アリスとチェシャ猫との対話(16)

68 猫: 今日は素粒子がどれほど「物質的でないか」という話の第1回です。
 素粒子には「個性」がありません。個性といっても人間の場合にいう「その人の特徴」のようなものではありません。朝永振一郎の本に個性とあったのでそういいますが、本当は個体性とか個別性というような言葉の方がよいのではないかと思います。 その意味は、二つの同じ素粒子があるとき、そのふたつはまったく区別がないということです。たとえば、二つのゴルフボールがあったとすると、その二つは見た目にはまったく区別ができないとしても、それぞれ別のものです。二つを取り替えるということには意味があります。 けれども、二つの電子がある場合、二つを取り替えるということには意味がないのです。二つは別々の「もの」ではないのです。 その性質がはっきり実験結果に表れます。
 いま二つのゴルフボールを二つの箱に、まったく無作為に投げ込むことを考えてみましょう。左の箱に二つ入、右の箱には一つも入らなかった場合を(2,0)のように表すことにします。すると、全体で、入り方の種類は(2,0)、(1,1)、(0,2)の3通りあることがわかります。そして、それぞれの場合の起こる確率は、(2,0)と(0,2)が1/4で、(1,1)の確率は1/2になります。 これは、二つのゴルフボールがまったく見分けがつかないとしても、二つがそれぞれ違うものであるということに起因しています。いまボールにA、Bと印をつけたとすると、入り方は(AB,0),(A,B),(B,A),(0,AB)となります。(1,1)というのは、(A,B)と(B,A)をあわせたものですから、他の場合の2倍の確率を持つことになります。
 ところが、同じ実験を電子について行なうと、(2,0),(1,1),(0,2)の確率が全部1/3ずつになります。これは(A,B)と(B,A)が同じ物であるということを示しています。つまり電子A、電子Bというように名前をつけて区別するようなことが無意味であるということです。
 これはちょうど電光ニュースの掲示板で、二つ並んだ電球の「光を取り替える」ということが無意味であるのと同じです。つまり素粒子というのは、「そこに電子がある」ということに意味があるので、「どの電子がある」かということには意味がないということです。

 これが素粒子の「非物質性」の第一の印です。なお素粒子を電光ニュースにたとえるのは、私がはじめたわけでありません。朝永振一郎の本にも出てきますし、いま私の手元にあるものでは、講談社のブルーバックスの「物理学の再発見II」にも出てきます。
 次回は、「素粒子の非物質性」の第二の印として、有名な物理学者が電光ニュース型の素粒子論を考えていたという話をします。

69 アリス:電子の実験は面白いですね。「鏡の国」で、ゴルフボールのような形の、そっくりな兄弟、TweedledeeTweedledumが登場しますが、喧嘩をするぐらいですから、立派に個性をもっています。電子はdeedumをとったTweedleしかいなくて、Tweedleがいくら一箇所に集まってもTweedle一人という感じですね。そのTweedleも実は・・・となるのでしょうか?

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