不思議の国より不思議な国のアリス
失われたアドネンチャー The Lost ’Adventures'

日本にはAlice’s Adventures in Wonderland という本はありません。翻訳に当たってタイトルの中からAdventuresが最初から脱落してしまったのです。Alice in Wonderlandすなわち「不思議の国のアリス」があるだけです。その不思議さについて、以前ホームページにも少し書きましたが、ここでは、その要点を振り返り、この脱落したAdventuresアドベンチャーについて少し考えてみたいと思います。

 

1.日本のタイトル *1

Alice’s Adventures in Wonderlandの日本語の翻訳は、抄訳、絵本の類を含めると100近くあると考えられますが、そのタイトルの中にアドベンチャーの面影を留めているのは、「アリスの不思議国探険」玉村美子(羊子)訳(雑誌「少女の友」1926年)が唯一つという驚くべき状態です。初期には、「アリス物語」「愛ちゃんの夢物語」「アリスの不思議国めぐり」など多少のヴァリエイションがありましたが、1930年頃から、ほとんどが「不思議の(な)国のアリス」です。

他の国ではどうなのでしょうか?

ドイツALICE’S  ABENTEUER im Wunderland  (1869)

フランスAVENTURES  D’ALICEAU  PAY  DES  MERVELLES (1869)

イタリアAVVENTURE D’ALICE NEL  PAESE  DELLE  MERAVIGILIE  (1872)

と各国の初版はAdventures を押えているようです。その後、オランダを始め次々と訳されていくのですが、何しろ100を越す言語に訳されていると言われていますので、これを追求するのは一仕事です。最初からAdventuresを無視したわが国が特殊なのかどうかは今のところ分かりません。

 

2.キャロルにおけるAdventures

キャロルにとってAdventuresはどんな意味があったか、既に良く知られたことですが、原点を押えておきたいと思います。

アリスに頼まれて書き与えた本はAlice’s Adventures under Groundですが、あの黄金の午後に同行したダックワースも、その日、アリスたちを家まで送っていった時、アリスがキャロルにAlice’s adventuresを私のために書いて欲しいと頼んだと言っています。これがタイトルにAdventuresが入った理由の一つになります。*2

この本の出版に当たって、キャロルはタイトルについて色々と考えており、パンチの編集者トム・テイラーにも、次の候補を挙げ、相談しています。

Alice among the elves / goblins

Alice’s hour / doing / adventures   in elfland / wonderland

これらの案の中で自分はAlice’s Adventures in Wonderland が気に入っていると言っています。*3  

更に、Adventuresは扉のデザインの中でも位置や大きさが推敲されています。*4

何よりもまして、キャロルがこの物語をAdventuresと考えたことは、本文最終章で、アリスにもお姉さんにもこの物語をadventures と言わせていることで、しかもThe Adventuresと大文字を使っており、キャロルが重視していたことが窺えます。(Adventuresを強調するのはAlice’s Adventures under Ground でも同様です)

更に、キャロルの生前ではAlice in Wonderlandのように縮められタイトルを持った本は出版されなかったということです。

本の題名からAdventuresが消えることをキャロルは思ってもみなかったのではないのでしょうか。

 

3.Adventuresが落ちた理由

我が国では、最初からAdventuresが訳出されていませんので、タイトルについての議論は、現在定着したと思われるタイトル「不思議の国のアリス」が何時から始まったかということに絞られているようですので、欠落したAdventuresを取り上げることは、寝ている子を起こす観もありますが、一方、タイトルは作品の内容を象徴するものとして、重要だと考えますので、消えた理由について少し考えてみたいと思います。

 

@     流通に伴う短縮化 長い名前は有名になるにつれ、次第に短くなる傾向があります。

Hamletは、正式にThe Tragedy of Hamlet, Prince of Denmarkですが、Hamletとなりました。日本での翻訳も初めの内は「ハムレットの悲劇」でしたが、今や「ハムレット」です。Alice’s Adventures in Wonderlandも「鏡の国」と合本されるときは、Alice in Wonderland and Through the Looking Glassとなります。Alice’s AdventuresまたはAlice Booksと呼ばれることもあります。

私がとても驚いたことは、「ルイス・キャロルの死亡記事」によると、キャロルの死を報じた新聞、雑誌の死亡記事に、キャロルのことをthe author of Alice in Wonderlandと報じている記事が多いことです。*5

この本の前書きに、死亡記事は短時間に書く必要から誤りが多いものであることを読者に注意しており、中にはThe Adventures of Alice in Wonderlandというのも出てきますが、死亡記事を書いた筆者達の頭の中ではAlice in Wonderlandと短縮化が進んでいたようです。名前は流通するに従って短縮化されるのは洋の東西を問わない法則のようです。しかし、日本の翻訳者がその流れを意識し、先取りしてタイトルを付けたとは思えません。

 

A 縮み文化論  短縮化は日本固有の文化的な傾向であるという考えもできます。ひと頃、日本の文化の特徴として「「縮み」志向の日本人」いわれたことがあります。李御寧という方の説ですが、茶室、坪庭、盆栽、俳句、幕の内弁当とすべてがコンパクトに纏められて、それがトランジェスター・ラジオなどに及ぶという説だったかと思います。確かにその延長上に、ウォークマンや携帯電話があるのかもしれません。一方、外来語を受け入れる際の便法として、馴染みのない名前を短縮するのも日常茶飯事です。テレビを筆頭にリモコン、ワープロ、パソコン、ラジカセ・・・と英米人が目を白黒するような短縮語が流通します。タイトルの翻訳にあたってもこの「縮み」志向が働いたと考えられなくもありません。そして、上記@をも考え合わせると「不思議の国のアリス」が「アリス」となる日もそう遠くないと思われます。

 

B     商品の名前としてのタイトル  Adventuresの訳語を「冒険」とするとしても、それを入れると、タイトルとしては少し長過ぎるということです。

Alice’s Adventures in Wonderlandは大変口調の良い響きを持っていますが、日本語のタイトルとしては、それを全部訳出すると纏まりません。日本人は短い書名を好む傾向があります。

「アリスの冒険」とすれば響きが良いのですが、ちょっと陳腐な感じですし、主人公が少女なので、読者層はまず少女だと考えると「冒険」はアピールしないようにも思われます。残すとすればむしろWonderlandの方ということになるのでしょう。また、「鏡の国のアリス」というタイトルが先に現れ、その対応として、「不思議の国のアリス」が生成されたと研究者は伝えています。*6

このネーミングは少年も取り込み、大人をも誘い込む秀逸のネーミングで、本のタイトルは商品の名前ですから、多くの人に好まれ、読もう、買おうという気になってもらえなければなりません。

 

C 対応する語彙の欠如  タイトルからAdventuresが欠落したのは、色々な理由があるとしても、最大のものは、Adventuresを表す適当な日本語がないということだろうと思います。

 

D     アドベンチャーを好まぬ国民性  対応語彙がない裏には、日本人の心の奥にアドベンチャーを好まぬ心理があるように思います。

私はCDを重視し、そのことについてこれから述べることにします。

 

4.対応語彙の欠如 − アドベンチャーという概念 

我々はAdventureを冒険と訳すのが普通ですが、この「冒険」は何だか大きな危険を犯して、大変な努力をして、ハラハラ、ドキドキするようなスリルがあってというイメージなのですが、「不思議の国のアリス」はちょっと感じが違います。辞書を引くと、大きく言って3つの意味があります。P.O.Dではunexpected or exciting experience : daring enterprise : commercial speculation.斎藤秀三郎の中辞典では、珍事、変事、奇談の種:冒険、投機とあります。語源的には何かが起こることa happeningを意味するラテン語のadventuraからきているので、まず出て来るのは変った体験ということです。椿事あるいは珍事の体験と言う意味です。一方、冒険即ちリスクを犯すという意味もあります。小さなリスクから大きなリスクまで、幅広く使われますが、多少のリスクを覚悟で行うことです。一日、気晴らしに、どこかへピクニックに出かけるのも、激流をボートで下るのもAdventureといえます。

日本ではAdventureは初めから冒険と言う訳語が定着してしまいした。

一方、最近では「青春アドベンチャー」「アドベンチャー・ゲーム」などのようにアドベンチャーがそのまま日本語の一つとなってきていますが、アドベンチャーを国語辞典で引くと「冒険」と説明しています。

 

西洋でこのAdventures が好まれたことは

ロビン・フッド The Merry Adventures of Robin Hood

ニルス The Wonderful Adventures of Nils

トム・ソーヤ The Adventures of Tom Sawyer

ハックルベリー・フィン The Adventures of Huckleberry Finn

ロビンソン・クルーソー The Life and Strange Surprising Adventures of Robinson Crusoe

多くの物語のタイトルに取り入れられていて、枚挙に暇がありませんが、これらから抽出されるものは、上記の辞書の意味のほかに、無目的に自由に遊ぶというニュアンスも含まれているようです。それも、全く受動的に珍事や危険を体験するのではなく、主人公も置かれた環境に、何らかの働きかけをするし、周りもダイナミックに動くところにAdventureの本質があるようです。

その本質を整理しますと

@思いがけない出来事 A非日常的 B無目的、自由  Cリスクを冒す D柔軟な対応となりますが、このような要素を併せ持つ日本語が無いということです。

 

もう少し、考察を加えたいと思います。

何といっても原義は、思いがけない、刺激的な体験なので,色々なことが起きて、夢のようです。アドベンチャーが非日常なことを求めているのですから、そのフィールドはWonderlandで、それが異界、異次元の世界でもいいのですが、桃源郷、竜宮城のように満ち足りたwonderfullandではアドベンチャーは起きません。アリスの入ったのは、反桃源郷と言っていいほど、ほとんど意に満たないことばかりが起きる世界でした。

次に大切なことは、ここには目的というものが無いということです。責任からも自由です。ですから、鬼退治に行くとか、北極やエレベストを極めるといった目的は余り重要ではなく、むしろ無い方が、アドベンチャーらしいのです。鏡の国では、アリスが女王になるという目的を持ってしまったため、アドベンチャーの度合いが少なくなっています。勿論その過程で思いもかけないことに出会いますから、アドベンチャーの一面を持っていると言えますが…。

 

アドベンチャーは遊びの概念と多くの点で重なります。Alice’s Adventures in Wonderlandを中国語で「愛麗絲夢遊仙境」などと訳すのは「遊」でAdventuresの遊びの一面を捉えています。ただ「遊び」とは何かを考えると大変難しくなり、ホイジンガーやカイヨワの「遊戯論」もその定義にかなりに紙幅を割いていますから、*7 これを正面から論じるのは、この小論の範囲を超えます。ここでは、その相違点に触れるに止めます。

先ず、遊びが日常の生活とは別の、明らかな意図を持って始めるのに対して、アドベ

ンチャーは最初から明確な意図があるわけでなく、また、日常の生活の続きから入っていくことです。そのあたりの所は実際のアドベンチャーへの入り方を見ればよくわかると思うのです。

桃太郎のように黍団子を用意することも無く、ふと、あるいは、何でも無いことからスタートします。アリスの場合は、白兎の後を思わず追ってしまい、ウサギ穴に落ちる。

「オムスビころりん」も同じです。神話学者のジョセフ・キャンベルの示した例に拠りますと、グリムの巻頭の「蛙の王様」は、お姫様が金の鞠を誤って池に落とすこと、つまり、ちょっとしたヘマ、弾みで新しい世界に入って行きます。彼はアドベンチャーは主人の意図を超越したところから始まると言っています。* 7  そして、アドベンチャーの終わりも意外なところで起きます。それはあたかも夢から覚めるようなものです。現にアリスは夢から覚めるわけですが、このa curious dreamをキャロルはThe Adventureであると書いていることは先に述べた通りです。


また、遊びにはルールがあり、始まりと、終わりがはっきりしているのが普通であるのに対して、アドベンチャーは何が起きるか分かりません。遊びは、元の世界へ還ることを、前提としていますが、アドベンチャーには帰還の保障はありません。その意味で冒険なのであって、自分の存在が賭けられている度合いが遊びより高いと言えます。

なお、アリスの物語の中はコーカス・レースを初め、多くの遊びが出てきて、しかも、どこか、遊びのルールをはずす所があり、これが又面白いのですが、これについては改めて考えることにします。

 

目的について言えば、遊びもアドベンチャーもそのこと以外の目的はありません。探検、遠征などと異なるところです。探検、遠征も、その過程で思いもかけないことに出会いますから、アドベンチャーの一面を持っていると言えますが、本当のアドベンチャーはどこか野放図のものがなければならないと思います。

 

5.アドベンチャーを嫌う国民性   

日本は島国といういわば孤立した環境の中で、長年、農耕を中心としてきた国です。規則的な四季の移り変わりをいつも望み、変事を嫌います。幕藩体制が定着しますと更に社会は変動を求めなくなり、アドベンチャーを楽しむ風潮は息を潜めてしまいます。勿論、江戸時代にも、お伊勢参りなどの旅行や遊里での遊びなどにさまざまな珍事があり、これらにはアドベンチャーの要素はなくもありませんが、どこか枠にはまった感じがします。

これに対して、西洋世界では、中世の十字軍、巡礼、職人、学生の遍歴など国を跨って自由な移動の機会があり、大航海時代以降、地球規模でアドベンチャーを行っていた時代へと続き、自由貿易、産業革命と変動の大きい世界が展開しております。アドベンチャーを好む精神は科学、芸術の上にも発揮され、今の社会・文化を築いていると言ってもいいと思います。

一方、我が国は17世紀前半に鎖国を行い、200年以上にわたって自国を閉鎖状態に置いています。キャロルより2年前に生まれた吉田松陰はアメリカ渡航を企て捕らえられ、1859年、処刑されています。

アドベンチャーの発露が極端に抑えられていた国であることを考えるとAdventureに対応する語彙が無いのも不思議ではありません。

19世紀後半以降の日本は他に例を見ないほどの活力と知恵で、世界の環境に適応していきますが、長年の間に形成されたアドベンチャーを嫌う風潮が消えた訳でなく、学校教育、官僚制、終身雇用、年功序列の企業運営等の中にも温存されつつ、現在に及んでいると私は見ています。勿論、「寅さん」に人気が集ったり、堀江謙一、植村直樹など大冒険家が出たり、さらには、最近、フリーターが珍しくなくなって来ていることなど考えますと、この傾向は今後、変わって行くのかもしれません。しかし、これらのことを探っていきますと日本文化論になってしまいますので、我々は再びアリスへと話題を戻すことにしましょう。


6.アドベンチァーをする人――アリス

アドベンチャーはファンタジーを受動的に楽しむのではありません。身に降りかかってきた珍事を面白いと感じ、どこか意欲が動いて、その珍事に自分の才覚で対応して行くところに本質があるので、その主体が問題となります。

わがアリスがそれに相応しい性格を十分持っていたことは申し上げるまでもありません。その性格とは、キャロル自身の言葉を借りて表現するなら、若さ、大胆さ、活力、機敏さということ、そして好奇心が強いと言うことです。*9 素手でものを掴む力、その裏に無知というものがあるのかもしれません。私が最も重視するのは好奇心です。それを原動力として、多少のリスク、場合によっては自分の全存在をも賭けて、行動へと赴くのだと思います。

好奇心で目をきらきら輝かせて、話をせがむアリス、アドベンチャーを好むアリス、キャロルの愛したアリスがそこにいます。
 
7.結び

アドベンチャーは、先に、目的があってはアドベンチャーらしくないと述べましたが、実は大変大きな目的が隠されていると思うのです。それは自分というものを確かめ、自分の可能性を確認し、拡大するところにあります。我々の中に潜む多様な人格を引き出してくれ、生きていることの実感を与えてくれるから面白いのです。既に自分というものが出来上っていて、充足している人にはアドベンチャーは不要だと思います。

逆に言うと、人生というものはアドベンチャーなしには分からない仕掛けになっているのではないでしょうか? 芋虫に「お前は誰か?」と聞かれても、アリスは答えられません。白兎を思わず追っかけてしまうアリスから、得体の知れない液体やケーキを飲んだり食べたりするアリス、身体の変化に驚くアリス・・・・これらアドベンチャーの総和がアリスなのだと思います。

 

好奇心、アドベンチャー、アリス、これらは若さのシンボルです。

我が国のアリスの本のタイトルからはAdventuresは消えてしまったのですが、このアドベンチャーを好む心が、何時までも、日本のアリス・ファンの心の中に、生き続けて欲しいものです。
                                    以上

本論は「不思議の国より不思議な国のアリス」

http://www.alice-it.com/wonderouser%20land/top.html

の中の「タイトルの運命」「愛麗絲夢遊仙境」を修正、補筆したものです。

 

 

*1 タイトルについて下記を参照させていただきました。

  「日本におけるCharles Lutwidge Dodgson関係文献目録」小原俊一編

       第1版 1991 第1版補遺 1994 私家本

「翻訳の国の『アリス』」楠本君恵 未知谷 2001

「キャロルよもやま話」(Various Topics about Lewis Carroll):門馬義幸

MISCHMASCH No.4(日本ルイス・キャロル協会刊 2000)

「『不思議の国のアリス』書名再考」(Saisuke Nagasawa's Translation of Alice's Adventures in Wonderland):門馬義幸

MISCHMASCH No.6(日本ルイス・キャロル協会刊 2003)

「明治のルイス・キャロル」川戸道昭

http://homepage3.nifty.com/nada/page040.html

「訳題『不思議の国のアリス』の起源」木下信一

http://www.hp-alice.com/lcj/zatugaku/fushiginokuni.html
*2 The Lewis Carroll Picture Book
 ed. S.D. Collingwood  Collins’ ClearType     

Press1899  p261

*3 The Letters of Lewis Carroll  ed. Morton N. Cohen Oxford University Press 1979 vol.1 p64

*4 The Lewis Carroll Handbook by S. H. Williams and F. Madan (Revised by R. L. Green) Dawsons of Pall Mall 1970  p32~

*5 Obituaries of Lewis Carroll  Compiled and Edited by August A Imholtz. Jr. &

Charlie Lovett  Lewis Carroll Society North America 1998

*6 前掲 *1参照
*7
「ホモ・ルーデンス」ヨハン・ホイジンガ 高橋英夫訳 中央公論社 1981

 「遊びと人間」R.カイヨワ 清水幾太郎、霧生和夫訳 岩波著店 1970

*8 The Hero With a Thousand Faces  Joseph Campbell Princeton University Press 1973  p49~58

*9 ‘ALICE’ ON THE STAGE (The Theatre, 1887)

 

 

 The Lost ‘Adventures’   Summary ―     Hiromu MIYAGAKI

In Japan there is no such book entitled Alice's Adventures in Wonderland, but there are many books under the title of Alice in Wonderland.
Although this book has been translated into nearly one hundred Japanese versions, including picture books, none of them retains the word ‘Adventures’ in their translation of the title. 
As we all know, ‘Adventures’ was an important word for Lewis Carroll. It was  Alice's adventures that Alice Liddell asked Carroll to write for her, and responding to her request, he wrote Alice's Adventures under Ground.
When he published this book, he adopted Alice's Adventures in Wonderland from a number of choices after careful consideration.  Furthermore we cannot overlook the fact that Alice and her sister named this story ‘the Adventures’ in the last chapter of the book.


Why did the word  ‘Adventures’  disappear from the Japanese title ?

We can explain this by the reasons mentioned below:

1.      The title of a book usually becomes shorter as its popularity increases. For example, The Tragedy of Hamlet, Prince of Denmark became Hamlet.

2.      Contraction comes from the cultural characteristics of Japan. Japanese people like to reduce size or to compact elements. You can observe such examples in the Japanese culture ranging from the small house for the Tea ceremony and bonnsaia dwarf treeto a transistor radio and a mobile telephone.
Shortening word length is a popular phenomenon in Japanese. For example, a  personal computer is called pasocon .

3.      In the marketing strategy of book selling; the Japanese love short titles.

4.      There is no Japanese equivalent to ‘adventure’. i.e. no concept of adventure in Japan.

5.      Japanese people did not like adventures.

Among these reasons, I attach importance to the fourth and fifth.

 

What is adventure? ― No Japanese equivalent to ‘adventure’
The popular Japanese translation of adventure is boken, which means to risk danger or to take a risk. Boken does not contain sufficient meaning that is attached to the word ‘adventure’. P.O.D defines this word as “unexpected or exciting experience; daring enterprise; commercial speculation”.

A Chinese title of this book is 愛麗絲夢遊仙境. 遊means to play .

Though the concepts of adventure and play have common elements, they differ in the point that adventure does not have an intentional start, nor has its any rules.

I think the defining characteristics of  ‘adventure’ are ‘ unexpected, or exciting; not mundane; having no mission; having no rules; taking risks; flexible response’.

 In Japanese, there is no counterpart to ‘adventure’.
 

    Do Japanese dislike adventure?
 

Until the beginning of the 20th century, Japan was an agricultural country, in which most people depended on the rice fields and rarely changed residences. They always hoped for normal, periodical and seasonal changes, not for unexpected ones.

 While Europe was enjoying adventures in a variety of ways, Japan embarked upon more than two centuries of self-imposed seclusion at the beginning of 17th century.

 Long-lasting feudalism and many restrictions imposed by governors discouraged

the people of Japan to undergo adventures.

Though in the late 19th century the Japanese people adapted themselves dynamically to their new situation, which no other Asian countries could respond to as vigorously and successfully as Japan, I think most Japanese people today are still not familiar with the idea of ‘adventure’.

 
Alice as an Adventurer

To ‘adventure’ is to encounter unexpected happenings and to manage them.

Certain qualities are required to be a good adventurer.

Our Alice has suitable characteristics to do so. Carroll says in ‘Alice’ on the stage that she has ‘youth', ‘audacity', ‘vigour', and ‘swift directness of purpose' and ‘is wildly curious’

Her curiosity drives her to have adventures.

 

Closing

‘Adventures’ give us many chances to realize our own abilities and possibilities.

To answer the Caterpillar’s question, “Who are you?”, Alice has experienced various curious adventures. Through those adventures, she comes to understand who she is.

Curiosity and fondness of adventures symbolizes youth.

Even though ‘Adventures’ has been lost from the titles of the Japanese versions of our beloved tale, I hope Japanese Alice fans will continue to have youth ; the spirit of adventure in our hearts for ever.

日本ルイス・キャロル協会「ミッシュマッシュ No.7」2004年12月 に掲載

目次へ