「不思議の国より不思議な国のアリス」
アリスのアイデンティティ(3) 記憶 Alice's Memory

アリスが自分で記憶を確認していることは既に何度か述べましたが、青虫からは「ウイリアム神父さん」を、また、グリフォンからは「怠け者の声」の復唱をさせられます。アリスは間違えて歌い、それがパロディーとして、この物語を楽しくしているのですが、間違えて歌っていることに変わりありません。アリスの記憶は兎穴に落ちてからおかしくなっているのです。落ちる前のことは思い出せません。身体の大きな変化を繰り返すことより、こちらのほうがアイデンティティ―「自分は何か?」の決め手になるかもしれません。

アリスは言います「昨日まで戻っても無駄だわ。私は昨日は別人だもの」

記憶といえば、何十年前に見た「心の旅路」〔マーヴィン・ルロイ監督1942年〕という映画が美しい女優と共に私の心に深く残っています。

チャールズは戦争で記憶を失ない病兵スミシィ(ロナルド・コールマン)として精神病院にいます。ある日、町に迷い出て、踊り子ポーラ(グリア・ガースン)と知り合い、ポーラはスミスの病気を治すために、ショーをやめて、二人は田舎に住みます。スミシィの記憶は回復しないまま、二人は一子をもうけ、幸せな生活を送りますが、ある雨の日、滑って頭を打った途端、記憶が蘇るのです。(その代わりポーラとの生活のことは忘れます。)

彼チャールズは実家へ帰り、父の財産と事業を引き継ぎ立派な実業家に、そして国会議員になります。その間、ポーラは彼の秘書として働き、やがて結婚します。見る者に、いつ主人公がポーラに気づくかやきもきさせるのですが、一つの鍵は、彼はかってポーラと住んだ家の鍵を離さずに持っていたのです。これが最後、大円団へと結びつく鍵となります。(まだ見ていない人のために後は省略。)
そして見るものに深い感動を与えます。

チャールズA1 − 戦争で記憶を失う男スミシィB − ポーラと生活する男スミシィC − 記憶をとりとしたチャールズA2 ― B,Cをも思い出したチャールズA3  となります。

まともとアイデンティティの概念が生まれたのは、この概念の提唱者エリクソンによると、戦争で自分自身が分からなくなった精神障害を指すことによって生まれたと言いますから、丁度この映画の主人公のようなものです。

スミシィの時のチャールズはアイデェンティティを持っているのでしょうか?
スミシィは自分はスミシィと思って立派に生活しているので、立派なアイデンティティがあります。

これは「不思議の国のアリス」では

穴に落ちる前のアリスA1 ― 落ちてからのアリスB―C―D―E・・・夢から覚めたアリスA2 ― B、C、D・・・と思い出してお姉さんに語るアリスA3  と同じ構造なのです。

アリスが「自分は同じアリスなのか」と気にしたのは、先に述べましたように2章の場面です。例の鰐さんの唄を歌います。もう、全く間違っているのですが、注意深い人なら、アリスの声もかすれた変な声に変っていることにも注意が向くはずです。もう別人なのです。

「ハウルの動く城」でもソフィーが90歳になると声は当然変わります。その声の変化を出せる人として起用されたのが倍賞千恵子だそうです。

青虫も「ウイリアム神父さん」を歌わせます。声の変化については触れていませんが、そこで歌うアリスの唄の内容は、もはや子供には歌えないような中身です。記憶の連続性はアイデンティティを確認する大きな手立てですが、どうしてかと言うとこれの切断があるともはや同一人物ではなくなるからです、先程の映画のスミシィもアリスB,C,D・・・もそれぞれ異なったアイデンティティを持った者です。

アリスもそのことに気づいています。青虫―さなぎ―蝶と変態する青虫に、あなたはどうなの切り返しているのは、おそらく記憶が切断されるであろう青虫に対してはきわめて重大な質問であったはずです。

社会的関係のアイデンティティを蜜柑の皮に喩ましたが、蜜柑の中身、自分だと思っている正体は記憶だと言うことが出来ます。
これは階級、身分を越えた「自分」を問題にしていることになります。

この記憶とは何でしょうか?

脳医学、精神医学、心理学など様々な専門領域で取り組まれているこの問題を私は論ずる力はありませが、常識的に言いますとこんな感じでしょうか。

脳というメモリにデータを蓄える所があって、そこにデータ(狭い意味ではこれを記憶と言う)を収め、保管し、取り出すことが記憶で、脳の中の出来事だと普通考えます。その中でこれが自分だと言う記憶の塊があることがアイデンティティと考えられます。そこで頭をひどく打つと記憶がおかしくなる。ひどい場合は人まで変わります。同様に、戦争など大きな災難によるショック、病気、薬物、酒、場合によって睡眠を含めてもいいかもしれませんが、これによってデータがおかしくなるか、記憶の機構がおかしくなるとアイデンティティが変わるといっていいかもしれません。
いずれにしろ、脳がなくなれば記憶もなくなり「私」はなくなるとするのが普通です。

私という記憶の固まり中身は次の章でさらに考えますが、ここで、チャールズとアリスに返りますと、さまざまな体験と記憶の切断を経ながら、最後にはそれらをすべて記憶している主人公がいたことがわかります。

「心の旅路」になぜ感動するかというと、ポーラの献身的な愛情もさることながら、チャールズがそれを含めてすべての記憶を取り戻すところにあります。真の主人公「自分」へ帰ることの感動なのです。アリスの場合も、無茶苦茶な経験―アドベンチャーの末、本当の自分に帰るのです。これが感動を呼びます。様々なアイデンティティを経て、更に大きなアイデンティティに統合されて行くから感動を呼ぶのだと私は思います。

このような構造をもつ物語は、お経や聖書にも、また古い話しにも多くあります。
自分は乞食だと思っていたのが、実は王子さまだったという類の話です。どういう訳か皆こんな話が好きなのは、我々が真のアイデンティティを求め続けているからに違いありません。

さて、青虫の章でもうひとつ考えておきたいのは、先ほどの脳細胞の話です。
記憶が(これで精神を代表させていますが)全く物質的なものかどうかということです。

この記憶の塊のようなものを魂とすれは、肉体(物質)以外に魂(精神、霊、色んな呼び名がありますが)があるのでしょうか?
これは、人類最古の問題で、今も決着がついていませんが、チャールズやアリスが死んだら後はどうなるか、死後にその魂が続くかという問題です。

キャロルの時代は、折から、ダーウインの学説も出て、唯物主義の盛んになった時代で、この問題に多くの人が関心を持ちました。物質以外にも魂のようなものが存在するのではないかと考える心霊主義、それを科学的に研究しようとする動きも盛んです。

この章の終わりの方を読んでみましょう。青虫は別れ際にアリスにこう言います。

片一方はお前を大きくする。もう一方は小さくする
何の片方で、何のもう一方かしら?」アリスは心の中でつぶやきました。(thought to herself )
キノコのことさ」青虫は、アリスが大きな声で尋ねたかのように、答えました。

ここでマーチン・ガードナーは注をつけて、こう言っています。

「青虫はアリスの心を読んだのだ。キャロルは心霊主義は信じなかったが、ESP(超感覚的知覚)や念力は信じた。1882年の手紙の中で、心霊現象研究協会発行の『読心術』というパンフレットに関して次のように語っている。このことは心霊現象がまがい物でないという彼の信念を裏打ちするものである。『あらゆるものが、電気や神経力と関連する自然の力が存在していること示している。この力によって脳が脳の上で機能できるのである。この存在が、自然の力の一つとして、またその法則の中に位地付けられる日もそう遠くないと思う。唯物的なものを越える証拠には最後まで目を閉ざす科学的懐疑主義者もやがて自然の証明済みの事実として認めざるを得なくなるだろう』キャロルは生涯にわたって心霊現象研究協会の熱心な特別会員であり、また彼の蔵書に中には何十つものオカルトに関する本がある。
参照: “Lewis Carroll and the Society for Psychical Research” by R. B. Shaberman in Jabberwocky summer 1972  」
* The Annotated Alice the definitive edition  by Martin Gardner Penguin 2001

心霊現象研究協会 (The Society for Psychical Research)は1882年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの心霊主義に関心のあった三人の学寮長によって設立された協会ですが、キャロルは最初から加入しており、charter memberとされています。協会は、テレパシー、催眠術とそれに類似の現象、霊媒、幽霊、降霊術に関係した心霊現象や超常現象を科学的に研究しようとするものでした。後にコナン・ドイルも加入しますが、最近、明らかになったキャロルの銀行口座から、彼が1882年(協会発足の時)から彼がなくなる1898年まで、年間2ポンド2シリンング(年により異なる年もありますが、現在の貨幣価値では日本円2万5千円くらいでしょうか?)の会費を欠かさず納めていたことが分かります。彼の詩にはお化けがよく出てきますし、「不思議の国のアリス」のチェシャ猫もお化けのような存在でもありますし、「キャロルは心霊主義は信じなかったが、ESP(超感覚的知覚)や念力は信じた。」というガードナーの意見は正確かどうか疑います。キャロルは聖職者の一員として、晩年には教会で説教もしているくらいですから、霊的な存在を認めていたのではないかと思います。
このように考えると、キャロルの提起している「私は誰か」と言うアイデンティティの問題は、生前、死後を含む大きな問いになるかもしれません。

05・4・5

目次へ


蛇足:高齢化に伴い記憶の問題は大変重要になってきています。痴呆はいま認知症と呼ばれていますが、あなたのお父さんやお母さんがこれに巻き込まれる可能性がありますし、やがて貴方も・・・ (「認知症とは何か」小澤勲  岩波新書 2005年)

アリスが自ら行い、青虫やグリフォンなどからさせられたように、唄を復唱するのは、これらをチェックする良いやり方かもしれません。