不思議の国より不思議な国のアリス     
6.コーサス・レースが始まった Caucus -Race

ネズミ以外に、アヒル、ドードー鳥、オウム、鷲の子、その他奇妙な動物達が、涙の海に、どんどん増えてきます。それらが上陸して、体を乾かす相談を始めるところから、本文第3章は始まります。登場するキャラクターの動きも細やかに描写されていて、これだけで短編小説の趣があります。

あらすじは;−

アリスはすっかり仲間の一員として、相談の輪に入っていきます。最初はネズミの無味乾燥な話で、体を乾かそうとするのですが、成功せず、次に、ドードーの提案で、コーサス・レースをして、体が乾いた時点で、ネズミの例の身の上話を聞きます。その後、アリスが愛猫ダイナの話を持ち出し、総スカンを食らい、仲間に去られて、最後にはアリスは泣き出します。物音がするので、ネズミが引き返してくれたのかな、と思うところでこの章は終わります。

アリスは要所要所で良い出番を作ってもらっていて、アリスを中心にお話を読んでいる子供が退屈しないようになっていますし、私たち大人は、このカオス的な状況での事の成り行きを楽しむことが出来ます。

この話は、登場する動物達が、アリスの姉妹や知っている人を表しており、また、ずぶ濡れの体験をしたという事実がありますから、それを聞くアリスたちには面白かったのです。アリス・ファンにはお馴染みのことですが、ガードナーの注などにより、物語の裏話しを見てみます。

キャロルがアリスたちにお話をした、有名な1862年7月4日の3週間前、6月17日に、やはり、キャロルはアリス3姉妹を連れてピクニックに行っています。同行はダッグワース、キャロルの姉、叔母といったメンバーです。これらが、先ほどの動物たちと対応する訳です。この日もボートに乗っていたのですが、途中、土砂降りになって、ボートを降り、5キロ近く離れた先の知人の家に、服を乾かしに寄ります。キャロルは帰りの車を探しに行くなど大変な思いをします。すっかり、衣服は乾いたのでしょう、この後、キャロルの部屋へ帰り、8時半まで過ごしています。この土砂降り経験は手書きのオリジナル「アリス」には出てきますが、一般の読者には興味がなかろうと印刷本ではカットされ、後に述べるコーサス・レースの話に置き換えられます。物語の表に出てこないこのような裏話をガードナーの注やキャロルの日記で知ることは、大人が「アリスの物語」を読む楽しみを増やしてくれます。

子供たちのずぶ濡れの経験を踏まえないと、このところは面白くありません。ずぶ濡れ体験のお陰で、アリスは動物たちと前から仲間のように口を利くようになります。困難や災難を共有することは人の絆を強めるようです。皆、体をどう乾かすか議論するのですが、その中で、アリスの物怖じしない次女的性格も良く現れています。

リーダー格のネズミが無味乾燥な話をして乾かそうとしますが、成功しません。そのことをアリスは穏やかに指摘しています。このネズミの退屈な話が、教科書の引用であることも、キャロルらしいですね。

そこで、ドードーが「コーサス・レースをしよう」と提案するのですが、アリスが「コーサス・レースは何ですか」と聞きますと、ドードーは「説明する一番良い方法はやってみることだ」といいます。
   ドードーが提案したレースのやり方を紹介しておきますと;―
先ず、適当に円を描き、その周りに、適当な位置につき、ヨーイドンの合図もなく、適当に走り出し、適当に終わる、というものです。実際には、全員が乾いたところで、ドードーが突然「レース終わり」と言います。参加者は集まり、誰が勝ったんだ?と聞きますが、これはドードーには予想していなかった質問で、ドードーは額に指を当てて(シェイクスピアの肖像画でよく見るような姿勢で*)考え込んでしまいます。思案の末、全員が優勝と宣言し、次の賞品は全員アリスから貰うことになります。最後に、アリス自身の賞品も、アリスの持っていた指抜きをドードーから改めて授与されることになります。アリスはそのもったいぶったやり方に笑いを抑えて、恭しく戴き、このレースは終わります。

このレースは、厳格なルール、勝敗、優劣がはっきりしていることという競技の要素が、取り外されていて、反競技と呼びたくなります。先ほどのネズミの無味乾燥な話と同様な趣向で、無味乾燥な競技ですが、こちらの方は乾燥させる効果があったようです。
子供たちには面白いレースとは思えませんが、競争社会で疲れた大人には一服の清涼剤で私の年になるとそこはかとなく面白く感じます。(最近の子供はどう反応するでしょうか?案外面白がるのかもしれません。)

カオスの中にあるとき、何もしないより、何かした方が良いという、ドードーの知恵もあながち捨てたものではなく、この世の中には、そんな仕掛けが満ち溢れています。これから後に出て来るクロケーや決闘などもどこか変です。言葉で行うノンセンスをゲームの上でやっています。全員優勝、賞品はアリス出すということも意外な結末で、もし、アリスが何も持っていなっかたら、ドードーはどう捌いたであろうかと考えるとおかしくなります。

どうしたら良いかの問題があり、皆がてんで好き勝手なことを言うような事態が起きると、それをどう捌くのかは、キャロルの好きなテーマです。一種の政治の世界なのです。キャロルは、夢想的、引っ込み思案の、書斎の人というイメージを持たれる方がおられるかもしれませんが、現実の中で、問題を解決していくことの好き人であったともいえます。私は、この章での、登場キャラクターへの目配り、会話の進行などを見ると、33歳の若者の

社会的成熟度はかなりのものであったと思います。たくさんの姉妹の中で、小さい時から、長男として、問題を捌く役が柄を演じてきたキャロルは、一種の管理者で、そんなキャロル像もこれから少しずつ拾っていきたいと思っております。

このコーカス・レースについては色々と論じられているようですが、もともとインデアンの部族会議を示す言葉だったのがアメリカの政治用語となり、イギリスにも持ち込まれ、党派の首領や政策決定の会議に使われたということのようです。ガードナーの注などご覧ください。

この「不思議の国より不思議な国のアリス」も何時はじめ、何時終ればいいという制約もなく、なんのルールもないのですから、コーサス・レースのようなものですね。

もっと大げさに言えば、あなたも私も人生のコーサス・レースをしているのではないでしょうか?
終わったとき、全員が勝ちで、賞品を貰えるといいのですが・・・

 

 

*シェイクスピアの肖像画でよく見るような姿勢でというにはキャロルの表現ですが、シェイクスピアの像で、頬杖をついた彫像はありますが、額に指を当てたものは絵にしろ彫刻にしろ知りません。ご存知の方はお教えください。シェイクスピアの肖像問題は日本でも古くからのテーマです。
(坪内逍遥「シェークスピア研究栞」1947 全集第40巻)

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