アイルランドの細道


スライゴーでの休日

よく眠むれた。体内時計がアイルランド式になってきたのかも知れない。
8時30分、朝食は、瞳の青い、きれいな娘さんが作ってくれた。この家に娘さん以外に人の気配はなかった。
「今日はどうなさいますの?」
「もう一晩スライゴーで過ごす積もりです。どのように過ごすかまだ決めていませんが・・・・」
もし、インタネット・カフェでも埒が開かないなら、ホテルに移動するのも無駄なことだと思い、宿を出る前に、娘さんにもう一泊できますかと聞くと、勿論、と喜んでくれた。肌寒く、初めて毛糸のチョッキを取り出し、雨具とパソコンをサブザックに詰め出かけた。
宿から5分の所に13世紀に建てられたスライゴー修道院がある。10時、開館したばかりの所に着いた。近くの教会から鐘の音がした。その日初めての入館者として入る。石の壁だけの遺構なのだが、神聖な、ゾクゾクさせるものがあった。客は私だけで、中は草も生えていてセキレイのような野鳥が遊んでいた。クロムウエルの侵攻以降廃墟となったというが、こんな廃墟のままで何世紀もの時が経ったのだろうか?

出るときに宿の娘さんが描いてくれたインターネット・カフェの場所は間違っていたが、通りがかりの人に聞き、すぐに見つかった。ここのインターネット・カフェはレタケニーのそれと同じで10数台のパソコンが並んだだけの簡素なものである。受付のカウンターの横にはジュース類の入ったショーケースがある。ここのパソコンはいろいろやってみたが日本語が表示されず、使い物にならない。持参のパソコンを開くといくつかの電波を拾っている。近くの図書館のLANが使えそうに見えたが、貸し出し番号のようなものを要求してくるので使えない。日本を出るときに、息子が、海外でパソコンをインターネットに繋ぐのは難しいと言っていたが、まさにその通りで、このことは、またまとめて書いてみたい。店を管理している金髪の女性に事情を話して、ここのLANと私のパソコンを繋げてもらえないかと言うと、LANケーブルを出してきて、いとも簡単に繋げてくれた。繋がった上、何の問題もなく、ブログの原稿も一気にアップできて、久しぶりにせいせいした。ここには1時間半ぐらいいたかもしれない。年配の女性がスカイプを使って話していた。料金は最初の一時間が3ユーロで、次第に安くなって行く。
インターネット・カフェを出て、ゆっくりと町を歩く。これまでの街は街道筋に線として延びるものだが、スライゴーは平面に広がる。イエイツ博物館は写真と原稿の展示。私の視力ではもう細かな説明は楽しむことが出来ない。神戸の老人大学から贈られたいう舞扇も飾られていた。イエイツは能の愛好者でもあり、それにちなむ作品もある。町には本屋が多いが、本は荷物になるから買えない。お昼はほんの軽く済まそうと、ギネス半パインとスモークド・サーモンを頼んだら、出てきたのは、スモークド・サーモンをトッピングにした直径30センチほどのピザだった。残念ながらおいしくて全部食べてしまった。
旅行案内所へ向かう。ここの案内所は大きかった。これからの宿の手配には意外と手間取った。適当な間隔に宿がないからである。いろいろ当たってくれて、向こう3日間の宿が取れた。12キロ、20キロ、20キロと歩いてボイルという古い町に行くことになる。対応のアヴィーさんという女性も達成感があったらしく成功を喜んでいた。
宿の手配が済むと今度は観光である。私はギル湖に浮かぶInnisfree島を見たいのである。アヴィーさんがテキパキと捌いてくれた。そこへはタクシーで行くほかないようで、25ユーロでタクシーを手配して、マイケルという運転手と私を引き合わてくれた。大仕事を済ませて満足の彼女が手を差し出して来たので強く握手し、小雨の中、旅行案内所を後にした。
ギル湖まではかなりあった。20分ぐらいは走ったであろうか、マイケルは私にはかなり分かりにくい英語で話す。40台の終わり、2男1女の父、来年は大学受験だが、進学するのやら・・・・と、もう親の意志とは無関係に動く子供を持つ親の諦めが感じられた。湖畔の曲がりくねった道を進む。道の両側の木の枝が、車をこすりそうな細い道もあり、ギル湖はとぎれとぎれにしか見えないし、歩くのと違い車窓からの景色は流れてしまう。ギル湖は想像していたより数倍広く、その中にあるイニスフリー島は想像していたより小さく、住むとしても家が一軒建てば一杯という大きさだった。イエイツの詩がなければ見向きもされないだろうが、今は立派な観光スポットである。
その詩とは

I will arise and go now, and go to Innisfree,
And a small cabin build there, of clay and wattles made:
[今こそ、立ち上がって行こう、行こうではないかイニスフリーへ
そこで小さな小屋を建てよう 土と小枝を使って]

で始る詩で、人口に膾炙され過ぎて、イエイツ本人はうんざりしていたという。
マイケルにイエイツの詩を知っているかと聞くと、中学の時、習ったが、忘れてしまったと言う。雨雲の下での湖は陰鬱であったが、島の前に下りるとそこには水鳥が沢山遊んでいた。薄墨色の湖面にぼんやりと浮かぶ小島を脳裏に焼き付けた。ここで写真を撮り、マイケルにもカメラを向けると、ちょっと待ってくれといって、私が車に残してきたカーボーイハットを取り出して被った。この帽子は男なら一度は被ってみたくなるほど立派なのである。予定にはなかったのだが、さらに湖岸に沿ってドライブして、パークス城や景勝地を案内してくれ、都心に戻った。チップを含め30ユーロは払ったら喜んでくれた。私には値打ちのある観光だった。
少し町を散策し、夕食はレストランで食べると絶対に食べ過ぎると思ったので、スーパーでサンドイッチと量り売りのサラダを買って宿に戻った。
シャワーを浴びて、アイルランドで初めての自炊?である。お湯は200ボルトの湯沸しポットが、B&Bでは何処も備え付けられているのですぐ沸く。ジャックダニエルの水割りにチーズを加えれば立派な夕食だ。日本から持ってきた食べ物は、軽いと理由で永谷園の海苔茶漬けだけである。チーズをキューブ状に切って、この海苔茶漬を振りかけたら和風おつまみに変身した。発想は良いのだがそれほど美味しいものでもない。
やがて一日の疲れが睡魔となって襲ってきた。


イエイツの詩2つ参照

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