ない運行に驚嘆し、この世は全知全能の神様が作られたのだという思いが彷彿と湧いてきます。しかし、今の技術がもう少し成熟すると事態は違ってくるのではないかと見ています。2、30年位先でしょうか。

そのような技術的な問題とは別に、コンテンツを見る、見ない、何を見る、どう見る、ということからS型とI型で大きな差が出てきます。猫さんのおっしゃるように、I型では、自分の意思で、自分のスクリー(パソコン)の上に映し出して見ているということです。さらにその映し方によって見える世界が違ってきます。Alice in Tokyoはいくつかのコンテンツの集合体ですが、各コンテンツは独立した入り口を持っています。例えば「雑司が谷シェイクスピアの森」の関係者はこれが最初の入り口で、これが中心の世界となります。Alice in Tokyoのトップページはリンク集に過ぎません。さらに、各人は「お気に入り」に自分の好きなホームページを集めているかもしれませんし、そうでなくとも自分のしたいようにWEBを渡り歩きます。なんら上下関係がないし、だまし舟と同じで、掴んだところが帆柱ということになります。見ている人により見える世界が異なります。これからWEBという別の宇宙ができて、日増しに拡大していくことだろうと思いますし、いずれこれが優位に立つ日が来るように思います。世界は、自分が見たいと思うものが世界ということになります。となるとS型は、特殊なものではなく、I型の一変形と捉えられ時代が来るでしょう。

I型では確かに自分の見たいもの(それはおそらく自分)を見ているのは確かですが、何をどう見るか以前に、見る見ないの選択も大きな選択であると言うことも気づきました。

S型世界観がくずれ、共同幻想がなくなると、どうなるのか、怖い気がしますが、このように勝手に想像するのではなく、猫さんのS型世界観、I型世界観のお話の続きをお聞きしたいと思います。

76猫: S型世界観とI型世界観の違いの第二のポイントは、外界の「大きさ」の違いです。
 S型では外界は途方もない大きさを持っています。それは観測されるだけで直径300億光年の空間であり、その中に、何千億か何兆か、数え切れないほどの星の集団があり、その中の一つの小さな小さな星に、60億の人間が住んでおり、その中のたった一人が自分です。そこにあるのは,途方もないアンバランスです。キリスト教では、神が人間をつくったことになっていますが、人間が存在するだけのスペースを確保するのであれば、どんなに大きめに考えても、太陽系のスペースだけがあれば十分ではないでしょうか。300億光年の巨大な無駄は、いったい何のためでしょうか。
 そこで、科学者達は、広大な宇宙の営みの中で、まったく偶発的に生まれた突然変異が人間であと考えます。宇宙は人間のためにあるわけではない。人間は宇宙のゴミにさえもならないほどの小さな存在だと考えます。
 その結果生まれるのは、無力感であり、被害者意識であり、運命論です。
 一方、I 型世界観では、外界は実在ではなく、意識の中のスクリーンに映し出される映画に過ぎません。それがどんなに広大な宇宙を描き出していようとも、それはすべて意識の中に存在するので。
人間の方が宇宙より大きいのです。ただし、これを実感するためには、不思議の国のアリスがいう I と myself  を区別しなければなりません。 I は宇宙の中にいますが、その宇宙は myselfの中にあるのです。 人間が、自分は I ではない、myself  であるということを悟ることが、仏教の悟りであり、キリスト教の回心です。
 つまり、このI型世界観は、宗教に土台を与える世界観であることがわかります。

 
話が断片的になって申し訳ありませんが、また此処で切ります。いずれ後でまとめて整理しなおしましょう。

77 アリス:量子論から、ものがバーチャルなものとなり、そして、スクリーンに映る世界、インターネット型世界観へとみちびかれました。S型世界観からI型世界観への転換を回心であるとおっしゃいました。なんとなくわかるような気がするのですが、私は回心という体験がありません。S型とI型では見える世界が違うのでしょうか。何か顕著な例があれば、お話していただけませんか?

それから、S型世界ですが、これもバーチャルであることにおいて、I型と同じだと思うのですが、どうして人はS型の世界観を持つのでしょうか?

 

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アリスとチェシャ猫との対話(19)