アリス、アリスに会う  100ー108

100  : 私の話に入る前に、アリスさんのお考えを聞きたいと思います。「A 歯が痛い。B 金がない。C 恋人が心変わりした」という問題に対して、たくさんの攻略本が書店に並んでいると思うのですが、アリスさんは、それらに対してどう思われているのでしょうか。なぜ新たな攻略法を私に求められるのでしょうか。

101 アリス: 沢山の攻略本はその効果の程度には差があると思いますが、それなりの効果があるのではないかと思います。伝統のある攻略本もあるようです。ただ、自分でやってみないとその効果は分らない。

なぜ新たな攻略法を私に求められるのでしょうか。

何よりも猫さんのお考えを知りたいと言うのがその理由ですが、

@新たに攻略本を求めているのではありません。既に、1から58で既に戴いています。

私流に要約すると「なりたいように意識をもって行きなさい。そうすればなりたいようになる」ということでした。私は次第にこのことが正しいと思うようになりました。

A対話再開後、現在の状況は、<不如意も同じです。一部の不如意を解消することは出来るでしょう。けれども、すべての不如意がなくなった状態というのは決して実現しないでしょう。なぜなら、この世界はまさに「不如意解消ゲーム」の世界だからです。不如意解消ゲームが成り立つためには不如意が必要なのです。

 この@とAの関係を知りたいと言うのが質問の趣旨です。

 つまり、猫さんの<不如意も同じです。一部の不如意を解消することは出来るでしょう。>という答えが@で、全体の解はAとすれば、辻褄は合いますが、猫さんのお考えは、そうではない気がします。自分でも考えてみますが、猫さんのお話を聞きたいと思ったのです。

102  : わかりました。そのつもりでお話します。

攻略本の話に進む前に、@とAの関係について説明しておきます。

95から97にかけての対話で、私は、私が目指している「霊性回復」とアリスさんが目指している「不如意解消」は同じことだといいました。それに対して、アリスさんは、いきなり霊性回復に行く前に、この「灰色の世界」の中で不如意解消をする方法はないのか、と質問されました。そこで私は「灰色の世界」の中では、部分的にしか解消できないだろうといいました。

@とAは、このことに関係しています。

@で「なりたいように意識を持っていきなさい」といっているわけですが、これを完璧に――つまりすべての不如意が解消するように――やろうとすると、結果的に霊性を快復することになってしまう、というのがその関係です。

昔から「天国は退屈だ」というジョークがありますが、「灰色の世界」はまさに天国で退屈した人(?)たちが作り出した「不如意解決ゲーム」のゲームセンーだといえます。このため、この世界にいる限り次々に新しい不如意が襲ってきます。というより、私たちはつねに新しい不如意を求めているというほうが正しいでしょう。

私が「数独」や「詰め碁」や「ドイツ語」や「サンスクリット」の課題を自分で求めて、それを解くことを楽しむように、このゲームセンターにいる私たちは、自らの意識によって新しい不如意を次々に生み出し、それに挑戦するというゲームを楽しんでいます。したがって、新しい不如意がまったく生まれてこないように意識を持っていくと、結果的にこのゲームセンターから出る羽目になってしまうのです。

103 アリス :猫さんのお話分りました。

未だゲームセンターにいるものと思ってください。そして、中断していた次の話題についても、上記に関連付けてお話いただけませんか?

83 アリス:・・・・病気、貧乏、反目・・・不如意なことは避けたいし、健康、幸せな家庭、勝利・・・幸福が欲しと思っていますし、広い意味でのゲームを愉しみ、悲喜交々の一生を送ります。このような事柄総ては、愛のエネルギーのレベルの上下で説明できるのでしょうか?

84 猫 : 私はできると思っています。もちろん一つの比喩的な表現ですが・・・。

つまり愛のエネルギーと関連つけてお話いただきたいのです。

104 猫  いずれ愛のエネルギーにいきますが、その前にもう少し攻略本のことを続けましょう。

不如意を解消するためには、不如意が発生する原因を知らなければなりません。ところが、不如意が発生する原因には、大きく分けて二つの種類があります。一つは、見せかけの原因であり、一つは真の原因です。したがって、世の中の攻略本は、見せかけの因果関係に基づいて不如意を解消しようとするものと、真の因果関係に基づいて不如意を解消しようとするものの二つに分かれます。

見せかけの因果関係とは、この世の現象として眼に見える因果関係です。例えば、ある人が交差点で信号待ちしているときに、その交差点で自動車事故があり、ぶつかった自動車の1台が歩道に飛び込んできてその人を巻き添えにしてしまったとしましょう。この人が死んだ原因は何でしょうか。

もちろん、自動車事故に巻き込まれたのが原因ですね。この世ではふつうはそう考えます。そこで、いま私の手元にあるJAFの雑誌を見ると、交差点で事故の巻き添えを食わないために――巻き添えというのは意外に多いのだそうです――車道から離れたところで信号を待ちましょう、というようなことが書いてあります。

けれども、この人が死んだ本当の原因はほかにあります。自動車事故は見せかけの原因なのです。そのことを理解するために、この場面をある小説の一場面であると考えて見ましょう。つまり、この小説の作家が、ヒロインの恋人である青年がこのあたりで死ぬことにしようと考えたために、自動車事故の場面が作られた、というわけです。そうすると、青年が死んだ本当の原因は、作者が青年を殺そうと考えたからだということになります。自動車事故は、単にそれを実現するための一つの手段に過ぎません。もし作者の友人か誰かが、自動車事故の巻き添えなんて不自然だよ、といえば、青年の死に方は変わったかもしれません。けれども、作者が青年を殺すという意志を捨てない限り、青年は何らかの形で死ぬことになるでしょう。

実は私たちの現実もこれと同じなのです。眼に見える現象としての原因は、単に「作者」の隠れた意図を実現させるための手段に過ぎません。そして、私たちの現実において「作者」の役割をしているのは、私たちの潜在意識なのです。

このことはこれまでにも何度もお話していますので、アリスさんも理解しておられますね。同意されるかどうかは別問題ですが・・・。

05 アリス :「作者」がいるということには同意します。お話の続きをお聞かせください。

106  : この「作者」――つまり私たちの潜在意識――に2種類ある、と私は考えています。一つは上位の意識、もう一つは下位の意識です。

上位の意識とは「真実の我」のことであり、「魂」と言い換えてもいいと思います。魂は絶えず私たちに語りかけていますが、それは非常に穏やかなかすかな呼びかけであって、魂が直接私たちの人生に介入してくることはあまり多くはないと、私は思っています。それは、魂が、通常は、子どもの成長を見守る親のように、私たちの意識(=バーチャルな我=エゴ)のするがままに任せているからです。

けれども、時には、魂のすることや言うことが、私たち(エゴ意識)にとって「不如意である」ことがあります。それは、エゴの価値観と魂の価値観が違うからです。

長い間霊的な勉強をしてきたある女性が、「無条件の愛を学びたい」と神に願いました。それからしばらくして、彼女は長年連れ添ってきた夫に捨てられてしまいました。彼女は非常に苦しみ、「どうしてこんなことになったのですか。私の何が悪かったのですか」とまた質問の祈りをしました。すると神はこう答えました。「あなたは、無条件の愛を学びたいと思ったのではないですか。これはそのまたとないチャンスですよ」と。

エゴの価値観と魂の価値観は、これくらい違うのです。私は、この例において、神(魂)がわざと夫に彼女を捨てさせたとは、考えていません。けれども、そのようになることを阻止しなかったのは事実だと思います。それは、こどもが公園で走るのを「ああ、転びそうだ」と思いながら見ている親のようなものです。子どもは転んでひざをすりむいて泣くかもしれません。けれども、そのことを通じて、子どもは走り方を覚えていくのです。

女性の質問と神の答えに注目してください。女性は「どうしてこんなことになったのですか」と尋ねています。彼女は過去に原因を求めています。けれども神はそれには答えません。「これは無条件の愛を学ぶチャンスですよ」と、未来を向いています。

これが上位の意識の特徴です。「自分を探すアリス」の中で話題にしたイエスと盲人の話もそうでしたね(「自分を探すアリス」対話441-444)。

この例は、魂がわざと不如意を起こした例ではありませんが、例えば、魂がこの人生は終わりにすると決めたら、エゴの意識がどんなにもっと長生きしたいと願っても出来ないでしょう。不如意の中にはこのようなものもあると思います。

下位の意識については、この次にします。

107 アリス :この潜在意識は80の図1のscと同じものですか?これがさらに上位と下位の意識に分けられるということでしょうか?話がだんだん分らなくなりました。その理由は、前回「作者」があることに同意した際、実はそれを「潜在意識」と呼ぶべきか迷っていました。さらにそれが2つに分れたので戸惑うわけです。しかし、これは呼び方だけの問題かも知れませんので、「下位の意識」のお話を伺った上で、改めて理解することにしましょう。

108  : いい質問です・・・というより、私の用語の混乱がまずかったのですね。上位意識というのは、図1で言えば、 sc の右側から卵形の外につながっているピンクの部分です。これを潜在意識と呼んだのは、私たちの意識(c)から見ると、 sc と同じ方向にあるため、区別がつかないからです。どちらも、心の奥のほうから来るメッセージのように感じられます。実際 sc から来るものを上位意識(神)からのメッセージだと勘違いして、とんでもないことをしてしまう「宗教家」がたくさんいるのです。

けれども、この対話の中で用語が混乱するのは面白くありませんので、これからは sc を潜在意識とし、ピンクの部分は上位意識(あるいは魂あるいは神)と呼ぶことにしましょう。そうすると「作者」が下位意識と上位意識のふたり(?)いるという話になります。

下位意識というのは、図1で言えば sc のことです。今後は潜在意識といえば、このことだけを意味するものとしましょう。つまり潜在意識=下位意識= sc です。私たちが「外界」だと考えて見ている(体験している)世界は、実はこの卵形の中身であって、その大部分は sc です。そのほかに c と上位意識が少し混じります。卵形の中にあるそれらの意識がスクリーン x の上に投影され、それを c が外界だと思っている、というような構図だと思ってください。図1で卵形の中にピンクの部分が少ししか入っていないのは、上位意識の大部分は私達が現在体験できないところにあるからです。

このようなわけですから、潜在意識 sc の中に「ネガティブ」なものがあればそれを不如意として感じることになります。「ポジティブ」なものがあれば、それが自分(c)の希望の実現(如意)として感じられます。ここでポジティブ、ネガティブというのは、単に c にとって都合よく思えるものとそうでないものという意味です。

いわゆる人生の攻略本の中には、ポジティブシンキング positive thinking と言って、希望の状態を強く祈念するようにというものが多くあります。それらは、 sc のなかに、ポジティブな思考を蓄えようとしているわけです。

けれども、ポジティブシンキングだけではうまくいかない場合がたくさんあります。それは私たちがネガティブな思考をたくさん sc の中に蓄えているからです。いくらポジティブなものを蓄えても、それに反対するネガティブなものがあると、それに阻止されて希望は実現しなくなります。

「自分を探すアリス」の中でもお話しましたが、「信じて祈れば山でも動かすことができる」と牧師から聞いた婦人が、一晩中、自宅から見える山が動くようにと祈りました。けれども山は動きませんでした。それは、婦人の潜在意識の中に「山は動かないもの」という物質世界の常識が根を張っているからです。もし「山は動かない」という信念がこの婦人になかったとしたら、婦人は山が動くことを不思議に思わないし、祈りを試してみようという気も起こらなかったでしょう。

次回は、いよいよ不如意をもたらすネガティブな信念にどんなものがあるかを見ることにしましょう。


07/5/20

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