アリスとチェシャ猫との対話(15)

66 猫: 外界でついたり消えたりしている電球は、いわずとしれた素粒子です。けれども、そこへ行く前にもう少し寄り道をしましょう。ビジネス以外の旅は、各駅停車でまわりの風景を楽しみながらするのがコツとか。そういえば、アリスさんは旅のプロでしたね。
 電光ニュース形式の表示が身のまわりにありふれていることを見ておきたいと思います。印刷業はアリスさんの本業でしたが、あのオフセット印刷というのでしょうか、網点による印刷もその一つです。網点法で印刷した美人のポスターは遠くから見ると顔と背景の境目がくっきりと見えますが、拡大鏡で拡大してみると、どこから顔なのかわからなくなってしまいます。ほんのわずかな画素の変化が大量に集まるとはっきした顔になって現れるのです\。画素といえば、テレビやパソコンの画面もそうですし、ディジタルカメラもそうです。
 それだけではありません。人間の眼自身が、外界の映像を画素に分解して受け取っています。人間の網膜には2億くらいの感光細胞があると聞いた覚えがありますが、3原色のそれぞれに感じる3種類の色素細胞と明暗に感じる細胞とがあるそうですから、まったくディジタルカメラと同じようなものです。もっとも、真似をしたのはカメラの方ですけどね。
 さて、いま私の眼の前に机があります。机の端とその外側の空気の部分はくっきりと分かれているように見えます。けれども、これを拡大して行くとどうでしょうか、どちらも原子の集まりになっていきます。このレベルでは、まだ原子の種類が違います。机を構成しているのは、炭素、水素、酸素などの原子です。空気の方は酸素と窒素が主です。しかも、机を構成する原子は静止していますが、空気を構成する原子は飛び回っています。明らかに違いがあるように見えます。
  けれども原子の構成要素のレベルまで下りて行くと、あらゆる原子が同じものからきています。原子は単純化して言えば、原子核とその周辺を飛び回っている電子からできており、原子核は数個から数十個の陽子と中性子からできています。つまりすべての原子がこの3種類の素粒子からできているのです。これは、あらゆる画像が3原色の画素からできているのと同じようなものではありませんか。
 しかもこのレベルでも、注目すべき事実があります。それは原子の中がほとんど空っだということです。原子の直径の大きさに比べると、原子核の直径は数千分の一です。体積で言うなら、原子核の体積は原子の体積の10億分の1くらいしかありません。周辺を飛び回っていることになっている電子の大きさは、本当にゼロではないかと物理学者がまじめに考えているそうですから(既出「量子と実在」)、原子の中は、真中にりんごを一つ置いたサッカー場の周辺を数十匹の蚊が飛び回っている程度の「混み具合」なのです。私たちは机を見ているつもりでも、ほとんど真空を見つめているといってもよい状態なのです。
 陽子と中性子でできている原子核は、赤と青のドロップスを固めたようなものです。子の数は陽子の数と同じです。各原子の間で違うのは、この3種類の粒子の数だけです。「炭素の原子と酸素の原子は違う。」というのは、まるで、「このサッカー場は、赤いドロップスが一つ多くて、飛んでいる蚊の数が一匹多いから、隣のサッカー場とは違う。」といっているようなものです。

 今日はこのように「物質を構成する原子の違いは、構成要素の違いではなく、同じ構成要素の組み合わせのパターンの違いである」ということをお話しました。電光ニュースへの第一歩です。次回は、この構成要素である陽子、中性子、電子などの素粒子が、どれほど「物質的でない」かということをお話します。

 

67 アリス:原子の世界は「すかすかの世界」なんですね。前にお勧めいたた、ニック・ハーバード著「量子と存在」は未だほとんど読んでいませんので、これからも、何も知らないとという前提でお話を進めていただけませんか?
旅は、寄り道、回り道こそまさにそれが旅の面白さです。しばらく、猫さんの後にくっついてついていきましょう。

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